第84話/レイシーとカイバ/Limited_NAGI
「おまえ!その左手なんなんだよ!赤くなってるぞ!動いてるしよ!」
目の前のスキンヘッドから声がした。
S棟の真横の壁に沿って、広場の真ん中に向かって走っているレイシー。
背中に乗るナギに出来る限り顔を向けて言った。
「エーテルノードに突っ込んだ!前見て!前!」
スキンヘッドを見ずに返す。
付近にいるオオカミの魔物を魔法で吹き飛ばす。
サイズがでかい。ナギの頭くらいの高さに口がある。
オオカミの魔物を見ると何故か胸がざわついた。近寄りたくない。
体が上下に揺れる。
舌を噛むところだった。
横たわる人間をレイシ―が跳んで躱したのだろう。
跳んだ足が地面につく際、不自然なよろめき方をした。
「どっか痛いの!?」
眉間に皺を寄せながら耳元で叫ぶ。
「ああ!?背中!たまにとんでもなく痛えんだよ!さっきどっかの魔法使いに飛ばされた時だ!クソ!見つけたらぶっ殺してやる!」
怒気に満ちた声。
ナギを支える手に力が入った。しかしもう怖くはなかった。
やってみろ!心の中でそう言いながら、鼻の頭に皺を寄せスキンヘッドを威嚇した。
時折光る血まみれの後頭部と肩の辺りに手を翳す。
まあたしかに、頭から血が出ているのに、どっか痛い?なんて聞くのはおかしな話だ。威嚇しながらナギはそう思い、何気ない表情に落ち着いた。
しかし、成長しろ!そう思いながら〝はげしくいやすね〟を声に出す。
元から光っている頭がさらに光る。
がくんと体が揺れ、不穏な声が聞こえてきた。
「…おわぁ…おお!?…おおおわあああ!ふぅわああ!痛くねぇ…!痛くねえ!こんなに一気に引くもんか!悪いな!」
聞こえてくる声を無視して、左右に顔を振る。
周囲を警戒していた。
驚きの声から一転、痛がり出した。
「…ずぁ…うぉ…ちょぅゎ…ちょっ!ちょっと待て!痛って!クソ!痛ぇ!…いっててて!」
ふらふらと蛇行する。
本当に成長しちゃったのかもしれない。心臓が一度大きく跳ねた。
スキンヘッドから肩へ視線を這わせながら、口元を頭に近づけて叫ぶ。
「どこが痛い!何が起きた!言えレイシー!どこが痛い!」
体を傾けて左右に乗り出す。
腕、足と覗き込んでいると、悲痛な声で「耳!」と返ってきた。
顔を耳に近づけるとピアスに沿って血が滲んでいる。
ピアスの周囲の皮膚。いや、肉が、行き場を失ったように徐々に盛り上がっている。
異様すぎる光景を食い入るように見つめながら叫ぶ。
「レイシー!少し痛いぞ!我慢しろ!」
「ああ!?なんて!?」
何が起きているかわからないといった横顔を気にせず、真剣な表情で左手の人差し指と親指だけ右耳に近づける。
耳の一部をピアスごと潰すように摘まむ。
力を入れずとも、とろりと溶ける耳。
短い悲鳴と同時にレイシーの体がぐらつく。
(ピアス多すぎ!)
個数分を繰り返す。途切れ途切れに苦悶の声が聞こえた。
千切れた箇所は、回復魔法で再生していった。
面倒になってしまったので左耳は半分くらいを一遍に千切る。
叫び声が聞こえてきたがお構いなしだった。
左耳も再生したのが見えた。
レイシーはピアスのない、ただの筋肉スキンヘッドとなった。
「なんなんだよ!何が起きた!」
痛みが落ち着いたのか、力強い声だった。
足取りはしっかりしている。
「ピアス無くなった!穴塞がった!理由わからない!」
周囲に気を向けながら耳元で適当に叫ぶ。
気づけば一緒に横を走っていたイタチを魔法で吹っ飛ばす。
耳を触りながら驚きの声を上げているレイシ―。
それを横目に周囲を見ていると、突然夜になった。
地面に影が這っている。
頭上に巨大なカラス。
(デッカラス!)
アルセナの噴水よりも大きい。
翼を広げたその大きさに鳥肌が立つ。
かなりでかい。
反射的に手を翳し、探るような視線をカラスに向ける。
優雅にぐるぐる広場の上を飛んでいるだけで、攻撃してくる様子はない。
もしもあれが広場に落ちてきたら…。大暴れしたら…。目を細めて唇を固く結び、ナギは手を下げた。
巨大なカラスは高度を上げて小さくなっていった。
下から声が聞こえ、視線を向ける。
広場の真ん中に到達していた。
「多分あの階段の建物の中に居る!あっちに飛んでくの見たんだよ!」
焦った事で言いながら、体がE棟を向く。
(飛んでた?カイバさんって魔法使えないんじゃないの!?)
右側、S棟方面の空から襲い掛かってきた二人組に向かって〝はなれて〟を声に出す。
疑問は二人組と一緒に吹き飛んだ。
(飛んで行ったって事はきっと高い所だ!)
「止まれレイシー!飛ぶぞ!屋根に飛ぶ!落ちるなよ!」
肩を叩きながら叫ぶ。
歩幅の狭い数歩で減速しながら、体の揺れが止まる。
乗っている背中の筋肉が強張った気がした。
〝つかむ〟でE棟の屋根を引っ張る。
視界が屋根に切り替わる。短く低いドスの利いた呻き声。
ウォッチの時のように屋根に衝突して転がる二人。
うつ伏せで止まるとレイシ―を目で追いながら叫ぶ。
「レイシ―!止まれ!屋根を壊せ!殴れ!」
転がり登るレイシーと目の前の屋根に忙しなく視線を往復させ、屋根を掌でバンバン叩いた。
起き上がりながら〝筋肉〟から焦る声が飛ぶ。
「さすがに無理だ!壊せるわけねえだろ!」
「なんのための筋肉だ!ばか!はげ!壊せ!」
目を閉じ、口を大きく開けて喚く。
スキンヘッドがみるみるうちに赤くなり、唇を噛み締めた。
鋭くなった視線はナギから屋根に移動する。
レイシーが屋根に膝をつき、右拳を振り上げる。
短く叫びながら振り下ろした。
拳と屋根が衝突した瞬間、鈍い音を合図にするように、鋭い視線は泣き出しそうな顔つきに変わる。
振り下ろした時よりも速く拳を引いていた気がした。
左手で右拳を覆い、体を丸めている。
細く長い息を吸いながら、言葉を発さずに痛がっている。
時折呻き声が聞こえた。
屋根は壊れていない。
ナギは寂しげな表情でそれを見つめていた。
体を震わせているレイシーを尻目に、ノードが絡みついている左手で屋根に円を描く。
するする溶けていく屋根。
円が結ばれると屋根が落ち、下の階の床が見えた。
「おまえ!できんなら最初からやれよ!」
涙目の筋肉。
顔は真っ赤だった。
「これコントロールできなくて怖いの!」
一瞥もせず、穴の先を見ながら反論した。
僕の筋肉はラグナロクを弾いたぞ!そう言いかけてやめる。
少し穴の輪郭を毟り、通れるくらいの穴が開くと、体にしがみつくよう促す。
落下寸前に壁を〝つかみ〟一緒に降りた。
外の喧騒が遠くなる。
ベッドが二つ、机と椅子がワンセットずつ。
何に使っているのかわからない部屋だった。
言葉を交わさず、示し合わせたように廊下に出る二人。
順番に部屋を探していく。
鍵がかかっている扉は左手で鍵の部分を溶かし、片っ端から扉を開けていく。
施錠された部屋の中からは、人間が襲い掛かってきた。
バンダナの色を確認する余裕はない。
今のナギにとっては全員が敵だ。確認する必要もない。
男だと認識した人間には問答無用で〝はなれて〟を発声する。
壁を貫通して次々に吹き飛ばした。
女はレイシーの確認がないと吹き飛ばせないので面倒だった。
襲い掛かってくる相手は待ってくれない。
相手の魔法の発動が遅いのがせめてもの救いだった。
とはいえ、相手の顔つきも必死に見える。躊躇している間に殴られたり、切り付けられていた。
そもそもカイバさんが襲ってくるわけないのでは。
襲ってくる人間はその時点で全員吹き飛ばしていいのでは。
そう考えると苛立ちが募ったが、魔法が使えないナギよりも、レイシーは傷を負っていた。
決して後ろ向きな発言をしない、顔面蒼白の横顔を見てナギは言葉を引っ込める。
(赤っぽい茶髪のセミロング…。ちょっとギャルっぽい…。)
以前聞いた特徴を反芻しながら襲ってくる人間を見定める。
三階の部屋を全て巡回し、広めの階段を下った。
二階は建物の両端、廊下の突き当りがそれぞれ広い空間になっていた。
壁がぶち抜かれており、広い階段が広場に直接伸びている変わった建物だ。
階段と言うよりも、レイルのための発射台に近い。
所々サイズの異なる板が貼られ、継ぎ接ぎ感がある。
配達業に邁進すればいいのに抗争したり、カツアゲをしている人間達が作った建物だと思うと、大人というものがどこか大きな子供に見えたのだった。
レイルばんざーい!広場に伸びる大階段の前で、ため息をつきながらそう思った時。
何を言っているのかは聞き取れない、入り乱れた複数人の怒声が聞こえてきた。
三階からの室内階段を下りて左の突き当り。
五、六人くらいの男女が揉み合いになっている。
時折、小さな氷の結晶が出来ていくのが見えた。
剣を持っている人間もいる。
集団に顔を向けるレイシーの視線が停止したかと思うと細目になり、やがてその目を剥いた。
指をさすよりも早く声を張る。
「ナギ!あれだ!いた!」
言い終わるよりも早く、戦っている男女に探るような目つきで視線を向ける。
ナギは答えというか、彼の思惑が知りたかった。
レイシーがどういうつもりで探しているのか、なぜカイバさんがバシナリーにいるのか、そういう情報が欲しかった。事実じゃなくていい。
何を考えながら探しているのか?それを聞きたかった。赤っぽい茶髪が見当たらない集団に鋭い目線を向けながらそう思った。
見当たらなければ、どうにもできない。どうすればいいのかわからない。
不安に満ちた表情で走り出すレイシー。質問してる余裕がないのは明白だった。
階段からは少し距離がある。
「レイシー!あっちに走れ!」
揉み合っている集団に走り出すレイシーに叫び、逆方向を指差した。
腑に落ちない様子で二度見しながら前を通り過ぎるレイシーから離れるように、ナギは揉める男女の方に駆け寄る。
ノードのバルコニーにいた二人のドミヌスがくっきりと映った。
黒髪の男、青い髪のショートカットの女。
それ以外の人間を線で結ぶように、瞳を小刻みに動かす。
赤茶髪のセミロングがどうしても見当たらない。
気づかれたのは駆け寄るナギの視線か足音か。振り向いた男と目が合った。
その瞬間、遠くに立ちつくすレイシーを〝つかむ〟。
赤黒い帯がスキンヘッドに伸びる。
「〝飛ばす〟から誰か掴んで止まって!」
左手をレイシ―に伸ばし、叫びながら半身になる。
緊張の面持ちのスキンヘッドから目を切り、顔だけ争う集団に向けた。
助走をつけながら、これでもかと踏ん張ると、脹脛、腰、肩の順に力が入っていく。
左手から伸びた帯を右手で思いっきり引き寄せた。
巻き添えを食らわぬよう後ろに飛び避ける。
壁をぶち抜いた大階段があるおかげで廊下の幅があって助かったな。そう思うよりも速く、目の前を高速で横切る筋肉の塊。
平手打ちされたかのようなスピードで顔を向け、目で追った。
レイシーは壁を突き破って外に消えていった。
「誰か掴めよ!あほ!筋肉!」
拳に力が入る。
つい心の声が漏れ出した。
予想外の出来事に、戦いの間合いが膠着していた。
さてどうしたものかと目を細めて考える。
女は三人。
ならばほとんど確定してるようなものだ。自信満々に〝青い髪のドミヌスの女〟を魔法で引き寄せる。
高く短い悲鳴と共に、足元に滑り転ぶ女が現れた。
乾いた音を引きずり、女の剣が床の上を滑っていく。
うつ伏せになってる女に近づくと、右腕を左手で掴む。
掴んだ肘の部分がジャムのようになり、その先がとろりと床に落ちた。
女の悲鳴が廊下に響く。
「あ…あんた…、さっ、きの…。」
女はくぐもった声を出しながら、苦痛に歪んだ顔つきでそう呟いた。
黒い髪の男も同様に引き寄せ、左腕を落とす。
男からは絶叫に加えて、罵声もあった。
カイバさんの安全は確保した。
鼻息を荒くさせ、腕を抑えて転げまわる女の顔面に一発蹴りを入れると、レイシーが突っ込んだ方に駆け寄った。
男と女が二人ずつ。
値踏みするような目つきで、探るような視線がナギに集中した。
赤い茶髪はいない。
女は黒髪と金髪だ。
男がはっとした顔をするのと、金髪の女が「ちょっと、逃げよ。」と囁いたのが同時だった。
何かに気づいた男の表情は、にやついた顔に変わり、面白がるような声で近くの女に話しかける。
「〝エンテ君〟じゃん。」
その言葉に眉間に皺を寄せる。
バンダナはつけていない。
エンテ君…。放たれた言葉からグローブ・Kだと察した。
凍結魔法で男を殺そうか考えるが、黒髪の女と距離が近い。
巻き込んだら大変だ。そう思って我慢した。
カイバはグローブ・Kだったのか。
赤みがかった茶髪とはそもそもなんだったのか。
いつ魔法を唱えられてもいいように脹脛に力を入れながら、ぐるぐる回る考えに身を任せていた時。
途切れ途切れの声が壁から聞こえてきた。
走り寄ると、必死な顔つきのレイシーが縁を掴んでいる。
顔を出したのがナギだとわかると眉を上げ、手を引くように言ってきた。
横にいるグローブ・Kの四人組に顔を向ける。
「あの、この人助けるの手伝ってくれない?」
助けを求めたくなかったが仕方ない。
気怠そうな表情、淡々とした声で言った。
〝エンテ君〟の頼みならばと、逃げるように促していた女の手を払い、男がにやつきながら寄ってくる。
ナギと一緒にレイシーの手を掴み、体を引き上げる。
息絶え絶えに這い上がり、荒い呼吸で床に四つん這いになるレイシー。
頭からは血が流れ出ていた。
グローブ・Kの集団を一瞥すると驚愕の言葉を吐く。
「ネーリ…カイバはどこだ。ナギ。青い髪…多分あいつなんだ。」
その瞬間、ナギは〝みんなこおれ〟を発声する。
グローブ・Kの四人全員がひとつの赤黒い氷にすっぽり収まった。
そういうの最初に言え!そんな苛立ちを乗せた拳をフルスイングする。
*
タリフが死んでから、ほとんどがその場を離れていたグローブ・K。
エンテ君と言い放った男は、タリフがこの世を去るその瞬間を見ていなかった。
タリフは、ドミヌスのアジト周辺にアブロスの部隊として一部残していた。
せっかくだから〝抗争っぽい事〟をしよう。
後から合流した男にそう誘いかけられた仲間もまた、高揚していた。
サファの近くにいたドミヌスの二人をたまたま見かけ、襲っていたのだった。
世界脱落の如何を語る事さえ、勿体ない。
四人は、実に無様な最期を遂げた。
しかし、結果は要望通り。最後の最後で〝命を奪い合う抗争〟に参加できたのだ。
その思い出を反芻する身体はもう無いけれど。
*
そんな争いの蛇足なんぞ知る由もないナギ。
フルスイングの割に拳に当たった感覚がほとんどないものだから、赤黒い霧がぶわっと舞う中で、勢い余り床に転がっていた。
少年の一連の動きを困惑の色を浮かべて見つめるレイシー。
何か言いたそうに、向けた視線を上下させていた。
ナギは立ち上がると四つん這いになっているレイシーを表情なく睨みつける。
何も言わず腕を上げ、廊下の方を指さした。
その異様さから慌てふためきながら立ち上がり、差された指の先へレイシーが走り出す。
ナギはその様子をじっと見つめていたが、やがて俯きながらゆっくりと後を追った。
険しい顔のレイシ―が膝をつき、仰向けになった女を抱き寄せている。
女の愛称を叫んでいた。
涙でくしゃくしゃになった顔で、女は声を振り絞って言う。
「黙ってて、ごめんなさいレイ!私ドミヌスなの!」
「知ってたよそんな事!」
レイシーは自分のシャツを脱ぎ、カイバの腕に巻く。
床に流れ出る血。
ナギは少し離れた所で、それをただ見つめていた。死んだ顔だった。
苦悶の表情で静かに呻いている黒髪の男が見えたが、どうでもいいと目を切った。
ナギはレイシ―に近づいていく。
「私!ドミヌス、やめるから!腕もこんな事になって、理不尽な事ばっかり、言われて!なんかあると、脅されて!意見をしたら歯向かってるって思われて!すぐに決断できなくてごめ、んなさい!たくさん想っ、てくれたのに!なんで、、、、なんで今の私に気付けるのよ!」
嗚咽交じりにそう言った。
唇をへの字に歪ませ、大粒の涙を瞑った目から流している。
わかったわかったと言うレイシーも泣いていた。
「ねえ。」
低い声で水を差すナギ。
顔は死んでいたが目は鋭い。
二人に左手を翳す。
驚いた顔の二人と目が合った。
「あんた達が会ってた日、僕、コロンに襲われてんだけど。…フリーなのに!」
最後の言葉は目を見開き、レイシーに向けて力強く言い放った。
二人の驚いた顔が徐々に青ざめていく。
ノードが漂う左腕から、顔に視線を移動させてきたカイバと目が合った。
捲し立ててくる。
「違うの!レイシーは何にも知らない!コロンが行くって私が知ってて!私が事前にレイシーを呼び出したのよ!コロンの事だから暴力沙汰になるって思ったの!ごめんなさい!レイを守りたかった!私は戦いたくなかった!申し訳御座いません!なんでもします!許してください!」
カイバが体を起こし、顔を歪ませて土下座する。
嫌でもミライが浮かぶ。
顔を上げなかったら殺す。そう言い放つとすぐに顔を上げた。
思い詰めた表情で床に視線を置いている。
レイシーが女に寄り添って肩を抱くと、ナギを見据えて声を震わせる。
「ナギ!本当だ!なにも知らなかったんだ!」
「そいつがドミヌスだって、知ってたんだろ?」
静かに語気が荒れる。
レイシーは少し黙った後、静かに口を開いた。
寂しげな目。
「勘づいてはいた。でも事務所の襲撃は知らなかった。本当だ。信じてくれよ。」
ナギは軽く嘆息した後、鼻で笑いながら言う。
「何をどうやって信じるんだよ。ムルルクの回復薬の件も二人が絡んでんじゃないの?まあ、それは僕、どうでもいいけどさ。」
嘲笑じみた声色とは裏腹に、翳した左手に力が入る。
口を開きかけたレイシーが見えた。
言葉を奪うように遮った。
怒気で満ちた声。
「〝おまえのとこのチーム〟が。僕が泊まってた宿の人を攫ったらしいんだ。ドミヌスに見せかけて。おいハゲ。おまえのラブレターのチェックしてくれた人だよ。」
「ダガヤが誘拐!?それ本当か!」
ナギが言い終わる前にレイシーが反応した。
目を剥いている。
初めて会った時の厳つい面影は一切ない。
「パルとマークからさっき聞いたよ。てっきりドミヌスのせいだと思っててさ僕。だから今日参加してるんだ。僕からしたら、おまえ達、両方敵なんだよ。……サファにも色々されたから怒ってないわけじゃないし。むかつくんだよ。おまえら。」
話の後半は怯えた目のカイバを睨みつけた。
制御を失ったように芯のない目つきのレイシー。
視線は床に漂っていた。
嘘だ!そう言い出しそうな目だったので先回りする。
「嘘ついてどうすんだよ。」
冷やかに言い捨てた。
片手で目を覆っている男が瞳に映る。
「ナギ、なんでもする。許してほしい。信じてもらえねえと思うけど、俺はそれ今知ったんだ。その宿の人、どこにいんだよ。」
顔から手を離し、力強い目でナギを見てゆっくりと言った。
「ダガヤの事務所だって。マークが言ってたよ。」
言いながら、ふと床に目を這わせた。
ある事を思い出す。
「カイバと上手くいったらなんか言う事聞いてくれるって言ってたね。そういえば。」
一瞬何事かと考えるが、思い出した様子。
ああ。と頷くレイシー。
「キューを、宿の人を…」
「絶対に助ける!約束する!」
ナギが口を開くと、レイシーが食い気味で返してきた。
早口になっていた。
軽くため息をついて続けた。
「違うよ。もし誰かおまえのチームの奴が傷つけてたら、死んでよ。おまえが。あと、宿屋いろいろ壊されてたし、今休業してるんだ。そういう色々なお金…巻き込まれたから損した分のお金。全額おまえのとこが払えよ。チームが払わないなら、ハゲ、お前が全部払え。それをした上で、キューの願いは今後、全部聞け。出来ないなら、死んで。」
少し沈黙する。
ナギから目を逸らさずにレイシーが静かに返した。
「ああ、わかった。」
睨む視線をカイバに移す。
「おまえは?」
両方の唇を口内に押し隠し、目に涙を溜めて小刻みに頷く女。
「この街には腕が無くなっても働けるとこあるみたいだしさ。別に大丈夫でしょ。」
頬を緩ませてそう言った。
女は表情を変えず、小さく頷き続けていた。
カイバに寄り添う肩からレイシーが手を離す。
床につけた膝を動かして、ナギに少しだけ近寄って切り出した。
「…カイバの腕…、治してやってくんねえか。おまえなら出来んだろ…。さっき俺のピアスの穴、治してくれたみたいによ。こんな事頼める立場じゃねえのはわかってんだけどよ…。」
言いながら目を逸らす。
先程までとは一転し、か細い声だった。
信じられないといった表情でレイシーの耳を見ているカイバが目に入る。
しばらく黙っていたが、ナギは何も言わずに近寄った。
震えた目で見るレイシーが視界の端に映る。
表情が抜け落ちた顔つきで、怯える女の腕に巻き付けられたシャツを雑に剥がす。
一瞬険しい顔をしたカイバを見もせずに、回復魔法を声に出した。
傷口から血が一瞬噴き出ると、ぬるりと手が生えた。
カイバの顔が怯えから驚きに変わる。その後、じわりと唇が歪み、最後はくしゃくしゃの泣き顔になった。
すぐ後ろからも嗚咽。
「ナギ、俺…。なんか、最初から、ずっとおまえを傷つけてばっかりでごめんな。おまえ、パルの怪我を治してチームに関わってくれたのによ、、最初、、、おまえと会った時の、、、俺は礼も言わず、、、本当にすまなかった。」
泣きじゃくった声が聞こえてきた。
顔は見たくなかった。
カイバからも目を逸らす。
振り向かずに言った。
「そういうの、もういいから。はやく行ってよ。」
目を逸らした先に自分の左手があった。
当初、手首を漂っていた〝糸状のノード〟は手首と肘の中間あたりまで来ていた。
ナギの背中から目を逸らさずに礼を言うレイシー。
目の前のカイバは怯えていたように少年には映った。
二人は横で呻く男に一瞥もくれず、その場を後にした。
*
カイバは頭が良かった。
ここだけの話、サファの何倍も。
彼女は、身内の自死にもめげず〝世界を利用〟した。
不幸な体験にも呑み込まれず、立場で人を括る事をしなかった。
性別で人を蔑視する事もなかった。
しかし、不幸を不幸として真っ向から悲しむ事が出来る、そんな強い精神力を彼女は持っていた。
稼いだ金は、実家と女性支援に充てていた。
ドミヌスが繁栄する事は一切しなかった。
いや、繁栄しうる新事業、プロジェクトは片っ端から潰していた。
恨みなく、淡々として行うものだから、組織からは警戒されなかった。
復讐心はなかった。被害者を少しでも減らしたかった。
無能に無能を演じるのは容易かった。
かなり以前の事。
水面下で動いている〝ムルルクの件〟を耳にしたカイバ。
自分が関与できない案件だった。
情報収集のため、仕方なく変装をして色々な街に繰り出した。
その際に〝ギャルの自由さ、奔放さ〟に取り憑かれる。
無能なサファに辟易としている事も、自分の悩みからも、柵すら。協力のテイで事業を潰すプレッシャーからも、彼女は解放された。
取り憑かれるといっても、単なる気分転換だな。そう彼女は考えていた。
気まぐれに男にしたウインクで人生が変わる事となる。
それ以降、やたら近寄ってくる男がいた。
何故か会う度に体がデカくなっていた。
その男は、自分の髪を投げ打ってでも筋肉に全てを捧げていた。
多くは語らなかった。
しかしその筋肉が自分に向けられていると気づくのに時間はかからなかった。
カイバは〝愛の証明〟など愚問。という性格だったが、その殻をいとも簡単に破ってきた男を想うようになった。
会う度にデカくなる筋肉は彼女にとって愛に見えた。
守られた時、守りたいと思った。
彼女は揺れた。
自分が強くない事を知った。
それに気づいた時は、すでにウィッグを手放せなくなっていた。
家族の自死と自分の人生の関係性について、静かに考える機会が増えた。
コロン襲撃から男を守った時、少年が襲われた事を知った。
男を信じられなかった事。冷静さを欠いた、自分を信じられなかった自分を激しく悔いていた。
本心で過ごしてきた〝積年の自分〟と〝新たに気付いた自分〟の狭間で揺れ動き続けたカイバ。
余裕がなくなったサファの最近の横暴さ、腕の欠損で閾値が弾けるように、彼女の過去と今は統合された。
コロン襲撃の被害者だと告げる少年が目の前に現れる。
瞳が闇に呑まれかけている事を悟る。
払拭してあげたかった。過去に、自分がそうされたように。
レイシーに説明した上で、少年の言いなりになろうとさえ思っていた。
闇に呑まれた、囚われた人間の人生がいかに反転するか。
カイバは知っていた。
しかし、タイミングが悪かった。
世界はとっくに動き出していた。
彼女は、最後に見て見ぬフリをした。
打倒ドミヌスに燃えるダーガが調査をしていないわけがなかった。
たまたま、しまい忘れの調査結果を目にして、カイバの所属に早い段階で気づいていたレイシー。
スパイ活動を警戒していたが交際中に何も聞いてこないカイバに、彼は戸惑っていた。
戸惑った分、ダンベルの重量が増えていく。
いつしかその揺らぎは、カイバが助けを求めた時に手を差し出す手段。
そうなっていた。
力の入ったネーリの変装には何か事情がある。そう考えた。
そう考えないと何かに潰されそうであった。
だからこそ、キューからのラブレターの感想は心に沁みた。
しかし〝コロンの襲撃〟で一転する。
自分が人よりも強くなってしまったから、〝強く見えるから〟ネーリは事務所から距離を取らせたのか。
自分のせいでナギが襲われてしまったのか。
レイシーは、カイバも筋肉も、自分自身も信じられなくなっていた。
今日の抗争には一切の思考を介さず、筋肉に突き動かされるように行動していた。
結果的に十回目の告白は大成功だったが、二人の優しさは世界にちょっとずつ影を落とす。
ともあれ〝レイシー〟と〝カイバ・ネリュ〟世界への挑戦権を獲得する。
二人に芽生えたあらゆる猜疑心は、これからのお互いが埋めていくに違いない。
それぞれが内に秘めながら育んだ愛は、唯一言葉を交わせない少年に闇となって襲い掛かった。
*
少年は、呻いている黒髪の男に近寄った。
自分が男に近寄っている事も認知していないような、空虚な目つきだった。




