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第31話/初めてのデート/Limited_NAGI


「お待たせしました。勇者ナギ様。」


宿の一階にあるフリースペースに座ってぼんやり白身魚の事を考えていると髪を結んでないアネットが少し笑って話しかけてきた。

運よく周囲には誰もいなかった。


「なにその言い方。」


目を細くしている少年を見てナギのシャツを着たアネットは笑った。


「じゃあ行こう。」


「どこ行くの?」


アネットの後を追って宿から出る。

髪は自分で少し切ったのだろうか。

焦げていた部分はなくなっていた。


「髪を切って、洋服を買いに行きます。どっかいいとこ知ってる?」


「全然わかんない。洋服の店は中心街に何件かあったよ。」


「ナギ君は、そういうの調べといてくれないタイプなんだね。」


「アネットは、勇者〝様〟に調べさせるタイプなんだね。」


シャットダウンのその先に到達した弟子は強くなったのだ。

二人で噴き出しているとアネットが手を差し出してきた。


「手、つなぐんでしょ。デートって。」


「そうなの!?」


ジョージは一言もそんな事言っていなかった気がする。

ナギは困惑したが応じる事にする。

手を握ると優しく握り返してくれた。


「まだ誰も勇者って知られてない中で、私だけが独占してるみたいで世界に申し訳ないな。でもなんかぞくぞくする。私初めてかもこの感情。」


アネット、独特。

昨日までの自分なら師匠が放つ冗談めいたこの言葉に抵抗があったかもしれない。

色めいた師匠に少し幻滅していた可能性もある。

しかし師である前にアネットも一人の人間なのだ。

その場のノリで冗談くらいは言うだろう。

ナギはすんなり受け入れる事ができた。


「いいじゃん。独占しても別に。」


繋がれた手が少し強く握られた気がした。

冷静に放たれた発言に目を丸くするアネット。

にやつきながら言う。


「それ告白?独占してほしいって事?」


「違う違う!アネットって真面目だなって思って。僕、そんな事まで考えないからさ。特に世界の事なんて。」


「じゃあ今日はそういう配慮ナシでいこうかな。」


顎に手を当てて何かを考えながらアネットは言った。


「それがいいよ!不真面目なアネット見てみたい!」


笑いながら言うナギ。


「んー、じゃあわかった!けっこうやばいよ、私。」


何か結論を出したようなアネットは清々しい顔つきをナギに向けて言った。

ナギは何がやばいのかわからなかった。

しかし宿で合流した瞬間から明らかに特訓の時とは雰囲気が違う。

それを即座に感じ取ったナギは楽しみだった。

二人で冗談を言いながら中心街を歩いた。

どこから出たのかわからない大きめの塵が風で二人の前を横切った。





中心街のとある店の前でベンチに座って待つナギ。

アネットが髪を切っている。

目の前で通行人がレイルしている人間にすれ違いざまに怒鳴っていた。


(これ…もしかしたら…今日…その時が…〝来る〟…。)


ナギは目を瞑り、ジョージを思い出していた。

リヴェル村、少し曇る夜空の下での事。

ナギのお気に入りの池の前で木にもたれかかって少年と中年は座っていた。


「ナギ、ひとつ教えといてやる。今日のは絶対に役に立つ。」


「何?」


「女性が洋服を選んで〝どっちがいい〟と聞いてくる瞬間がおまえにも訪れる。必ず。もちろん、男性でも偶にあるから。聞いといて損はない。絶対。」


「うん、それサディナの家の〝なんかの物語〟でも見たことあるかも。」


「だろ?あれはな、現実でも盛大に起こりうる。」


「なんであんなの聞くの?好きな服着ればいいじゃん。決断できないの?」


「おまえ…死にたいのか…。じゃあやってみるぞ。」


ジョージはありったけの甘い声で〝ジョウ美〟に変身する。

〝黒のワンピースと紫のシャツ〟どちらがいいかナギに聞いた。


「好きな方を選んだらいいよ。」


ナギはクスクスと笑い〝ジョウ美〟を躊躇なく大きく振りかぶって両断した。

上半身と下半身が斜めに両断された〝ジョウ美〟がツボだったのか言葉を連ねてしまうナギ。


「どっちでも変わらな―――――」


〝ジョウ美〟に手で口を塞がれる。

ナギは呻いている。


「すまん、ナギ。今、俺はたしかに〝ジョウ美〟だったんだ。だから最後までその言葉を聞いていたらおまえの顔面をぶん殴るところだった。間に合ってよかった、危ない所だったもんで。暴力だけはいかん。」


「うん、いいよ。」


ナギは鈴を転がすように笑っていた。


「じゃあ正解を教えてよ。」


「少しは自分で考えろよ。あのな、ナギ、いいか?〝洋服を聞かれて洋服を答える男〟になるな。」


一呼吸溜めるジョージ。


「洋服を聞かれたら〝相手の素敵で応えろ〟。」


一瞬で笑いが停止し、興味のなさそうな顔になる少年。

明後日の方向に走り出そうとジョージから顔を逸らす。

肩を掴まれた。


「だめだ、逃げるな。聞くんだ。じゃあ〝ナギ子〟さんが〝黒のワンピースと紫のシャツ〟で迷ってるとしよう。」


「うん。」


少年は落ち葉を搔き集めだした。


「おい、落ち葉辞めろ。黒のワンピースならナギ子さんのミステリアスな魅力がさらに引き立つかもしれない。

紫のシャツなら、カジュアルで話しかけやすいかわいいナギ子さんの一面がもっと引き立つかも。これだ、どうだ?わかったか?」


少年は目を剥いてジョージを見つめた。


「洋服を聞かれていたのに…どっちの自分になりたいかを逆にこっちから聞いている…。」


「そうだ!」


ジョージはナギの肩を掴み正対させた。


「問いに答えようとするな!逆に〝応えはその瞬間に問い〟なんだ!だから…だから!日頃から相手をよく見て〝応える準備〟をしておくんだ!そのために生きろ!人と向き合うんだ!ちなみに、ちょっと我が強い系だったらミステリアスよりもアンニュイがいいぞ!」


「今のはよくわかんなかったけど、すごいやおじさん!」


「だろう。これは恋人だとか家族だとか関係ない。友人関係でも往々にしてその機会はある。

聞かれたから好意を持たれているとか持たれてないとかも関係ない。いちいち相手の気持ちを測るな。

聞かれたら応えるんだ!聞かれたら応える!お腹空いたらごはんを食べる!眠くなったらぐっすり眠る!聞かれたら応える!人生それだけでいい!その時に備え、人と向き合える男になれ、ナギ!」


「ちなみにこれ…ミスったら…。」


「死ぬ。もちろん命じゃない。相手の中でおまえとの関係性が死ぬ。まぁどっちでも同じだよな。」


少年は静かに目を閉じて、わかったように一度頷いた。

しかし怯えはない。

力強い夜だった。



「ナギ君、お待たせ。」


見た事のあるズボンにブーツ。

見慣れたシャツが視界の前に現れた。

肩が跳ねるナギ。

顔を上げる。

ショートカットのアネットがそこには立っていた。

頬が紅潮するナギ。

かわいかった。

いや、綺麗さも内包していた。

ナギの語彙ではそれ以上は無理だ。

全力で四つん這いの弟子を蹴り飛ばす師匠とはとても思えない。

常に自分を甘やかしてくれそうなほどの包容力。

かわいい、きれい。

フルーツ串の最後の一個をいつもくれそうな笑顔。


「き、かわいい…です…あの…きれい…も…ありゅます…。」


答えを尋ねられる前に応える。

ジョージでさえも実践できない事を少年は成し遂げた。

語彙は関係ない。

気持ちが伝わればいいのだ。

たしかに刺さったであろうその言葉。

合格と言わんばかりにアネットの顔は紅潮する。

照れて俯くナギは合否を知る由もなかった。


「ありがと。」


アネットは少し笑ってそう言うととナギの顔の前に手を出した。

二人は手を繋ぎ、洋服屋へと向かった。

レイルをしている女性が滑らかな着地をしたのが見えた。





手を繋いだまま洋服屋の棚を見るアネット。

いくらナギがシャットダウンのその先に到達したからと言っても緊張するものはするのだ。

手を繋いで洋服を見る、という行為になぜかナギはそわそわした。

手に汗が滲まないか緊張するとより汗が出てくる気がする。


「すいません、これ買うんで、もう着ちゃっていいですか?」


店員が快く了承する。

ちょっと待っててと、奥の部屋に消えていく〝ショートカットアネット〟。

頭が軽そうだ。

手の汗を自分のシャツで拭いて待っているとタイトな黒のインナーシャツを着て出てきた。

手にはナギのシャツを持っている。

雰囲気が一変した。

見惚れてしまった。


(…すごい格好いい。)


店内をうろつくアネットに意識を持っていかれる。

首を左右に振り、陳列されている洋服を窺っているようだ。

ナギのいる棚の向かいの列に到着すると声をかけてくる。


「私さ、デザインとか色よりも機能なんだよね。着易さっていうの?どうせ汚れるし。外套着ちゃうしさ。ナギ君のお勧めはどれ?」


ジョージの出る幕はなかった。

しかしそりゃそうなのである。

特訓の口癖が〝どっか骨折するくらいが丁度いいよ〟でお馴染みアネットである。

機能で選ぶのは当然だ。

想定よりも厄介な質問がナギに襲い掛かる。


「あ…う…あぁ…う…」


〝あうあう〟したナギを横目に我関せずで服を選ぶアネット。

二の腕までの七分のシャツを購入して早速着ていた。

呆れられたのか逃れたのかわからないナギもインナーシャツ、タイトな半袖、腰までの外套をひとつずつ購入した。

外套はアネットのマネをした。


〝あうあう〟と手を繋ぐ優しい師匠。

店を出る。

本日の目的は達成したのである。

日はまだ完全に登り切っていない。


「ナギ君、どっかお勧めのお店ある?なんか見て回ろうよ。」


すぐさまルントの道具屋が浮かぶ。


「知ってる!それなら知ってる!」


張り切る〝あうあう〟を見て師匠は少し笑う。


「普通でいいよ。」


張り切らないといけない空気感が時折あるのに〝普通でいい〟とは何事か。

混乱したナギは開き直って普通でいる事にした。

ルントの事を説明しながら道具屋に向かう。

色々良くしてくれている事や街の情報などをくれている事などを話した。


「しゃせー。おっナギじゃん!」


ナギに反応するのが早くなっていたルント。

アネットを見るなり一瞬目を開く。


「おいおい今日は彼女も!?すんごい可愛いじゃん!やるなナギ!」


流暢過ぎてツンツン頭の発言が本気度がわからない。

細い目で師匠だよと伝えた。

アネットは笑顔で自己紹介している。


「あの、魔力回復系が充実してるってナギ君から聞いたんですけど、どの辺にありますか?」


アネットは乱雑に物が置かれた店内を見回すが例によってルントは木の箱をカウンターに出してくれていた。

様々やりとりしている二人をそこそこにナギは商品に触れぬよう狭い店内をゆっくりと歩いてみる。

時折二人の笑い声やルントの営業トークが高らかに聞こえ、ナギは嬉しかった。


(僕が知ってる人同士が初対面で賑やかにしてるってなんかいいなあ。)


〝あうあう〟はほっこりした。

しかし、もちろん、ルントの道具屋ではあうあうしなかった。

アネットはフィンガーレスグローブとリキッドやフィルム、ブレスレットを買っていた。

ナギも少なくなっていたリキッド、フィルムをいくつか購入する。

三人で談笑した後、店を出る。


「ナギー!寄ってくれてありがとな!また来いよ~!アネットさんもまたね~!」


店の外まで見送ってくれたルントに手を振るナギ。

アネットは会釈をしていた。


「ルントさん凄い頭だったね。」


「うん。刺さると痛いよ。」


和やかな雰囲気の二人。

アネットから手を繋ぐ。


「とても親切な人だった。説明が戦う人の目線でいいね。あの人。」


「そうそう。僕詳しくないから頼りにしてる。」


「ナギ君の事なんかすごく心配してた。けっこう行ってるの?あのお店。」


「えっ心配?そうかな?今日で三回目だけど。」


「三回!?たったの!?」


ナギを見て目を丸くする。


「えっうん。」


「そう…。あ、ごはん食べにいこっか。」


アネットは何か少し考えている様子だったがすぐに顔が明るくなった。





中心街に伸びる大通りに面した店に入る。

店の前の外にある席で横並びになって昼食を摂る事にした二人。

稀にレイルで突っ込んでくる人がいると店員に言われたが、

良い思い出になるとアネットは気にしていない様子だった。

パルの衝突を間近で見たナギは少し気が気でなかった。


ナギは卵のサンドイッチ、サラダと白身魚・海老のフリット、オレンジジュースを注文した。

アネットはパンとサラダ、焼き魚の骨スープ、フルーツのオレンジを注文していた。


「アネット、昨日言ってたさ、エーテルシューズを履くと弱くなるってあれ何?うそ?」


サンドイッチを一口サイズに切りながら聞く。


「うそじゃないよ。失うものがあると思う。あっ煽ったのは嘘だから気にしないでね。」


アネットはスープを美味しそうに見つめながら冷ましている。


「うん。わかってるよ。失うものって何?」


「なんだと思う?考えてみて。失うものっていうか〝弱くなる要素〟?」


クイズとして返ってきた。

海老を口に放り込みながら考える。

横からおいし。と聞こえてきた。

アネットがスープに口をつけたのだろう。


「踏ん張れないから、戦闘向きではない。」


「それもある。でも不正解。」


うーんと唸りながら海老を摘まむ。


「広いところで戦えない。」


「まぁそれもあるかもだけど、別に地上を魔法で掴めばいいんじゃない?」


「あぁそうか。」


サラダを口に運ぶアネットの横顔を見る。

髪を切って別人みたいだ。

少しだけ緊張した。

中心街の方で叫び声がする。

誰か転倒したのだろう。


「正解はね、魔力が弱くなる。かも。」


「えっ!?魔力?それ大変じゃん。なんで?」


たまごサンドを少しだけ口に運ぶ。


「履き続けると魔力の〝外部化〟が起こると思う。」


「外部化?」


「うん。ナギ君って魔法使うときどんな感じで使ってる?」


たまごサンドを飲み込んで口を開く。


「手を翳して、そこに出来るもの、そこで起きる事?をイメージして声を出してる。なんとなく〝できろ~〟って念じてる時もあるけど。」


「そうだよね、イメージなんだよね。宿のキューさんにシューズを教わった時、早く動けってイメージした?」


「いや、してない。履けば勝手に進むから。」


「それって逆を言えば、履かないと進めない、滑れないってイメージにつながるよね。」


「そうだね。それがどう魔力低下につながるの?」


「ノードって、エーテルラインとの接続点って前話したじゃない?」


「アルセナの時ね。」


「えっ!そうそう、よく覚えてるね。嬉しい。」


ナギは白身魚を愛おしそうにカットし少しだけ口に入れる。


「人間自体に魔力が流れてるんだから、身体ってエーテルノードと一緒じゃないかなって思うの。成分とかじゃなくて、認識してる役割がね。どうやらミトハロにあるノードはブーストっていう別の役割もあるけど。身体もノードも役割としては媒介だし。そういう意味では同じだよね。」


「うんうん。」


「だからシューズ履くと、正しくは〝履きすぎると〟。そうなると、魔力が体内にあるって認識よりも、地中から流れているものをシューズで借りてるって認識になりやすいだろうなって予想。」


ナギは白目になる。

スープを飲みながら弟子を観察する師匠。


「ナギ君の〝こおれ〟のサイズを増幅する腕輪があったとしましょう。」


「うん。」


「腕輪を使わない時、〝こおれ〟のサイズが大きくなると思いますか?」


「思いませ…あ!思い込み?」


口に運ぼうとしていた海老のフリットを閃いた衝撃で落とす。


「そうそう。まあそんな感じ。腕輪を使った時とそうじゃない時をしっかり区別して鍛錬するならいいと思うんだけどね。腕輪だと思考の軌道修正はしやすいね。例としては微妙だったかも。そう考えるとシューズって怖い。」


「なんで?」


オレンジの皮を剥きながら師匠は説明する。


「すんごく気持ちいいから。履いて滑ると。使わなかった状態を〝不便〟って感じやすいと思う。早く滑るって尺度じゃなくて気持ちよく滑るってのが重視されてるみたいだし。履いた時とそうじゃない時で落差があり過ぎて履かなかった時の、素の自分を見つめにくいと思うよ。」


落としたオレンジの皮を拾いながらアネットは続ける。


「そうなると自分の体に魔力が流れてるって認識よりも、シューズを履いたら早くなる。って認識が強くなっちゃってシューズに意識がいっちゃうんじゃないかな?気持ちよさが癖になったらシューズはシューズ。魔力は魔力って認識を保ち続けるのって難しいと思う。」


「わかりそうでわからない。」


「私もわからなくなってきた。」


アネットはオレンジに夢中だった。


「つまり、履き続けると、そもそもの魔力の認識が変わっちゃうんじゃないかな?

〝高められるのが魔力〟じゃなくて〝魔力は地中にあるもの〟って意識が強くなりやすいんじゃない?って事だね。だからこの街の人は魔力自体が弱い人って多いと思う。勿体ないね。あっ私の予想ね。なーんか〝つかむ〟遅い気がするんだよね。ここの人。」


「今のはわかった。なるほどね~。オレンジ食べてどうぞ。」


「もう食べてるよ。」


「なんでシューズはすんごく気持ちいいって知ってるの?」


オレンジを口に放り込みながら中心街を指さすアネット。

ナギもそちらに顔を向ける。

指の先で人がぴょんぴょん飛んでいた。


「つまんなそうに飛んでる人、見た事ない。」


「うわぁ、そう言えばたしかに。僕あれ全然楽しさわかんないや。」


「私も。それよりナギ君、アルセナでちょっとだけ話した事なんてよく覚えてるね。ミトハロ着いてから毎日がすごい濃いはずなのに。師匠うれしいです。ほんとうれしい。」


アネットのパンを千切る手が止まっていた。

どこか弱々しい声に感じたナギ。


「うん、覚えてるよ。今思えば、一番最初にアルセナで会った時のアネットなんか面白かったなあ。勇者様~って。」


ナギは出会った初日のアネットの真似をする。


「千年ぶりでさぁ、情報もなくてさぁ、あんな仰々しいイベントみたいのして目立っててさぁ、

いきなり〝おーいそこの勇者~!おまえだよおまえー!探したよー!〟ってならないでしょ?」


ころころ笑うナギ。


「むかつく。」


ナギの白身魚を横からフォークで刺し口に放り込むアネット。

白身魚が容赦なくまるごと消失した。

お楽しみは全部師匠に食べられてしまった。


「あっ!それ最後にとっといたのに!」


細い目をして美味しそうに白身魚を頬張っている。

ナギはしゅんとしてそれを見つめる事しか出来ない。


「そんな顔で見ても意味ないよ。リサは面倒見いいかもしれないけどね、私は違うからね。心の位相を保つために日頃は冷静にいるだけだから。魔法教える時もわかりやすいといいなって考えてはいるけど、反復で自分の理解も深まるから丁寧に教えてるってのもあるからね。全然面倒見よくないから私。とことん反撃する。我慢よりも暴れたい方だし。」


特訓の時に違和感を感じていたフルスイングの蹴りのイメージと完全に一致した。

ナギの目が泳ぐ。

それを見て少し笑う師匠。


「魔法に対しては真摯に向き合いたいけど、デートでむかつく事言われて反撃しないわけないよ。」


「ご家族は、どのようなご構成ですか。」


話題を逸らすナギ。


「何その話し方。」


噴き出すアネット。


「お母さんのアズリット、お兄ちゃんのカズン、で私。お父さんのカンネルは死んじゃった。」


「そうなんだ。ごめん。」


「ううん、だいぶ前の事だから気にしないでいいよ。私、魔法と出会うまで活発過ぎてお兄ちゃんにだいぶ迷惑かけちゃってたから、面倒なんてみないタイプだよ。ナギ君は一人っ子でしょ?」


「うん、母さんはナエラ、父さんはキャスター。で、僕。」


「仲良かった?」


ナギは考え込む。


「うーーーん、どうなんだろ。別に喧嘩とかはしないけど。」


「話さないの?」


「話すよ。」


「じゃあ仲いいんじゃない?」


「うーーーーーーーん、仲が良いとはまた違う気もする。上手く言えないけどね。そういえばホームシック的なの、全然ないなぁ。気配がない。思い出して元気かなって思う時はあるけど。寂しくて家に帰りたいとかってのは来る気配がない。」


「まだ出発して三十日も経ってないでしょ?そのうち来るかもよ。」


アネットはスープを飲み干した。


「そうかもね。」


「ねぇ。ドーゲンミライ道場ってどこにあるの?」


「なんで?」


「食べたら腹ごなしに道場破り行こうよ。看板ぶっ壊しに行かない?」


サラダを口にするクールでキュートな横顔からは想像できない言葉だった。

アネットはにやりと笑っていた。





「うわ~、ボロボロだね~。」


言葉を選ばない師匠。

少し遠くにドーゲンミライ道場が見える。

早歩きのアネットを追うナギ。


「来る度にボロくなってる気がするんだよね。」


「そもそもドーゲンミライ道場ってネーミングセンス良くないと思う私。潰そ潰そ。」


アネットが笑顔で看板を指差しながら入口に近づいていく。

無邪気さにナギはぞっとした。


「すいませーん!たのもー!たのもー!」


道場の引き戸は鍵がかかっていた。

アネットは叫びながら殴打の強さで扉に拳を打ち付ける。

もはやノックではない。


(引き戸に補修された後がある。こんなのあったっけ…?)


「ねぇ、なんでさ〝たのもー〟ってこっちから頼んでるの?賭けに負けてお金払わないといけないのはアッチなんだから、向こうが〝支払い期日の延期頼もう〟じゃないの?」


「知らないよ。」


呆れるナギ。

肩で息をしたアネットが引き戸に手を翳す。


「〝もうれつ〟に〝こ――――」


「ちょっと待って待って待って!」


口を手で塞ぐ。

アネットは首を左右に動かしナギの手を振り払う。


「味方の発声中は危ないから触れないでって教えたよね?」


「こっちの壁に穴あいてるから!」


「はやく言ってよ。」


とにかく笑顔が怖すぎる。

建物の裏に回ると、大きな穴がそのままになっていた。


(やっぱりこの穴でかくなってるよな…。壁にもいくつか穴があいてるし…。こんなにあったっけ?っていうかなんで修理しないの?)


「すいませーーーん!誰かいますかーーー?入りますねーー!」


道場は静まり返っている。


「よし。」


(何が〝よし〟なんだ…。)


わくわくするね、と呟いてアネットは道場に足を踏み入れた。

床が軋む。

ナギもそれに続く。


「一日一善?…うわぁ~…私こういうの貼る人って無理…。」


正面に貼られた〝一日一善〟にアネットが反応する。


「わかるよ。」


なぜか声を潜めるナギ。


「アネット、幽霊が苦手って嘘でしょ。」


「ここ幽霊屋敷じゃないじゃん。怖がってくっついてほしいの?エッチだね。」


前を向いたアネットは興味なさそうに言った。

弟子はため息をつく。


二人が道場の真ん中ほどに進んだ時。

音が聞こえてきた。

建付けの悪い扉が微妙に開閉する時のような不快な音。


「黙って止まって。」


アネットの口調が一気に変わる。

ナギも足を止める。

腰のカランビットナイフに手をかけた。

手の先が冷たくなっていく。


音だけが残る。

建付けの悪い扉が微妙に開閉する時のような不快な音。

接続部分が劣化し軋んでいる水車が中途半端に回るような音。

潤滑油の切れた重量のある装置が無理やり回転させられるような。

ギィギィ、キィキィといった音だった。


「これさ、〝キノピッピ〟の鳴き声なんだよね、たぶん。」


正体を掴んだからか、さらっと言うアネット。


「キノピッピ?昨日言ってた?」


「弱いけど、目が赤くなって即死魔法唱えてくるからそうなったら即攻撃。発動は遅いから焦らない。大量にいたら一気に燃やす。サイズは小さくない。すぐわかる。愛嬌あるビジュアルに絶対に油断しない。」


「わかった。」


なんとわかりやすい最短ルートの注意喚起だろうと師に脱帽した。

思い出したように大きく呼吸をする。

アネットは顔を左右に振り周囲を見回している。

ギィギィ、キィキィといった音は、どこか少し遠くから、しかし近いような、歯痒い距離感。


「奥の部屋かも。」


〝一日一善〟が貼られている壁の右端、出入り口側すぐ近くに奥に続く部屋がある。

アネットが先に入る。

心臓の音が大きくなるのを感じた。


アネットが先に進む。

奥の部屋は左側に部屋が伸びていた。

木のテーブルが一つと椅子が二つ。

周囲には木刀、盾など特訓用の武器が散乱している。

本棚がひとつ、貼り紙がある壁とは逆の壁際にある。


〝善意の設計図〟〝疑念の消し方〟〝弱くても上手くいく!道場経営!〟〝沈黙はエンテ〟〝心の隙間の見つけ方〟〝きょうから使える!弱い自分を変える方法百選!〟〝意見を言う勇気〟といった本が乱雑に積まれている。


「ナギ見て。あれたぶん地下。」


本棚からアネットに視線を移す。

明らかに怪しい絨毯が部屋の奥に敷かれていた。

絨毯は汚れ切っているがその周囲だけは不気味なくらい整然としている。

ギィギィ、キィキィが近い。


「音も近い。僕後ろ見てる。」


「うん。」


ナギは後方を向きアネットと背中合わせになる。

入口を警戒した。

絨毯を捲る音が背中から聞こえてきた。


「あった。」


ナギも顔だけ向けると床下収納の蓋のようなものが顔を出す。

埃がなく、明らかに使われているようだ。

顔を戻す。


「入ってみよう。」


アネットがそう言うと何かの破砕音がした。

鍵を壊したのだろうか。

突如、ギィギィキィキィの音量が上がる。

師匠が一緒だからだろうか。

好奇心が警戒心に勝った。

ナギもアネットを向いた。


「ナイフ。」


前を向いたまま伸びてくるアネットの手がナギの胸にぶつかった。

手首を持って固定してやり、ナイフを手渡す。

太腿に差していた刀身が短いものをナギは抜いた。

梯子ではなく階段が伸びている。

天井は高くない。

アネットの頭がぎりぎりぶつからないかどうかという高さ。

階段を降りて少し前かがみのアネットが早口で言う。


「一匹。奥ね。」


ナギも降りていく。

奥を見ると、膝下サイズくらいのキノコがいる。

目を瞑って泣いていた。

大きなキノコに厚みのある楕円形のパンのような足が生え、短い手をぱたつかせ、足をもぞもぞ動かしている。

体のつくりはシンプルだ〝大きめの赤いカサ〟〝汚れが目立つ足〟それを土台に〝顔と手がある白んだ胴体〟。

足と体、体とカサの境目にロープ、鎖が巻き付けられている。

木材の壁に繋がれていた。

瞑った目からはたしかに涙が流れている。

ナギが小さい頃、砂にお絵かきをした時のようなシンプルな顔つき。

名前も相まって〝ピッピー!〟と鳴きそうな愛おしいフォルム。

ギィギィ、キィキィと不気味な鳴き声だった。


部屋の細部は他の魔物がいないか視線を送る程度だった。

様子を確認する余裕なく、初めて見るキノピッピから視線が外せない。


(これは…かわいすぎる…いや…かわいそうだ…。)


「同情しない。即死だよ。」


心を読んだようにアネットがナギの思考に楔を打つ。

深呼吸した。


(飼われてる…?)


そう思った時だった。

キノピッピの目がカッと見開き赤くなる。

口元も〝への字〟に曲がる。

怒っているように見えた。

師匠のおかげで怖くはない。

特に声や音もなかった。

アネットは近づき、冷静にカサを手で掴むとキノピッピの顔を壁に向けた。

カランビットナイフを突き刺し、数回左右に往復させる。


特に鳴き声などもなく、キノピッピはゆっくりと、力なく横になった。

カサを胴体から切断しその辺に放り投げるアネット。

青い血が滴った。


(アルセナでリサのラグナロクについていた液体と同じだ。リサは魔物と戦っていたんだ!気絶していた僕を魔物から守っていてくれたんだ…。)


「急いで出よう。」


アネットに目で合図される。


「うん。」


階段に向かいながら周囲を見渡す。

木材の壁の隙間に捻じ込まれるようにかけられた衣服や布が散乱していた。


(なんだこの部屋…。)


ナギの肌は粟立っていた。

階段を上り蓋をする。

二人で絨毯を整えて急いでその場を離れる。

外に出て道場を俯瞰すると不気味さが増しているように思えた。





「いやー!ドキドキしたね!驚いた~!なんでキノピッピが!」


中心街に向かって歩いていると屈託のない笑顔のアネットがナギを見る。

とても可愛かった。

直視できない。


「即死魔法の発動タイミングっていつなの?赤い目を見た時点で死亡確定?」


ナギは平静を装い、淡々と聞いた。


「赤い目になってからの詠唱?終了時にその場にいたら十回に一回か二回くらいの確率だったかな。

向こうが視認しているかどうかが重要なんだと思う。一回発動するとしばらくしないらしいよ。

なんで繋がれてたんだろう。

治安の悪い場所だと〝キノピッピルーレット〟とかって遊びもあるらしいの、それかなあ。」


(悪趣味…。ドーゲンとミライ君の二人でキノピッピルーレットって考えにくい。じゃああの洋服は?)


レイルといい、キノピッピルーレットといい、治安が悪い地域の遊びに全く共感できないナギ。


「ごめん、僕さ。さっきキノピッピ見てかわいそうって思っちゃった。」


「さすがにあれはそう思っちゃうのはわかる。ちょっと酷いね。」


腕の埃を払いながらアネットは続ける。


「キノピッピはたしかにかわいいけどさ、とはいえ即死は即死だからね。揺らがない方がいいのは勿論なんだけど。罪悪感を抱いちゃだめってわけでもない。この辺、バランスが難しいね。」


師匠モードのアネット。


「キノピッピ、絶対感情あるじゃん…。」


「ね。でもどっかのタイミングで人間から学んで進化しちゃった可能性もある。

感情に擬態しているだけかもしれないから。感情移入はしない方がいいね。」


「野宿で寝てるとこにぴょこぴょこ来たら一発でアウトじゃない?」


「それがね、キノピッピは基本的に人間を襲わないって言われてるの。人がいるエリアに近づかない。

普段は顔まで土に埋まってる事が多いらしいし。

抜いたりしたらさすがに襲ってくるけど。森の深くとかでやっと普通に歩いてるの見かける程度かな。

気性は荒くないはずなんだよね。ドーゲンミライ道場はもう近づかない方がいいかも。闇だ。」


「ジェル状の魔物とどっちが弱い?」


「ジェル状?なにそれ?私見た事も聞いた事もない。あ、手つなぎたいよね。ごめんね。師匠モードになっちゃった。」


揶揄うように笑うアネットはナギの手を取った。


「師匠、これどこに向かってるんですか。」


「バシナリー広場。ドミヌス潰しに行こ。」


食事を誘うような軽やかさで師匠は言った。

冗談だろうとナギは思ったが、真面目にも聞こえてしまうような爽やかな笑顔。


バシナリー広場に着くと白色に朱色が混じる縦長の四角いノードが変わらず異様な雰囲気を醸し出していた。

遠くから二人でノードを見ていたが、それよりもアネットはレイルをする人々を注視しているように見えた。


広場に来ても不思議と恐怖心や焦燥感がなかったナギ。

絡んできた〝さっちゃん〟と呼ばれていた女を探そうと広場を見ていたがいなかった。


しばらく眺めていると思い立ったようにアネットが膝を打つ。

ナギは左回りでアネットは右回り、片っ端から潰していこうと言い放つ。

笑顔で右回りに駆け出す師匠の手を引っ張り落ち着かせる。

自分が傍にいる時に弟子がやられたら私は出ていくタイプ。と息巻くアネット。

ついでに〝復讐というものを試しにしてみたい〟と言っていた。

そちらが本心だろう。

ナギはその発言にアネットらしさを感じた。

決着が必要なら自分でやると話してなんとか事なきを得たのだった。





日が傾いてきた頃、特訓をしている砂浜にきていた。

拳一つ分くらいの距離で二人は座った。


「楽しかった~!ありがとね。ナギ君はどうだった?」


アネットは足を投げ出して後ろに手をつきナギに声をかけた。


「僕も楽しかった。ありがとう。」


ナギは気になっていた事を聞く。


「あのさ、アネットの師匠って、どんな人?」


アネットは海を見ながら少し笑った。


「豪快な人。ものすごいオラオラ系だよ。賢者だったけど。」


「それってかなり凄い人なんじゃない?」


賢者がどういうものかわからないナギ。

なんかすごいイメージがした。


「だいぶ前の話だし、その頃魔王の復活なんて話なかったから、結構なあなあだったよ。賢者の称号、剥奪されちゃったし。」


アネットはくすりと笑った。


「剥奪とかあるの!?」


「うん。あるよ。賢者ってね、近くの国から認定されるものなの。ミレバルの場合は〝インサイディ王国〟その国のサポートを受けられる存在っていうか。師匠、なってみたけどあんま良いもんじゃないって。結局はその国の飼い犬だって普段から思ってたみたいで。」


「うん。」


「師匠もミレバルに住んでるんだけど、近所の仲が良いおばあちゃんが死ぬ前に一度でいいから賢者になりたいって師匠に言いだして。俺に任せろって賢者の認定試験を替え玉作戦してバレちゃって。」


アネットは話しながら笑いを堪えた。


「今のしくみはわからないけど、その時の認定試験って王国にある程度貢献しないと受ける事って出来なかったんだ。それを師匠が強引に推薦して実施したの。」


「替え玉作戦!?」


賢者の替え玉作戦。

聞きなれないエピソードに聞き入ってしまうナギ。

サディナ(村の占い師)の家にあったどんな物語よりも面白そうだった。


「そう。多人数の王国の騎士を一度に相手にする模擬戦で師匠が評議席からおばあちゃんの動きに合わせて魔法使ってたんだよね。掌を机の上に乗せてぱたぱた動かして小声で発動させてたみたい。うけるよね。おばあちゃん魔法使えないから、とりあえず手を翳しまくって誰も近寄らせない作戦だったみたい。」


笑いでアネットの声が震える。


「勝てそうだったんだけど、おばあちゃんに背後から飛び掛かった騎士がいてね。師匠が席を立って大声で魔法を唱えちゃったの。騎士のくせに背後から襲うなって怒りが抑えられなかったみたい。意味わかんないよね。試験始まる前から寿命で死にかけのババアに現役の騎士が背後からいくか?って時間が経っても怒ってるの見た事ある。」


話しながら耐えられずに笑い出すアネット。

笑い涙を流しながら軽そうに頭を揺すっていた。

ナギにはどこか懐かしんでいるようにも見えた。


「その後、王様の目の前で〝おばあちゃんが魔法を使えたら賢者〟って証明の場が設けられたんだけど。

そんな場に目もくれずに〝賢者になれるなら背骨の一本くらい差し出すわ〟って猿ぐつわを噛まされて項垂れてる師匠におばあちゃんが怒鳴り散らしてたらしくて、王様は頭抱えるしで混沌としてたんだって。」


アネットは呼吸を整えて笑いを落ち着ける。


「で、本当は大追放モノなんだけど、師匠に功績があり過ぎて王様も手放せなかったらしい。だから剥奪止まり。」


「すごい話だ。」


「〝プロフィッド・ティル〟って知ってる?セーフポイント発明した人だよ。」


「セーフポイント!?」


体をアネットに向ける。

セーフポイント。まさにそれはナギにとって〝お世話になっております〟である。


「うん。国ごとの力関係のバランスがあるから表ではどうなってるかわかんないけどね。一人で大量に作ってるよ。」


「一人で!?」


「そう、めちゃくちゃだよね。なんかできたからやるんだって。名前も本当は〝ティルハ〟だったんだけどなんか気持ち悪いって言って〝ティル〟って勝手に変えたみたい。」


「名前って変えられるの!?」


「わかんない!」


アネットは弟子の反応に爆笑していた。


「親からは絶縁されちゃったらしいんだけど〝たかが文字で切れる絆カミングアウトは逆に有難い〟って嫌味とか皮肉じゃなくて平静と言ってるから。この世の枠組みの外側にいるような人だよ。」


「本当にすごい人だ、僕なんてすぐに蹴飛ばされそう。」


「そんな事しないよ。ナギ君とは話が合うと思う。

枠組みの外って言っても他人を疎んだり排除するような人ではないからね。

周りの人からもすごく慕われてるよ。好き勝手やってて、今はお金もたくさん持っててさ、人より出来る事も多いのに全然妬まれないってすごいなって間近で見て思ってた。」


「全然イメージが固まらない。」


波に体を向ける弟子。

〝プロフィッド・ティル〟は強いから自由なのだとナギは思っていたが、そうではなさそうだった。

ナギからすれば師匠であるアネットも大概だった。

しかし、アネットとティル。

両者にはスケールの大小に関係なく考え方が自分と根本的に違うように思えた。

それぞれ独自の目線があるに違いない。

ナギはそう思い、話の終盤からずっと考えていた。


「じゃあ次は私の番ね。ナギ君さ、人、殺すの?」


柔らかい声から繰り出される殺伐とした質問にナギの思考は止まる。

ちょっと離れた砂浜に蟹がいた。

ナギは正直に答える事にする。


「昨日の特訓の時に言ったのは嘘。でも、ドミヌスに絡まれた時からたまに考えてる。

襲われた時に…〝襲われた時点で〟どうやって解決方法のバランスをとっていいのかわからない。」


「うん。それ難しいよね。」


アネットは少し小さい声で言った。


「アネットは人殺した事あるの?」


「ないよ。でも私もそういう時は来ると思う。握手の時ってさ、相手と手を繋ぎながら自分の心を見るでしょ?」


ナギは何故か少し安堵した。

ブローチ戦でスムーズに〝もうれつにこがせ〟を唱えていたのは練習の賜物だろう。


「うん。」


「握手だけじゃなくて、周りにする事、行動っていうの?それって自分の心が反映されたものだから。

考え続ける事が必要なんだと思う。相手を考える事が、自分の心を見る事にもなると思うから。」


ナギは小さく二回頷いた。


「これから世界で争い事が増えるって言われてるのは正しいと思うし。

魔王との争いも怖いけど〝魔王復活っていう出来事〟で不安になって焦ったり自暴自棄になった状態の人も同じくらい怖いと思うから。」


「魔法がよく使われるようになるから、争い事も多くなるってアルセナでアネット言ってたね。」


ナギは師匠の喜ぶ顔が見たかった。


「ほんとよく覚えてるね~!うれしいな。優良弟子だね。私よりも凄いよ。」


覚えていたのは偶々である。

師匠は微笑みながら続けた。


「これだって答え出すものでもないと思う。毎回立ち止まって考えるべきなんじゃない?これは師匠でもなんでもない。ナギ君と同じ目線での意見だね。争いが増えるって事は自分が争いたくなくてもそうなってる場合もあるだろうし。それにこの辺の地域って盗賊が多そうだから、悠長に考えてたら自分の人生が終わっちゃうかもしれない。それこそブローチみたいな事だってある。ほんと難しいよねこの問題。」


「うん、簡単であってもいけないとも思うけど、考える余裕もそんなにないと思う。ありがとう。考えてみるよ。」


「考えるべきなんだけど、考えても考えても答えがでてなくてもやらなきゃいけない時は来るから考え込みすぎないようにね。言ってる事、矛盾してるけど。」


ちょっと離れて歩いていた蟹は少し近くまで来ていた。

雰囲気を変えようとしてくれたのか、お互いの小さい頃の話、出身あるあるなどをアネットから振ってくれた。


ナギはアネットの事が今日一日で好きになった。

恋愛感情ではなく、師匠だからでもない。

人として更に大好きになった。

人生で一番楽しい日かもしれないと話しながらナギは考える。

勇者になってからこんな日が来るとは思っていなかった。



宿に戻るとアネットはリサを呼んできてほしいとナギに伝える。

三人で宿のフリースペースに腰掛ける。


アネットは、その場でパーティの離脱を二人に告げたのだった。



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