第35話/初めてのゲシュタリーゼ/RISA
ミトハロ到着から十七日。
あたしはドミヌス・ハウスにいた。
毎日来てる。
三階建てのとても広い屋敷。
三階部分の大きな一室にドーゲンとあたしはいる。
ドミヌスの人達に武術を教えるためにここを新しい道場にするらしい。
部屋の掃除が大変だった。
重いテーブル持ったり木材を一ヵ所に寄せたり。
力仕事、全部あたしだったし。
〝ドーゲンリサ道場〟にしたいってドーゲンが言い出したんだけど断った。
部屋の壁には〝反求諸己〟って大きな文字が貼ってある。
読めないし、どういう意味?
気持ち悪いのよ。
部屋の隅に配置した五つの椅子に囲まれた丸いテーブル。
あたしは背もたれを使わず浅く腰かける。
目の前に座るドーゲンは椅子をガクガク揺らしてバランスを取ってる。
「生徒来ないね~、リサちゃん。ほほほ。」
「そりゃ来ないでしょ。最初だもん。なんかしたら?」
ドーゲンが話しかけてきたので適当に対応する。
あたしは目の前の本に視線を落とす。
〝ゲシュタリーゼ・騎士の心〟
ドミヌスハウスの物置から色々何冊か持ってきたんだけどなんでかこの本が無性に気になる。
とっても分厚い。
目次を飛ばしてページをめくる。
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《ゲシュタリーゼとは、強さを求める己の心を表すもの。
陽・和・鎖・迷・渇・無間。
自分の心が見えなくなった時の道標。
人を分類するものではない。心の状態を表すもの。
人として〝陽〟であれ
修練は〝和〟で開かれる
いつでも騎士を辞めよ》
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は?騎士辞めちゃだめでしょ。
なんかアネットが好きそう。
〝陽〟って何?
ページをめくって探す。
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【陽】
《高揚感、幸福感、充足感、安堵感。
自分に帰った時いずれを感じるだろうか。
笑顔は絶えず苦しみを認識しない。
心地よさを心地よさと認識できる中で生きる。
習慣への渇望で鎖へ移る。
落涙を落涙として認識できぬ時、さらに道は別れる。
否定すれば迷。
転落の焦燥で渇。
落涙を許さぬ絶望で無間。》
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「騎士になりたいの?リサちゃん。ほほほ、強いもんね~。」
ドーゲンが話しかけてきた。
暇なんだろな。
呼び込みでもしてくればいいのに。
「うるさい。黙ってて。」
視線を本に残したまま口だけ動かす。
笑い声が聞こえてきた。
ほほほってなんなのよ。
調子乗ってんじゃないわよ。
〝和〟のページを探す。
+++++
【和】
《中心相。強さを追い求める事に最も適した位相。
全てを見れるが全てに呑み込まれる事もある。
世界の中での生として感じるか、苦しみに見えるか。
苦しみならば逃避で迷。
それを嫌悪すれば怒りで渇。
受け入れず歪めば自己洗脳の鎖。
世界を目の前にした個の状態。
他者からの気づきが最も多い。
世界を感じずに自己を認識する赤子はいないのだから。
最も強くなれる。
しかしその期待に縋り付けば訪れぬ時に渇。》
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この本書いた人って頭大丈夫なの?
何言ってんの?
なんで昔の人って意味わかんない言い方しかしないの?
伝える気あんの?
「明かり、大丈夫っすか~。」
壁を二回叩く音。
男の声。
声の方を向くと入口にシオンと呼ばれている男。
「大丈夫よ~。ほほほ。」
ドーゲンが手を振って対応した。
「俺、休憩入るんで、よろしくです~。この階、今あんた達だけっす~。」
シオンは手をひらひらさせてどこかに行った。
「ねえ、あの人って何やってる人なの?」
声を潜めてドーゲンに聞いてみる。
「火の点検ね。ここ、窓が塞がれてるから昼でもランタンでしょ。火事になっちゃうから見回りしてるのよ。ほほほ。」
「ふーん。」
別にどうでもいい情報だった。
あたしは本に視線を戻す。
〝陽〟とか〝和〟とかなんなのこれ。
心の状態って何?
喜怒哀楽じゃないの?
他のページをめくる。
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【鎖】
《強さの誤解。強さに呑まれた人間。
鎖は空虚な動機にはなるがそれ以上はない。
空虚な動機は達成すれど再び空白の世界。
他者との比較の世界のみで生き、決して安らぎはない。
強者を倒せばまた別の強者が現れる。
比較の世界とは比較できぬ者に怯える世界。
最後に襲い掛かってくるのは自分。
自分が納得する強さとは何か。
世界にそれを委ねてしまっている心。
勝ち負けのみでしか己を測れない。
永遠に続く比較に絶望した時、人は絶望出来ない。
襲い掛かる自分から逃げるように無間に落ちるのみ。》
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はあ?
絶対におかしいこの人。
心とか世界とか何言ってんの?
自分が襲い掛かってくるって何?
頭大丈夫?
こう言っちゃ申し訳ないけど、頭の調子が悪いんだと思う。
どうかお大事にしてほしい。
あたしは無間のページを探す。
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【無間】
《剣を置くべし。騎士を辞めよ。
自分以外は全て敵の心。
怒り、憎しみだけの世界。
しかし怒りや憎しみすらも知覚できぬ世界。
敵も味方も区別出来ぬ。
傷つけられたか傷つけたか。
それだけの世界。
相手を傷つける際の正義感こそが無間の蜜。
その蜜の飢えは人を傷つける事でしか得られない。
無間のはじまり。
自己が傷ついたら他者を傷つけ、無間に存在する他者にまた傷つけられる。
無間以外の住人からの暖かい声も炎に映る。
ただその繰り返し。
一生を無間で彷徨うだけの人生。
いずれ、傷を負わぬと自己が実感できなくなる。
文字は発すれど会話など出来ぬ、傷の中で死ぬ世界。
人生に一切の気づきはない。
無間からの脱出は容易である。
剣を置くべし。
騎士をやめよ。
しかし置けぬ、やめれぬ。それが無間。
置かぬ、やめれぬから無間。
最後は独り。独りになった事も気づかぬ。憐れ。》
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なんか急に上から目線じゃない?
ずっとか。
敵か味方かなんて区別できるじゃん。
ぱっと見たらわかるじゃん。
これさー、あれでしょ?
わざと難しいこととか意味わかんない事をさ。
さもわかってる事みたいに言うあの感じでしょ?
わかんない人が悪い!みたいなさ。
たまにサディナもそうじゃないかって思った事ある。
どれくらいの時間が経ったかわからないけど、しばらく唸りながら見てた。
部屋の廊下から乱暴な足音。
うるさすぎない?
足音が近づいてくる。
「あっ!書いてあんじゃん。ドーゲン道場。うける。」
「こんにちは!ここって道場になったってホントですか!?」
明るい声。
入口に顔を向けると五人男が立っていた。
ひとりデカい。
太ってる。
「ほっ!そうです!入会希望?ほほほ!お強そうな人達!ほほほ!」
「そうでーす。」
ドーゲンが駆け寄った。
あたしは本に視線を落とす。
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【迷】
《迷わない世界を維持する心。
他者の中に生きる。
世界に呑まれた心。
他者が決めた価値を追い、他者が決めた嫌悪で歪む。
迷わない世界を維持する心こそがすでに迷い。
「じゃあこれ入会書!サインしてね~!ほほほ!ドミヌスメンバーなら無料!ほっほっ!」
うるさ。
真実と衝突すると時に渇、無間に移行する。
しかし自己には気づける。
世界に覆われた状態を知らなければ、それからの脱出を感じられないのだから。》
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迷わない世界を維持する心こそが迷いって言い回し、きっつ。
このテの話って毎回思うのよ。
どっちなの!!って。
なんかざわざわしたと思ったらドーゲンの呻き声がした。
顔を上げるとボコボコにされてた。
「リサちゃん!助けて!」
小さい円になって中心に向かって蹴り上げてる男達の中からドーゲンの声がした。
がんばれドーゲン!
あんた師範でしょ!
勝ったらその人達入会だよ!
あたしは本に視線を落とす。
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【渇】
《何をしても満たされない。
強さを追い求めるが本心ではない。
強さの本質からは程遠い、よって最も弱い位相。
手に入れた所でそれが強さだと気づけないのだから。
「ねぇ君、ここの道場の人じゃないの?あの人助けないの?」
一時的な味方は依存。
気に入らなければ明日の敵となる。
欲しいものから目を逸らし、欲しいものを追い続ける。
〝強さ〟の奴隷。
気づけるが、それに耐えられない者は無間に落ちていく。
古傷とする覚悟のある者だけが前に進む。
目を逸らし無間で一生を終えるのも当人からすれば幸福。》
+++++
本当に意味わかんない。
なんなの言ってる事が全然わかんない。
なんでこんなにちっともわかんないの?
一行もわかんないんだけど。
なんでこれが本になるの?
もやもやしてきた。
「ねえってば!無視しないでよ~!こっち見てよ~!かわいいじゃん!」
目の前に男が座ってる。
あたしは無視をした。
ドーゲンの呻き声は続く。
「おい!喋れよ!」
「あ」
本がはたかれる。
床に開かれた状態で落ちた。
立ち上がり本を拾いながら男を見る。
金髪の男がにやついている。
椅子に座り本に視線を落とす。
+++++
知らぬのではない。知ろうとせぬのだ。
ゆえに愚かなのだ。
知ろうとしなかった時の自「おい!こっち見ろって!」
テーブルに身を乗り出した男に本を奪われた。
「何?返してくんない?」
「無視すんじゃねーよ。」
鋭い目つきの男。
「返してくんない?」
「おい。」
別の男の声が横からした。
顔を向けると太ったでかい男だった。
「出てけよここから。」
冷たい目。
「サファは居て良いって言ってたよ。鍛えてくれって。鍛えるのはあそこのおじいちゃんだけど。」
体を動かして、でかい男越しに奥のドーゲンを見ると血まみれで横たわっていた。
動いてるから生きてはいる。
その周りに男が何人かいた。
「じゃあおまえが鍛えてくれよ。」
太った男は言った。
「やだよ。めんどくさいし。ねぇ、本返してよ。」
金髪の男に視線を移すとでかい男に髪を掴まれる。
「ちょっと!痛い!離して!なんで会話ができないの!?」
金髪の男は口笛を吹いていた。
むかつく。
「わかった!鍛えてあげるから!痛った!」
立ち上がって一発男の腹を殴る。
呻き声がした。
髪から手が離れる。
むかつくむかつく。
あたしはラグナロクを手に取って部屋の中央に向かう。
「ほら、来て。やろう。でも本当に今イライラしてるから手加減とか無理だから!」
むかつくむかつくむかつく。
太った男に言うとドーゲンの方にいた取り巻きの男達が集まってきた。
「やってやろうじゃねえか。」
やってやろうじゃねえかってそっちから言ってきたんでしょ?
ほんとに頭どうかしちゃってるんじゃないの?
なんで会話できないの?
むかつくむかつくむかつくむかつく。
「立ち会いますね~。あんまこういう事しちゃいけないんで。コロン達も知っててやってんすよね~?どうせ負けたほうがサファに泣きつくんだろうし。そういうのめんどいから立ち会いますよ~。リサとコロンね~。」
入口から声がした。
向くとシオンが立っていた。
太ったでかい人、コロンって言うんだ。
かわいい名前。
むかつくむかつくむかつくむかつくむかつく。
「もうどうでもいいから、そっちがやりたいならはやくやろうよ。鍛えてほしいんでしょ?すんごいイライラする。ルールは?」
コロンを見て言う。
「ルールなんていらねえ。」
手を前に出してる。
右腕に宝石のタトゥー。
そもそもなんでこの人怒ってんの?
むかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつく。
「じゃあどっちかが大怪我したらストップでいいっすね。俺止めますんで。」
シオンが口を挟む。
「なんかわかんないけどほんっっっとうにあたし最近イライラしてて、取り返しつかない怪我してもいいのね!?」
コロンに向かって叫ぶ。
周囲の男の茶化した声が聞こえた。
「やってみろよ。聞くって事はおまえも良いって事だよな。俺に負けたら出てけよ。」
「あたしそもそもドミヌス入ってないし。じゃあそっちが負けたらそっちがドミヌス出てってね。」
鼻で笑うコロンちゃんは丸腰だった。
鞘からラグナロクを抜いて構える。
「えっ!?なんも持たないの!?ほんとにいいの!?」
取り巻きの男たちがにやにやしてる。
「じゃあスタート~。」
シオンが雑に開始した。
〝つよくなれ〟を小声で発声して一気にコロンに踏み込む。
体の前で横に飛びながら振り下ろす。
左腕の肘から先が落ちた。
細長い木の花入れを落とした時?
大きい誕生日ケーキを落としちゃった時?
なんかそんなのが混ざった音がした。
「あっ!あらら~、終わり~!」
シオンが両手を振って叫びながらあたしとコロンの間に入ってきた。
すごい量の血が床に流れてってる。
くさい。
静まり返る室内。
「そこの金髪の人もやろうよ。むかつくんだよねあんた。」
金髪は青ざめて黙っている。
もやもやするいらいらする。
じゃあなんで絡んでくんの?
なんで何も言わないの?
ほんっっっっといらいらする。
「次は!?誰!?まだイライラする!あんたくる!?」
取り巻きに近づくとあたしから離れていく。
ほんとにさ、じゃあなんで絡んでくるの?
絡みたいから絡んできたんじゃなかったの?
コロンちゃんに近づく。
「お、おい!もう止めろ!」
取り巻きの一人が叫ぶ。
腕を抑えて膝をつくコロンちゃんの背中にラグナロクを擦り付ける。
洋服で剣に着いた血を拭いた。
「コロンちゃん、まだやる?」
黙ったままのコロンちゃん。
俯いてる。
くさい。
「もう終わり~!手当てして~!」
シオンが叫ぶとコロンちゃん達は部屋から出て行った。
「あの、あんま揉め事起こさないで下さいね。」
あたしは黙ってラグナロクを鞘に仕舞う。
元居た椅子に座った。
手を伸ばしてテーブルの端に置かれた本を取る。
なんで絡まれたのにあたしが悪いの?
意味わかんない。
なんで?
あっちが挑んだ勝負に負けただけじゃん。
意味わかんない。
くさい!
「リ、、、サ、、ちゃん、、、回、、、復し、、、て」
忘れてた。
適当に動けるくらいまで魔法で回復してあげてさっさと席に戻る。
さっき最後に開いてたページを探しているとドーゲンが座りながら話しかけてきた。
「リサちゃん、人を斬った事あるの?」
「ないけど、なんで?」
ドーゲンに見向きもせずに返す。
どこのページだっけ、なんか知らぬがどうたらこうたらって書いてあった気がする。
「なんでそんなに普通なの?」
ページを探す手が止まる。
テーブルをぼんやり見た。
たしかに。
言われてみればなんでだろ。
「わかんない。別に死んでないでしょ。」
本に視線を戻す。
「なんでわかるの?リサちゃん初めて会った時と全然違うね~。ほっほっほ。」
「わかんない。」
あたしは本をぱらぱらめくる。
「あの血はそのままにしとこ~。いい宣伝になりそう。ほほほ。まだオチ草持ってる?」
「あると思う。ねぇ、くさいから掃除してくんない?っていうかドーゲンの血もあるじゃん。」
「ワシ、ここが最後のチャンスだからやだ。ほほほ。まだ持ってるなら自分で掃除したらいい。ほほ。」
あった!
+++++
知らぬのではない。知ろうとせぬのだ。
ゆえに愚かなのだ。
知ろうとしなかった時の自分を振り返るのが怖いのだ。
ドーゲンの椅子の背もたれが軋む音がする。
うるさい。
愚かだと思うならば知るはずなのだ。
常にそこにある自己にさえ目を背けたくせに、人は自分ぶるのだ。
常にそこにある自己から目を背けた人間ほど、世界を看破した気でいるものだ。
ゆえに強さだけ求めるのだ。
弱さが強さとなる世界ならば弱さを求めるのだ。
「きっとたくさん入会者くるよ~。ほほ。サファも挑まれたら倒していいって言ってたし。ほっほっ。」
そうやって人は自分を強いと錯覚したまま死んでいくのだ。
人は檻に閉じ込められるのではない。自ら檻に入っていくのだ。
知らぬのではない。見ようとしていないのだ。
ゆえに何度でも、同じ檻に自分から入る。
憐れ。
+++++
意味わかんない。
弱さが強さとなる世界って何?
この人ほんっっっっっっっっとに頭おかしいんだと思う。
ほんとなんでこんな本が出回ってるの?
むかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつく。
自分とか心とか意味わかんない事ばっかり言ってバカにしてない?
檻って何?
なんで急に檻とか出てくんの?
ばっかみたい。
あたしは笑顔で本を勢いよく閉じてテーブルに叩きつけた。
ドーゲンが小さい悲鳴をあげていた。




