第10.5章(スピンオフ) 湯けむりのポース
10章達成スピンオフ
夜。
ソレアのシャッターが下りる。
一日が終わる。
火は落ち、肉の回転も止まる。
ハルノは、静かに椅子に座った。
「……疲れたな」
——当然だ。
「ああ……」
目を閉じる。
そのまま、意識が沈む。
気がつくと——
湯気だった。
白い。
やわらかい。
そして——
広い。
「……ここは」
見渡す。
木の天井。
石の床。
温泉。
しかも——
「お疲れさまです、ハルノさん♪」
声。
振り向くと——
そこには、数人の女性スタッフ。
笑顔。
距離が近い。
妙に親しげだ。
「……誰だ?」
——知らん。
「ああ、だよな」
だが不思議と違和感はない。
「社員旅行ですよ♪」
一人が言う。
「……社員?」
ソレアは、ほぼ一人でやっているはずだ。
だが——
「ほら、もっとこっち来てくださいよ」
腕を引かれる。
距離が近い。
近すぎる。
湯気の中で、空気がやわらかく揺れる。
「……なんだこれ」
——夢だな。
「ああ……夢だな」
理解はしている。
だが——
妙にリアルだ。
湯の温度。
空気の重さ。
そして——
周囲の視線。
「ハルノさん、いつも頑張ってますもんね」
「今日はゆっくりしてください」
優しい声が重なる。
距離が、さらに縮まる。
「……落ち着かねぇな」
——珍しいな。
「うるせぇ」
ハルノは、少しだけ湯に沈む。
だが——
逃げ場がない。
囲まれている。
完全に。
「……なんでこんな状況なんだ」
——願望だろ。
「違う」
即答だった。
そのとき——
一人が言う。
「ハルノさんって、優しいですよね」
別の声。
「ちゃんと見てくれるし」
さらにもう一人。
「一人一人、大事にしてくれる」
——……。
ハルノは、言葉を失った。
それは——
店でやってきたことだった。
積み重ねてきたこと。
「……」
少しだけ、目を閉じる。
湯気が揺れる。
声が重なる。
距離が近い。
近すぎる。
「……やめろ」
ぽつりと、つぶやく。
「こういうのは——」
その瞬間——
視界が揺れる。
音が消える。
湯気が崩れる。
「……っ」
目が覚める。
暗い店内。
ソレア。
いつもの椅子。
静かな夜。
「……夢か」
——ああ。
ハルノは、しばらく動かなかった。
そして——
深く息を吐く。
「……変な夢見たな」
それだけ言って、立ち上がる。
外は、静かだった。
何も変わっていない。
だが——
ほんの少しだけ、軽くなっていた。
むしろあそこはあつかった濡れている。
「……まあいい」
明日も、店は開く。
やることは同じだ。
肉を焼く。
削ぐ。
渡す。
それだけ。
「……寝るか」
ハルノは、電気を消した。
ソレアの中に、静かな闇が落ちる。




