第11章 揺らぎ
朝。
ソレアのシャッターが上がる。
金属の音が、静かな商店街に響いた。
ハルノは、いつも通りカウンターに立つ。
火をつける。
肉が回り始める。
変わらない動き。
変わらない手順。
——だが。
「……重いな」
ぽつりと、こぼれる。
体ではない。
空気だ。
昨日の出来事。
あの男。
あの圧。
店の中に、まだ残っている気がした。
——気のせいじゃない。
「ああ」
ハルノは、短くうなずく。
完全には終わっていない。
むしろ——始まったばかりだ。
それでも、手は動かす。
肉を削ぐ。
いつも通りに。
だが——
ほんのわずかに、ズレる。
厚み。
角度。
微細な違和感。
「……」
ハルノは、それに気づいていた。
——乱れている。
「ああ……わかってる」
昨日の緊張が、残っている。
意識のどこかが、外を警戒している。
そのせいで——
“今”に集中しきれていない。
最初の客が来る。
「一つください」
いつもの声。
ハルノは、うなずく。
「どの味にする?」
「甘口で」
——同じだ。
「ああ」
肉を削ぐ。
だが——
手応えが、少し違う。
ほんのわずか。
だが確実に。
「はい」
差し出す。
客は、一口。
「……あれ?」
小さな声。
ハルノの耳に、はっきりと届く。
「……どうした」
客は、少し考える。
「いや……気のせいかも」
そう言って、もう一口食べる。
「……うん、うまいです」
フォローのような言葉。
だが——
最初の“あれ?”は消えない。
ハルノは、何も言わなかった。
客が去る。
静けさが戻る。
「……ズレてるな」
——ああ。
原因はわかっている。
外だ。
あの男たち。
“守るか、抗うか”という選択。
その余韻が、手に出ている。
「……弱ぇな」
小さく、吐き捨てる。
——人間だ。
「……それもそうか」
ハルノは、目を閉じる。
深く、息を吸う。
吐く。
火の音。
肉の回転。
ソースの匂い。
一つずつ、戻す。
“ここ”に。
そのとき——
「……来たよ」
聞き慣れた声。
あの少年だった。
いつもの位置。
いつもの距離。
ハルノは、ゆっくりと目を開ける。
「……ああ」
声が、少しだけ落ち着く。
「甘口でいいか?」
先に聞く。
少年は、少し驚いてからうなずく。
「うん」
ハルノは、肉に向き直る。
今度は——
余計なことを考えない。
外も、昨日も、すべて置く。
ただ——
目の前。
肉。
刃。
呼吸。
それだけ。
——戻ってきたな。
「ああ」
手が、整う。
削ぐ。
音。
感触。
すべてが一致する。
「はい」
差し出す。
少年は、受け取り、一口。
「……うん」
短い一言。
だが——
迷いがない。
ハルノは、ゆっくりとうなずいた。
「……ありがとな」
ぽつりと、言う。
少年は、少しだけ笑った。
「……なにが?」
「……戻った」
それだけ。
少年はよく分かっていない顔で、また食べ始める。
だが——
それでいい。
ハルノは、カウンターに手を置く。
外は、まだ不安定だ。
問題は、消えていない。
だが——
“ここ”は守れる。
「……揺らぐな」
——ああ。
ハルノは、静かにうなずいた。
ソレアの中に、いつもの流れが戻っていた。
だがその奥で——
見えない緊張は、まだ続いている。
戦いの“後遺症”




