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第49話/初めてのバケモノ/Limited_NAGI



「おまえ今まで!どうやってあいつに負けた!」


騒音の中、ドンドラがナギの耳元で声を張る。

野次、罵声が蠢く歓声にはナギへの応援も混じっていた。

手拍子の代わりに面積のある板同士を連続で打ち付けるような騒がしさが追加されていた。


「わかりません!」


腹から声を出して答える。

円の向こう側には薄ら笑いを浮かべてナギを見ている男がいる。

ドンドラから何も返ってこない。


「それだけ!?」


腹から声を出して質問するが光のない目で無表情のドンドラ。

仕方なく屈めていた上半身を起こしお団子頭のギャルを横目で見る。

顔をナギの耳元に近づけ、よく通る声で言った。


「負けちまえ!」


不愛想、鋭い目つきで離れていくウォッチの顔。

顎を少し上げ、開いた掌を空に向けて差し出してきた。

ナギは勢いよく上から自分の掌を打ち付ける。

手を返すと同様にウォッチから衝撃が降ってきた。


中央に向かうナギ。

騒音が轟音になるこの瞬間にも慣れていた。

アネット出発から二十一日目となる今日の初戦はブーザーだった。

ちなみに旅はギャル勇者待ちの座礁中。

鬱憤ナギ。


一発もらえば体格差で終わってしまう。

いつもは顎に密着させる両拳を下げた。

にじり寄るムキムキタンクトップ。


(最初で決まる最初で決まる最初で決まる最初で決まる最――)


ブーザーが右拳を少し振り上げた時、ナギも左のふくらはぎに力を入れる。

拳が迫るタイミングで滑り込み左足に抱き着いた。

ナギごと足をぶらぶらとさせるブーザー。

体が宙に何回か浮いた。

揺れる視界。

笑い声が聞こえた。


(ほんとごめんブーザー!僕最近すんごいイラついてるんだ!全部むかつく!ごめんね!)


心の中で舌をだすと左手で股間を思い切り殴る。

呻き声と同時に大きな体躯が落ちた。

膝をつき、顔が地面スレスレのブーザー。

どこかで見た事ある光景。


ブーザーのお尻に右足の低い蹴りを二発ぶちこんだ。

タンクトップムキムキ男の腰が跳ねる。


周囲を見ながら移動する。

正対ナギ。

みるみるうちに怒号、下劣な野次が増えた。

賞賛の声は絶対に聞き逃さない。

グローブ・Kに突撃してから十二日目。

観衆のノリには慣れていた。


ブーザーを背に、気負いのない顔で耳に手を当てる。

笑いが増えたが同時に膨れ上がるアウェイ感。

悪役ナギ。


「行け!ナギ!」


どこからか女のよく通る声。

振り向く勢いでブーザーの頭を蹴りまくる。


左の拳をブーザーの急所に入れた時点で怒りは収まっていた。

目の前に顔があるのだから蹴る。

今まで一斉に襲って来なかった周囲の人間への礼。

そんな心持ちで、適当に淡々と思いっきり蹴り飛ばした。


一発鼻あたりに入るが亀のように丸くなってしまい二発目からはクリーンヒットしなかった。

こちらを見れてないだろうと横に回り脇腹をブーツのつま先で蹴り上げる。

呻き声と共に跳ねるブーザーの腰。

いろんな表情のギャラリーが見えた。

ちょっぴり快感が湧いていた。


しばらくして回復したブーザーに足を掴まれると振り回され地面に叩きつけられる。

まいったするが聞いてもらえず、因果応報と割り切った。

馬乗りされてからは顔面に降り注ぐ拳の回避練習となっていた。


ムキムキタンクトップの気が収まったようで体にかかる圧が引く。

立ち上がり五〇〇エンテを渡した。

苛立つブーザーの背中を見ながら顔から順に回復しているとタリフが円の中に入ってきた。



(次タリフか…。)


そう思ってこれまでのパターンを反芻するが様子がいつもと違った。

歓声を鎮めていた。

一人の男がタリフの横にいる。


「ナギちゅわ~ん!毎日~お疲れ様!盛り上がってるね~!チームの奴ほとんどいるんじゃない?って事で今日はゲスト!トラブル続きの俺たちが日頃、超お世話になってる〝ウキル〟だよ~ん!」


隣の男の肩に手を乗せるタリフ。

声高らかに紹介した。

どよめきと賞賛が交錯する。


小綺麗な白のボタンシャツ。

黒いパンツに磨き込まれた茶革の短靴。

黒髪で額の中央からやや右で分けた前髪。

グローブ・Kにいる人間とは似ても似つかぬ様相だった。

明らかに浮いている。

ウキルと呼ばれた男は肘に視線を落としてシャツを捲っていた


ドンドラとウォッチには寄らず、中央で待機するナギ。

ウキルも近づいてきた。

手を大きく上げて構えている。

掌はナギを向いていた。

よく見ると眉に古傷が走り、その一筋だけ毛が生えていない。

二十代後半か三十代くらいだろうか。

身長はもちろんナギよりも大きい。

どよめきに近い歓声が大きくなった。


「服!汚れちゃいますよ!いいの!?」


ナギも構えて大声で心配した。

眉を顰めて耳に手を当てる男。

周りを鎮めるナギ。


「服!汚れちゃいますよ!いいの!?」


指笛のような高い音と笑いが聞こえる。

小綺麗な服装をしてる人は野蛮な事とは距離を置くものだ。

コロンとの一戦でそういうイメージがあった。


「気にしない気にしない!やれるもんならやってみてください!」


満面の笑みのウキル。

構えた手を下げ、握手を求めてきた。

散々握手を求めても無視されるので罠だろうとナギは警戒する。


「グローブ・Kでは握手するなってママが言ってた!」


ウキルが噴き出した。

近くのギャラリーの男が大笑いしているのが見えた。

歓声が渦になる。


(少しだけ左足が前…。右利きかな。けっこう足開いてる…。それにさっきからこの人、手を握らないんだよね。)


ミトハロジョークを放ちながらバレないように相手を見る。

にじり寄るナギ。

間合いに入ると即座に低い蹴りを出した。

刹那、ウキルが目の前に迫る。


(はっや。)


浮遊感。

視界に入ったギャラリーがくるっと回る。

適当にウキルの体のどこかを掴んだ。


背中に衝撃があったかと思うと空が視界に広がった。

息ができない。

地面に倒されている。


(何が起きた!?投げられたの!?)


勢い余ったウキルも転んでいた。

短靴で滑ったのだろうか。

砂埃が舞う。

ナギの胸に後頭部が乗っていた。

息絶え絶えにウキルの首に腕を回しそのまま締める。


綺麗に入ったようでウキルがナギの腕をポンポン叩く。


(ぽんぽん攻撃!)


いつもまいったする全敗ナギはタップを知らない。

力いっぱい締め上げる。

ギブアップを教える歓声の中にゴーサインが混じるグローブ・Kの治安。

ナギの勘違いを加速させた。


力をさらに籠めようと顔を反らそうと勢いをつけた瞬間。

頭に衝撃が走った。

驚いた拍子に手を離すとウォッチが立っている。


「タップはギブアップね。」


耳元で教えてくれた。

何故か普段とは違う柔らかい口調。


咳き込むウキルに思ってもない謝罪をするとすんなり許してくれた。

笑顔で五百エンテを差し出されるが丁寧に断る。

ナギのグローブ・K殴り込みの初勝利の相手は部外者のゲスト、ウキルだった。


(ギャグ回か…。)


毎日顔を出しているナギ。

あまりにも弱すぎるので、偶に本当に弱い挑戦者が紛れ込んできていた。

ナギの弱さは筋金入り。

そんな人間にも負けるのだが、そういう対戦を〝ギャグ回〟と呼んでいた。

しかしウキルのあの投げ技はとっても速かった。


(勝てたのは偶々だ。)


ズボンのベルトをきつく締め直した。

ウキルが短靴の埃を屈んで払っている。

タリフも笑顔で背中と腿の裏をはたいてあげていた。


「ナギちゅわん調子乗らないでよ~!次俺ね~!」


タリフが両手を挙げて近づいてきた。

他に希望者がいたのだろう、落胆の声がいくつかあった。

出所のわからないタリフの攻撃にナギは普段より長めにボコボコにされたのだった。





グローブ・Kから宿に戻ると、手伝いを申し出る。

ついにキューから目のクマを指摘され全面的な手伝い禁止を言い渡される。

衣服に飛び散る血は何も言われなくなっていた。


自室で着替え終わると宿の一階の椅子に座る。

目を瞑り〝同調〟をするナギ。


テーブルが埋まってきたら自室に行く事。

光景が異様なので他の客が来たら目を開ける事を条件に一階の滞在を許可された。

少し前まで連日ドワンが夜に居たので最近はキューが長めに入っているらしい。


少年の近くを通る度に頬を摘んだりつついたりするキュー。

時折手の甲で撫でながら近くを通過した。

ナギは微動だにせず目を瞑っていた。


「よく長時間できんね~。それ。」


キューが話しかけてきた。

ナギはゆっくりと一度目を開くと小刻みに瞬きを何度かした。


「毎日、少しずつ、徐々に繰り返すと出来るよ。」


ぼんやりする頭を少しずつ働かせる。


「それやるとどうなんの?」


「気持ちが落ち着く。」


魔力向上については伏せた。


「ウチもやってみようかな。目、瞑るだけ?」


「うん。浮かんできた事をじっと見つめる感じ。」


右肩を回しながら言う。


「かっこい~。ナギナギ賢者みたい。」


ナギがいる後方に体を向けたキューが目を瞑った時だった。

入口から誰かが入って来るのが見えた。



膝下までのミドルブーツ。

細身のパンツ。

〝鍔と柄に赤が基調の装飾がされた剣〟を腰に携えている。

ブラウスにサッシュ。

首まわりにスカーフ。

肩の内側に髪が流れている。

セミロングの茶髪の横結び。

ローポニー。

顔周りに少量の後れ毛。

判断より先に言葉が飛び出した。


「リサ!」


素早く立ち上がり駆け寄った。

そのまま通過しようとするリサの進行方向に立つ。


「リサ!どこ行ってたの!?」


虚ろな目つき。

目が合わない。

返事もなかった。


「リサ!大丈夫!?」


「…どいて。荷物取りに来ただけだから。」


ぽつりとそう言った。


「今どこに居るんだよ!」


声が大きくなる。

ナギの瞼がひくついた。

キューが奥の部屋へと入っていった音がした。

返事がない。

少しの沈黙。


「リサ!街から出よう!」


眉を顰めるリサ。


「治安が悪くなってる。これ以上は危ない。」


静かに言った。

鼓動が速い。

手が冷えた。

少しの沈黙。


「…だから?」


リサは目を合わせずに言う。


「だからって何?」


胃から酸っぱいものが上がってくる。

ランタンが三回揺れたのが見えた。

沈黙が流れる。


「黙らないで。だからじゃなくて。僕との旅はどうする?」


リサを見据えて言った。


「…わからない。」


「僕はリサと旅をしたいと思ってる。リサは?」


少し黙るとリサがぽつりと言った。


「なんで?」


「なんでって何?」


鳥肌が立った。

大きく息を吸う。

体が怠い。


リサは床、あるいは壁、低い方を見て黙っていた。

どうしていいかわからない。

しかし、もうこの機会を逃すと二度と話せない気がした。

ナギはリサの両腕に手を添える。

目を合わせる。


「リサ、こっち見て。」


「やめて。」


右手で静かに手を払おうとするリサ。

ブラウスの袖が捲れる。

何かを見つけたナギは素早く右手を掴んだ。


「ねえ!やめて!」


リサのブラウスの袖を捲る。

目の前の現実が何かの絵のように感じた。

現実感が遠のいていく。

二の腕に宝石のマーク。


ナギの手を払い左手で袖を伸ばすリサ。

横を向いた。

大きく息をつくと頭が冷えていった。


「リサ、僕…さっちゃんにカツアゲされたんだ。殴られてお金奪われたよ。弱すぎて迷惑かけてるって思われたくなくて言えなかったんだ。あと、こないだコロン…片腕がないデブにも襲われた。」


リサの眉がぴくりと動いた。

目は合わない。


「サファが?」


(やっぱりサファって言うんだ。)


「うん。さっちゃんはミトハロ着いてすぐ。まだ日が高かった時にバシナリーで。コロンはこの間。宿に戻れなかった日。偶々そこに居たんだ。ちなみに僕はダガヤ・クルーから仕事を受けてたけどどこにも所属してないから。」


「弱いのがいけないんじゃないの?」


リサは静かに、淡々とそう言った。


鼓動で体が跳ねそうだった。

息が荒くなる。

拳の力が抜けた。

股関節に力を入れる。

放っておくと無意識に右足が出そうだった。

目を瞑る。

アネットが浮かんだ。


「わかったよ。弱くてごめんね。」


そう言うとナギは黙った。

もうこれ以上どうしたらいいかわからない。


「何を怒ってるの?」


「別に、怒ってない。」


スムーズな返事。

アースとの練習通りのようでナギは噴きそうになってしまった。

面白かったわけではない。

もうナギも限界だった。


「そう。なんで避けるの?」


「避けてない。」


「わかった。ありがとう。」


ナギもリサから目を逸らした。


「じゃあね、荷物取りに来ただけだから。」


リサはナギの横を通り過ぎた。


「取りに来た〝だけ〟って言われても僕にはそうは思えないよ。都合が良すぎる。どうして欲しいのかもわからない。何を悩んでるのかもわからない。なんでもかんでも返事はわからないだけ。会話にならないよ。自分勝手すぎる。帰ってくるの?」


振り向いて聞く。


「…わかんない。」


一瞥もせずにリサは言い、そのまま進んでいった。

胸のどろつきが体を支配する。

後頭部が一気に熱くなった。

後ろから蹴飛ばしそうだった。

〝執着は連鎖する〟

アネットに言われた言葉でナギは一気に頭が冷えた。


大きな息をつき、カウンター近くの椅子に腰かける。

頭を掻きながら茫然とした。

キューが奥の部屋から出てくると何も言わずにカウンターに座る。


ナギはテーブルに視線を漂わせていた。

上階から扉が閉まる音がし、リサが階段を降りてくる。

カウンターの前に来るとキューに話しかけた。


「これ、むこう十日分のお金だから。」


金を置く音がした。

キューが口を開く。


「また戻ってこないの?」


「…わかんない。」


ナギは鳥肌が立った。

背筋が凍るような思いだった。


「リサ、あのね、ウチ、料金だけ払って長期不在っていうのはやってないんだ。これまで一度もそういうお客さんいなかったから改めてドワンとも話したんだけどさ。今回でラストにしてほしいの。」


いつもの気怠そうな言い方ではない。

キューは優しく言っていた。

赤ん坊をあやすように。

刺激しないように。


「…なんで?」


リサは言った。


「う~ん、なんて言ったらいいんだろうね。難しいな。うちの宿って、お客さんとの縁とか関係性を大事にしていきたいって思っててさ。あまりにも長期間の空き部屋だったとしたらその分、お客さんが泊まれなくなっちゃうじゃない?」


少し言い淀むキュー。


「二日とか三日とかだったらウチもドワンも何も言わないんだけどね。次十日帰ってこないってなったら、もう二十日くらいになっちゃうから。だから、そういうのはこれでラストにしてもらえる?」


「…困る。」


力なく言うリサ。

ナギはいやな汗が噴き出すのがわかった。


(こんなに誰にでも意味不明な事を言いだすの?僕やアネットだけじゃないの?)


〝相手にされなくなったら次の人間へ、その人にも相手にされないなら次〟。

サディナの家で読んだ生き物辞典に出てきた〝何かの寄生虫〟が宿主を探す姿が浮かんだ。


周囲の人達にまで攻撃的になったら自分はリサに対して暴力を我慢できない。

ナギはそう思った。

困った顔をしているキュー。


「うーん。もしどうしても宿だけを確保したいなら、中心街にはなっちゃうけど宿紹介するよ?あくまでもうちの宿の考え方ってだけだから。他の宿でそういうの気にしない所ってたくさんあるからさ。」


「…困る。なんで?」


キューがリサから顔を背けた。

耐え切れずにナギが口を開く。


「リサ、もうやめて。」


リサがナギを向く。

キューは足早に奥の部屋へと入っていった。


「…なんで?」


テーブルに視線を落としナギは口を開かない。

リサがリサとして見れなくなっていた。

周囲が沈黙とリサの狂気で覆われる。


木の床が軋む微かな音。

偶に聞こえるどこかの隙間を抜ける風の音。

上階からの微かな足音。

猫が喧嘩をしているような途切れ途切れの鳴き声。

ノックにも聞こえる壁の不可解な軋み。

遠くに聞こえる人の叫び声。

どこかの部屋のものかわからない、ぼそぼそとした話し声が聞こえた気がした。


リサは立ち尽くし、ナギから視線を外さない。

視界の端に見えるリサの表情は形容できないものだった。

無表情、顔が死んでいる、虚ろ、生気を失った仮面のような顔、目の部分だけが空洞になっていそうな表情。

あらゆる不可解な表情を混ぜ合わせたかのような顔つきだった。

長い間そんな表情で立ち尽くしているものだから、唐突に笑い叫びだしそうな、殴りかかってきそうな。

次の瞬間一階の備品を破壊して回りそうな狂気を感じざるを得なかった。


目を合わせないようにした。

ナギはとにかく怖かった。

あまりの恐怖に〝関係性〟という概念が消失した。

脈絡のない思考が連続で浮かぶ。


(アースの言う通りだ!もうこれ人間じゃない!化け物だ!はやくどっか行ってくれはやくどっか行ってはやくどっか行ってどっか行ってくれはやくどっか行ってはやくどっか行ってくれ!)


ランタンの揺れる影の音まで聞こえそうな程の長い沈黙。

リサがゆらりと動いた。

強張るナギの体。

一歩一歩ゆっくりと、彷徨う世界を探すかのような足取りで化け物は宿から出て行った。


「なん―あた――ら――うの?」


去り際にぽつりと聞こえた。

部分的に聞こえたそれが更に恐怖を駆り立てた。


ランタンの火が不気味に揺れている。

影が大きくなって襲ってきそうだった。



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