第55話/アネットがついた嘘(2)/Limited_ Annette
ミトハロの路地裏を満喫したアネット。
とりあえず北を目指す。
ドーゲンミライ道場を通過し、露店街を歩く。
街はまだ静寂に包まれている。
少し空が明るくなってきた。
(ナギ君に人を殺した事あるかって聞かれたな。そういう事をしたいわけじゃなくて襲われた時の解決方法の糸口がないんだよね。わかるなあ。今までは平和だったからいいけど魔王の復活でやっぱり治安は悪くなる。しっかり考え続けないと一瞬で心が乱れちゃう。すごい量の言い聞かせ…正当化が始まっちゃう。)
手に取ったら呪われそうな人形の頭が道端に落ちていた。
人形と視線が絡む。
目をまん丸にさせて少しダッシュした。
(人を殺すなんて嫌だなあ。私。バランス保てないもん。)
あえて答えなかったナギからの質問に応えるように反芻する。
ミレバルからアルセナへ旅に出るに当たって、アネットの師、ティルが念入りに教えてくれた事だ。
頭の中のナギに話しかけながら思い出していく。
(人の命を奪う事の最大の特徴は、不可逆性。した後に、してない視座には戻れない。
してない状態の代替がない。折り合いを他で付けられない。抽象化すれば、それは全てにおいて〝今〟ってものに集約されるから、不可逆性なんてものはありふれているよねとかって反論が中にはあるらしい。
今こうして考える時も不可逆だ。って。でも実は、今は〝次の今〟で〝心の持ちよう〟といった上では代替出来る。「気づき」とカテゴライズしてしまえば〝心の位相〟は保たれる。気づいた状態で次の今を作っていく事で〝割り切れる〟。でも、人の命に限っては、そうはなりにくい。行為の悔恨や正当化に代用される「気づき」は、人の命を奪わなくても気づける事だからね。)
ナギの顔を思い出していたら戻りたくなってきた。
目を強く瞑り、ぐぬぬする。
(戻りたい…。)
ホームシックならぬナギシック。
執着が顔を出した。
気を取り直す。
ティルからの教えを再度反芻する。
頭の中のナギに話しかけた。
(人の命を奪う事が「いけない事とされている」のも心が歪んじゃう理由のひとつ。いけないとされているからしちゃいけないんじゃなくて。〝いけないと認識している事をする〟という出来事を経験した身体反応に心が耐えられない。反射で言い訳、正当化、フェーズが進むと自己否定を産む。執着となる。不可逆なのだからその執着が生まれた事実だけは消せない。勝手に、自動で言い訳が進んでいく。執着として膨らんでいく。)
どんどん戻りたくなってきたアネット。
ハイビスカスを取りポーチにしまう。
北の大通りの先に出た。
レイルをしてる人間が何人か見えた。
(じゃあ本心から命を奪って良いって認識なら位相は保たれるのでは?って大抵は行き着く。絶対にだめ。だめって言い方はおかしいか。無理。それは無理。良い悪いで論じてる時点で執着。
その時点で縋っているの。悪く在りたくないっていう自分に。だから議論以前の問題。)
レイルをしてる人間が追ってきた。
何か叫びながら話している。
小走りになるアネット。
(仮に、疑いの余地なく本心から他者の命を奪って良いと考えてる場合。奪ってはいけないのでは。と疑った瞬間の揺り戻しに耐えられない。疑った先にある自分を直視できない。だから殺人って行為そのものが自己正当化になって止められなくなる。自分は自分なんだって言って他人の命を奪い続ける。そうなったらもう魔法どころではない。)
脳内のナギに揺り戻しの意味を聞かれた。
(揺り戻しって〝気づいてない時の過去の自分〟を〝気づいた時点の自分〟が見つめた時に湧き出てくる、過去を書き換えたい欲求の事。でも書き換えられない。人はその痛み、ストレスに耐えられず、新たな執着へ逃げ込みやすい。ここで最初の話に戻るの。人の命を奪うって不可逆な事。代替の視座がない。割り切れない。割り切ると言い聞かせるためには新たな深い執着を発生させないといけない。だから殺人に関しては揺り戻しに耐えられない。自分の人生の喪失じゃなくて他者の人生を喪失させるっていう不可逆だから。)
走るスピードを上げる。
(それじゃ、生死を抽象化してはどうか。ってなる。人はどうせ死ぬのだから、自分が殺されても文句はない。だから他人の命を奪う事もまた大した事ではない。という思考の場合。それも無理、破綻する。生存本能と激突する。どれほど理屈を積み上げようと、生存本能を超越する事はできないから。自分の死を受け入れたつもりの人間でも、刃が首元に迫れば身体は生を求める。本当に死を悟った人間、それを受け入れた人間は他人に刃を突きつけない。さらに、生存本能との激突を回避した時って、人は既に人ではなくなっているはず。)
街を外れる。
廃屋らしき建物が何軒か見える。
使われなくなった資材置き場のような街道に行くまでの未利用地。
ひたすら走るアネット。
(殺人の正当化で最もあり得るのが〝時代〟。治安が悪くなってきたからしょうがない。魔王が復活したからしょうがない。その正当化は一番こわい。時代が変わった瞬間に自分が自分じゃなくなってしまう。自分でしていた正当化が時代の移り変わりと共に自分の首を絞める事になる。ずっと平和なら良かったって私もいつも思うの。時代の影響を受けたとしても、自分の判断まで時代に丸投げすると揺らぐ。)
下劣な会話と衝突音が頭の後ろから聞こえてくる。
(さすがにエーテルシューズは振り切れないか。何人いる?っていうか私ちょっと太ったよね。)
走るのを止めて歩く。
脇腹を摘まんだ。
五人、七人くらいだろうか。
まだ来ない。
(人を殺すって嫌なんだよなあ。バランス保つの大変なんだよね。)
男が声を張って話しかけてくる。
卑猥な言葉。
アネットは真顔だった。
(でも、それは自分からって話。襲われた時は別。ナギ君についた二つ目の嘘。私は人を殺した事がある。ナギ君は殺人経験の有無を単に質問してきたように見えたけど、あれは多分私に答えを求めていた。私を慕ってくれているのも感じてたから、私が言った事がそのまま答えになっちゃう。私の言った事が答えになっちゃって無差別に人の命を奪うような正当化になっちゃったら大変。私、別に人を殺す答えなんて持ってないし。)
手を胸に当て〝ぶつりからまもるね〟と囁いた。
気づかれてはいないようだ。
(私は襲われたら全力で抵抗するし命も奪うけど、その分、生きてる人には手を差し伸べたいって思う。だけど、自分や大切な人とか仲間が襲われた時に綺麗事を言える程、私、強くないんだよね。)
シューズを履いた人間が何人か近くに着地した。
女もいる。
あまりにも下劣なナンパ。
歩くアネットに並走してくる。
(この人達って盗賊兼ねてるでしょ。私、ブローチの一件で迷ったからか、魔力すごい落ちてるんだよね…。この人達どうしよ…。師匠なんか役に立つ事言ってたっけな。ここまで自分が執着に呑まれるとは思ってなかったし…。)
こめかみに指を当て俯きながら考える。
唸り声が少し漏れた。
〝卑しい自分を開き直れ〟
師の声が脳内で聞こえた。
アネットの口角が卑しく上がった。




