第104話/せかいと関わる限り、いつかは向き合うことになる/Limited_RISA
風の音が耳を覆う。
他は何も聞こえないが、勇者の剣を引き抜いた時の観衆の轟音とはまた違う音。
無機質で、あまりにも単調な音、まるで世界が変わったような音だった。
聞き入っていると怖くなってくる。リサはそう思って、それ以外の感覚に集中する。
頬に刺すような痛みが走る。
避けようにも身動きが取れない。体が土に埋まっている。
目を開けていられない。
体を引き抜こうとしてくれた人間達もいなくなっている。
リサは出来る限り顔を伏せ、目を細めて周りを見る。
一面に砂が舞っている。何も見えない。
頭と右肩から伸びている赤黒い糸のようなものがナギに向かって伸びているのはわかる。
しかし、その先で何が起きているのかはわからない。
どこかから、悲鳴が薄っすらと聞こえる。
なんとか脱出しようと、目を瞑り、身を捩る。
ぴくりともしなかった地面の圧が、その内、纏わりつく重さへと感覚が変わった。
地中の指が動いた。
状況が変わったかと、少しばかりの期待を胸に薄目を開けた。
地面の色が淡くなっている。
触れている部分も柔らかく感じる。体はまだ重い。
手首、腕。順番に動かしていく。
腕が地中から出た。
これなら抜けられる。リサはそう思った。
しかし、足に力を入れた時、動かせば動かすほどに体が沈んでいる事に気づく。
いや、土の表面が沈んでいく感覚だった。
掌を地面につき、腕で押して下半身を引き抜こうとするが、地面についた手も埋まっていく。
周りが砂になっている。
焦って胸に手を翳し〝つよくなれ〟を声に出す。
出来る限り体から遠い地面に、掌ではなく腕をつける。
うつ伏せで這い出るように、二の腕にじわじわと力をかけていった。
やがて右足が地面から出た。
足首を立てぬよう、踝を地面につけるように足を寝かせる。
砂に触れる面積を増やし、腿、脹脛に力をゆっくりと入れ、左足を引き抜いた。
「ナギ!」
顔を腕で覆い、足を地面にとられながら叫ぶ。
自分の頭と右肩から伸びている〝赤黒い糸〟が微かに揺れながら、動いている。
「ナギ!」
再び叫んだ声は、暴れ狂うような目の前の砂に吸われていった。
口の中がざらついた。
腿に手を翳し〝つよくなれ〟を囁くが、もう魔法が発動しているかもわからなかった。
〝赤黒い糸〟をよろめきながら辿っていく。
誰かに馬乗りになり、拳を振り下ろす少年が見えた。
〝糸〟はその拳に伸びていた。
リサは一歩一歩進みながら目を擦り、あまりの砂の勢いに顔を背ける。
痛みに耐えながら注意深く目をやった。
拳を振り下ろされている人間は、サファとミライを物凄いスピードで切り替わっていた。
砂嵐の影響だろう。
そう思っていると、ナギが力なく前に倒れ込んだのが見えた。
柔らかくなった土を踏みしめる脹脛に力が入る。
倒れたナギの首元が痙攣しているように見えたが、ぴくりとも動かない。
痙攣ではなく、サファとミライの上半身の膨らみが変わることで上下しているのだと察する。
自分に回復魔法をかけてくれた時の倒れ方にそっくりだった。
ひたすらナギの名前を叫びながら、リサは近づいた。
あと数歩の距離に迫った時。
焼け落ちた資材庫の方から〝つかむ〟の帯が見えた。
帯は小刻みに出てきては消えを繰り返し、やがて砂嵐の向こうから飛び跳ねる人影が現れる。
その人影も、ナギの名を叫びながら近づいている。
突っ伏した少年の近くに帯が伸びると、足をとられず、転びもせず、ナギに滑り寄った。
お団子ヘアの金髪の女だった。
ナギに手を伸ばす時、腰に結んである大きめの布の袋がぐるんと揺れた。
口元を大きな布で覆い隠し、体にはいくつかのポーチが巻かれている。
さらにその上から、不自然に巻かれたベルト。
女が近くに屈むと、サファとミライの上でぐったりと動かなくなったナギを抱き寄せていた。
リサも焦って近づくが、足がとられて思うように前に進まない。
お団子ヘアの女がナギを抱え上げようとしている。
リサも手を差し伸べようとした時。
砂嵐と少年の重さに、険しい目つきで苦戦しているお団子ヘアの女と目があった。
女の肩が少し跳ねていたが、リサを見据えたまま、口を覆う布が動いた気がした。
途端に、ナギの腰のベルトを片手で掴むと、軽々と持ち上げる。
だらんと垂れる少年の体。
まるで洋服が何着か入っているだけの袋を持つかのように、お団子ヘアの女は、ナギをひょいと肩に担いだ。
リサが顔を覆いながらそれを見つめていると、ドーゲンの大声。
「こーかー南東!西大通の先ー道場がーるから!そーに地下がある!そこは安全ーーら!」
砂嵐で聞こえ方は途切れ途切れだったが〝ドーゲンミライ道場〟の事を言っているのだろう。
声の方を向く。
サファとミライを忙しなく切り替わっている体の横で、ドーゲンが顔を手で覆って屈んでいた。
「おまーの道ーじゃねえだろうが!」
ナギを担いでいる目の前のお団子頭が叫ぶ。
数歩近寄り、ドーゲンに蹴りを入れた。
この砂嵐の中、柔らかくなった土の上で、金髪の女は全くバランスを崩さなかった。
蹴りはドーゲンの肩にめり込み、ちかちかとミライと変わる、サファの体の上に突っ伏した。
動かなくなったドーゲンに近寄っているヤマ。
リサはその双子の名前をS棟の屋根で聞いていたが、どちらだか区別がつかなかった。
自分の肩からナギへ伸びる、赤黒い帯が動いた。
顔を覆ったまま帯の方向に手を伸ばし、短い声を出すリサ。
お団子ヘアの女は〝つかむ〟の帯を引っ張って、砂嵐の中に消えていった。
悔しさとやるせなさに唇を歪めていると、男の怒号が近くに聞こえる。
すぐ横で、サファとミライをころころと変わる顔面に、見た事のない男が足を振り下ろしていた。
目にはゴーグルを着け、布で口元を覆っている。
時折砂に足をとられながら、それでも力いっぱいサファを踏みつけていた。
次から次へと…。リサは苛つきながらそう思った。
「ーーガ君!クーックラーも来ーるから!避ーが、先!」
双子の女のどちらかが、むせながら叫ぶ。
男は、それまでで一番大きく振り上げた足を落とすと、肩を上下させていた。
リサは左腕の七分の袖を噛み切ると、手を頭の後ろに回す。
顔を背けて結びながら、立ち尽くす男に時折目をやっていた。
結局、リサが意識のないサファを担ぐ。
あまりにもミライと切り替わっているので人間味がなくなっていた。
双子の姉妹は、同じ顔をした片腕のない方と紐で体を縛っている。
ゴーグルを着けた男は、双子の女に喚かれながら、渋々ドーゲンを担いでいた。
その男の他に、ナギくらいの金髪少年と、銀メッシュ髪の男が近くにいた。
リサは何がなんだかわからなかった。
その場にいた人間達は砂嵐の中をよろめきながら〝ドーゲンミライ道場〟へと滑り出す。
リサはもうほとんど効果の実感がない〝つよくなれ〟を囁くと、滑る人間達についていくように走り出した。
*
北の大通りを横切って道場へと向かう。
大通りは広場に向かって登り坂になっているが、砂が坂を這い上がっていくのが見えた。
広場に向かって砂が集まり出している。
大移動する虫の群れの上を走っているかのように、気持ちの悪い感覚がブーツ越しに伝わり続ける。
中心街を経由せず、北の裏路地を通る。
サファを担ぎながら周囲についていくリサ。
〝つよくなれ〟の効果が弱すぎる。重い。
建物の突起部分にかかるボロ布が、ばたばたと揺れている。
煩さと顔を撫でる砂の感触に舌打ちが出そうだった。
ドーゲンを抱えたゴーグルをしている男と、銀メッシュ髪の男がリサの前を滑っていた。
この人達は誰なんだろう。なぜ急に目の前に現れて一緒に避難しているんだろう。目の前の男の背中を見ながら、リサはそう考えた。
ナギと同い年くらいの金髪の少年がその前にいる。
双子の女達は一番前を滑っていた。片腕のない女を紐で繋ぎ、牽引している。
ブーツのリサでも追いつけるほど、エーテルシューズを履いている人間達は滑りにくそうにしている。
砂の影響だろう。
砂の勢いは弱くなったが、それでも顔に砂が当たり続けている。
喉がいがいがし、唇に砂が纏わりつく。閉じていても口の中がざらついている。
鼻の奥まで乾いた土の匂いが入り込んできた。
村の友人の〝マリ〟と畑の収穫を手伝った後の、手にこびりついた匂いを思い出す。
今いる場所は砂浜からは離れている。時折漂ってくる潮の匂いで思い出が霧散し、頭の中を異様さが占めていった。
木窓が細かく震え続けている。
屋根の上を何かが走り続けているような音や、砂が壁に当たり続ける、細かく乾いた音がする。
広場に比べると、会話ができる程度に風の音は落ち着いていたが、誰も話していなかった。
前を滑る少年が転び、銀メッシュ髪の男が手を差し伸べている。
足元の砂が動いているせいで、踏み出した場所が少しずれるような時がある。
滑りにくいのだろう。
リサも何度か転びそうになっていた。
低く、一定に空気を震わせ続ける、聞いていると落ち着かなくなる音がずっと聞こえる。
これから何かが起こりそうな、何かがじわじわと迫りそうな音だった。
北の裏路地を抜けると、街の人間が増える。
露店街だろうか。建物の壁際で、商品を焦って片づけている人間達が目に飛び込んだ。
さらに、目を丸くさせた人々が、皆同じ方に顔を向けている。
指を差している人間もいる。
リサ達が逃げてきた方、バシナリー広場の方向だった。
振り向きながら見上げると、目を疑った。
これから何かが起こりそうなのではない。とっくに、とんでもない事が起きていた。
夢中で逃げていたのでわからなかったが、バシナリー広場の空に大量の砂が舞っている。
いや、舞った大量の砂が柱になり、蠢いている。
広場ではとんでもないスピードだったものが、ゆるやかに回転しているように見えた。
その柱の周りを様々な太さの帯が、揺蕩いながら回っている。
まるで巨大なミミズのようだった。
全て砂だろう。
ミトハロ中の砂が広場に集まり、柱に吸われているのだ。
太い木の枝や木材も巻き込まれているのが見えた。
広場だけでなく、周囲の雑木林も呑み込んでいるに違いない。
真上に視線を移すと、黒い粒が雲のように連なり、空を覆いつくしている。
ゆらりと、広場へ向かって動いていた。
周辺の街の砂も巻き込んでいるのでは。そう考えてしまうような量だった。
朝のはずが、辺りはどんよりと暗かった。
困惑したような悲鳴が聞こえ、ふと視線を下げる。
建物の角で一瞬砂が渦を巻いているのを視界に捉えた瞬間だった。
顔、腕に刺す様な痛みが走る。
堪らず目を瞑り、担いでいたサファをその場に投げ置く。
咄嗟に顔を背けた。
突風と共に、大量の砂が露店街を通過している。
悲鳴が聞こえ、金物が転がっていく乾いた音。
木材同士がぶつかる音が聞こえた。
何か目に見えない巨大なものが襲い掛かってきているようだった。
頭を抱え、膝をつく。身を屈めた。怖い。
広場で初めて聞いたナギの怒鳴り声を思い出す。
あんなに激しく怒る奴だったのか。
理由はわからなかったが、ナギは怒っていた。
まるでその怒りが大地に影響し、ミトハロ中に襲い掛かっているようだった。
リサは、怒りをぶつけられた理由が全くわからなかったが、自分は何かとんでもない事をしてしまったんじゃないかと、震えが止まらなかった。
洋服越しでも尻に痛みが走る。
屋根を一斉に叩く豪雨のような音で周りの状況がわからない。
世界に自分が一人だけになってしまったようだった。怖い。
砂が通り過ぎる中、その場に蹲って震えていた。
突風が収まり、尻への痛みが引いていく。
周囲の人間の困惑した声が増えてきた。
顔を上げる。
知らぬ間に涙が零れていた。
リサの前を滑っていた人間達も転んでいたのか、皆体を起こしていた。
シャツの袖で目を擦り、近くで横たわっているサファを担ぐ。
突風が収まったが、砂自体は漂っている。
顔に纏わりつく砂が煩わしかった。
合流しようと、ゴーグルをかけた男の付近に歩み寄るが、周囲の人々の様子が変わっていた。
片づけていた商品を放置して逃げまどっている露店の人間達。
空を見上げながら笑顔で建物から飛び出す子供が、険しい顔をした大人に腕を掴まれている。
それまで木窓から顔を覗かせていた人々が、全員建物に引っ込んだ。
そろりと開いた扉から、おそるおそる覗く女と目が合った。
両肩のないサファを見た後、顔が青ざめていき、リサに視線を戻した途端、短い悲鳴と共に、勢いよく扉が閉まった。
リサは上下の唇を口内に押し隠すと、そのまま駆け出した。
*
サファが意識を取り戻したのか、急に喚きだした頃〝ドーゲンミライ道場〟まで、あと少しという所だった。
道場は老朽化しているが、崩壊はしないだろう。
とりあえず屋根、壁に囲まれたい。落ち着きたい。リサはそう思いながら走っていた。
見慣れた風景に胸を撫でおろす。
すぐ後ろから聞こえる喚く声に反応せずに走るリサ。前で滑る人間達を追う。
ちょっと黙ってて。サファにそう声をかけようとした時。
エーテルシューズで前方を滑る人間達が、何かに躓くように、一斉に転倒した。
走るのをやめ、歩いて彼らに近づいていると、顔を撫でるように舞っていた砂が無くなっていた事に気づく。
その瞬間。
視界が黒い雨に覆われた。
頭、首を刺すような痛みが襲ったかと思うと、鎧を着た兵士に剣の柄で殴られた時のような、鈍い痛みが肩に走る。
ざぁっとした轟音だけの世界。
強く瞬きして身を捩る。悲鳴が漏れた。
つい担いでいた手を離した。
サファとミライ。どちらかわからないが地面に落ちる。
親指の爪ほどの小石が、自分の肩から地面に転がるのが視界に飛び込んだ。
地面から砂粒が跳ねている。
まるで地面が沸騰しているような。地中から誰かが拳を叩きつけているように跳ねている。
収まらない頭の刺すような痛みで、空を漂っていた砂が一斉に落ちてきているのだとわかった。
握った砂を草木にまぶしたような音が、轟音になったような。
まるで自分たちが小さくなったのではと錯覚するような、砂が擦れる音が辺りを包む。
いや、音に襲われている。そう錯覚しながら雑木林に駆ける。
サファとミライが一文字ずつ不自然に口にしている。入れ替わっている。
何を言っているのかわからない。
襟を掴み、雑木林に引き摺る。林に近づくと力いっぱい投げつけ、リサも頭から飛び込んだ。
転倒している人間達からは苦悶の声が薄っすら聞こえた。
黒い雨は止む気配がない。
草むらから顔を出すと、身を屈めて頭を手で覆う人間達に、それぞれ血だまりが出来ていた。
リサのこめかみを、だらりと汗が伝う。
拭うと、汗ではない。
手の甲には、べっとりと血がついていた。
絶対に逃がさないからな。ナギにそう言われているようだった。
シャツをたくし上げ、襟を突っ張って頭を守る。
跳ね返った砂が当たっているのだろう。
たくし上げた分、はみ出たへその辺りにちくちくと痛みが走る。
頭よりはいいだろうと、痛みを気にせず、バシナリー広場の空を見上げる。
宙を舞っていた、浮いていた柱が、力を失って崩れて落ちている。
そこだけ濃く黒い雨が降り注いでいるようだった。
広場の方から地鳴りが足を伝って来た。
地面が震えている。
空を見上げていたリサには、その地鳴りの正体にすぐ見当がついた。
広場に降り注いでいる砂はとんでもない量だ。積もっているだろう。それが崩れているのだ。
今度は流れてくる。ここも危ないかもしれない。リサはそう思った。
口が乾き、息が荒くなる。
膝の震えが止まらない。
目の周りがじんわりと感覚がなくなっていった。
ナギが怒っている理由はわからないが、本気で人を怒らせるという事はとんでもない事なのだと、リサが感じるに十分な地鳴りだった。
しばらく空を見上げていると、付近の雑木林に襲い掛かる〝音〟がやんだ。
転倒した人間達に目を向ける。
立ち上がろうとするゴーグルをつけた男が、膝をついた状態で雄叫びを上げ、拳を地面に叩きつけていた。
血だまりは黒い雨で塗り替えられ、飛沫すら舞わなかった。
ドーゲンは雄叫びを上げる男の横で気を失ったままだった。
リサはシャツから頭を出し、自分に回復魔法をかけると、双子の女達に近寄り手を差し伸ばす。
笑顔で礼を言ってきたが、憔悴しているように映った。
「滑れない、エーテルノードが壊れた。」ゴーグルをかけた男が銀メッシュ髪の男にそう話していたのが薄っすら聞こえた。
雑木林から喚いている声が聞こえたので再びサファを担ぐ。
あまりにも煩かったので、さっさと道場に置いておこうと、以前サファが壁に開けた大きな穴に向かった時だった。
穴の入り口でサファを落とす。喚き声は耳に入らなかった。
床に砂が塗れている道場の真ん中で、お団子ヘアの女が穴の方を向き、仰向けのナギの頭を膝に乗せていた。
ナギの片手はだらんと、床に放り出されている。意識がないようだった。
優しく、慈しむような微笑みで少年の顔を見下ろしている女が目に入った。
髪や頬を優しく撫で、砂を払っている。
広場で足を切断した女だと気づく。
女が少年の肩の下に手を入れ、少し上体を起こす。
おくれ毛を耳にかけながら、ナギの額、瞼、鼻の順番にゆっくりと唇が触れていった。
さらにその下へ唇を這わせようか、躊躇っているような素振りを見せた。
鼻への口づけを最後に唇を離すと、上気した顔のまま微笑み、意識のない少年を抱き寄せていた。
腕がだらんと落ち、女の胸に顔が埋まっているナギを瞳に映したまま、リサは、その場から動けなかった。




