第79話/初めての咆哮/Limited_NAGI
起き上がろうと身じろぎするミライ君に近づくタリフとドンドラ。
不思議そうに見下ろしている。
ナギは少し後ろについた。
「攻撃するとサファとそいつが入れ替わります!」
N棟の入り口付近から信じがたい言葉が飛んできた。
声の主はグローブ・Kの人間だろう。
タリフが右足を後ろに振り上げ、力いっぱい顔面を蹴り飛ばす。
ミライ君は変わらない。
眉がぴくついただけだった。
まるで衝撃などなかったかのように、肘をつき、すでに負った傷の痛みに呻いているようだった。
振り向いたタリフと目が合った。
タリフが顎でしゃくる。
おまえもやってみろという事だろう。
近づくと、ブーツのつま先でミライ君の顔面を思いっ切り蹴り飛ばす。
金髪の短い髪が、ぱっと黒色に変わる。
髪も伸びていた。
ミライ君は無言でサファになった。
顔を上げ、目の前にいる三人に向かって吠える。
「てめえ!タリフ!俺が〝ケイ〟なんだよ!さっさと殺せこいつ!うぜえ!おい!ナギ!てめえ絶対にぶっ殺すからな!」
胸がどろついた。
感情がない表情とは裏腹に、そのどろつきを抑える事なく、再び顔面に蹴りを入れる。
サファは呻き声を上げ、ミライ君になった。
顔を上げて叫び出す。不快な声。
「すいません!ごめんなさい!すいませんタリフさん!僕です!ごめんなさい!ケイなんです!一番最近の依頼はアブヘンギへの案件でしたよね!ごめんなさいすいません!その前はトゥオック!すいませんすいません!いつもウキルさん使って色々処理してます!今動いてるのはアブヘンギでの暴動事件です!すいません!ちなみにそっちはドンドラさん!足治ったんですね!すいません!ごめんなさい!すいません!奥にいるのはウォッチさん!ごめんなさい!すいません!シェアさん!リサさん!僕を回復してください!ごめんなさい!すいません!すいません!」
目の前の三人に向かって叫んでいたが、やがてN棟の壁面にいる二人に向かって声を張った。
N棟の壁面までは声は届いていないだろう。ナギはそう思ったが、ミライ君は必死な様子だった。
振り向いてウォッチを見ると言葉を失っていた。
視線を戻し、もう一発蹴りを入れようとすると、タリフに腕を掴まれ止められる。
ドミヌスの黒髪の男が近くに着地した。
タリフが俯いたミライ君の前で膝を曲げる。
「おい、こっち向けよ。」
言いながら髪を掴み、顔を上げさせるタリフ。
何かを探るような表情で、掌をミライ君の口元に近づける。
ミライ君は鋭い眼光でタリフを見据えた。
タリフは立ち上がると、もう少し離れるよう、周囲に叫ぶ。
ナギも後ずさる。
長い助走を取り、ミライ君の顔面を蹴りつけた。
たしかに当たっている、しかし表情ひとつ変わらない。
ミライ君はタリフを見据えていた。
口角の上がったタリフに手招きされる。
もう一度ナギが蹴ると、ミライ君は無言でサファになった。
笑い混じりの大声が背中から聞こえる。
すぐさま振り向いた。
「なんとなんと!ナギちゅわんを追ってバシナリーまで来たらソッコー王様のサファにぶち当たって!積年の恨みって事で!こいつは今回の殺人ターゲットなわけなんだけど!なんとそのターゲットがウチのボスだった!初めて声聞いたよ~!こんなダサい奴だったとはね!そりゃいつも口元にバンダナするわけだよね~!」
今までにない不気味な笑い方だった。
ナギは頭が真っ白になり、数歩後ずさる。
右手からリサに伸びた〝赤黒い帯〟が動いていた。
ちらりとその先を見ると、リサはサファの折れた手足を黒髪の男と回復していた。
続くタリフの言葉に顔を戻す。
「ってことでナギちゅわんは!ク!ビ!悪く思わないでよ~!」
胃から何かが込み上げてくる。
周囲にいる人間が敵になった。
視線が自分に集中しているのがわかる。
リサの顔をちらりと見るが一瞥もない。
瞼を痙攣させながらタリフに視線を戻す。
両手を腰の高さまで上げ、さらにゆっくり後ずさる。
「ここまでうちのボスが隠してたって事は、これってボスの弱みでもあるわけね~!ぶっちゃけこれナギちゃん倒したら終了なんだよね!おまえが一番ややこしそうなんだよ!なんでかそう思うんだわ~!ノードも〝食べちゃってる〟しさ~!さすがに見過ごせないんだよね~!なんでおまえが中心にいるんだ!」
手を叩きながら爆笑している。
後ろから衝突音。誰かに肩を掴まれる。
真顔で飛び掛かってくるタリフ。片手には刃物。
ナギに向かって走り出しているウォッチが視界の端に映った。
振り払おうと藻掻くと、左肩と腕にかかる力は呻き声と共に楽に剥がれた。
右手は掴まれたまま半身の姿勢。
左手を使って振りほどいても間に合わない。
タリフが近すぎる。ウォッチも速い。
「〝いちをかえろ〟!」
そう聞こえた瞬間、目の前でウォッチがタリフに腹を刺されていた。
目を見開いて顔を左右に振るナギ。
右腕の自由が利く事に気づく。
視界が変わっている。
「ごめんタリフ、私今回こっち側ね。じゃ、そういう事で。」
言い終わりにタリフに前蹴りをするウォッチ。
腰に携えた剣を抜きながら、振り向く勢いを利用して後ろの男達に水平に剣を振る。
さっきまでナギの肩を掴んでいた男達だろう。
飛びのいて剣を避けていた。
すでに肘から先がない人間もいた。
「こーれーが怖いのよ!俺も人の事言えないけどさ~!あの古株のウォッチちゃんだよ!?敵になっちゃうなんて!」
タリフがドンドラをちらりと見ると、空を向いて叫ぶ。
おどけた様子は一切ない。
「まずナギを殺せ!他はどうでもいい!」
初めて聞くタリフの声色。
〝ナギを殺せ〟その一言で我に返る。
何も考えられぬまま、両手だけが動いた。
抗争の喧騒が消える。
「〝しゅうご――――〟」
「〝こおれ〟」
言い終わる瞬間にタリフの全身が赤黒い氷で覆われる。
感情は一切乗っていない冷たい声だったが、自分の声色すらもわかっていない。
その氷は今まで放った中で、最も速く、大きかった。
そして、最も異様な色。
周囲の視線が一斉にタリフに集まる。
誰もが言葉を失った。
ナギは脹脛に力を入れ、地面を蹴る。
サファの手が動き出しているのが見えたが、走り出すナギの一歩目が早い。
両手を翳しているうつ伏せのサファを視界に捉えると、走りながら左に逸れる。
リサとサファは同じ位置。
未だリサに向かって伸びている、赤黒い〝つかむの帯〟を目印に、タリフを中間に置いた。
凍結したタリフに二人の姿が隠れる。
「〝まりょくはんてん〟!」
サファの声だけが氷の向こうから聞こえる。
体に異変はない。
脹脛に力を籠め、腕を力いっぱい振り、地面を蹴る。
駆け寄りながら肩を開き、腰を捻る。左拳を引いた。
〝凍ったそれ〟に左拳を突き出した。
拳にほんのりとした弾ける感触が伝わった。
母のナエラが作ってくれた、パイの硬い部分を潰す時のような感触。
フォークで刺していくと弱い力でパリパリと弾けるような。
弾力のない薄い膜。そんな感触だった。
同時に、聞いた事もない、短く高い音が聞こえた気がした。
あまりにも拍子抜けの感触。勢いの乗った左拳に体が引っ張られる。前のめりにバランスを崩す。
顔を上げると、驚嘆の色に満ちたリサの顔が目に飛び込んできた。
細かい粒、靄、霧だろうか。
赤黒い飛沫が周囲に舞う中から、リサが見えた。
ナギは、すぐに目を切った。
氷の破片、肉片はない。
赤黒い霧だけが舞っていた。
破砕というより破裂。
腹に湧いたものが胸に登り背中へ駆け巡る。
体の中を蠢いたその何かは、後頭部にびりびりと滞留する。
頭が熱くなり、言葉が消える。
首から上の皮膚の感覚が消失した。
気づけばナギは、膝に手をつき大地に向かって大声で叫んでいた。
勇者になってから初めて命を奪った生物は、魔物でも魔女でもなく、同じ人間だった。
まるでバシナリー広場の時が止まったかのように周囲は誰も動けない。
サファでさえも空中を漂う赤黒い霧を呆然と見つめていた。
初めての殺人。
体を乗っ取ってくる何かを振り払うように叫ぶ。
膝に手をついた勇者の言葉にならない咆哮だけが、そこに存在するかのように響いていた。




