第109話/卑しいアネット(7)/Limited_ Annette
顔面に砂が突進してくる。
小刻みに足首を捻る。
エーテルシューズを切り返し、加速を維持しながら顔を振る。
張り付いてくる砂が煩わしい。
振り払おうと、両手を動かして踊るように回転するがスピードが落ちる。
次から次へと地面を〝つかみ〟、時には枝で回転し、砂を振り払いながら滑る。
目の前の岩に突っ込みながら蹴り飛ばし、方向転換する。
アネットはこれでもかと加速し、エーテルシューズで北に進む。
襲ってきたドミヌス達の命乞いで、笑えた順に序列を作っていたが、それどころではなくなった。
砂が浮き、空中を漂い始めてすぐ、枝の上から空を見た時には、ミトハロ方面の空に渦を巻いていた。
さらに〝砂〟が各地から集まっているように見えた。
渦を巻いていたのはおそらく〝砂〟だ。
大急ぎでミトハロから離れるように北に加速する。
街道を外れて森の中に入ると、漂っている〝砂〟の量がいくらか和らいだ。瞼を開けやすい。
とはいえ加速する度、布で覆っていない額や目尻に、細い痛みを感じる。
〝つかむ〟で引っ張った目の前の枝を踏み台にし、さらに高い枝を〝つかんで〟空の状況を見ながら加速していった。
ある程度の高さまで来ると、砂は無くなっていた。
空と周囲に漂う砂に目を配りながらしばらく進む。
突然、空中を漂っている砂が、ザァッと音を立て、地面へ落ちた。
何かに足首を掴まれる。
頭の後ろを押しつけられるように突っ伏した。
残った加速の勢いで地面に顔面を擦りながら進む。咄嗟についた掌が熱い。
手を地面につき、肘に力を入れる。
逆立ちの要領で前に回転した。
回復魔法を声に出しながら着地すると、空が見える位置まで走る。
何度かよろけた。
滑らない。エーテルシューズが使えなくなっている。
滑る力を失った靴で躓いたのだとわかった。
(ブーツ捨てなくてよかった。)
腰に下げたブーツを一瞥する。
ミトハロ方面の空は、力を失った砂の柱がとめどなく降り注いでいる。
しばらくして空中の砂は全て落ち切っていたが、真下では生き埋めの人間がいるに違いない。
目を細めながらそう思った。
胸がざらついた。
顔を見上げると、魔法で掴み、高い枝に乗り移る。
外套とシャツから腕をまとめて引っ込め、背中に手を回す。
胸を覆う下着を外すと砂がざらっと落ちた。
胸の輪郭を撫でるように掌を這わせ、砂を落とす。
命乞いの途中にファンになりたいと言ってきた、頭がおかしくなってしまったドミヌスの人間を思い出す。
(あの人、この砂、高く買ってくれそう。)
高い位置から地面に落ちていく砂を見下ろしながら、鼻で笑った。
下着を付けると、再びミトハロの空を見上げる。
(あれから聞いた〝狂犬リサ〟って。リサの事だよね。赤い剣って言ってたし。何やってんだろ、あの人。)
呆れながらエーテルシューズの踵を逆の足で踏む。
半分脱げた靴がぷらぷらと足に纏わりつく。
足を振り上げて遠くに飛ばし、地面に降りる。
何かを確かめるように、落ち葉を優しく踏みしめる。
(エーテルシューズを履き過ぎると魔力弱くなるってナギ君には言っちゃったけど、そんな事がない場合もあるんだ。シューズを履く感覚が当たり前にならなければいいの…。)
エーテルシューズで滑る時に感じていた、足と地面の間にあった違和感を思い出す。
大地が足を押し上げてくれているような。
足首の周りを包み、着地の衝撃を和らげてくれているようなクッションのような反発。
目を瞑り、足の裏に少しずつ力を入れていく。
たくさんの鳥が飛び立っていく音が遠くから聞こえた。
どれくらいの時間が経ったか。
遠くの空からは、空気が轟いているような、低い唸り声のようなものが聞こえていた。
空気が振動しているだけなのか、何かが響いているのか、よくわからない。
ひたすら足の裏に意識を集中する。
足の裏に触れている葉、砂。小石の数。
時折、むずっとするが、集中しているからだろう。虫ではない。
足の裏に何が触れているかが大体わかると、そのまま足から魔法を出すイメージを強める。
魔力を纏わせる。こっちの方が近いか。そう考えなおす。
放出、発射ではなく、厚手の柔らかい靴下を履いた時のようなイメージ。
力まずに、かといってふんわり考え過ぎず、淡々と続ける。
どこかから、鶏の鳴き声が遠くで聞こえた時。
足の裏から地面の感覚がなくなった。
胸が高鳴る。
顔が熱くなるのがわかる。下唇を噛んだ。
大きく呼吸をし、足の周りを纏わせているイメージを足の裏に〝重ねた〟。
おそるおそる目を開けると、拳二つ分、地面から足が離れていた。
眉と口角が上がる。
新しい魔法が腑に落ちたわけではなかった。
しかし足は浮いている。
息が荒くなると、すとんと地面に着地した。
草むらが揺れる。
魔物かと距離を取るが、アヒルが顔を出した。
シャツの胸元を右手で掴み、大きく呼吸する。
眉を上げた顔つきで、目の前を横切るアヒルを追う。
(飛べた…。いや…飛べてない…浮いただけ…。でも、たぶん飛べる…。)
アネットは、ドミヌスとの戦いでもうひとつ、魔法を閃いていた。
〝いまのなし〟。
発動させた魔法を途中で中止できる魔法であった。
(空を浮けた…。しかも…。〝せつぞく〟〝かぜ〟〝まりょくちょうだい〟〝いまのなし〟結局四つも閃いた…。)
目の前のアヒルが、があがあと鳴いている。
(〝せつぞく〟と〝いまのなし〟は、魔法に詳しい人間に特に有効な魔法。裏をかける。)
目の前のアヒルを見ていると涎が垂れた。
ここ三日間、木の実だけだった気がする。
(もう多分…、よっぽど油断したり、運が悪くない限り。私、〝人間相手〟には負けないな。)
アヒルに何か伝わったのか、があがあ鳴きながら、機敏な動きで草むらに消えていった。
(魔法使いを辞める事を辞めよう。)
アヒルが落としていった白い羽を手に取りながら、そう考えた。
(私、卑しいから。色々覚えちゃったしなんか空も飛べそうだから、賢者でも目指そう。)
根元の硬い部分を親指と人差し指でつまみ、羽をくるくると回す。
羽を視界に捉えてはいるが、焦点は合っていない。何気ない表情で考える。
(しかも、適当に目指そう。雑にね。大量殺人犯になっちゃったし。ナギ君の事を考えながら、雑に目指そう。)
出発時、ナギと宿の前で話した事が過ぎる。
(目標を聞いたら、ナギ君はブローチにワンパン入れたいって言ってた。)
できれば顔面がいいらしい。
少し噴き出したが、ゴビポップが頭にちらつき笑みが消える。
確かめるようにゆっくりと目を瞑る。
ミトハロを出る時は、頭に浮かぶだけで動悸がしていたが、今はもうしなかった。
(なら私は…。ドラゴンくらい。倒せるようにならなきゃね。)
アネットは羽の硬い部分を地面に刺し、ブーツに足を通す。
懐かしい履き心地。
(別にドラゴンには恨みはない。私の好きな人の目標を応援したい。手伝いたいし、一緒に居たいから。だから倒せるようになろう。私、卑しいから。他の命を自分のために利用しちゃう。)
少し口元が緩むが、すぐに結びなおす。
精悍な顔つきで、地面を蹴る。
エーテルシューズを履いていた時とは違い、水辺を探しながら北へ走った。
ドミヌスの追撃がなくなってからは、寝る間も惜しみ、爆速で進んでいたアネット。
この五日後、クラックランへ入国となる。




