第110話/世界にきょうみがなくなった時こそ、命をかけろ/Limited_NAGI
声を上げ続けるが何も起こらない。
喉を潰すように声を張った時、ふと喉が乾いてる事を思い出す。
拳を握るたび、腹に力が入る。
苛立ちはなかったが、声を出す度に頭が熱くなった。
力いっぱい叫んだ所で、おんぼろの天井を揺らす事も出来ない。
声を出す事を諦めようか迷ったが、ブローチを大声で呼び続ける。
何も起こらない。
叫ぶ度に、目の前の誰かが困惑の声を上げるだけだった。
「ブローチ!おい!ブローチ!聞こえてるんだろ!出てこい!」
「何してんのよ!やめて!」
ただ一人、止めるようにリサが叫ぶ。
構わず声を張る。
「おい!ブローチ!ババア!最強の癖に遅いんだよ!早く来い!ババア!魔女がいるぞ!さっさと来い!」
サファの喚き声が聞こえる。
何も起きない。
しかし〝奴〟は来るはずだ。
やると言ってやらなかったり、冗談めいて何か頼み事をしてくるようには思えない。
目の前の大人達で言うなれば、ブローチが〝ミトハロ節〟を使うイメージがナギにはなかったのだ。
ババアと何回罵っただろうか。
何も起きなかった。
〝一日一善〟が掛けられている壁の方から、噴き出す声、漏れるような笑い声が聞こえてきた。
気にせず天井に視線を這わせる。
何故か上から来る気がした。
〝生死の思考〟が薄まり、段々面倒になってきた。
目の前の人間に言い放つように〝ババア〟と〝ぶっ殺すぞ〟を適当に掛け合わせた時だった。
木材が破裂する乾いた大きな音。
すかさず顔を向けると、出入り口の引き戸が弾けたのが見えた。
ナギが目を細めた瞬間。
元々あったと錯覚してしまいそうな静寂のうちに、壁から光が伸びている。
リサの姿から順に、突き出すように現れた太い光に溶けていった。
音がない方が異常だと感じる程の、巨大な光。
困惑の声すら広がらない程、一瞬の出来事だった。
床の砂を巻き散らし、吹っ飛んできた木材が足に当たる。
当たったそれで、目を閉じていたと気づく。
どこかに白く飛んでいた世界が徐々に戻ってくる。
壁に並ぶ人間達の輪郭がクッキリする。
それぞれ腕で顔を覆っていた。
抉れるように床に開いた穴で、光を纏った衝撃が通り過ぎたのだとわかる。
馬車ひとつ分くらいの幅の穴。
いや、穴ではない。まるで巨大なムカデが床を食い荒らしながら這ったようだった。
通り道と言った方がいいだろう。
地下が剥き出しになり、入り口とは反対側の壁にも大きな穴が開いていた。
〝一日一善〟が掛かっている壁沿いに並ぶ人間達とナギの間に、一本の線、穴が引かれる。
異物感。
息を呑んだ。
首から左の胸にだらんと〝魔物の腕〟が回っている。
冷たいような、生ぬるいような温度。
黒色?緑?はっきり見れない。しかしこの腕を見た事がある。
「ねえ。キミ今。ババアぶっ殺すぞって言ってた?」
ナギの視線が〝一日一善〟に張り付く。
よく見ると〝善〟の字が、横線一本多いんじゃないか。
何故か、そんな事を考えた。
右上から女の声。
若い。
二十代だろうか。
淡々とした声。
勇者選抜会、当日の朝、母のナエラが忘れ物を尋ねてきた時のような。
張りがあるが、無機質な声。
フルーツ串屋さんに、本日のおすすめのフルーツを聞くような。そんな声。
ナギは振り向けなかった。
叫ぶマヤ。
〝おまえらずっとだまってうごくな〟右上から聞こえてきた声で、道場が静かになる。
目の前の〝一日一善〟から目が離せない。
マヤが眼球をきょろきょろ動かしていた。
「ねえ。キミ今。ババアぶっ殺すぞって言ってた?」
ナギは問いかけに反応せず、サファを指差した。
お構いなしに口を開くと声が出た。
「見つけたよ。ブローチ。魔女だ。両肩のない黒い髪の女。」
端的に言った。
質問に答えない事で殺されるかもと思ったが、ブローチはせっかちのはず。
呼ばれた理由が明確にならない方がむかつくはずだ。毎晩の反芻から、そう言い聞かせた。
肩の肌が突っ張る。
〝魔物の腕〟の〝爪〟が腕に食い込んだ。
青ざめて震えるリサが視界の隅に映る。
肩に回る魔物の腕が人間の腕に変わりながら離れていく。
横に立っていた女が前に出る。
〝スタイルの良い女性〟の後ろ姿が目の前に映った。
呼ばれた理由がわかっているような足取り。
迷いやまどろっこしい問いかけはなかった。
歩きながら背が縮む。
〝黒髪のロングヘアの少女〟になる。
それを見たマヤが、目を剥いて、忙しなく口をぱくぱく動かしている。
ありえない変化。間違いない、ブローチだ。ナギはそう思った。
少女が身に纏っているワンピースは七色で、各色が滲みながら変化しているような、不思議な色合いだった。
「っていうかさー。」
少女のブローチが振り向きながら言った時、道場の入口から犬が入ってくるのが見えた。
大型犬よりも小さい。
普通のサイズだ。
パンのような毛色。
毛は短い。
つぶらな瞳は犬そのものだ。
しかし、色は片方ずつ、それぞれ違う。青と赤。
犬ではない。ゴビポップだ。
「さっきの光で、誰か死んだ?」
気怠そうな声に視線を戻す。
少女の横顔が目に入った。
リサの前を通り過ぎる犬の目が細くなり、小さく鼻が震えた気がした。
ゴビポップに視線をやりながら答える。
「死んでないよ。」
ナギに向けられたブローチの目が次第に丸くなっていき、そのうち、ふいっと前を向く。
黒髪のロングヘアが靡きながら赤色に変化した。
ミカとダーガが目を剥いてそれを見ている。
ゴビポップは何かを確認するように、一人一人の近くを通る。
物欲しそうにそれぞれの顔を見上げていた。
床を這うように出来ている穴を、少女のままでブローチが飛び越える。
サファの前で何かを囁いた気がした。
上を向いている。ロングヘアの先端が下がっていった。
立ったまま、ぴたりと動かなくなった。
困惑と怯えが交じる顔のサファ。
ナギとブローチの顔を交互に見ている。
「おい!なんなんだよ!このガキ!うぜえな!」
魔法が切れたのか、声が出ていた。
ブローチが首を回す。
にやりと笑った横顔が見えた時だった。
目の前に老婆。
背中に衝撃。
腹に重さ。
胸に膝。
声を出す暇もなかった。
仰向けで肩を掴まれている。
老婆のブローチに、床に抑え込まれていた。
紫色の髪が飛んできた方向に靡いている。
「残ん念。ナギぃ。はずれ~。ありゃぁね、人間だ。見りゃあわかんのさ。」
しゃがれた、圧のある声だった。
卑しい笑みを浮かべながら、ブローチが右の腕を引いている。
先端がナイフのように鋭くなっている。
(えっほんとに!?あんな人間いるの!?えっ!エっ!?)
滝汗ナギ。
目を見開いて、肩を震わせているブローチが、くっくっくっと喉を鳴らす。
「最期の言葉は?聞いてやるよ。ノードをぶっ壊したまでは、よかったんだけどねぇ。」
じわじわと腹に響く、しゃがれて圧力のある声。
割れたような、重苦しい声。
くっくっくがひっひっひに変わる程度の間。
ナギは猛烈に考えを巡らせていた。
ブローチは顔を上げた。
〝おまえらずっとだまってうごくな〟。壁に並ぶ人間達に向かってそう言っていた。




