第42話/初めてのストリートファイト(1)/Limited_NAGI
かなり遅くまで待っていたがリサは昨日、宿に帰って来なかった。
朝、ドワンに聞いたが戻ってきてないようだ。
ナギがダガヤ・クルーから帰った後に入れ違う形でリサはどこかに出かけたらしい。
十日分の宿泊料金を渡して行ったとの事。
ミトハロ到着から二十四日目。
アネット出発から十日目。
ナギは疲れていた。
宿を手伝っているからでもコロンとの戦闘で気が滅入ったからでもない。
リサに対して疲れていた。
(夜会っても目も合わさずスタスタ部屋に戻って。少し話したいと言っても断るし。どれだけリサの事を考えればいいの…。どれだけ心配すればいい…。まるで心配してほしいみたいな感じも偶にする。でも心配したらしたでわかりやすく言い方きつくなるし。事件に巻き込まれたのか、どっかで遊んでるのかすらもあの態度じゃわからない。どれだけ強くなってるのかわからないけど、ブローチやドーゲンの踏み込みのスピードが異常だったから事件に巻き込まれてるってのは考えにくい。全員倒しそう。っていうか考える範囲が広すぎるんだよ。どの可能性まで追えばいいの…。そのクセ、聞くと言わないでよくない?って教えてくれないし。じゃあ僕が探したら、頼んでなくない?とでも言われるの?何がしたいんだ。)
ナギはいつもの砂浜で考えていた。
差し伸べないと言っていたアネットに共感した。
(ひたすらめんどくさいんだこれ。アネットはそれだけじゃないと思うけど。自分の人生を過ごせなくなる。
事件に巻き込まれたんじゃなくて、リサが自分から宿に帰らなかったんだとしたら。少しでもそれを防ぎたければ朝も一階にいなきゃいけないって事だ。確実に防ぎたいなら日中陰からリサの行動を見守らないといけないって事だ。しかもリサのご機嫌を一生取り続けて生きないといけない…。)
二の腕に鳥肌が立つ。
身震いした。
(いつ怒り出すかもわからない人間と一緒に旅をするって怖すぎるよ。まるで剣を喉元に突き付けられながら生活するようなものじゃないか。ただ怒るだけならまだいい。なんか気に入らない事や向き合えない事があったら毎回こういう風に会話が出来なくなったり、理由も言わずに不機嫌になるの?何がしたいんだ?そう、それだ!あいつ何がしたいんだ?リサがミトハロにずっと居るのは別にいいよ。僕は先に進むだけだ。なんでしたい事も言わないんだ?僕を困らせたいのか?一生涯の願いを聞いてるわけじゃないんだ。少し先の…三日とか五日。その程度の話でしょ?)
思考を纏めようと目を瞑る。
(じゃあこれどうなったら終わりなの?リサが満足するまでずっとこれなの?どうやったら満足するの?リサがミトハロで結婚したりして落ち着いてやっとそこで会話ができるの?ああ久しぶり!とかって普通に話しかけてくるんじゃないの?きっつ…。でもたぶん絶対にそうだ。)
思考は纏まらなかった。
〝執着は死ぬ寸前まで続く事もある〟というアネットの言葉を思い出す。
(むりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむり!)
首をぶんぶん左右に振る。
体も揺れる。
唐突な激しい動きで敵だと思われたのか近くにいた蟹がダッシュで離れていった。
そのまま首をぶるぶる左右に振りながら宿に戻る。
飛び散る涎が頬にかかった。
〝視界がぶれたまま宿に辿り着けるかゲーム〟が開始された。
ナギ崩壊。
事故なく宿に着き、そのまま首を振ってカウンターの前を通り過ぎる時にキューの笑い声が聞こえた。
*
部屋に戻り出発の準備をする。
太陽はもうすぐ高く昇る。
持参する金は千五百エンテだけ。
エーテルカードを手に取る。
(これは絶対に持ってっちゃだめだ。)
ベッドの上にカードを放り投げた。
ルントから貰った回復サプリひとつをポケットに。
グローブにフィルムとリキッドを差し込む。
なるべく頭に付けるようにしていたハイビスカスも外した。
部屋を出ると走りながらリサの部屋を二回叩く。
(あっいないんだった!)
少年はそのまま歓楽街へと走っていった。
*
東の大通りを抜けて少し進むとたちまち街の様子が変わる。
ゴミがそこら中に散乱しており足取りがおぼつかない人間が多い。
コップや食器が地面に転がっていた。
嬉々か狂気か紙一重な叫び声や大ボリュームの笑い声。
太陽が出ているのに酒の匂いで充満していた。
ナギは一気に駆け抜ける。
言われなくてもここが歓楽街なのだろうとわかる。
たまにすれ違う人間がナギを目で追った
裏路地だけは行かないようにし、さらに東へ進む。
なるべく通りの幅が広い場所を通った。
建物の前に立っている薄着の女性が微笑みながら手を振ってきた。
振り返すとにっこりと笑ってくれた。
パイナップルの行商人が話しかけてくる。
告白する前のレイシーのような、パリッとした服装。
「旦那!バインバインでチューチューもできるよ!飲みもイケる!どっすか!」
(パイナップルの事をパインパインっていうんだ。ヤシの実に管を刺して飲むスタイルをなんかで見た事ある。それかもね。)
パイナップルの新しい楽しみ方だろう。
〝チューチューできるパインパイン〟に興味があったがまた来ますと言って断ると笑ってくれた。
どっかの〝謝罪金髪ミライ君〟のようなしつこさはない。
陽気な人達だと気が緩むが周囲を見回すと身が引き締まる。
(ドワンの言う通り!ここはかなり危ない!)
リサのように虚ろな表情の人間が散見される。
油断していると、すれ違う人間にリサの名前を呼びながら声をかけそうだ。
建物の壁に背をもたれて横たわっている人間も多かった。
動いているので生きてはいるのだろう。
買い物客やレイルで飛び回る人間が多い中心街とは様子が全く異なっていた。
かなり走ったが歓楽街がなかなか終わらない。
不安になっていると、廃屋に隣接する形で雑木林が見えた。
(多分ここ抜けたら目的地だな。)
雑木林に突入すると、太陽がまだ空にあるとは思えない暗さだった。
地面から盛り上がる木の根っこが見えにくい。
いつ転ぶかわからない。
ルントに教わった魔法練習場所とは全然違う雰囲気。
頭の上から木の枝が激しく揺れる音がする。
誰かが飛び回っている。
(チームとしてちゃんとしてるんだ。)
お構いなしに走って進む。
木の枝が揺れる音が激しい。
影が見えた。
おそらく人間だ。
視線を感じる。
気にせず走っていると雑木林の中に空き地。
少し先には建物がいくつか見える。
(廃屋?物置?誰か住んでる?)
荒れ果てた村というには狭い。
何かの作業をするような、ちょっとしたキャンプが出来そうな荒れ地。
さらに進むと視界の端に大人数の集団が見えた。
三十人か四十人くらい。
かなり多い。
放射状に人だかりができている。
木箱に座る一人の男に視線が注がれているような感じがした。
立ってる人間もいれば座って足を伸ばして怠そうに聞いてる人間もいた。
一人の男が声を張っているのがうっすらと聞こえる。
全員不機嫌そうだ。
走るのを止め、集団に近づいていく。
(こわ~。)
しかし、ここで死ねばめんどくさいリサの相手をしないで良いと思うと気が楽になった。
壁際に寄りかかっている男がナギに気づいて近づいてくる。
滑らかな動きだ、エーテルシューズを履いている。
ナギはお構いなしに集団に向かって叫んだ。
「僕に!殴り合いでまいったと言わせれば五〇〇エンテー!」
「おい、おまえなんなんだよ。」
寄ってきた男に話しかけられる。
(どうせ会話成立しないでしょ!)
偏見ナギ。
「僕に!殴り合いでまいったと言わせれば五〇〇エンテー!あっ武器なし魔法なしー!」
もう一度叫ぶ。
男が胸倉を掴んできた。
(そこ掴むの好きですね~。)
視線は集団に向ける。
人間関係を諦めると自分が別人のようになれた。
冷静ナギ。
頭は静かだ。
ストレスはとっくにギャル勇者で振り切れていた。
「なに~?物乞い~?他のチーム~?」
視線が注がれていた木箱に座る男がナギに気づく。
男は首を伸ばして声を張る。
集団の視線がナギに集中した。
「何か用?」
低い声で睨みつけてくる目の前の男。
坊主だ。
スキンヘッドではない。
「殴り合いで僕にまいったと言わせれば五〇〇エンテを差し上げます。一対一ね。武器、魔法なし。」
「おまえどっかのチームの奴?」
「いえ、違います。旅してます。僕、弱いから強くなりたくて。僕と殴り合いをして、まいったと言わせれば五百エンテあげる。ここのチームには恨みはないです。」
叫ぶのを止め、目の前の男と会話するナギ。
同じ事をひたすら繰り返す。
延々と成立しない会話を行えるミライ君は心が強いのではないかとナギは感じた。
「タリフさーん。なんかこのガキが殴り合いしたらお金くれるってー!」
ナギの胸倉から手を離し、後方に顔を向けて声を張る坊主の男。
「え〜?じゃあちょっと待ってて〜。もうすぐ終わるから〜。」
タリフと呼ばれた男は声を張り返す。
周囲にいた男達の視線が徐々にタリフに集中した。
「こっちで見とくよ。」
後ろから声がした。
振り向くと頭のてっぺんにお団子がある金髪ギャルが立っていた。
もみあげが長い。
半袖シャツ、タイツのような黒い脚衣の上に短パンを重ね着している。
頬の筋肉が一定のリズムで動いている。
マナガムだろうか。
アネットと同い年くらいに見えた。
(リサもこういう髪型してる時あったな。)
「頼むわ。」
坊主頭に背中を押され、ナギは金髪の女の前によろめく。
「じゃあおまえはこっちね〜。」
髪の毛を掴まれて引っ張られる。
足を動かさなければレイシーになってしまうナギ。
女の手を掴みながら足をせかせかと動かす。
強引に連れられた。
集団から少し離れた木箱に座らされ、金髪の女が目の前に立った。
「殴り込み?でもシューズ履いてないね。来る時私に気づいてたでしょ?チラチラ上見てたし。チーム入ってないの?」
窺うような静かな視線。
声に威圧感はない。
(シューズ履いてたら殴り込みなの?あんなに大きな音出してたら気づくでしょ!)
「うん。入ってない。殴り込みでもないです。」
「へー。ウチの事知ってんの?」
腕組みをしながらギャルが質問する。
「グローブKでしょ?名前は聞いた事ある程度。」
「おまえ名前は?」
「ナギです。」
一問一答に答える。
(さっきの集団の中にリサっぽい人はいなかったな。)
「何しにきたの?」
「旅してるんだけど、僕ほんと弱くて。強くなりたいから殴り合いの経験積もうかなって。僕にまいったって言わせれば五百エンテあげる。すぐ言うよ。オイシイと思うよ。」
ミライ君のように復唱した。
金髪の女は噴き出した。
「変わってんな〜、他のチームから加入希望者は来るけどさ、おまえみたいのは初めてだね。私ウォッチね。」
片手を腰に当てて女は名乗った。
ダガヤ・クルーの人間が来てるのか気になったが即座にややこしい事になるので各チームの話は我慢する。
この女の名前などどうでもいいのだ。
関係性を作りに来たわけではない。
さっさと殴り合いをさせろ!ナギはそう思っていた。
(勇者の剣を抜いた時の僕が今の僕を見たら気絶しちゃうね。)
別に〝今のナギ〟もグローブKと喧嘩をしたいわけではない。
少年はこれからに備えてやらねばならなかった。
コロンとの一戦で自分は殴り合いの時に浮かぶ思考が無さすぎる事を痛感していた。
荷物を守りながらの戦いでコロンを直視する事は少なかったが、衝撃のタイミングがなんとなくわかった。
アネットとの特訓のおかげだと思っていた。
ほんの少しでも効果はあったのだ。
リヴェル村で喧嘩もした事がなかったので少しでも経験が欲しかった。
アネットがいればお願いしたかったが発ってしまった。
(アネットは魔法の特訓も兼ねていたけど、ウチのギャルが健康だったら体術の練習、一緒にしたかったなあ。)
リサはすでにナギの中で体調不良扱いだった。
歓楽街の人間の虚ろな目つきとあまりにも似ていたからだ。
ウォッチは集団の方に目をやっている。
この女を見ると、ナギはリサが浮かんだ。
(リサが事件に巻き込まれてたら、僕どうしたらいいんだろ。その場合って、たぶん建物の中にいるだろうから探せないよなあ。拒絶されてなかったら僕どうしてたかな。けっこう一生懸命探してたと思う。ダガヤの人達にお金を払って捜索を依頼して、キューとドワンに知り合いとかを聞いて捜索のツテを探していたかも。ルントの契約してるフリーの人とか、アースから情報聞いたりとかして探してたかもしれないな。)
きっと声をかける人々は熱心に探してくれるはず。
しかしナギだけが拒絶されるなら良いが、万が一その人達の事を軽くあしらったとしたら。
万が一そんな事があったらナギはもう彼女にどう関わっていいのかわからなかった。
自分で拒絶をしているのだから自業自得だ。
あれを拒絶と言わないのならば自分だけに都合が良すぎる。
さすがにあれを拒絶じゃないと言われたらもうどうしようもない。
見捨てて一人で旅をしよう。
そう言い聞かせ、思考を纏めた。
いずれにせよ、体術の思考や経験は必須。
アネット師匠は明らかに体術の特訓もしていた動きだったからだ。
魔法は一人で出来る事がたくさんある。
しかし体術には相手が必要だった。
「終わったみたい。行くよ。」
気づけばウォッチがこちらを見ていた。
「はい!」
元気良い返事のナギを見てお団子ギャルは鼻で笑っていた。
円になってる集団に近づく。
好奇、嘲笑、侮蔑、多様な視線がナギに刺さる。
舌打ちが聞こえてきた。
さっちゃんが浮かぶ。
(いいですね〜!この街の配達業の人達のイメージってこうですこうです!なんで怒ってるのか本人もわからないほどムカついてる感じ。いいですね〜。)
ナギはプレッシャーからハイになった。
タリフと呼ばれていた男の近くに連れられる。
手を叩き、淡々とした声で集団に向かって叫ぶタリフ。
「はーい!今日飛び入りゲストねー!君、名前とチームは?」
「ナギです。無所属!旅人です!強くなりたい!」
ナギは顔を寄せてきたタリフに言わず叫んだ。
「こんなひ弱そうな少年と殴り合いたい弱虫がいたら前に出ろー!金くれるってよー!」
ナギは力一杯叫ぶ。
「僕にまいったと言わせたら五百エンテ!魔法なし武器なし!よろしくお願いし――――」
目の前に座っていた男が立ち上がり襲い掛かってきた。
肩までの長い髪。
髪が波打っている。
パーマだろうか。
タンクトップムキムキ男。
(いいですねー!さすがグローブK!配達業界のはぐれ者!開始の合図なんていりませんよね!激アツ!頑張るぞ〜!)
ハイな少年は大きなテイクバックから繰り出される右拳を左に飛んで避ける。
タンクトップムキムキ男の右肩に宝石のタトゥーが見えた。
宝石にバツ印が付けられておりその上に〝Failed Delivery(配達失敗)〟と追加で彫られていた。
少年は集中していた。
(元ドミヌス!タトゥー入れちゃいましたか!でも彫り直しけっこうセンスあると思います!)
タンクトップムキムキ男と目が合った。
突き出した右拳を裏拳気味に振り回してくる。
しゃがんで避けるナギ。
パルがレイシーに放った一撃を思い出した。
このまま股間に頭突きをしたい衝動に駆られたが我慢した。
(見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ!相手の攻撃見ろ見ろ見ろ怖がるな終わらせるな!経験値経験値!)
タンクトップもすぐ終わらせたくなかったのかもしれない。
体重で潰さずに右足で蹴り上げてくるのが見えた。
動作が大きい。
後ろに飛び退く。
顔の前に出した腕に勢いが乗った足が掠る。
距離が出来ると周りが少し見えた。
円になった人間は立ち上がっており、大盛り上がり。
罵声、下劣な歓声、意味不明な手拍子。
目の前の元ドミヌスの男を応援する声や野次。
タンクトップの男がブーザーと呼ばれていたのが聞こえた。
(ほんと僕のミトハロ配達業のイメージそのまんま!みなさんこちらにいらっしゃいましたか!)
ナギの問題はここからだった。
少し離れた距離からの手段がない。
至近距離なら最悪噛み付けばいい。
迎え打つにも体格差の恐怖がのしかかる。
(怖くない怖くない怖くない怖くないなんか挑戦しろなんか挑戦しろなんか挑戦しろなんか挑戦しろ)
見た事もないガニ股で走ってくるブーザー。
ナギもふくらはぎに力を入れる。
股抜きを狙い足先から滑り込んだ。
腰辺りで突っ掛かり脇を持たれ宙に浮く。
ブーザーの顔面にもえろを発声したくなるのを我慢したまま地面に投げ飛ばされた。
背中に凄まじい衝撃。
何故かそのままブーザーも崩れ落ちナギの手が届く距離に長い髪が迫る。
髪を手で掴むがそのまま顔を上げられる。
マウントを取られてボコボコに殴られ決着した。
周囲の人間は大騒ぎ。
罵声がナギを包む。
(やりました!まず一勝です!)
飛び交う悪罵をよそにナギは満足気。
まだハイだ。
五百エンテを渡し握手しようと手を差し出した。
ブーザーは金を引っ手繰るとすぐに周囲の人間と同化した。
(自己顕示欲ムンッムン!)
血だらけの顔面に回復魔法をかけながらルントのマネをする。
この殴り合い、あくまでもパターンがほしいナギ。
実戦ならブーザーが倒れてきた時に目を潰して終わりである。
そこまで行きたい。
しかしそれが難しい。
課題があり過ぎる。
どうやったらそこに行けるのか。
何が出来なくてそこまで到達できないのか。
少年はとにかく情報が欲しかった。
頭が熱い。
現実感がない二戦目。
騒音の中ナギは吠える。
「あと二回!殴り合いで僕がまいったと言ったら五百エンテ!武器魔法なし!」
ピースを作り手を高々と上げた。
野太い声の渦に飲み込まれる。
どよめきが混ざったかと思うと後ろから肩を叩かれた。
お団子ギャル。
ウォッチが口角を少し上げて立っていた。
布を巻いた手に何かを持っている。
リング状。
樽を結束する部品のようだ。
サイズは大きくない。
ウォッチが周囲の人間を鎮める。
「これにお互い片足入れてやろう!殴り合いだけ!髪掴まれたくないから!」
金髪ギャルが言い放つ。
(こんなのあるんだ!意味わかんない!普段からやってるの!?)
治安の悪い地域の遊びにとことん共感できないナギ。
地面に置かれたリングに足を入れる。
ナギは左利き。
ウォッチもそうなのだろうか。
お互いの右足が交錯する。
相手の方が身長がやや高いがブーザーに比べれば体格差はそこまでない。
ギャルの顔が近い。
咀嚼音が微かに聞こえた。
もう面倒くさいのでナギは先に五百エンテを渡す。
笑いが混じる罵声を皮切りに再び轟音の渦に巻き込まれる。
周囲と距離が近いからか、勇者の剣を抜いた時と同等に感じた。
近くにいた男の雑な合図。
逃げられない樽輪バトルが幕を開けた。
ウォッチが細かく動き出す。
脇腹に衝撃があった。
ギャルの短い息遣いが同時に聞こえた。
しかし腐っても〝最強の魔女〟経験者ナギ。
ウォッチの小さく鋭い拳が幾度となく体に刺さるが耐えまくる。
(ブローチに腹を殴られたの、アレたぶん相当痛かったんだな。)
気合で耐える。
ナギも応戦した。
ウォッチの顎に何発かいいのが入るが効いている様子がない。
手だけ振り回す。
ナギ自身もポカポカと擬音が聞こえてきそうであった。
ギャルの一撃が重い。
ウォッチの体の使い方を凝視する。
拳を引くスピードも速い。
肘を畳み脇を締めてはいるがそんなに力が入っていないように見えた。
体幹がブレないと思いきゃ、下半身との接続が切れたように上半身だけぐにゃりと動き避けられる。
しなやかに迫る腕。
全身が連動をしているのを見てアネットを思い出す。
(体の使い方すごいなこの人。くねくねしてる。)
そう思った瞬間、鳩尾にお団子ギャルの右拳が刺さる。
倒れ込みむせているとウォッチは手を高く上げ何かを叫んでいた。
騒音が轟音となった。
(僕に勝っても喜んでくれるんだ。)
敵として認められたのかとなんか嬉しかったナギ。
根本的に物差しが違う。
握手をしようとしたが早々にウォッチは人間の輪の中に紛れていった。
立ち上がり胸に手を当て回復魔法を発声する。
回復が終わらぬ前に片手を高く上げる。
指は一本立てた。
「次、ラストね~!」
湧いた轟音がざわめきながら鎮まった。
「おれとやろ~。」
声の方に目をやるとタリフが滑り寄ってきていた。
口笛と歓喜の声が混じる。
「ちょっと準備運動ね~。」
周囲の人間の輪が何故か広がる。
グアポリと同い年くらいだろうか。
ナギよりかは年上だろうが若い。
髪はグアポリよりちょっと長い。
耳にかかるくらい。
「タリフ!おまえも弱虫じゃねえか!」
誰かが笑って叫んだ声が聞こえた。
茶色い髪に赤、紫、白、緑が混じっている。
エクステだろう。
シューズと靴下を脱ぎ捨て素足になっていた。
屈伸するタリフに近寄り五〇〇エンテを差し出す。
「はやいはやい~!ナギちゅわんが勝つかもしんないでしょ~!」
明るい声。
目が笑っていないが笑っているような。
顔の部位が独立して動いているような。
瞳が暗いが輝いているような。
異様な雰囲気。
ルントの軽さを振り切らせ、異様さをプラスしたような印象だ。
(この人何考えてるかわかんないな。リーダーっぽい。考えているんだけど考えていないようにも見えるけど実は考えている感じ。と思わせて意外と考えてないみたいな。こわ。)
とにかく掴みどころがない。
そんな印象だった。
「お待たせ~!」
楽しそうで退屈そうなタリフは目を見開いて下をべろんと出した。
自分の頬を手で軽く叩いている。
掌が人差し指だけとなり頬を指して言い放った。
「初回だけサービス。ナギちゅわんから、本気の一発。それで始まりね。カウンターとか騙しナシだよ~ん。当たってあと距離も取ってあげる~。親切でしょ~?ほれ~。」
ナギの殴りやすい位置に顔を置くタリフ。
笑い声やわざとらしく心配する野次が飛んだ。
不気味な表情が迫る。
ナギは差し出された顔にアネットのように優しく両手を添え〝もえろ〟を叫びたい衝動に駆られる。
おしりをつねって踏みとどまる。
ぐるぐる肩から左手を回すと笑いが起きた。
「ほんとにいいの!?」
「いいよ~ん!グローブK、正直者集団だから~!サファじゃあるまいし~!」
言い終わる刹那、ナギの拳がタリフの右頬に当たる。
出来れば歯を食いしばられたくなかった。
しかし明らかに卑怯な行動をとった所で周囲の人間が押し寄せてくるだろう。
報復が絶対にある。
胸がどろついていたナギの我慢出来るスレスレのライン。
たしかに右頬に当たった。
感触もあった。
しかし効いていない。
タリフのにやつきは止まらない。
(なんで!?アネットにもあんまり効かなかったし!なんで僕はこんなに弱いんだ!)
宣言通りナギから距離を取るタリフ。
唾を吐いている。
殴打への嘲笑うような賞賛と侮蔑が混じった歓声。
「ナイスパンチ!始めるよ~!ナギちゅわ~ん!」
(思ってもないくせに!)
ナギは全速力で突っ込んだ。
一発もらってもそのまま進んでやると思っていた。
近づくに連れて歓声が消えていく。
さらに口角の上がったタリフの表情が見えた途端、鼻先に迫る足。
衝撃が顔に走り右に数歩よろめくナギ。
(なんで足!?)
よろけながら人間の輪にもたれかかる。
後方の誰かに髪と肩を掴まれ身動きがとれない。
背中の色々な部分に衝撃がある。
タリフは地面に片手をつき、逆さの体を支え膝から上をぴょんぴょん伸び縮みさせている。
下卑た笑顔。
(なんだそりゃ!)
何発か背中を殴られていると、ドでかい衝撃と共にタリフの方へ飛ばされた。
それを見るなりこちらに詰めてくるエクステ男。
体制を整えるナギに飛びかかってきた。
(右足で蹴られそう!)
咄嗟に腕を上げ顔の左に神経を集中する。
が、タリフが中々ナギに届かない。
右足を凝視する。
タリフが全く着地しない。
時間が止まったようだった。
気づくと右の肩に衝撃。
左に吹っ飛ぶナギ。
(こいつなんか魔法使ってるだろ!なんであんなに空中にいるの長いんだよ!)
気づくとエクステを激しく揺らしながら近づいてくる。
殴られると思い顔を手で覆う。
迫ったタリフの顔が遠のいた。
回転しながらナギの顎の辺りに迫る足。
腕の隙間から偶々見えた。
どちらの足かわからぬまま無我夢中でしゃがんで避ける。
(回転してんのね!)
回転の反動で体を起こすタリフ。
そのままナギの後頭部を両手で掴み膝蹴りを何発か入れる。
首に強い力が加わったかと思うと投げ飛ばされていた。
仰向けのナギに向かってタリフが走ってくる。
蹴られると思い足を上げて牽制すると奇声をあげて飛んできた。
殴り掛かってくる。
腹にタリフの拳が刺さったかと思うとあっと言う間に馬乗り。
顔に降る拳。
「まいった!まいった!」
「えー!?なんてーー!?」
(聞こえてるだろ!こいつ!)
叫び続けるが降り止まない拳。
手を振るが当たらない。
首を掴まれた。
ナギの拳を何発か食らいながら顔を近づけて囁くタリフ。
「五百ぽっちでウチの人間が喜ぶと思ってんの?ナギちゃんふざけてる?」
獲得した五百エンテを周囲に見せびらかしているブーザーが見えた。
タリフは続ける。
陽気だが冷たい声。
「ドミヌスかな~、ヤマカミ?ダガヤって事はないんじゃない?それとも新しいチームでも出来た?あ、逆にダガヤあり?おまえ残れよ~。」
体にかかる圧力が無くなった。
タリフが立ち上がる。
「おわりー!狂ったナギちゅわんに拍手~!意外と楽しかったねーー!解散解散~!〝スマッシャー〟に気を付けて~!親友恋人家族に寝首かかれんなよ~!」
頭がふわふわする。
徐々に聞こえてくる歓声で我に返る。
罵声、声援どっちに受け取っていいのかわからない言葉が飛び交った。
木のコップや小石、布のゴミ、何かの骨などが放物線を描いて次々とナギに投げつけられた。
周囲が散り散りになっていく中、ウォッチがナギに窺う目を向けて立っている。
少し離れて木箱に座っているタリフと坊主。
タリフが目が笑ってない笑顔で手招きしていた。
ナギに近づいてきたウォッチがそのまま傍に立つ。
(坊主がシューズ履いてるから逃げられないな。すぐ先は歓楽街だし。)
観念し木箱に座るタリフと坊主に近づく。
フィルムをグローブから取り出し、奥歯と頬の間に捻じ込んだ。
「ナギちゅわーん!なんだかんだ楽しかったよ~!最近みんな鬱憤溜まってるんだよね~!」
甲高い笑い声。
満面の笑みのタリフ。
ナギは五百エンテを渡すと坊主が立ち上がり受け取った。
「おれの分は!チームの活動資金にします!だいすきナギちゅわーん。」
投げキッスをしてくるタリフを見据えた。
「おまえ、どっかに所属してるでしょ?」
低い声。
冷ややかな視線が刺さる。
横に立つウォッチが言った。
「してないよ。してたらここに来ないでしょ。スパイだったとしたら何を知りたがって殴り合いなんて挑むの?」
表情を変えないよう答えるナギ。
「そーれーがーわからないからさー!こっちも帰さないんでしょ~?」
タリフが木箱の縁を両手で掴みながら足を伸ばす。
顔を空に向け駄々をこねる少年のように大声を出した。
「別になんもないよ。強くなりたかっただけ。」
「なんで?」
坊主が聞いてきた。
俯くナギ。
後ろから奇声が聞こえてきた。
先ほどまで周囲にいた人間がふざけているのだろう。
立っているウォッチが近くの木箱に座る間の沈黙。
(もうこれしかないと思ってここ来ちゃったけど、この状況ってやっぱりまずいよな。どうしたら信用してくれるのかなんてわからない。このまま帰してくれない可能性だってある。宿には絶対に帰らないと!リサが帰ってきてるかも!)
ナギは本音を言いながら嘘をつく。
色々、運に賭けた。
少し声を張る。
「宝石のマークが腕にある女にカツアゲされたんだ!〝さっちゃん〟って呼ばれてた。友達から北の大通りに半生のうまい干しフルーツ屋さんがあるって聞いてさ!その辺りでお店探してる途中に!お金全部取られた!楽しみにしてたのに!あいつぶっ殺してやりたいんだ!むかつく。ほんっっっっとむかつく!」
拳を握りしめ、自分の衣服を引っ張り、腕を掻いた。
とにかくせわしなく手を動かす。
感情を思い出すにつれ徐々に声も大きくなった。
目の前にいる三人に指を差すと狂ったように畳み掛けた。
半笑いで目を丸くしているタリフ。
ウォッチは靴を履き替えながら肩を揺らしていた。
坊主は冷ややかな目つき。
「今日あんた達に払ったお金だって僕には大金なんだ!果汁煮の干しフルーツだって買えるんだ!も~!むかつく!ほんっっとに!せっかく怖い思いして来たのにここでもまた負けたああああああ!」
何故かタリフに表情を見られたくない。
膝をつく。
髪の毛を掻き毟る、地面を強く拳で叩く。
その二つを激しく交互に繰り返した。
冷静に狂ったつもりだったが感情が乗ってしまって割とちゃんと狂っちゃったナギ。
「ウアア!思い出したらむしゃくしゃしてきたあ!ねえやっぱその五百エンテ返して!帰りに果汁煮買ってくから!むっかつっっくうううううああああアアアア!」
「そりゃあダメだろナギちゃん!」
タリフの声。
ウォッチと爆笑している。
「じゃあもう帰っていい!?日が暮れると歓楽街危ないから!」
冷静に言いそうだったが声量を落とさずに誤魔化した。
タリフが木箱から転げ落ちる。
腹を抑えて笑っている。
「ナギちゃん頭おかしすぎでしょ~!どんだけサファに復讐したいのよ!今この状況、すでに危ないって!ウォッチ~!歓楽街まで送ってやって~!はー!おもしれー!」
(あいつ、サファっていうのか。)
サファの名の詳細を広げたかったがとりあえず帰れるらしいので放置した。
ウォッチが立ち上がると、爆笑を表情に残しながら顎で雑木林の方向をしゃくる。
「タリフさん、いいの?スマッシャー関連かもよ。」
坊主の男が椅子から転げ落ちた賑やかな頭の男を見て言った。
木箱に座りながら明るい声で答えるタリフ。
「スマッシャーだったらいちいち偵察なんてしないしない!おれ達の頭ソッコー潰しに来てるって!可能性があるとしたらウチと拮抗してるって思ってるチームでしょ~!カツアゲ〝は〟ホントだと思うね~!こんな弱いガキんちょがさっちゃんの名前知るって難しいと思うしさ~!」
(スマッシャー。ルントが言ってた魔女、魔王?それの事だろうな…。)
ウォッチに促されて歩き出すナギ。
「ナギちゅわーん!もう来んなよ~!あぶね~ぞ~!また来てね~!」
立ち止まりタリフを見て会釈する。
ウォッチに肩を掴まれた。
腹を一発殴られて歩き出す。
「おまえ、旅してるんだろ?出身どこ?」
ウォッチがゆるやかに滑りながら話しかけてきた。
「ニルディーノ。」
「ニルディーノのどこって事。」
圧がある声で言い放つ。
「エンローズ村。小さい村。知らないでしょどうせ。けっこう北の方だよ。」
〝エンテ〟とアネットのファミリーネーム〝ウィンローズ〟を掛け合わせる。
位置はミレバルを想像した。
アルセナを気取られたくない。
ナギは壁を作った。
「なんでミトハロに滞在?こんな街なんもないだろ~。」
(すんごい聞いてくるな。)
「ちょっと前にこの街の近くで盗賊に襲われて仲間とはぐれたんだ。バンディアっていうんだっけ?師匠がある程度殺したんだけど仲間の茶髪のギャルとはぐれた。二十歳過ぎくらいかな。〝赤い柄の豪華ぶってる剣〟持ってるんだけど見た事ない?」
これまでの人生、自分に言い訳ばかりをしてきたナギ。
他人につく嘘なんてスラスラ出てきた。
〝ハイ〟が残っていたのも功を奏する。
グローブ・Kにさらに壁を作る。
(ルントに色々教わってなかったらここで詰んでたかもな…。)
「さ~?そんな剣ならなんか見てそうなもんだけど。知らないね。他に仲間は?」
空中を見つめるウォッチ。
言い終わりにナギを向いた。
「いない。その師匠だけ。今ミトハロの近くを探してる。南の方に行ってたっけな。トラブルには巻き込まれるなって言われてるから襲わないでね。」
眼を細くして笑うウォッチ。
その横顔はナギが今まで見てきた女性となんら変わらない、屈託のない笑顔だった。
しばらく歩き、雑木林を抜ける。
御礼ナギ。
「もー来んなよ~。」
木の上からウォッチの声。
手を振って歓楽街を走り出す。
(リサどこ行ったんだ…。グローブ・Kの人も知らなかった。あのチーム、情報が相当はやい。ひょっとしたら自分たちもスパイを送ってるのかも。僕がダガヤに出入りしてる事は知らなかったみたいだけど、これから知られるとみんなに迷惑がかかっちゃう。もうダガヤには行かない方がいい。いや、知られた上でああいう感じだったのかも。考えれば考えるほどわからない。どんどん知り合いがいなくなってく気がする。でも僕には今これしか出来る事がない。なんか寂しくなってきた。)
「旦那!バインバインでチューチューもできるよ!飲みもイケる!どっすか!」
パイナップルの行商人の叫び声で弱気が霧散する。
行商人が並走してきた。
走るスピードを緩めて返す。
「さっきも断りましたよ!興味はあるからまた今度ね!」
男は快諾して笑っていた。
女が行商人を制止する声が背中から聞こえた。
(弱気になるな。もう選択肢がない。やるしかない。リサと会話できればなんとかなりそうなんだけど…無理だろうなあ。アネットにもルントにも色々教えてもらっといてよかった。帰って宿の手伝いして。今日の喧嘩の復習して…。ブローチして、同調して…。あっ魔法の練習の復習も!)
色々と聞いてきたウォッチが浮かぶ。
中心街を経由してドーゲンミライ道場の方面まで大きく迂回して宿に戻る。
キューとドワンのおかえりに癒された。
血が飛んでいる洋服を心配されたが魔法の練習をしてコケたと嘘をついて凌いだのだった。
リサはその日も帰って来なかった。




