第114話/バケモノ VS 魔女(1)/Limited_NAGI
かろうじて壁に寄りかかっている、下半身のないリサに近づくブローチ。
〝ずっとうごくな〟そう声に出す。
老婆の姿で見下ろしながら口を開く。
「別人みたいだねえ。おまえもそう思うだろ、ナギ。」
ナギは視線をリサに固定したまま頷いた。
目つきが全く違う。
吊り上がり、常に怒っているような。余裕がないような。
パツンパツンで破裂しそう。そんな印象だ。
腕組みをしながら見下ろしているブローチは気持ち悪がっていた。
「キツネに取り憑かれるなんて大昔は言ったけどね。最悪の人相だ。見たくもないね。気持ち悪い。」
その内、心配そうな顔つきでナギに言った。
「ナギ。こいつ助けるかい?腐っても勇者だ。一緒に旅はした方がいいんじゃないかい?」
ナギは冷ややかな顔つきで返す。
「いや…もう別にいい。どうでもいい。僕は一人で旅をするから。助けないでいい。殺してもいい。好きにして。」
言いながら目を切ると、床に視線を這わせた。
ナギが話し始める瞬間、たしかにブローチは、底意地の悪そうな笑顔で〝リサはきくな〟。そう口にしていた。
しまった。甘かった。言い終わった後にそう思い、視線を戻す。
リサが目を見開いている。音が消えたのだろう。
目の前にいるのは宿屋の店員でも、干しフルーツ屋さんでもない。魔女なのだ。
〝逆〟を答えるべきだった。
〝ナギはだまれ〟ブローチが言った瞬間、声が出なくなる。
〝リサはきけ〟そう言うと、少女になって話し始める。
「お姉ちゃん。ミトハロでは失敗しちゃったね。やらかしちゃった。でもね、お兄ちゃんはお姉ちゃんが必要なんだって。一緒に旅をしたいって。だから、治してあげるってさ。今ね、アタシ頼まれたの。よかったね。」
腰の後ろで手を組み、ふらふらとリサの周りを歩きながら、少女のブローチは言った。
不気味な程、優しい声だった。
少女は続ける。
「普段はね、こういう事してないんだよ、お姉ちゃん。わかるでしょ?アタシ、味方じゃないもの。でもね、ずっと探してた、っていうか殺しそこなったミラにも会えて、鬱陶しいノードも破壊してくれて。探してた人間も見つかって。さすがにアタシ、今日機嫌良いの。」
目に涙を浮かべているリサと目が合った。
ナギは目を逸らす。
「アタシが機嫌悪いって事にして、お姉ちゃんとお兄ちゃんをね、二人とも殺しちゃうのもいいんだけど。千年も生きてるとさ、楽しいって心から感じる日がレアなんだ。だから正直に生きたいの。だから今日はお兄ちゃんに従いたいの。」
少女が話しながら、徐々に老婆に変わる。
「お兄ちゃんの事は、けっこう好きかも。あっ今日限定だけどなぁあ。リサぁ、おまえの事は、大嫌いだ。ゴミ。ウジ虫。ミトハロで死んだ方がよかったなあ。おまえさん。」
言い終わる頃には完全に老婆になる。
膝を曲げ、リサの髪の毛を掴む。
顔を近づけて、さらに言い放つ。
「嫌いついでに呪いをかけてやる。」
肌がびりびりとした。
リサの肩が跳ね、目が見開く。
ブローチから、ひひひと嬉しそうな笑い声がした。
「おい!ナギ!こいつが裏切ったのは!〝成長〟のせいじゃないさあ!ぎぃひっぃ!ひっひひひ!」
ナギを向いて言った。
思わず身構えてしまった。
髪の毛を乱暴に放されたリサは壁に頭をぶつけている。
ブローチは、リサが成長している事を知っていた。
「なんかの物語で出てきそうな魅惑みてえな魔法でもない!ミラだってそんな魔法使えやしない!いい機会だ!教えてやろう!この世に魅惑みてえな、他人を操作をする魔法はねえ!何が言いたいかって?こいつは!リサは!自分の意志でおまえを裏切ったのさ!ナギ!っひっひひひっひ!」
ブローチが立ち上がり、手を翳す。
ラグナロクが掌に飛び込んだ。
言葉は終わらない。
「ミラが魔女だって事実よりも、こいつが人間だって事実の方が驚きだ!イヤだよなあ!ナギ!くっひっ!ひひ!」
それはたしかに。ナギは頷いた。
ブローチは十代くらいの女に変化し、ラグナロクを床に突き刺した。
「〝戻してあげる〟よ。普通の人間が一生かかっても気づけるかどうかわからないものに、気づけるかもよ。ラッキーだね。アタシだから出来るんだ。また一緒に、ナギと旅が出来るよ。戻る事が果たして幸せかはわかんないけど。どうだろうねえ。ひっひひひっひっ。」
リサを見下ろしてそう言っていたが、どちらに話しかけているのかわからない。
親近感の湧くような、聞き取りやすい若い女の声。
しかし、笑い方はたしかにブローチだった。
ナギは立ちすくんでそれを見ていた。
「ねぇ。リサ。あんたこれからどうしようって思ってるでしょ。ミラも死んで〝仲間っぽい味方〟も、アタシに殺されちゃったし。」
奥の部屋にちらりと顔を向ける。
リサを向き直して再び口を開く。
「簡単な事だよ。ナギについていけばいいんだ。よく考えてみて。こいつは独りでミトハロをぶっこわしちゃう奴だ。ミトハロだけじゃない。ノードがダメになったって事はこの辺一帯の流通が死んだって事なんだ。」
ブローチは噴き出した。
膝を曲げながらリサに目線を合わせ、咳ばらいをして続ける。
「将来、ナギはとんでもない事をやるかもしれない。あんた、妻になったら一生楽しく幸せで、満たされて、居場所もしっかり守ってくれて、朝から夜まで気持ち良い人生になるに違いない。仮にあいつが魔王になっても、今ここであんたの回復をアタシに頼んでくるくらいだ。あんたの中での使える武器を片っ端から使って。尽くして。気に入られて、あいつに良い思いさせておけば。あんただけは守ってくれると思うけどね。」
ブローチは血と砂にまみれたリサの頬を撫でている。
もう片方の手を、シャツの裾から中に入れ、胸に這わせている。
ブローチの指の動きが、なんとなくシャツ越しにわかった。
リサは顔をしかめた。
裾がめくれた。
回復出来たとは言え、痛々しい傷口が見えた。
胸を揉みながらブローチは優しく言う。
「こんなすごい奴から頼りにされてみなよ。気持ちいいよきっと。貴方もこの世界で特別になれるかもしれない。いや、もうそれは無理か。じゃあ。貴方がナギの特別になればいい。そういうの好きでしょ?アイツを虜にしちゃいなよ。骨抜きにしちゃいな。こんないい体持ってるなら簡単だよ。」
喉に力を入れるように、口をパクパクさせていると、あっおっ。と声が出た。
ナギは即座に口を挟む。
「僕は、リサの事、死ねばいいと思っt」
「〝だまれ〟」
低い声がしたかと思うと、ナギの声が再び世界から消える。
ブローチに見られていないのに、魔法が発動した。
(やっぱりこいつ、相手を見ないでも発動できるんだ。)
羽音を立てて周りを飛び回っている虫がいる。
蜂かと思い、身を捩る。
よく見るとカナブンだった。
ゴビポップだろうか。
つい、はたいてしまいそうだった。
「今回、ナギの周りにたくさん人がいたでしょう?いっつも誰かがナギの話をしていたでしょう?ナギがいる場所にナギがいるって感じだったでしょう。」
リサの顔が曇り、床を見た。
ブローチがシャツから手を抜く。
少女に変わりながら言う。
「くくっくっ。図星なんだねお姉ちゃん。これからもお兄ちゃんの周りには人が増え続けるよ。一緒にいても油断したらお姉ちゃんが一人になっちゃう。怖いよ。一人は。〝コッチ側〟に来ても、誰とも繋がってる感じしなかったでしょ?」
道場を横断している穴を指差して言った。
「むしろ〝コッチ側〟に来れば来るほど、もっと独りを感じたはず。それすらもわからずにもやもやしてたでしょ?お姉ちゃん。怖いよね。独りって。悩みも相談できないし、笑い合う事も出来ない。楽しいはずなのに一日疲れるし、逃げようにも満たし方がわかんないもんね。そういう時って、繋がっているようで誰とも繋がれないもんねえ。笑い合う事は出来ても、相談する事は出来ても。〝自分は独りじゃない〟って言い聞かせないと不安で眠れないものね。だからその内、笑っても虚しくなってくる。」
床の一点を見つめているリサの顔を覗き込み、少女が続ける。
「それが怖かった〝から〟。ナギを信じられなくて、あの線からコッチ側にいたんでしょ?だから大勢いる方にお姉ちゃんは流れるんでしょ?大勢を作ろうとするんでしょ?でも結果はどう?リサ。あなたの周りにはどうでもいい頭数ばかり。あなたを見てるようで、あなたをわかってるようで、自分の欲求も分からない奴らばっかりだったじゃない。」
リサの頭を撫でたかと思うと、肘が触れる距離で横に座る。
自分よりも年下の少女が、だいぶ年上のリサの頭を撫ででいる様子は、なんだか少し怖かった。
肌が泡立っているのを感じていると、リサに話しかけるブローチと目が合った。
「もう、お兄ちゃんの傍しかないでしょ。別に洗脳してるつもりはないよ。この世に魅惑はないって言ったでしょ?あなたが決めるの。お姉ちゃん。知ってる?実は有能なんだよ?お兄ちゃんは。周りが、周りの物差しで。勝手に舐めてるだけ。お兄ちゃんは実は強いんだ。」
ブローチから下卑た笑顔が見えた。
リサは床を見つめていて気づいていない。
「お姉ちゃんの分からない事とか、たくさんわかってた…、知ってたでしょ?お姉ちゃんは多分、全然話についていけなかったと思うけど…。アタシは今回お兄ちゃんに従ってんだよ?アタシがだよ!?前回もさ、お兄ちゃんはなんもしてないのに、お姉ちゃん達、全員生きてるでしょ?お姉ちゃんと、緑の髪のお姉ちゃんは、バカにしたかもしんないけどさ、お兄ちゃんが一番アタシと会話してるんだよ。お兄ちゃんはすごいんだ。」
要領を得ないリサの表情に、ブローチは視線を上げて少し考える。
「んー、こう言ったら一発かな?」
老婆になった。
「緑の髪はたぶん気づいてたよ。こいつはすげえ奴だって。」
床に視線を這わせているリサの目が見開かれる。
ブローチはそれを見逃さなった。
顔が明るくなると、ナギを向いて叫んだ。
「ははは!ナギィ!そういう事か!さすがにそこまでは!おまえじゃわかんねえよなあ!ナギ!呪いを追加してやるよ!」
素早く隣に座るリサを向く。
頭を魔物の手で掴み、ぐりんと強引に向かせ、目を合わせた。
「リサ。今回の件、おまえが全部悪い。おまえのせいだ。これからナギが苦しむのは。こいつは一人で苦しんで苦しんで。全部背負い込んだ。おまえは考えられるか?ひとつの町を丸ごと相手にしたんだぜ?これからはウエスタール大陸丸ごと相手にするかもだぜ。」
嬉しそうに笑って言った。
リサが視線を逸らす。
「おまえにはできるか?一つの街を相手にするなんて、なかなか出来るもんじゃない。それをあいつは、やったんだよ。苦しみ、焦り、不安、絶望、寂しさ、無力感、怒り、他になんかあるか?まあいいや。全部あいつが引き受けたんだ。多分こいつ友達も殺してるぜ。」
口を挟もうとしたが声が出ない。
「おまえのせいなんだよリサ。こいつが、あの喚いてたクソガキが、今飄々としてるのが奇跡なんだ。あいつは意外と強かったんだ。でも、これからもそうだとは限らない。人はいつか壊れるもんだ。そん時は、おまえのせいだ。リサ。」
虚ろな顔つきになったリサの口が動きかけたのを見て、魔物の手が人間の手に変わる。
髪の毛を鷲掴みにした。
歪んだ顔のリサと無理やり視線を合わせるブローチ。
「あたしはなんもしてないだって?リサ。いつまで甘えてんだ。噛み殺すぞ。〝なんもしなかったから〟あんたのせいなんだ。」
髪の毛を投げ放す。
リサの後頭部が激しく壁にぶつかり、険しい顔になった。
「まだわかんないフリをするんだねえ。」
ブローチがリサの目の前に移動すると、頬を撫でる。
「そこまで気づかないフリするなら、ミラと一緒に逃げときゃよかったなあ。おまえどうせ、ミラ。いや、サファか。あいつを選んだんだろ?ナギは声かけてくれてたろ?その上でサファを選んだ。全部ナギに押し付けて。心の中で思ったろ?ナギが死んでくれたらよかったのにって。」
くっくっくとブローチは笑った。
「ごちゃごちゃした戦いの中で居なくなってくれたら楽だもんな。気づけるかもしれないって可能性を排除できるもんなあ。気づけなくても仕方ない。ナギは死んじゃったんだから。そう思える事が出来れば楽だったなあ。ナギには黙っていなくなられた方がよかったよなあ。考えないでいいんだから。」
リサの顔が険しくなり、ブローチの瞼がぴくりとした。
「問題は緑の髪だ。あいつが消えてもモヤモヤは消えなかったろ?なんでだろうな?おまえ自身はそれに気づいてるのか?緑の髪は、居なくなったから厄介なのさ。」
リサの顔がどんどん険しくなる。
「その様子だとわかってねえなあ。じゃあ、その分の感情はナギに向かったんだな。消えてくれたら楽になったのにって、より一層思ったはずだ。なんも考えなくていいもんな。なんも向き合わなくていいもんな。サファと旅したら楽だったのにってお前は思った。〝半ば無理やり〟一緒に居させられたとか、意味わかんねえ言葉作り出すなよ?半ば無理やりってなんだい。〝お ま え が〟コッチ側にいる事を承諾したんだろ?コッチ側にいる自分を許したんだろ?」
憎悪が広がるように、ブローチの目が剥かれていく。
リサの顔がさらに歪む。
頬からは血が滴っていた。
ブローチの指が頬に食い込んでいる。
「ナギと二人で逃げられるチャンスなんて、あいつがアタシを呼ぶまでに星の数ほどあった。おまえも自分の強さ、わかってるだろ?ミトハロの人間程度だったら余裕だろう。でもそれをしなかった。サファといる方が楽だもんな。サファと一緒に旅をして、ナギも一緒に来れたら、その辺であんなガキ殺しちまえばいいもんな。」
頬から肩の上に手を移動させて言った。
笑いを堪えているのか、震えている気がする。
「サファとかその取り巻きに殺してもらってよ、おまえは見て見ぬフリすればいいんだ。それで。周りがやりました。サファがやりました。サファを信じてたのに!って言ってりゃおまえ被害者だもんな。ほんとラクだよな言い張る被害者ってよ!ほんとの被害者は辛いけど、被害者ですって言い張ってるかどうかなんて他人に区別つかないしな。言い張ったもん勝ちだ。そうやって独りになってくんだけどな。二度と自分には成れない。生きてるが、人生終わりだ。クックッ!ハハ!世界が勝手に動きましたっつってりゃ悩まなくていいもんな。言い張ってる被害者ってよ。加害者と区別つかねえよな。」
血だらけのリサの顔。
その中を、色の違う赤色が頬をつたっている。
今流れた血だけが、まだ鮮やかだった。
顔に残っていた血は、少し前に負った傷から流れたもののようだ。
閃いたように言うブローチの声で意識が戻る。
「ああ、逆もあったか。」
老婆のまま付け加える。
肩に力を込められているのか、リサの顔が少し歪んだ。
「ナギが悪いんだ!って言えば良いもんな!はっはっは!ナギのせいにしちまえばいい!会話が通じるかどうかなんて関係ないんだった!むしろ自分が叫んで周りが殺しちまえば良い!そうやって生きればラクだ!もう目の前に現れないでくれって、心の奥底で思ってたろ?だから〝コッチ側〟にいるんだろ?」
道場を横断している穴を、片手で雑になぞって言った。
「アッチ側に行くなんて、怖くて考えられないよな。怖くて体を動かせなかったろ?で、体が勝手に、コッチ側に動いたろ?」
少しリサから離れ、穴の下にある地下を覗くブローチ。ぽつりと言う。
「もしかして、もうナギに斬りかかったかい?殺そうとしたか?」
みるみる内にリサの表情が曇る。
ブローチは視線を戻すと、その様子に気づき、にやりと笑った。




