第53話/卑しいアネット(1)/Limited_ Annette
アネット出発当日。
夜が終わり、朝の光が滲み始める頃。
宿を後にしたアネット。
ぼんやりと地面を見ながらミトハロの西大通りをなんとなく歩いていた。
(ブローチと遭遇して私は挫折した。何も通用しなかった。全てが規格外。私の知ってる戦闘とは全部違った。勝てないとわかってる中で向かっていく事があんなに怖い事だなんて思わなかった。自分を信じられない事があんなに惨めだなんて知らなかった。)
少し風が吹いた。
外套で口を塞ぐ。
(ミトハロに着いた時には、それが別の感情になっていた。ナギ君に向いた。なんでフライパンなの?なんで戦ってる時に敵と話してるの?勝つ気がないのになんで旅をするの?たしかに私は負けた後にそう思った。砂浜の体術の訓練で負け癖を矯正するための煽りの一部は過去の私の感情。悔しさと向き合えなかった。悔しさと向き合った先の自分を直視できなかった。今までの師匠との訓練、師匠に教わった日々が逆に執着になった。過去の努力した自分に捉われてしまった。誠実でいた自分が思考の枷になった。負けたのは私のせいじゃない。微かでもそう思ってしまった。)
立ち止まり、鎖骨辺りに片手を当てる。
大きく息を吐いて歩き出した。
(ブローチの遭遇はおそらく不運。でもそれをただの不運として扱えなかった私の負け。不運と認識して二人と作戦を話し合ったり気分転換するだけでよかった。接敵直後、その紙一重が私には出来なかった。運が悪かったという事実として受け入れられなかった。執着で歪んだ。執着を抱いた自分にも向き合えなかった。仲間のせいにしている自分が許せなかった。そんなの自分じゃないと思ってしまった。一度許せないと、あらゆる自分を私が許さなかった。ナギ君へ抱いたやさぐれた感情を無理矢理抑えつけた。そこから執着はとんでもないスピードで膨らんだ。私に見て見ぬフリをされた自分は、餌を求める空腹の魔物みたいに次々に世界に噛み付いていった。)
胸を張って空を見る。
〝胸の中のもの〟と距離をとれている事を確認するかのように思考を続けた。
(まず出てきたのは嫉妬。ミトハロに着いてすぐのごはん。普通に食事を口に運んでいる二人に嫉妬した。私は無理だったから。あっけらかんと食べている二人を受け入れられなかった。なんで普通なの?って思った瞬間、過去の自分で正当化しようとした。私は訓練、練習してるから相手の強さがわかったんだ。目の前の二人は素人だから普通に出来るんだ。そう浮かんだ自分が許せなかった。それも抑えつけたのがいけなかった。空腹の魔物は餌を探し求めてさらに世界に噛みついて行った。)
少し視界がぼやけた。
思考は淡々と進める。
(部屋に籠って湧き出てくる魔物をずっと抑えつけていた。抑えても抑えても次々に湧いてきた。とりあえず気持ちは抑える事が出来ていた。世界に噛み付いたのは思考だけで抑えられた、そう思って安心したのがいけなかった。完全に裏目に出た。ナギ君が私の部屋に初めて来た時、状況が悪化した。)
目を外套で擦る。
(彼の純粋な、前向きな視線に、見て見ぬフリをしていた自分を照らされてしまった。仲間のせいにした自分の事を汚いと思ってしまった。その時まさに執着に呑まれている私が彼に執着を説く事への矛盾、自己嫌悪。ナギ君に執着を話した所で伝わらないだろうという孤独感。抑えつけたもの、受け入れられなかった自分がナギ君と対話した時に反動となって溢れ出した。あの時、ナギ君に向かなくて本当によかった。その代わり、彼との関係性に執着が向かっていった。)
まだ開店していない店の前。
雑な作りのベンチが置いてあった。
腰を下ろす。
(ミトハロに着いてすぐの食事。初めて部屋で話した時の彼。とんでもなく理解力が高かった。魔法学、付随する精神学。会話になった事が嬉しかった。伝わっていくのが楽しかった。私の執着はその感情に味をしめて、指導に擬態してナギ君へ向かっていった。まさかそこまで執着が及ぶとは予想してなかった。恐ろしさを知った。)
踵を地面につけて脛の裏の筋肉を伸ばす。
ブーツのつま先に視線を固定した。
(ミトハロに到着してから数日、抑えても抑えても物凄い勢いで湧き出る執着。私は向き合う事自体を諦めた。さらに見て見ぬフリをした。そんな自分も許せなくて、旅を辞める決意をした。旅だけじゃない。魔法使いをやめる。そう決断した。そしたら楽になって世界と関わりたくなった。私は湧き上がる許せない自分を棚に上げて、そんな自分から目を逸らして。ナギ君に指導をする事にした。師匠が念入りに教えてくれたのがよかったのかもしれない。すぐに新たな執着の輪郭、指導に擬態したそれを掴む事が出来た。〝ナギ君に教えている自分〟に執着が芽生えた。そこに居場所を見出した。執着になる前の段階で掴み切れて本当に良かった。自分を制御できた。あのまま旅をしていたら間違いなく私が原因で二人の関係性を壊していた。)
足のふらついた若い男女が目の前を通り過ぎて行った。
(新たな執着の湧き上がりを初動で掴み切ったからこそ、ナギ君への指導が逃避ではない事を確信した。自分の快感や仮初の安心に身を委ねたわけではなく、本心から人の役に立ちたいと思っている事を確認できた。師匠からの話をちゃんと聞いていて本当によかった。今度は逆に誠実に向き合っていた過去の自分に救われた。あれに呑まれていたら私はきっとリサに噛み付いていた。自分を見つめる事が出来ずに世界と関わっても新たな執着を生み続けるだけだっていう教えを私は体感できた。)
人の呻き声が微かに聞こえた。
声の方を向くアネット。
来た道を少し戻り、暗い裏路地に入っていった。




