第116話/つい、ババアと呼んでしまった時/Limited_NAGI
ブローチは目を細くして、漂っている蝶を目で追っていた。
ゴビポップの名を呼ぶと、リサを顎で差す。
途端に、蝶が道場を埋め尽くす程、大きな犬になる。
ナギは再び目を丸くして身構える。
ゴビポップが大きな口を開けてリサを飲み込んだ。
リサの悲鳴が一瞬聞こえたが、すぐに音は小さくなり消えていった。
犬は口をもごもごと動かしていたが、やがてえずきだす。
胃が痙攣しているのか、苦しそうに顔を下に向けて小さく震えている。
しばらくすると、大きく開けた口から、ずるりとリサが出てくる。
下半身が治っていた。
ナギは目を逸らす。
リサのむせている声だけが視界の外から聞こえる。
「ナギに感謝しなよ、リサ。こいつに頼まれなかったら治してなんかないからね。さすがに洋服まで再生は無理。自分でなんとかして。」
十代の女のブローチは、ポニーテールを揺らしてくすくす笑っていた。
ナギは否定しようか迷ったが、口を開いてもどうせ〝だまれ〟だろうと諦めた。
ゴビポップに視線を向ける。
天井に頭が届きそうな犬だ。
前回はさらに大きかった気がする。
とても怖かったが、何故か今は怖くない。
つぶらな瞳のゴビポップは、時折目を瞑り、前足で口元を拭っていた。
後ろ足の近くに、少し大きなカナブンがひっくりかえっていた。
ブローチのしゃがれた声に顔を上げる。
「ナギィ!今日は今日。明日は明日。アタシ達ゃぁ、仲間じゃねえ。わかるよなあ。」
ナギは老婆を見て頷いた。
奥の部屋に入っていくリサの後ろ姿が見えた。
悲鳴が聞こえる。
「だが!さらにさらにさらに大大大サービスだ!おまえ、死にたくなったらいつでも呼べ!殺してやる。あと、そこのウジ虫も殺したくなったら言え。いつでも呼ばれてやる。ひひひ。」
ブローチは奥の部屋に入っていったリサを見た。
ナギは舌打ちをする。
口を開こうとしたが遮られた。
「おっと、今日はダメだ。ははは!今日はお前達、どちらも殺さない。」
ほくそ笑んでいるブローチと視線を絡める。
涙目のリサが奥の部屋から出てきた。
ズボンを履いている。
「千年生きた魔女を舐めんなよ。大体の感情は経験してるぜ。」
リサとナギを交互に見てそう言った。
言い終わるとオーバーオールの男になった。
「五千万エンテなんて大金!よっぽどの貴族でも持ってるか怪しいぜ。しばらく遊べよ。ナギ。疲れたろ。ミトハロ。めんどくせーんだよな。この街。」
不敵に笑っている。
ナギは反応しなかった。
ブローチは思い出したように低い声で付け加えた。
「ああ、あと、ババアって言ったらほんとに殺すからな。気をつけろ。千年も生きてるとよ。そういうシンプルなやつが一番頭にクる時があんだよ。」
ゴビポップが通常サイズの犬になった。
傍にしゃがみ、砂を払ってあげているブローチ。
白いワンピースの長髪の少女に変化して尋ねる。
「そういえばお兄ちゃん。ゴビポップが噛みついてた、ゴーグルのおじちゃんの、アジトどこ?」
ダーガの事だろう。
「ここから北東。中心街の西大通、露店街を少し行った所。」
端的に答えた。
言い加える。
「一階が広い飲食店みたいな、三階建ての木の建物。三階一番奥が、そいつの部屋だと思う。」
「有~能~。」
淡々とそう言った。
少女はナギとリサに一瞥もくれず、壁に開いた穴に歩き出した。
「そういえば。」そう呟いて、思い出したようにブローチが立ち止まる。
ナギに顔を向けて尋ねた。
「緑の髪の女はどうしたの?」
ナギは黙っているとブローチが目を丸くさせた。
「えっ死んだの?ミトハロで!?」
あまりにも声を張ってきたので、ナギはつい首を横に振る。
何かを察した様子で、呆れた表情のブローチが言う。
「弱くてやる気がないなら、さっさといなくなった方がいいんだけどさ。」
その言葉に、ナギの目つきが鋭くなる。
「強くてもここまで頭がおかしいと、居てもらっても困るよね~。」
壁に右足の裏をつけ、刺さっているラグナロクの柄に両手をかけているリサに顔を向けて失笑していた。
壁から剣が抜ける。
その反動でリサがよろけていた。
「頭が少しだけ良いけど心が弱い仲間。戦いが強いけど、ぶっ壊れるまで剣を振るう女。頭が悪い〝から〟ぶっ壊れるまで戦うのかな?」
ブローチは少女のまま、楽しそうに笑った。
ナギを見ずに、手をひらひらとだけ振り穴に向かって歩く。
「まともな仲間が出来るといいね。なんていうの?ぶっ壊れずに、仲間を続けてくれるような。バランスのいい人間と巡り合えるといいね。」
穴の開いた壁に手をかけると、ナギに顔だけ向け、付け加える。
「ちなみに、これ全部〝現実〟だから。まあ何人死んでも別にいいよね。どうせさ、これからたくさん死ぬし。」
それを聞いた瞬間、一瞬ふっと頭が熱くなった。
「おい、ババア。」
気づけばそう、言い放っていた。
真顔で固まるブローチの横顔が見えた。
太腿のカバーにあるナイフに手をかけ、脹脛に力を込める。
犬の状態のゴビポップに、どことなく見られている気がした。




