第89話/初めての空/Limited_NAGI
「ここから出ないで。ウチのチームは〝そういう事〟する奴らいないと思うけど、カギは絶対に締めといて。」
大きめの布を女達に投げながらエヴィが言った。
下からすくい上げるように投げている。布は放物線を描き、女達の手元に収まっていった。
最後の一人に投げ終わると、細長い木の筒から何か飲んでいる。
グローブ・Kのアジト。とある家屋に戻ってきたナギとエヴィ。
エヴィの友人ポスコと、さらにその友人含め、八人を保護していた。
魔法で掴み、一度に全員を運んだのだが、エヴィ曰くナギの体重しか感じないようだった。
ナギ自身も感じない。
ノードを吸収する前は、引っ張る時に抵抗は感じていた。
吸収して帯が強くなったんだろう。端正な顔立ちの女達には目を向けず、床を眺めながらそう思った。
エヴィの声で思考が止まる。
「終わったらあたし戻ってくるから。次がラストでしょ?」
木の筒から口を離すと、女達からナギに視線を移動させて言っていた。
何も言わずに頷く。
自分に向けられた女性達からの異様な視線に居心地が悪く、早くこの場を立ち去りたかった。
たしかに、体内に赤い血管のような糸が張り巡らされている上半身が裸の少年が、攻撃すると性別が変わる気の失った人間を漂わせているなんていうのは異様である。
歓楽街ではなく、密告で使った裏道を通って正解だったとナギは思った。
エヴィが女達に何か話しかけている。
ナギは俯いて自分の体を眺めた。
ノードの赤い糸は、左胸に到達していた。
ふわふわ漂っていた部分はなくなり、完全に体の中を這っていた。
進むスピードが、どこか速く感じた。
〝いやすね〟を使いまくったからかもしれない。そう思った。
グローブ・Kのアジトに到着してから、ブーツを脱いで確認したが、下半身にはまだノードの触手は来ていない。
エヴィに声を掛けられ顔を上げる。
後をついていくように扉へ向かって行った。
「他の人たちはいいの?」
家屋を出ると、ナギが口を開く。
扉を押し引きして施錠を確認しているエヴィから言葉が返ってくる。
「あー。あの建物にいた?」
サファに〝つかむ〟をかけなおしながら頷く。
「あそこにいるほとんど全員、たぶん無理矢理…っていうか仕方なく?本人が望んでない感じでやらされてると思うんだけど、事情が今、全員わかるわけじゃないから。あそこってヤマカミでしょ?そっから抑えた方が早いんじゃない?」
「わかった。」
ナギは力強く頷いた。
「はい。これ。飲んでいいよ。」
言い終わるよりも早く、エヴィが細長い木の筒を投げつけてきた。
キャッチした瞬間、中でちゃぷりと液体が揺れた。
受け取った木筒を呆然と眺める。
嘲笑エヴィ。
「間接キスとか考えてるわけ!?想像以上にチェリー!」
睨みながら視線そのままに栓を噛んで抜く。
中の水を飲み干した。
細目で筒を投げ返しながら御礼ナギ。
「次、路地裏、行くんでしょ?勝てんの?あたし死にたくないんだけど。」
キャッチした木筒を家屋の壁際にある棚に置きながら聞いてきた。
「勝たないとだめなの?」
何気なく聞いた。
「そりゃそうじゃん?絶対に襲われるっしょ。」
意外そうな顔のエヴィと目が合った。
「僕よりも強い人が居なければ大丈夫じゃない?」
今の自分だったらブローチに勝てるだろうか。
ぼんやりとそんな事を考えながら答えた。
「体、顔?大丈夫なの?」
屈んでエーテルシューズの紐を結びなおしているエヴィが言った。
力を入れている。かなり固く結んでいるようだった。
「顔?」
「そう。体もだけど、やばいよ顔。痛くないの?それ。」
思わず頬に右手を伸ばす。
どうなってるの?そう呟くのと同時に、左の頬がいくつもの紐状に盛り上がっているのがわかった。
太い糸が顔の中を這っているように膨らんでいる。
指よりかは細いだろうが、場所が顔だけにかなり太く感じた。
顔面の右半分には到達していないようだった。
咄嗟に手を離す。
呟きに返すエヴィ。
「血管?なんか浮いてるっていうか、皮膚の下、赤いのが這ってる感じ?」
腕や胸の辺りは、赤色の細い線が透けているだけだったが、顔のそれは太く、ひょっとしたら皮膚を貫通しそうなのだろうと予想した。
「わかんない。痛くはないよ。でもどうやって取ればいいのかはわかんない。」
左の掌からどんどん上ってくるのを目にしていて、なんとなく覚悟はしていたが、実際に口にすると急に怖くなってきた。
ナギの黒目が揺れる。
「あっそ。じゃあはい。さっさと済ませよう。」
エヴィがしゃがみながら掌を後ろに出す。
肩に右手を乗せ、背中に乗った。
シューズで滑れない事を揶揄うような言葉が飛んできたが、これまでのエヴィとは違い、普段よりもどこか弾んだ声のような気がした。
無言で地面を掴んで引っ張る。
ぱっとその場から消えるように加速する三人。
エヴィの足元は頼もしいくらいにしっかりしており、加速の後、よろめきもしなかった。
*
「ちょっと試したい事あるんだけど!」
日が昇り、人気の少ない歓楽街を滑っているとエヴィが張りのある声を出した。
後方でふわふわと浮いているサファに目をやりながら返事をすると、浮き浮きとした大声が返ってくる。
「裏路地!はやく着くかも!」
何を言っているかわからなかった。
彼女が前を向いているので表情は見えなかったが、笑っているようだった。
「振り落とされないでよ!足!あたしに巻き付けていいから!ちゃんと掴まって!」
言われた通りにするとナギの太腿を支える力が一瞬なくなった。
焦って右手でエヴィの肩を握り締める。
エヴィが自分の〝つかむ〟で加速した。
〝赤黒い帯のつかむ〟に慣れてきているのか、かなり遅く感じた。
先ほどの女達を回復した建物に視線を送りながら、エヴィが叫ぶ。
「あそこ!さっきのヤマカミの!一番上の壁!引っ張る時教えて!」
言われた通りに手を翳す。
〝つかむ〟を声に出す。
せーので引っ張った瞬間、エヴィが〝はねろ〟と叫んだ。
視界に建物の壁が広がった。
ぶつかると思い反射的に瞼を閉じる。
体が浮遊感で包まれ、耳に風の音が響く。
焦って目を開けると、怪物の皮膚だ。そう思ってどきりとする。
眼下に広がる雑木林だった。
ナギは短い声を出しながら、視線を上下左右に忙しなく振りまわす。
上を見ると、青と白しかない世界。
遠くには燃えるドミヌスのアジトが見えた。
初めて大火事を起こしたので、少し胸がざわついていたが、あまりに小さく映るものだから噴き出してしまった。
ミトハロの街も、狭く小さい気がした。
右手からリサに伸びる魔法の帯はバシナリー広場の方向に伸びていた。
「――――っ――――!」
エヴィの興奮に満ちた横顔。
何か言っているのはわかるが、風の音で声が聞こえない。
広がる海は大きすぎて怖かった。
カーペットみたいに敷かれている。
どでかい魔物が海面から顔を覗かせそうだ。
大きな山が怪獣の背びれに見えた。
それを覆うような木々は、怪我をした小動物の毛が抜け落ちたように、所々が剥げている気がした。
人が住んでいるのかもしれない。
少年は、たしかに空を飛んでいた。
激しい浮遊感。
落下を開始したとすぐ気づく。
むず痒さが尻を襲う。ノードの建物から落下した時のそれとは比にならない。
尻に留まらず、ぞわぞわしたものが胸まで上がってきた。
エヴィの腰に巻き付けている足に力が入らなくなった気がした。
おしっこ漏れそう。そう思った。
エヴィは相変わらず興奮している。
今まで眼下で小さかったものがどんどん大きくなる。
景色が食いついてくるような錯覚。
死が迫る。
地面への〝やわくなれ〟がちらついた。
そこに着地できるかわからない。
耳に、ごぅっと風の音が聞こえた瞬間、視界がぐらりと傾いた。
三人がばらばらになる。
怪物に平手打ちをされたような突風。
目を細めて大笑いしているエヴィが映る。
ハーフアップの髪がばさばさ揺れすぎて、そういう髪型で固定されているかのよう。
当初歓楽街から裏路地に向けて飛んだはずだが、だいぶ街からは離れている。
その思考でやっと〝はなれて〟を思い出した。
エヴィに左手を翳し、掴む。
察したのか、彼女は手を広げていた。
初めて見る笑顔だった。
引っ張ると、衝撃と同時にナギの首に抱き着くエヴィが目の前に現れる。
サファに何か叫んでいる。
挑発しているのだろうと気にしない事にした。
左手で触れないように気を付けながら、自分の脇腹、背中に〝はなれて〟を撃ちまくる。
落下の位置を調整していると、笑い声が混じる言葉が耳に飛び込んでくる。
「サファが離れた!」
柔らかく、細かく動いているものが耳に触れている。
変な声が出そうになった。
魔法で離れながら体の向きを調整し、サファを向く。
魔法が切れている。
落下で靡きまくるミディアムへアの隙間から泣き顔が見え、何故か一気にめんどくさくなる。
もうあいついいかな、ここで殺そうかな、そう思ったが、エヴィのせいになるかもと考え直した。
下を見ると、街の近くの砂浜に着地できそうだった。
腕を頭の上に伸ばし、魔法でサファを掴み直して引き寄せる。現れる辺りに右の拳を置いておいた。
体のどこかに当たり、サファはミライになった。
噛みつかれてもおかしくない距離だったので帯を操作して遠くに離す。
(ミライは攻撃食らわないって事は、落下も平気だよね。)
冷めた顔つきでそう思った。
レイルをしてる人間が落下の衝撃を〝つかむ〟で逃がしていたそれをイメージする。
さらに数回〝はなれて〟を使い位置の調整をするが、風で煽られたのか、海面に落下しそうだった。
着地間際に砂浜近くの雑木林を魔法で掴んで帯を引き寄せる。
視界が変わる。
足に数度の衝撃を感じた直後、顔面にも衝撃が走る。
口の中がざらついた。
視界が砂に埋まっていた。
滑り込むように砂浜に着地したのだろう。顔を上げてから分かった。
体を確認するが、特に痛みはない。ブーツとズボンが濡れてるだけだった。
海面の上を跳ねたのかもしれないと、何気なく振り向いた。
空から見た海は広すぎて怖かったが、いつもの穏やかな海だった。
大きく肩で息をして、隣で仰向けになっているエヴィに顔を向ける。
楽しかった~。初めて聞く笑い声をこぼしながら、彼女はそう言っていた。
*
「あたしさ、シューズで滑ってる時。スピード出すほど魔力強くなるんだ。なんでか知らんけど。まあ、今のあんたに比べたら全然だけどね。」
雑木林の中、ミライに伸びた帯を辿っていると横から声がした。
顔を向けると少し笑いながら続けるエヴィ。
「あ、あたしさ。滑ってる時、足と地面に薄い膜っていうの?なんか感じんの。ウォッチにも聞いたけどわからんって。あんたわかる?」
わかんない。首を左右に少し振り、否定する。
だよね~、とエヴィは宙を仰いで残念がっていた。
謝罪の声が遠くから聞こえてきた。
「あんたの魔法、今強いからさ、飛べるかなって。予想以上だったわ。楽しかった~。あれ!?今その体だから強いんだよね!?元々!?」
元々だよ。と少し笑って返す。
空に大きく飛んだのは自分の魔法じゃなくてエヴィのものだった。
アネットから聞いた、シューズを履くことによる〝魔力の外部化〟が浮かんだ。
(シューズ履きまくってたら魔力弱くなるってわけじゃないんだ。人によって違うんだろうけど、違いがわからないな。)
「楽しかった?」
エヴィが顔を覗き込んで聞いてくる。
「あっ、うん。楽しかったよ。僕の〝つかむ〟のせいかと思って驚いたけど。エヴィのだったんだ。」
「ただぴょんぴょん飛び跳ねてるだけじゃない奴も―――」
どきりとした。
「中には、いるって事っすね。」
覗き込んでいた顔がにやりと笑う。
ナギは眉を少し上げて、数回頷いた。
ミライの元に歩み寄ると、変化なくミライのままだった。
怪我をしている様子もない。
両腕がない状態で謝罪の言葉〝だけ〟を並べる彼の言動は、初めて違和感がなかった。
とはいえ、延々と謝罪をされていると気が狂いそうになる。
一発蹴って変える。
ぎゃあぎゃあ喚きだす女にげんなりする二人。
顔を見合わせるとエヴィが頷いた。
目を輝かせ、舌先を唇の端から覗かせながら後ろに回る。
首を絞めて気絶させていた。
気絶を告げても、屈託のない笑顔で締め続けるエヴィを見て、〝女版タリフだ〟。ナギはそう思った。




