第106話/初めてのカミングアウト/Limited_NAGI
頬がじゃりじゃりとする。
指を動かすと、木材の上にまぶされている砂の感触。
瞼を開け、手を地面につきながらゆっくりと顔を起こす。
〝一日一善〟の巨大な文字がぼんやりと見え、げんなりした。
遠くで何か聞こえる。
空気が震えて低く唸り声を出しているような、不気味な音がした。
脇腹についた砂を払おうと左手を近づけるが、はっとして離す。
掌に目を向けると、体内を這っていたノードの触手が消えている。
上半身、右手へと視線を這わせるうち、聞き慣れたよく通る声がした。
「体、戻ったね。荷物、ヤマカミに勝手に入って、持って来たんだ。それ合ってる?」
顔を向けると、奥の部屋の入口の前にウォッチが立っていた。
腕組みをして、目尻を緩ませている。
平然としていたが、どこか照れているようにも見える。
右腕の肘の辺りには、ナギのシャツが巻き付けられていた。
働かない頭で周りを見渡す。
ウォッチに預けたポーチとベルト。
さらにはドワンからもらった布の袋が置いてあった。
「うん。」
視線をウォッチに戻すが、上の空で返す。
入口の近くにプレーノが見えた。
口を開こうとすると、何かを察したようにプレーノは外に出て行った。
彼がいるのなら、あいつもいるはずだ。ナギはそう思って聞く。
「ダーガもいるの?」
ウォッチが口を開こうとした時。
奥の部屋から姿を現した、見慣れた女と目が合った。
ナギは目を丸くした。リサだった。
リサは奥の部屋から道場に出てくると、横にいるウォッチをちらりと見る。
ナギに顔を戻して話しかけてきた。
「あのーーー」
肘を畳んで拳を体の前に置きながら、ウォッチが踏み込んだ。
次の瞬間、リサの顔がぐらっと揺れる。
ウォッチの小さく突き出した右拳が顎に当たっていた。
数歩ふらついたリサが左の腰にあるラグナロクに右手を伸ばした時、すでにウォッチは跳んでいた。
体が交錯したかと思うと、ラグナロクの柄を握る右手ごと踏み台にし、リサから離れるように少し後ろに跳ぶ。
あっという間だった。
ウォッチの腰が回っている。
遅れて右足がリサの顔の前を通過する。
跳んでいた時のウォッチは、爽やかな笑顔だったように見えた。
腰が落ち、床に這いつくばる女を見下ろしながら言う。
「〝お姉ちゃん〟から逃げた癖に、弟に話しかけてんじゃねえよ。半端すぎ。ギャル辞めちまえ。クソ女。」
ナギにはその言葉が全く理解できなかった。
うまく立ち上がれずに、のたうちまわるリサの傍にウォッチがしゃがむ。
右腕の袖をまくっていた。
少し見ると、高笑いしながら言う。
「中途半端だな!ほんとに!こんなにかわいい弟属性裏切って!おまえ何がしたいんだよ!」
立ち上がると、顔面を一発蹴っていた。
リサが呻き声を出す。
ナギには言ってる事が全くわからない。
ため息すら出そうだったが、掌を天井に向け、近づいてくるウォッチに差し出した。
リサは立ち上がれずに藻掻いている。
差し出した掌に軽い衝撃が降ってきた後、ウォッチから差し出された掌を軽く叩き返す。
「タリフの事、ごめん。殺しちゃって。」
それを聞くと、ウォッチは俯き気味のナギの前で膝を曲げ、肩を優しく掴んだ。
微笑んで首を左右に振ると、ぽつりと言った。
「あんた、他のチーム見たんでしょ?どうだった?グローブ・K。」
楽しかった。
そう答えようとして考え込む。
少しの間、床に視線を漂わせ、ウォッチに視線を戻しながら言う。
「刺激的だったかな。皆強かった。」
少し笑ってそう言うと、ウォッチの顔が近づき、背中に両腕が回る。
あまりの暖かさに、ナギも手を回す。
左手で人に触れるのが、嬉しかった。
目を瞑ると、呼吸が深くなる。
背中にかかる力が徐々に強くなった気がした。
「どうすんの?これから。」
顔を離しながらウォッチが言った。
「わかんないけど…、たぶん北に行く。ニルディーノに戻ろうかな。もともと抗争に参加する前は、もう一人の仲間を追いかけて、クラックランに行こうとしてたんだ。クラックランにはもう入れないかもしれないけど。ウィキアークは南だよね。そっちはもっと行けない。」
ノードの守りの薄さや意識の低さから、セグイドよりもウィキアークの方が今回の事を怒っているんじゃないか。
そんな気がしていた。
「北ね。わかった。そっちの方がいいと思う。」
小さく頷きながらウォッチが言った。
「あとさ、僕、勇者なんだ。」
突然、しかし自然と言葉が出ていた。
ウォッチは眉を軽く上げ、優しく笑って言う。
「大変じゃん。それよりも、エヴィ見た?」
もっと驚かれるかと思っていたが、少し拍子抜けだった。
「助けてくれたよ。一緒に裏路地行ったんだ。怪我とかもないと思う。」
それを聞くと、勇者を告げられた時よりもウォッチは目を丸くした。
「それ、さっきヤマカミの奴にも聞いたけど、大丈夫だったの?」
「うん。怪我とかはしてないよ。そのあとエヴィに広場まで送ってもらって、グローブ・Kの方向に吹き飛ばした。けっこう高く飛ばしちゃったけど、エヴィなら大丈夫だと思う。」
ウォッチが噴き出した。
うつ伏せで険しい顔をしているリサと目が合った気がした。
立ち上がろうとしているが、膝に力が入っていない。
太腿が細かく痙攣している。
何度立とうとしても、脚がびくびく震えて支えられず、少し上体を起こしては、よろめいて突っ伏していた。
「じゃあ大丈夫だね。ありがとう。」
近くから聞こえたその声に視線を戻す。
ナギも少し目尻を緩ませ、首を軽く横に振った。
笑みを顔に残したままウォッチが続ける。
「攫われた宿の人、なんか解決してたっぽいよ。大丈夫だって。よかったね。」
はっとして目つきが鋭くなるナギ。
「下に、ダーガいるの?」
少し目を細めるが何かを察したようにウォッチが頷く。
「みんないるよ。」
低い声で言った。
ウォッチが付け加える。
「サファとリサには気をつけな。巻き込まれんなよ。」
「わかってる。」
巻き込まれるなという意味がわからなかったが、そう答えた。
もう仲間だと思っていない。
向こうもそうだろう。
肩に乗っていた手が離れていく。
ウォッチが立ち上がりながら言う。
「なんかあったら、グローブ・Kのアジト来な。しばらくいると思うから。」
「ウォッチはこれからどうするの?その、ノードも、僕が、ダメにしちゃったし。もう、使えないでしょ?エーテルシューズ。」
〝ノードをダメにした〟そう言葉にすると、ノードについての考えが次々と頭に浮かぶ。
自分自身がノードになっている。戦いながらそう思っていた。
そう考えると魔力があんなに上がったのも頷けた。
気を失う前にノードは爆ぜた。しかし自分は生きている。
爆ぜた瞬間の吐き気と頭痛。あれはリサに〝いやすね〟をした時と同じ。魔力切れの症状だ。
思い出しながら話したので、途切れ途切れになった。
出来れば〝なんのこと?〟とか〝実はノード戻ってたよ〟とか。そういう脈絡のない言葉を期待していた。
「どうでもいいよ。」
笑い飛ばしてそう言った。
お団子ヘアが揺れている。
「とりあえずエヴィが心配だから、これから合流する。って、それより聞いてんのかよ。私、グローブ・Kの所いるから、なんかあったら来い。なんもなくても来い。これからもおまえ一人なんだろ?少し休んでいってもいいし。旅に一緒についてってもやれる。少し街のごたごたを片付けないといけないから、すぐにってわけにはいかないと思うけど。あ、なんならダーガと話す時にぴったり横についといてやろうか?」
「大丈夫。自分で出来るよ。」
ナギは笑いながら言った。
それを見たウォッチも少し笑う。
「そ。じゃ、またな。」
肩を軽く叩かれる。
ウォッチは笑みを残したまま、壁に開いている穴に歩き出していた。
「ねぇ、セグイドって、攻めてくるの?」
振り向いて聞く。
「知らないよ!」
大笑いしながら、ウォッチは顔だけ向けて言った。
あまりにもあっけらかんとしていた。
はしゃぐような笑顔だったので、つられて笑ってしまった。
壁に開いた穴まで進むと、外に出る前に振り返り、道場の壁や天井を優しい顔で見回していた。
やがて目を瞑りながら、ひとつお辞儀をする。
顔を上げると、笑顔でナギに手をひらひらさせた。
ナギも少し笑って手を振った。
ウォッチが外に出た瞬間。
短い悲鳴が聞こえた。
眉を上げて見ていると、壁の穴からパルがひょっこり顔を出した。
駆け寄ろうとすると、奥を見たパルが、慌てた様子で顔を引っ込めた。
ナギは振り向き、目を丸くする。
ダーガが奥の部屋から出てきていた。
さらにミカの肩を支えながらマヤ。
サファとその後についてくるドーゲン。
アエスもいた。
リサがよろめきながら立ち上がっている。
ナギの視線が鋭くなった。




