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ナギとリサの大冒険  作者: あ★い★う★え★お
【水仙の部】第五章
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第81話/ナギの甘さ/Limited_NAGI

広場では人々の怒号や悲鳴が重なり、破裂音のようなものが鳴り響いている。

N棟のバルコニー、ノードの周りには十人に満たないほどの男女がいた。

放射状に固定されていた柵をばらし、好き好きに移動させた柵に座って駄弁っている。


縁の部分に座っている人間は、はしゃぎながら広場を眺めている。酒を飲んでいるんじゃないのか。そう思うほど煩い。

柵の破片を投げ、広場の状況で賭けをしているような発言も聞こえてきた。

ミトハロに到着してから感じ続けていた、軽さ。煩さを凝縮したような人間達だった。

来たばかりは賑やかだと思っていたノリも、今はもう醜悪としか感じない。


ナギと同じ水色のバンダナをしている。

リヴェル村にはいなかった人種。もっと言ってしまえば、自分が嫌いな人間達と同じ色のバンダナをつけているというのは、どこか滑稽だった。


自分達と同じチームの仲間が戦っている姿を指差し、揶揄するような発言が聞こえた。

別の一人の女が男の頬にキスをし、その周りの人間が「ヒュー!」と囃す。

やはりミトハロは自分には合わない。ナギはそう思った。

自分がこんなにも合わない、居心地が悪いと感じる土地が世界にあるのか。

少しショックだったが、世界の広さを感じたのだった。


高威力、広範囲で〝はなれて〟を唱えると、そこにいる人間達と柵が一斉に弾け飛ぶ。

魔法の衝撃で赤黒い飛沫が飛び出し、辺りを覆う。

広場に落とすつもりだったが、S棟を脇を飛んでいき、雑木林に落下していった。

眉を上げ「ヒュー!」と囃し立てて〝あげた〟が、何故かとても恥ずかしくなった。鎖骨から上が熱くなるのがわかる。金輪際こういうノリはやめようと自分に誓った。


広場を見下ろしながら、エーテルノードに寄る。

当初、白いノードは石、砂利のような灰色になっていた。

箇所によっては黒ずんでいる。

右手で撫で、拳を握って何気なくぶつけてみる。

固い。拳に痛みが走った。

左手で角の部分を強く掴んでみると、ノードはとろりと溶けるように無くなった。

波打ち際の砂を掴んだような、じゃりっとした感触が閉じた掌に伝わる。


(左手がなんか強すぎる。握ると全部溶けてく。)


左手をぷらぷらと振って払いながら広場を見下ろす。

W棟とS棟の間で大量の人間達が戦っている。

倒れている人間が目に入る。

雑木林と広場を行き来して、死角から攻めている人間が見えた。

狼型の魔物が何頭か、近くで様子を窺っている。

E棟の前では破裂音と共に白煙が立ち昇っている。

筋肉質の女が華奢な男を振り回していた。

視線をサファ達に移す。居場所は変わらない。


(サファは〝まりょくはんてん〟って叫んでた。魔力反転…。筋肉が進化したのは多分サファの魔法だ。魔力と筋力が入れ替わるのかも。ウォッチにあれだけ回復魔法を使ったのに魔力切れ起こさなかったくらいだから、ノードを吸収して、かなり魔力の量が増えてる。筋肉の状態になっても強いはず。ラグナロクはじいたし。あの魔法はそんなに怖くない。)


考えながら左の掌を見る。

先ほどまでブレスレットに巻きついて揺蕩っていたそれは、行き先を決めたようにブレスレットから離れ、腕に伸び始めていた。

明らかに進行している様子を見てはっとした。


(回復を唱えると進む気がする…。)


ふと、赤色の触手が青色に変化したのを思い出した。


(魔力と筋力が反転した時に魔法が使えなくなるって事は、僕って筋力が全然ないって事…?)


一瞬目を細めるが、ナギは浮かんだ思考をなかった事にし、右手を見つめる。

〝つかむ〟の赤黒い帯は、依然としてリサに伸びていた。

手を振っても取れない。


(これなんなんだよ!ずっと魔力消費してるって事?)


原因もデメリットも全くわからない。

それ以外にも考える事がある。そう思い、リサに伸びたつかむの帯は一旦考えない事にした。

サファを見据えて整理する。


(タリフが攻撃をしたら変わらなかった。僕が蹴ったら変わった。ミライはグローブ・Kのリーダーだった。)


しばらく考え込んでいると、やがて目を見開く。

アネットとデートをした記憶、道場に忍び込んだ情景が脳内に湧き出た。

広場で倒れている人間が目に入る。


(キノピッピか…。サファ、あいつ…道場で飼ってたモンスターで入れ替わってたんだ。即死魔法は効かないの?なんで僕が蹴った時だけ変わったのかわかんないけど、キノピッピで入れ替わってるってのは当たりかも。ミライ…あいつ最初からサファだったって事だ。話した感じ別々の人間って感じもしないし、カツアゲの時はすでに僕を知ってたんだ。)


奥歯に力が入り、胸がもやついた。

後頭部が熱を帯びる。


(落ち着け…まずはキューを助けないと。サファに教えてもらって居場所を聞こう。周りには魔物も多いから、集中しないと。)


E棟の屋根をちらりと見るがウォッチの姿はない。逃げたのだろう。

少し離れた空には大きなカラスが一羽飛んでいた。

アルセナで、リサとジェル状の魔物と戦う前、何種類かの動物を魔物と勘違いした記憶が蘇る。

飛んでいるカラス然り、目の前にいる色々な魔物は、一目で魔物だと言い切れる異様さを放っていた。

アエスが街には魔物が出ないと言っていたのを思い出すが、巨大なカラスに気を取られ、どうでもよくなった。


(でかいからす....。デッカラス…。)


目を下げるとイタチのような魔物が足から何かを伸ばして人間を襲っているのが見えた。

素早く伸びたそれは鋭そうだった。

広場には白煙が点々と漂っている。


(鋭い、、イタチ、、、鋭、、、スルドイタチ…。あの白い煙はなんだ?)


倒れて動かない人間が目に入る。

次々に疑問が浮かぶ。

E棟から再び炸裂音。

顔を向けると武器を持って対峙する人間達に白い煙がぼわっと湧き出ていた。


(そういう魔法かも。)


倒れて動かない人間が目に入る。

狼型の魔物が食い散らかしていた。


(魔物は、見えてる体っていうか…、魔物のサイズで間合いを考えない方がいいかもしれない。一発で致命傷になるかも。気を付けないと…でも気を付けようがない…。)


広場の中でも大混乱の場所に視線が向いた。

人間同士で戦ってはいるものの、魔物が横から襲い掛かり、誰と戦っているのかわからなくなっている。

息を呑む。

手に汗が滲んだ。


倒れて動かない人間が目に入る。

視線が止まる。

混乱の渦中に入る事を求めていたが、いざ混乱している広場に入ろうと思うと足がすくむ。

死が近い。

誰かと戦って死ぬならまだしも、広場の様子を見ると、次の瞬間に自分が気づかぬ内に死んでいる可能性があった。

魔物の存在が予想外だった。

アネットに感謝した。〝はなれて〟があると考えると、かなり気持ちが落ち着いた。

思考が戻る。


(なんか魔物って一匹一匹強いんだよ。キノピッピもそうだったけど、弱過ぎて無害な敵っていうのがいない。)


付かず離れずの戦いをしている人間達とは違い、魔物は常に急所を狙ってきているんじゃないか。

いや、偶々かもしれない。だが、視線を向ける度に、そう思わせるような攻撃が目に飛び込んだ。


ふらふらと視線を広場に漂わせ、サファで視線を止める。

じわりと、胸の中が黒くなり息が浅くなる。


サファは、横に座る青いショートカットの女に何か喚き散らしているようだった。

少し離れた所で魔物と戦っているリサ。


(行くなら今だ。リサが迫ってきたらそっちを優先しよう。)


ブローチ戦に比べると、やはり動きはとてつもなく遅い。しかし、動きはしなやかで、綺麗なものに見えた。

見た事もない身のこなしで戦うリサに、ナギの顔つきが曇る。


リサはたしかに命を狙ってきた。

筋肉でラグナロクを弾けたからいいものの、腕と首を飛ばす剣の軌道だった。

現に、ウォッチを殺しにいっている。

〝刃を向けてくる敵は見える。笑顔を向けてくる敵は見えない〟ルントの言葉が浮かぶ。


(刃を向けてくる元仲間はどうしたらいいんだ…。)


もう彼女は敵だ。ドミヌスだ。改めてそう言い聞かせる。

ウォッチの言う通り、会話も成立しないだろう。

都合が悪くなると虚ろな瞳で意味不明な言葉を連発するばかり。

自分は一体、彼女に何をしたのか。なぜ、彼女はドミヌスに入ったのか。


横たわったまま、動かない人間が目に入った。

力が抜けそうになる。

右手で太腿を何回か叩き、その場で駆け足するように、膝を交互に腹まで上げる。

心拍数が上がる。

ナギは表情を消し、バルコニーから飛び降りた。


地上に降り立つと、向かってきた何人かの人間を〝はなれて〟で牽制する。

激しく首を左右に振り、状況確認する。

魔物が何体かいたが、襲ってくる様子はなかった。

他の人間に夢中なのかもしれない。


サファ達に寄ろうと、S棟付近の地面を〝つかむ〟で引っ張った。

視界が変わった瞬間、後方の地面を魔法で掴む。

手が後ろに引っ張られ、足だけが前に出る。

仰向けに腰から転び、勢いを止めた。


立ち上がって前を見るが、サファ達がいない。

行き過ぎた。

少し離れた所で人間を襲っているイタチ。

近寄ってきませんように。そう念じながら向き直る。

前方に回復中のサファ。

右にS棟の壁。


サファは青い髪の女と一緒に屈んでいる。

お互いの視線は、切れた左手首の部分で交わっていた。

思うようにつかないのか、怒鳴り散らしていた。


青髪の女を魔法で吹き飛ばす。

回復途中の手首が宙を舞う。

眉を上げながら、魔法で掴む。

帯を手繰り寄せて引き寄せる。

うまく手首に魔法が当たる。アネットから教わった〝つかむ〟の練習方法の賜物だ。少しだけ胸が躍った。

ブローチのように足元に出現したサファの手首を見つめて思った。


(まだついてないの?やっぱり切断されたら〝いやすね〟は使えない?生えてきたのはノードを吸収した僕だから?)


疑問疑問疑問疑問。

油断すると疑問ばかりが湧く。

頭の片隅に浮かんだ疑問を放置してサファを向く。

慌てた様子できょろきょろと見回している。


ナギを見てはっとし、その足元にある手首で視線が固定された。

狼狽えながら見つめている。

言葉が出ない。そんな様子だった。

タリフの時とは打って変わって魔法を発声してこない。


(あいつは、多分片手で魔法を撃てない。)


サファに向かって数歩寄りながら、声を張る。


「キューは!?宿屋の!どこにいる!?」


目を見開いて口をぱくぱく動かすばかり。

言葉にならない声を発しているサファ。

自分の手首から目が離せないようだ。


「キューは!?どこにいる!?はやく言え!」


再度、そう問いかけた時。

後ろから奇声。

半身になりながら顔を向ける。

黒髪の男だ。剣先をナギに向けて迫ってくる。

右手を翳し男を吹き飛ばす。


顔だけ向き直ろうとすると、サファが走り寄ってきているのが視界の左端に見えた。

獣じみた表情のように見える。


俯き、足元にある手首に左手を翳す。魔法で発火させる。

思ったよりも発火の範囲が広く、ブーツの足首に這うように燃え移った。

情けない声を出して手首の近くに膝から崩れ落ちるサファ。


情けない顔をして小刻みに足を震わせるナギ。火が消えない。

勢いよく足を振ると、ぼっと音を立てて火の勢いが増した。

ブーツを脱ごうと勢いよく尻もちをついた時、膝をついて泣きそうな顔のサファが目に入る。

つい噴き出し、立ち上がると苛立ちに任せてサファに駆け寄る。


「サファ食らえ!火の蹴り!」


噴き出した笑みを残しながら叫ぶ。

頬を膨らませながら、サファの手前で左足を踏み込む。

右足を後ろに振り上げた。

次の瞬間、燃える足が顔面にめり込む。

振り抜く右足の勢いに左足が地面から離れた。

空中で体を半回転させながら、転がっていくサファからは視線を外さない。

蹴りの軌道を描くように炎が広がり、遅れて黒煙がぶわっと這い出した。


グローブ・Kでの殴り合いでも、自分の蹴りでここまで吹っ飛んだ人間はいなかった。

ノードを吸収する事で、体そのものの力も上がっているのかもしれない。そう頭を過ぎるが、軌道を描く炎のあまりのかっこよさに胸がすっとし、考察が霧散した。しかし熱い。

吹っ飛んでいった〝それ〟を見ながら、右手でばたばたと振り払うとやがて火は消えた。


回転の勢いがなくなる頃〝それ〟がミライに変わっているとわかる。

さらに距離を詰める。

倒れて呻く金髪の男に馬乗りになる。

髪の燃える臭いが鼻をついた。


「はやく言え!無視すんな!キューはどこだよ!」


片手が残ってるにも関わらず、抵抗しないミライ。

左右の唇の端から頬に伸びる傷を見ると、苛立ちが湧いた。


「すいませんごm―――――」


右手で頬を思いきり殴る。

殴った拳に痛みが走り、顔を顰める。

ミライはノードよりも固い。

ぱっと変化した途端に、片手がぶんぶんと暴れ出す。


「誰だよそいつ!てめえ!どけ!知らねえよ!ぶっ殺すぞ!」


冷ややかな目で見下ろしていた時だった。

サファの顔が左に傾き、眼球も一緒に左を見る。

視線の先にリサが迫っている。そう思った。

赤黒い帯も同じ方向だった。


ブローチ戦での自分のやらかしのひとつに〝視線〟があった。

アネットの体術の訓練で、忙しなく動く彼女の視線を見る中で確信に近づいていた。

今、目の前のサファで、確信となる。

視線だけで何が起きているのか予想がつく。

そう考えていたせいで、反応が遅れてしまった。そう思った。


焦って右手を地面につくと、顔を向けずに右に飛びのいた。

下らない考えのせいで〝はなれて〟を自分に撃って飛びのかなかった自分に舌打ちをする。

地面についていた右手が、飛びのく体に遅れて空中に残る。


肘の先に焼けた木材を押し当てられたような熱。

全身へ走るような熱さ。痛み。

血潮が跳ねている。

ラグナロクを斜め上に切り上げている険しい顔のリサ。

唇が動いている。

声は聞こえない。

飛びのいた自分と離れていくように宙に浮く右手。

何かの絵を見ているかのように全ての情景がストップしたように映る。

左手で自分の胸に〝はなれて〟を撃ち込むと視界が一気に動き出した。

細かく赤黒い飛沫が血潮に混じり目の前で弾ける。

サファとリサが小さくなったと思った時、背中に衝撃。

辺りが暗くなる。

何度か後頭部と背中へ衝撃が走った後、仰向けで止まる。


木材の天井が視界に映る。

S棟の横の壁から建物に突っ込んでいた。


呼吸が止まり、喉から掠れた声が漏れる。

胃がひっくり返りそうになる。

くぐもった声が反射的に出続けた。

痛みを追い越すほど激しく脈打っている心臓。


確かめるように、右手を顔の傍まで上げる。

二の腕の辺りから先がない。

滴った血が胸に垂れた。

傷口に左の掌を翳すと、最大出力で回復魔法を唱える。

血が噴き出したかと思えば、にゅるっと右腕が指まで生え、痛みが引いていった。

左手にあるノードの〝赤い無数の糸〟が少し動いたように見えた。


グローブに視線を移す。

指先の周りに絡みついていた〝赤い糸〟は体内に同化している。痛みはない。

毛細血管が増えたように、皮膚の中に濃い朱色が混じっていた。


息を大きくしながら、生えてきた右手に視線を移す。

拳を握っては緩めた。

ウォッチの言った通り、少し力が入りにくい。


右手を気遣いながら、両肘を使い慎重に上半身を起こす。

壁にもたれかかりながら、突っ込んできた穴をぼんやり見つめていた。


ラグナロクを切り上げている険しい顔のリサがちらついた。

胸を締め付けられる。

焼けるような熱が腹から後頭部に昇る。

広場にいる全員を殺してしまおうか。

そう思った途端に体が冷えた。

胸の奥に湧いた黒いものが冷たく沈んでいった。

手足から力が抜けていく。

何を感じているのか、自分でも分からない。


両方の掌を鼻先まで近づける。

指先が激しく震えている。

行き場を探すように、腕の周りを漂う無数の糸が霞んで映り、我に返る。

自分の顔面に凍結魔法を唱えようとしていた事に遅れて気づく。

正気を取り戻すと、勝手に涙が零れ落ちた。

しばらくそうしていると、やがて涙が落ち着く頃には、思考も止まっていた。


呆然と立ち上がり、突っ込んできた穴がある壁に触れ、魔法で柔らかくさせた。

部屋全体が軋んだかと思うと、軟化で自重に耐えられなくなったのか、カーテンが落ちるように、部屋の壁全体がどしゃっと音を立てて丸ごと落ちた。


〝やわくなれ〟は一度唱えると、効果が切れるまで他を唱えられない。

湧いてくる極端な思考を落ち着かせるには丁度いいかもしれない。そう思い、表情が消えた顔つきで落ちた壁を見下ろす。


魔法の効果が切れると、くしゃくしゃに折り重なった木材がそのまま固くなった。

異様な形のとてつもなく大きな木片が出来上がっていた。


二枚目の壁は、魔法を使わずに左手を突き刺した。

膝を曲げ伸ばししながら大きく腕を回して、壁をくり抜く。

最初に突き刺した穴に掌を合流させる。

腕を引き抜こうとすると、それに合わせて手前に壁が傾いてきた。

舌打ちをしながら蹴ると、壁が向こう側に倒れ、人間ひとりが余裕で通れるくらいの穴が開いた。


壁を乗り越えると、ナギの腕を踏みつぶしているサファが少し遠くに映る。

その横で立っていたリサがナギを向き、ラグナロクを抜いた。

構わず近づくと、リサはたじろいでいるように見えた。

サファも気づいたのか、顔を向けてきた。

意地の悪い笑顔で何かを叫ぼうとしていたが、ナギの右腕を見ると、表情を引きつらせていた。


さらにラグナロクの間合いまで近づくと、一度立ち止まる。

唇を嚙んで目が潤ませているリサに、ぼんやりとした視線で目を合わせながら聞く。


「キューはどこにいんの?」


冷ややかな声が出た。

リサは黙っていた。

代わりにサファが答えたので、だるそうに顔を向ける。


「知らねえって言ってんだろ!誰だよそれ!リサ!早く殺せ!」


言い終わる頃には、サファは殺気だった表情でリサを向いていた。

自分でやればいいのに。そう思いつつ、ナギは笑いを抑えた表情となる。


戸惑いが滲んでいる表情のリサに目を合わせ、さらに数歩近づくナギ。

ラグナロクの間合いを踏み越える。

時折、左腕にラグナロクが触れた。


「もういいよ、殺すならさっさと殺してよ。」


呆れた目つきでリサに言い捨てる。

手の届く距離だった。


「…なんで…なんで奪うのよ!」


理解不能な言葉を放つリサ。

痛みに耐えるような顔つきだった。


ウォッチの言葉を思い出した。

リサの目を食い入るように見つめる。


狂気の目。

たしかにナギを見ているが、認識されてはいないだろう。

そう言いたくなるような虚ろな目。

一見定まっているようで焦点の定まらない目。

現実を映していない、何かが壊れたような。

理性だけが、ごっそり抜け落ちたような目。

言葉を話しているが人間とは思えない目。

狂っているが怯えている。怒っているが、怒っている事も自覚していないような。

そんな目つきだった。


リサはたしかに狂っていた。

〝マヤ〟よりも酷い。

もうダメだ。そう思った。

ナギは会話を諦める事にした。


汚物を見るような目つきで〝ラグナロクを構えている女〟を魔法で吹き飛ばす。

呻き声が聞こえる間もなく次を唱えた。

発動できる間隔が、いつもよりも短い気がした。

はなれてはなれてはなれてはなれてはなれて。

片手ずつ、ぼそぼそと静かに発声し、次々に放っていく。

北大通り方面の雑木林に突っ込んでいったが、女が見えなくなっても尚、魔法を唱えていた。

抗争の喧騒に紛れて、草が擦れる音、枝が折れる音が遠くに聞こえる。


最後は自分の背中に当て、至近距離に居るサファに突っ込んだ。

倒れこんだ時にはミライになっていた。

言葉は発さずに、横から左拳を振り下ろすとサファになった。

馬乗りになり右拳を振り下ろす。

嫌な感触、何かが折れた音がした。

サファはミライになった。


ミライは固く、サファは柔らかかった。

左拳をミライ、右拳をサファ。

交互に振り下ろす。

サファになると腕を出して抵抗してくるが、ミライになると抵抗が緩む。

ナギは特に考えもせずに顔面を殴りまくっていた。


サファが突き上げてくる右手が邪魔だった。

突き出された右手首を左手で掴む頃に、ナギの右拳がサファに当たり、ミライになった。

再び右拳を顔面に振り下ろす。

サファに変化した瞬間に、左手で掴んでいた手首の感触がなくなった。


半熟卵の黄身のようにとろけて、サファの右手首が赤い糸を引きながら地面に落ちる。

サファが悲鳴を上げた瞬間、ミライの悲鳴になった。


手首を落としただけでは振ってくるだろうと、右肩の少し下を左手で掴む。

握り潰そうとしたが〝ミライの状態〟は固かった。

全力で握り潰そうとするとサファになり、その瞬間、掌にかかる抵抗がふっと抜けた。

肩からとろりと捥げ、ぽろりと肩から先が地面に落ちた。

サファは再び悲鳴を上げてミライになった。

泣き喚いていた。


サファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライサファミライ。とってもめんどくさい。そう思いながら上体を起こす。


オオカミのモンスターが近づいてくるのが見えた。魔法で吹き飛ばす。

さらに〝ラグナロクを携えた女〟が、雑木林から飛び出した。

険しい顔で迫ってきていた。

ナギがそれを見てほくそ笑んだ瞬間、胸のあたりに衝撃。


足が地面から、ふっと離れる。

遠のいていくミライ。

視界の両端から飛び出してくる風景で、後ろ向きで進んでいる事に気づく。

誰かに体を抱きかかえられている。


さらに加速し、地面から離れていく中、ふとW棟に隣接する雑木林が見えた。

心臓が大きく跳ねる。

目を大きく見開いた。

フライパンを持っている子供。

その隣にも一人。

パルとマークだ。

二人の体よりも大きなイノシシと対峙している。


背中に衝撃があり、動きが止まる。

位置からしてS棟の壁面だろう。

張り付いているようだ。

顔を捻ると、ダーガが映る。

何か独り言をぶつぶつ言っている。


(誰と話してんだろ)


何か呟き終わると、壁に張り付いたまま、ダーガが顔を向け口を開く。


「ナギ、よくやった。あいつしばらく立てないだろ、サファ。とりあえずその左手のよこせ。」


力みのない、自信を含んだ声。

ルーピアは濁っていた。

言われた事に答えず、声を張る。


「ダーガ!パルとマークが襲われてる!なんであの二人が来てんだよ!」


焦る声が出た。

体に回された腕の力が強い。

何かの魔法だろう。


「わかったから!それよりお前が先だ!早くそれよこせ!」


ダーガの語気が荒くなった。

その言葉にナギは表情が消える。


「おい!はやく!」


「こんなのどうやって取るんだよ!僕が聞きたいよ!」


掌をダーガの顔の目の前に近づけた。

蠢く無数の赤い糸にダーガがぎょっとした瞬間、ナギの体に回された腕の力が緩む。

腕を右手で顔の前まで上げ、噛みついた。

噛み切るつもりはなかったが、口の中に不快な鉄の味が広がる。

苦悶の声が聞こえてきたと同時に、体に巻き付いていた腕の力が緩む。


咄嗟に腕からすり抜け、魔法で着地する。

口の中のものを吐き出した。


足が重くなる

頭がぼんやりとした。

勝手に強い瞬きが出る。

地面が抜けるようだった。

脹脛を拳で数回叩く。

殺意を感じるリサの太刀筋に、さらには不穏なダーガの言葉。

振り払うかのように、それぞれを一瞥もせず、大混乱の広場を駆け抜けていった。

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