第112話/帰らない女/Limited_NAGI
「おいクソガキ。なぜ怯えない。」
相変わらずのしゃがれた声。
目を剥いたブローチがにやついて言った。
収まらないのか、さらに疑問を口にする。
「おまえから呼んだんだ。ある程度冷静なのはわかる。〝にしても〟だ。ミトハロで何があった。別人じゃないか。顔つきも。」
面白がっているようにも見えた。
額にかかった前髪を指で分けながら、にやりと老婆の姿で笑う。
かと思えば、顎を上げ、目を細めてくる。
〝道端の老婆〟とは全く違う。
返事を間違えたらいつでも殺されそうな笑顔。
「別に、なんもないよ。」
所詮は人間同士のいざこざだ。魔女には関係ない。
一部の魔女が紛れ込んでいたようだったけど…。赤と青の血だまりを見ながらそう思った。
(抗争中のサファの血は、たしかに赤だった。)
ナギは冷静だった。
「そういうとこなんだよ、アタシが不思議なのは。話し方も変わりやがって。なぜ、落ち着いてる。声すら上ずらないなんて寂しいじゃないか。」
眉を上げ、「おっと。」と付け加える。
笑みが消え、しゃがれた声の威圧感が増した。
「怖がってほしいわけじゃない。でもな。気になるだろう。こんなに楽しいアタシの今日。そんな日に抱く好奇心を抑えるなんて酷だろ?」
ブローチの体の輪郭が数回歪むと、剣を鞘にしまう時のような短く高い音と同時に消える。
近くに現れていた。
ゴビポップが猫の姿で跳ね、足元に近寄ってきている。
老婆がラグナロクを床に強く刺し、顔を覗きこんできた。
「自分の事、勇者じゃないって叫んでから、まだ四十日くらいしか経ってないんじゃないのかい。なになに?その目つき。ぞくぞくしちゃう。」
言っている最中に、老婆から若い女に変化した。
裾の長い、白くきめ細かな襟のないシャツ。
裾は膝の少し上まであり、生足が伸びていた。
探るような視線で顔を見られている。
女の指が顎に触れた。目を逸らす。
「ミトハロなんかで何を体験したらそうなるの。アタシに教えてごらん。あっちの反応が正常だと思うけどね。」
困惑と焦りを行ったり来たりしている、落ち着きのない表情のリサをちらりと見てブローチは言った。
「あれから頭の中で、殺された日の事を思い出してただけ。だから会うのが二回目って感じじゃないんだよ。」
顎に触れる指から顔を遠ざけてそう言った時、すでに若い女はいなくなっていた。
髪の長い少女が、床で笑い転げている。
赤い波紋が点々と動いている不気味な白いワンピースを着ている。
砂まみれになるのもお構いなし。楽しそうだ。
「うーわははは!アタシの事考えてたの!?お兄ちゃん!エッチ過ぎる!一日や二日じゃないでしょ!?その感じだと!」
笑い転げる少女の輪郭が数度、瞬間的に横へ乱れる。
直後の高い音と同時に消える。
かと思えば、老婆の声が横から聞こえる。
「嬉しいねえ。想われちまったかい。そういう事なら納得だ。そういうの恥ずかしい年頃なのによく言えたもんだ。」
言い終わりに、ひっひっひと笑っていた。
言わなきゃ殺すでしょ。そう思った。
周囲にかけた〝だまれ〟が解けたのか。
いくつか声が聞こえる。
リサとマヤのナギを呼ぶ声が聞こえる。
なぜ呼ばれているのかは全く分からない。
ミカが言葉にならない言葉を出して後ずさりしている。
ドーゲンはサファの血だまりの前で膝をつき、愕然としている。
アエスはマヤの近くで、困惑した表情で立ち尽くしていた。
「勇者が魔女と手を組んでんのかよ。いいのかよそれ。」
ダーガがたしかにそう言った。
開き直っているような顔つきだった。
「配達員が強盗をして、いいのかい?どっちがバンディアかわからないねえ。まあそんなのは、どっちにでもなるわなあ。」
老婆のブローチが卑しく笑って言った。
ダーガが舌打ちした。
「いつの時代も変わらないねえ!ウジ虫達!今日アタシはここ数百年で一番機嫌が良い。話しかけてやろう。」
道場を横切るように開いた穴に沿って歩くブローチ。
向こう側にいる人間達を一人ずつにやにや笑いながら見る。
「大体、いっつも人数なんだよなあ。相手よりも大人数で固める。それが立ち行かなくなると、やれ〝反則〟だの。やれ〝モラル〟だの。挙句の果てには〝不謹慎〟とかねえ。意味の分からない〝そもそも論〟でわかった気になりやがる。自分の方が正しい感、出しやがる。それぞれの人生なのにねえ。」
髪をかき上げると、ブローチは男になった。
短髪、ハーフパンツ、サンダル。派手な柄のシャツを着ている。
金髪。毛先がくるくる巻いた髪型。
「〝みんなといっしょ〟だから意見に自信がなくても大丈夫。〝みんなといっしょ〟だから間違った事しても大丈夫。〝みんなといっしょ〟だから怖くない。」
男のブローチは毛先を人差し指に巻きつけながらそう言った。
低く、渋い声で続ける。
「本当に〝みんなといっしょ〟か?隣の奴の本心、わかんのか?〝みんなといっしょ〟なら、そこに居れば一瞬たりとも一人を感じないか?おいおい、もしかして〝そこにあなたが居てくれるだけでいい〟とか言い出さないよな。」
顎を上げ、リサを見て鼻で笑う男。
「おじちゃん、おばちゃん達に、面白い事教えてあげる。」
床に刺してあったラグナロクを抜き、手首を使ってくるくる回しながら、ブローチは少女になる。
なんか〝ばぶばぶしてるおじいちゃん〟もいるけど。そう言ってドーゲンに視線を向け、目尻を緩ませた。
「人は、独りでも立てるんだよ。独りでも生きていけるんだよ。知ってた?っていうか通じる?言ってる事わかるの?ウジ虫に。」
屈託のない笑顔で少女が言った。
剣を時折掌から離し、二の腕、肘、肩を起点に短い声を出しながら大きく回す。
回転を止めずに腕を器用に使っている様子は、暴れるラグナロクを落ち着かせているように見えた。
刃が触れているはずなのに、何故切れないのか。一瞬疑問が過ったが、あまりのカッコよさに霧散した。
やがてラグナロクの柄を両手で握ると、顔の前に持ってきた。
静かに目を瞑り、口を開く。
「人は独りでは生きていけないなんて。怖くて人生を選択できないけど、群れる事に劣等感を感じてる、おじちゃんおばちゃん達が自分を肯定したくて言う事だと思うよ。」
そのままの姿勢で肩が上下した。
大きく息をしている。
「すでに独りで生きてるじゃん。誰かと一緒に頭の中で思考するの?呪いも食らってない状態で、自分の思考に誰か他人の声が介入する?一人で寂しいって感じるのも、孤独に狂うのも、飢えて死ぬのも〝生〟じゃない?」
言い終わると、ばちりと目を開けるブローチ。
「その〝生〟が気に食わないならさ。じゃあどうなったら〝生きる〟って事なの?おじちゃんおばちゃん達の〝生きる〟って定義はなんなの?」
どこを見るでもなく、まっすぐ前を見て、ブローチはそう言った。
「言葉遊びだろ。生き方を追求するのが悪い事かよ。あほくさ。俺、もう行くわ。」
ブローチが開けた壁の穴に向かってダーガが歩き出した瞬間。
苦悶の声を出して前のめりに転ぶ。
道場の視線が集中した。
オオカミ型の魔物になったゴビポップが足首に噛みついている。
ナギは目を逸らす、何故か動悸がした。見ていたくなかった。
「どこが言葉遊びなの。おじちゃん頭大丈夫?〝慣れない会話〟のし過ぎで、頭、じゅるじゅるに腐っちゃった?まあ、生き方を追求するのは良い事だよね。」
腕を伸ばして、ラグナロクの剣先を床につけている。
少女が体ごと、ゆっくり回り出した。
砂の擦れる音。
刀身が木材を削る音が道場に響く。
少女の出す大声がその音をかき消した。
「生き方の追求とか言う奴に限って一人ぼっちになると意見も考えもないんだよね!〝本当にこれでいいのか?〟ってブランケット被ってずっと震えてるイメージがあるよ!それか、震えないように強がってるね!そこのゴーグルのおじちゃんも!怖いくせにね!怖いから人と違う人間は殺しちゃえばいい!たまたま少ない人数だった〝それら〟は殺せばいい!なんか堂々としてる少数の人間達は怖いから殺せばいい!生き方の追求だ!安全の追求だ!」
会話を放棄したように、回転のスピードが徐々に増していく。
「殺せ!殺せ!戦争だ!不安なら戦争だ!自分さえ死ななければどうでもいいんだ!相手にやられた事にしろ!攻めていい理由を作れ!相手を悪くしろ!人数で塗り固めろ!歴史も変えろ!真実に拘るな!目の間の不安から目を逸らせ!生き方の追求だ!安全の追求だ!殺せ!殺せ!」
ブローチの体が反対側を向く度に、嬉々とした叫び声が遠くなり、剣先が木材を削る音が顔を出す。
気づけば、その間隔が短くなっている。
ナギは、はっとすると、咄嗟に両手を自分の胸に押し当てた。
「生き方を追求すれば他の人を殺していいんだ!殺せ!奪え!その内、暴走するんだ!嫉妬したら殺せばいい!気に食わなかったら殺せばいい!自分がいるコミュニティで自分が安全なら殺していいんだ!大人数ですり潰せ!力を持たれたら力以外の論点で潰せ!さあはやく!気に入らない奴を殺せ!それがお前達ウジ虫の生き方の追求だ!間違ってるって言ってきた奴を殺せ!そしたらいつの間にか正しくなる!生き方の追求だ!不安から目を逸らせ!そわそわしたら隣の奴を嵌め殺せ!」
回転するブローチを見据える。
嬉々としていた声色は、無機質な叫びになっていた。
ナギは絶対に目を切らない。
胸に手を当てたまま、前かがみになる。
踵を浮かせ、脹脛に力を入れた。
さっき広場で見たクラックランの兵士のように、じわりじわりと移動する。
「生き方の追求なら!間違えて他人を殺しちゃってもいいんだ!〝みんないっしょ〟だもん!」
語調が変わる。
剣先が床から離れた勢いで、ラグナロクを斬り上げるブローチ。
ナギは同時に〝はなれて〟を叫ぶ。
視界が揺れ溶ける。
床から足が離れる。
斬り上げたラグナロクから、光の柱が猛スピードで伸びた。
悲鳴が聞こえたかと思うと、背中への衝撃。
視界に床が迫る。
次いで膝に衝撃を感じながら手をついた。
つい、短く低い声が出た。
四つん這いに倒れる。
脛が痛い。
壁に貼られている〝一日一善〟から遠ざかるように、後ろの壁に背中から突っ込んだ。
顔を上げると、うつ伏せのリサが視界に飛び込んできた。
二の腕と掌を床につき、顔だけブローチに向けている。
見た事のない険しい顔で、小さく震えている気がした。
ズボンの砂を払いながらナギは立ち上がる。
視界が上がるにつれて、目を丸くした。
リサの下半身がない。
そのすぐ向こう側、奥の部屋の入口が衝撃の形に広がっている。
光の柱が下半身に直撃したのだろうと察した。
でも、今のはさすがに避けないとだめだ。ナギはそう思った。
アエスとマヤがリサに駆け寄っているが、どうでもよかった。
ナギはブローチに視線を向ける。
老婆になっていた。
「群れたら生存確率が上がる?生存確率が上がってると思いたいだけだろ?群れなかった時の自分の世界線、誰が観測してるんだい。自分を肯定したい時だけ種の保存を引き合いに出してるんじゃないよ。ウジ虫共。人同士で争う癖に。まあ、しかし。数は強いのはわかる。蟻でも虎でも鮫でも、数が強いんだ。」
刀身を顔の前に近づけながら言った。
しゅわしゅわと刀身から漂う煙を、無表情で見つめている。
「でもねぇ、人間だけは集まると弱くなる時があんのさ。人間だけだねえ。全く同じ種族で二種類いるのは。反転するのは人間だけだ。陰と陽。よく言ったものだねえ。自分の輪郭すらわからない奴が何人居たってこのザマだろ。自分をしっかり持ってる奴の集団〝が〟強いのさ。自分の輪郭すらわかんねえ奴が集団に入ってもだ。てめぇの都合の悪い事実から目を逸らす道具程度にしか集団を使いこなせねえよ。妄想でする自慰行為と何ら変わらねえ。頭の中を、目の前だけの現実でヤらかしてるだけさ。」
ナギにはブローチの言っている事がなんとなく理解できた。
戦ってる感を出したそうな、ミトハロの〝集団になった人間〟と、何かの目的に沿って組織的な動きを見せたクラックランの集団。全く違ったからだ。
ブローチは床にラグナロクをぶっ刺し、蠢くリサを見据えている。
「ウジ虫が何匹集まったってウジ虫だな。あんたらが良い例さ。セグイドすら落とせねえ。〝みんないっしょ〟に勝手に混乱して自滅。まあ、ミラは人の闇を見抜くのがちょっと早いのかもねえ。でも奴はそれだけだ。翻弄されて、街で一丸となる事すらできねえじゃないか。」
少女に変化する。
ラグナロクの〝つば〟に肘を乗せ、掌の上に顔を乗せた。
「おじちゃん、おばちゃん達の人生が必要ないって言ってないからね。アタシさ、他人の〝生〟を否定しないから。おじちゃん、おばちゃん達みたいなウジ虫がいる事で、わかる人間が学ぶんだよね。あんたらを養分にして、とてつもなく人生を充実させてる人間がいるんだよ。この世にはさ。」
「何が、言いた、いんだよ。バ、バア。」
振り絞った声が聞こえた。
声の主はダーガだった。
ゴビポップに足首を噛まれている。
観念したようにオオカミ型の魔物のたてがみから手を離し、背中を壁につけている。
「なーんにも言いたくないよ。別に。」
両方の掌で頬を押し潰しながら、こもった声の少女が続ける。
「あ!野生のウジ虫達だ!ウジ虫発見!って言ってるだけ。」
ころころ笑いながら言う。
次、ババアって言ったら殺すね。屈託のない笑顔で、ダーガに忠告を付け加えていた。
直後、思い出したような顔つきで、ナギを見る。
「そういえば、お兄ちゃん。さっきアタシの事、呼んでた時さ。〝ババアぶっ殺す〟って言ってなかった?」
ナギは眉間に皺を寄せ、首を激しく左右に振った。
ブローチからすぐさま視線を逸らす。
下半身が消滅して呻き声を上げているリサ。
傷口に回復魔法をかけながら心配の声を挙げるマヤとアエス。
死んだ顔でどこかを見ているが、なぜか時折生気が宿る、ミカとドーゲン。
何かいけない事をしてしまった様子のダーガ。
もう自分に視線は向いてないだろうと、おそるおそる視線を戻す。
目の前の〝ウジ虫達〟をにこにこ眺めているブローチが視界の端に映った。
サファの魔女確を出せたので、ナギからの用事は終わっていた。
しかし、呼び出した魔女が、なかなか帰る気配がない。
ラグナロクのつばから肘を離している。
頬杖をやめ、砂まみれの床に手をついて、足を伸ばして座り出した〝少女のババア〟。
にっこにこで、足首を左右にぷらぷらと捻っている。
とてつもなく機嫌が良さそうだ。
(このババア…いつ帰るんだ…。)
ナギはそう思った。




