第102話/全てが虫に見えた日。/Limited_NAGI
炎に包まれるE棟の前に力の抜けた表情で立ち尽くし、ナギは村にいた頃を思い出す。
大きな蜂の巣を誰かが見つけると、巣を燻して大人が駆除していた。
蜂は最初こそ果敢に周囲の人間に襲い掛かるが、いずれボトボト地面に落ち、やがて巣は壊滅する。
(蜂の巣と一緒だな。)
付近に横たわる死体に視線を移しながら、そう思った。
至る所に転がっている死体は、人間同士の戦いや魔物に襲われて死んだ人間のものだ。
〝巣〟から飛び出してきた〝蜂〟は凍らせて殴った、赤黒い霧となって飛び散った。
つい村での出来事をちらつかせながら、作業のように行っていた。
ドミヌスのアジトを燃やした時よりも、中から出てくる人間は多かった。
強い風が吹き、火の粉が勢いよく舞う。
腕で顔を覆いながら数歩下がり、視線をE棟に固定した。
風で炎が揺れると、建物から大きな階段が垣間見えた。
階段は二階の壁をぶち抜いており、廊下が剥き出しになっている。
E棟全体が、舌を出している四角い怪物のようだ。
壁面を滑りやすくするために窓が板で塞がれている。
そのため、行き場を失った黒い煙が、二階の廊下からもうもうと立ち昇っていた。
時折、意志を持ったような炎が豪快な音を立てて飛び出すと、黒い煙も勢いを増した。
階段の支柱が折れる音に目を向ける。
馬車二つ分ほどもある、かなり広い幅の階段。
中心には細い支柱が雑な間隔で並べられており、その上に板が乗せられている。
上に乗せた板は手すりというには横幅があり過ぎるものだった。
その上を滑るために作ったのだろう。
階段の脇を見ると、段差に直接敷かれている板もあった。
上から何枚もの板を敷き詰めているものだから、幅は不揃いで見栄えが悪かった。継ぎ接ぎが目立つ。
階段と言えるか怪しい、遊具のような建物だ。
乾いた音を立てて階段の支柱のひとつが崩れ落ちた。
ナギはつい鼻で笑った。
N棟のバルコニーにあったエーテルノードの防御柵よりも、目の前の階段は作り込まれていた。
蜂でも巣を守る。
初めて巣の断面を見せてもらった時は、その細かさに驚きを通り越してショックを受けた。
家の手伝いもせずに気楽に過ごしていた自分を少しだけ責めたほどだ。
防御柵だけでなく、N棟のバルコニーにも護衛が少なかった。
カツアゲをする時は取り巻きがいる癖に、ボスの女が自分にボコボコにされても、誰一人助けに入る者はいない。
ナギはミトハロに完全に興味を失った。
少し離れて立っているとはいえ、皮膚に触れる空気が熱い。
風が吹く度、顔を撫でる熱風に眉を顰める。
息を吸うたびに肺が焼けそうになる。
そんな想いをしてまで、もう眺める価値はない。
そう思い、E棟から鎧の集団に視線を移動させた。
集団の右後方、S棟が視界に入る。
(リサ、全然止めに来ないじゃん。)
そう思いながら集団に視線の焦点を合わせる。
ナギに向かって剣や槍を構えているが、攻撃してくる素振りはない。
しかし、ミトハロの人間のように〝戦っている感〟ではなさそうだった。
脇を締め、足を肩幅ほど開いたまま、じわじわと左右に動いている。
威嚇や虚勢は感じなかった。落ち着いた構えには隙が無い。
何か喋りかけられているような気もするが、炎の勢いの音で声が伝わらない。
身振り手振りしている鎧の人間だけが見えた。
口が動いているのかすら、鎧で見えない。
距離はあれど、魔法で何が起こるかわからない。
数は数えなかったが、集団は十人は越えている。
ナギは唇に力を入れてそれに正対した。
E棟の怪物の口から、炎の塊が噴き出した。これまでにない勢いだった。
熱風に頬を叩かれる。
視線を鎧の集団に置いたまま、腕で顔を覆う。
煙を吸い込んだのか、堪らずむせた。
あっちの人達は鎧を着ていて熱くないのかな。ナギがそう思った時。
集団の後方にいる人間に、エーテルシューズを履いた人間が空中から飛び掛かるのが見えた。
加速した体が背中に衝突するやいなや、ぐらつく鎧の人間に腕を回している。
鎧を着た人間は、剣の構えを解き、すぐさま体を激しく左右に揺さぶっていた。
それに対して振りほどかれまいと首にしがみついている。
揉み合う中、口を大きく開けているのが見える。
飛び掛かった人間の表情は怒りに満ちているようだ。
襲い掛かっているのは、女だろうか。ナギにはどうでもよかった。
目の前で行われているそれが滑稽に思えて仕方なかった。
先頭にいる鎧の人間達は、ぴくりとも反応せず、振り返らない。
何事もなかったかのように、体をナギに向けたままだ。
それまでのミトハロの人間達との違いを、なんとなく感じ取り、緩みかけた表情が締まる。
囲まれぬよう、集団が動いた分、ナギもそろりと足を動かした。
首に腕を回してしがみつく女を引き剥がそうと、その近くにいた二人が体の向きを変えるのがぼんやり映った。
ついそちらに目が行った。
しがみつかれている人間は、仰け反る上半身を、抵抗するように膝を曲げて踏ん張っている、倒れまいとしているようだ。
拳を何回か女めがけて振っていたが、空を切っている。
しがみつく女の腕と髪辺りに、助けに入った鎧を着た人間の手が伸びた。
女が一度顔面を殴られる。
鎧を身に着けた拳で殴られるのは痛そうだった。
ナギはつい目を細めた。
女の顔面に一発拳が入ったのを合図にするように、S棟の壁から大量の人間達が飛び掛かる。
叫びながら突撃していたのか、いくつもの声が、鎧を着た集団に押し寄せていく。
炎の音でどこか声が遠くに感じた。
それまではナギを向き続けていた先頭集団も振り返る。
女の顔面を殴った人間にさらに別の手が伸びた。
鎧の首辺りに何かを何度も振り下ろしている。
手にしているのは刃物だろうか。
効いているのかはわからない。
その内、別の人間に剣の柄で、頭を殴られていた。
襲われた人間をかばう人間に、さらに別の人間が襲い掛かる。
勢い余って仲間を刺しそうな程、入り乱れていた。
馬乗りになって殴りかかる人間に、傍にいる誰かが体当たり。
その横では、鎧を着た人間の前蹴りを掴んで押し倒し、新たに馬乗りの状態が出来上がっていた。
鎧の頭の部分が壊れたのか、顔が露わになった人間を視界に捉えるナギ。
金髪のオールバック。おそらく男だ。
突進してくる人間を盾で受け止めている。
逆の手で持っている剣を振ると思ったが振らなかった。
露わになった頭部に、後ろから別の女が刃物を振り翳す。
女と同時に、膝にタックルをする人間。集中攻撃だ。
膝を掴んでいる人間の脇腹に、別の人間から蹴りが入る。
タックルをした人間が倒れ込んだ。
そのまま蹴りを入れた鎧の人間が、顔が露わになった男の前に割って入る。
後ろから刃物を振りかざしていた女は尻もちをついていた。
その前でも、別の鎧を纏った人間が剣を構えている。
人間人間人間人間人間人間
人間人間人間人間人間人間
人間人間人間人間人間人間
人間人間人間人間人間人間
人間人間人間人間人間人間
目で追うのも、ひとつひとつを理解するのも億劫になる程、塊となってそれは蠢いていた。
双方の人間が倒し倒され、どちらが優勢かもわからない。
怒号が遠くに聞こえ、目の前の乱闘が現実ではないような錯覚がした。
ナギは村での〝蜂の巣退治〟を再び思い出す。
巣を壊滅させた後でも、しばらくその付近には近寄らないように言われていた。
外から戻ってきた蜂に襲われるといけないという話だった。
ぼんやりと目の前の人間達を見て、蜂と同じだな。そう思った。
思わず笑みが零れ、言葉が出ていた。
「エーテルノードを吸収されても!サファを襲われても何にもしなかった奴らが!たかが建物燃やされて凄い怒ってる!ははははははは!おい!燃やしたの僕だよ!おまえら〝怒れる方に怒ってる〟だけだろ!ははははははっはは!」
誰に話しかけたわけでもない。
ナギは目の前の〝蜂〟を見て大笑いしながら叫んだ。
ひとしきり笑うと、顔から表情を消す。
S棟の屋根を見て手を翳し、魔法で掴んで引っ張った。
転がるようにS棟の屋根に着地する。
視界が急に切り替わるのも慣れた。
転がる勢いが止まった時、ふと屋根を見た。
これまで気づかなかったが、屋根は所々に拳ほどの穴が開いている。
焦げた跡もある。
木材が折れ、凹んだ部分の両端がささくれのように盛り上がっている箇所もあった。
躓きそうだ。
リサはドーゲンとミライの近くにしゃがんでいる。
何かを相談するように顔を近づけて座るマヤとミカ。
ナギに気づくと、怯えた表情になり、すぐに立ち上がると、数歩後ずさりした。
なんとなくそれを見つめていた。
(あ、僕がエーテルノード吸収したのはあの人達知らないかも。言い過ぎた。)
何故か先ほどの発言が気になった。
リサ達も気づいたのかナギを見ていた。
ドーゲンと、ミライ、それぞれ腕のない人間をリサが支えて、立ち上がらせていた。
(あいつどうやって屋根に上がったんだろ。)
リサを見て考えるが、どうでもいいか。そう思い疑問を霧散させる。
一人ずつ頭や肩を〝つかんだ〟。
リサにはすでに帯が二本もついているので掴まなかった。
短い悲鳴。やめろと叫ぶ声。
表情を変えずに全員を掴むと、帯を高く上げ、屋根の端にゆっくりと歩き出す。
下の広場を少し見つめた後、屋根の縁を蹴った。
女の悲鳴。
腰に浮遊感。
迫る地面。
足から背中辺りにかけて衝撃が走った。
目を開けながら、上半身を起こそうと肘を地面につく。
背中、腰に痛みが駆け抜ける。
力が入らない。
膝から下が、それぞれ別々の方向に曲がっていた。
右足は右斜め前。
左足は地面を這うように左。
それを見た途端、足にも痛みが走る。
さらにその痛みを塗り替えるような、背中への断続的な痛み。
ナギは着地に魔法を使わなかった。
(四階から落ちても死ねないのか。)
時折襲ってくる激しい痛みに顔を引きつらせ、それぞれの帯の先に目を這わせる。
これまでの経験から、落下の反動で全員叩きつけられると思っていたが、特にそうではないらしい。
痛がっているような素振りはなく、五人は宙に浮いている。
ミカのズボンは、股の間から膝まで濡れていた。
帯を高く上げすぎたのか、落下のスピードが足りなかったのか。
考えても仕方ない。そう思った。
目と口を大きく開け、信じられないといった表情の五人から目を切って、S棟を見上げる。
あの高さから飛んで意識すら失わないのかと、信じられなかった。
エーテルノードを吸収して体の耐久度が上がっている。そう考えないと納得できない程、高く感じた。
背中の痛みが徐々に引いているのに気がつき、足に目を向ける。
膝から下が勝手に動いている。
ゆっくりと元通りになっていた。
宙に浮いている五人の視線が集中する。
痛みが引くにつれてナギからも表情が消えていった。
ふと顔を上げると、パルとマークが対峙していたような〝イノシシの魔物〟。
目が合うと後ろ向きでダッシュして雑木林に消えていった。
大きく息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がる。
膝の状態を確かめるように、片方ずつ膝から曲げ伸ばしを繰り返す。
目の前には雑木林。
右側の遠くには巨大なムカデが倒れ込んだW棟。
ムカデはいなくなっていた。
建物はほとんど燃え尽き、黒くなった木材が地面に散乱している。
黒の間から燻っている火が、時折顔を覗かせている。
焼け残った木材が数本地面から突き出ていた。建物の面影はもうない。
その近くでは、鎧を着た人間と魔法の靴を履いた人間が、オオカミの魔物と対峙している。
つま先を地面につけて足首を回し、脹脛に力を入れる。
痛みはなかった。
数回、屈伸をして、腰を左右に捻る。
左手を腰に当てないように注意し、上半身を反らせる。
浮いているミライとマヤが視界に入る。
二人とも目が泳いでいたのが周辺視野で見えた。
S棟の屋根に目の焦点を合わせて、もう一度跳べって言われても無理だろうな。なんとなくそう思った。
片手を伸ばし、脇腹を伸ばすように上体を左右に曲げる。
痛みがあるどころか、脇の下の筋肉が伸びて心地良い。
雑木林と広場の境界辺りにある、足の踏み場もないくらいの死体が横向きに映った。
抗争が始まった頃、ヤマカミとダガヤ・クルーがここで戦っていたはずだ。
その時の死体かもしれない。
ナギは体を起こし、眼前に広がる死体に両手を翳す。
広範囲に〝はなれて〟を放った。
まとめて雑木林へ飛んでいく死体。
死体に群がっているイタチの魔物やオオカミの魔物がそれを見て驚いたように離れていった。
驚かせてしまって少しだけ申し訳ないような、言い表せない感情で雑木林に消えていく魔物を見つめていたのだった。
*
S棟から離れるように歩くナギ。
足元に転がってきた魔法筒をなんとなく蹴り飛ばす。
雑木林とS棟の間に来ると振り向き、声を張って謝罪をするミライに目を向けた。
何も言わずに魔法の帯を操作し、手元まで引き寄せる。
地面に〝やわくなれ〟を唱えた。
魔法の効果が出た部分だけ、草がしなり、土の色が淡くなる。
ミライの顔から目を逸らさず、ゆっくりと下ろしていく。
「すいません!ごめんなさいナギさん!本当ごめんなさい!色々言って!殴ってすいませんでした!ほんとうごめんなさい!殺さないでください!すいませんでした!」
胸に〝黒いそれ〟が湧く。
会話をする気はなかった。
そもそも、元から成立していないのだ。
ミライは足をばたつかせていたが、抵抗なく地面に沈んでいった。
さらさらした泥とも、やわついた砂ともとれる柔らかさの地面に、ずぶずぶと埋まっていくミライ。
ナギはそれを見つめながら考えていた。
自分は何に苛立っているのだろう。
当初、キューを助けるために参加した。
しかし、パルから安全である事を聞いた後、苛立ちは収まらない。
自分はカツアゲをされた復讐もしたいのだと思っていた。
一方的に殴られた、あの日の復讐も抗争の参加理由にあるのではないか。
そう考えていた。
戦ってみると、サファは相当弱かった。
ナギがノードを吸収したのもあるが、それを差し引いても強いとは思えない。
今、目の前で泣きながら謝罪しているが、それでも〝胸の中の黒いそれ〟は無くならない。
とめどなく湧いてくる自分の中の〝黒いそれ〟が全くわからなかった。
喚くミライに意識を戻す。
裏路地で女達にボコボコにされた割には、いくぶんか顔の腫れが引いている。リサが回復したのだろうか。
腫れた瞼から覗く目は真っ赤で、涙が浮かび、潰れた左目の瞼は閉じている。
叫ぶときには力強く唇が開くが、か細い謝罪を振り絞る時は震えていた。
頬は強張り、瞼が時折ぴくついている。
「ごめんなさい!すいませんすいませんすいません!お金も返します!本当にすいません!ごめんなさい!ほんとうにすいません!」
自分の埋まっていく体とナギの顔を往復するミライの視線。
言葉にならない声を出していた。
一度も目を逸らさずにミライを見つめていた。
胸の辺りまで埋まった所で一発蹴りを入れ、サファに変化させた。
ボロボロの姿で喚きだすサファ。
わかってはいるが、ミライとは性格が全く違う。
ナギは鼻で笑い、地面に膝をつき、喚くサファの耳元に顔を近づける。
「ここから逃げないんじゃなくて、逃げられないんでしょ。自分が弱いの認めるの怖くて。」
冷たい声で言った。
サファが地面を見つめたまま、ぴたりと黙る。
周りから呻き声と砂が擦れるような音がした。
他の人間の〝つかむ〟が切れた。
顔を上げ、全員を魔法で掴みなおすと、薄っすら笑みを浮かべて揶揄うような口調で言う。
「それとも、この広場になんかあるの?ノードも僕が吸い取っちゃったし。あ、このまま逃げたんじゃ、セグイドになんて言っていいかわかんないから?」
サファから返事はない。
「サファ、ごめんなさいは?カツアゲしてごめんなさい。言ってみて。ミライじゃなくて〝サファとして〟言ってみて。」
にやけながら言い放つ。
謝罪はない。
「すぐ黙る。おまえは大人数の時だけよく喋る。でも人の話は聞けない。一方的にしゃべり続けるだけ。一人じゃ会話もできない。臆病者のサファ。」
言葉にならない呻き声が聞こえた気がした。
はははと笑い交じりで続ける。
「殺さないであげるよ。でも、手も治さない。その左目も治さない。今まで出来てた事が出来なくなるって辛いよね。それで生きる方が辛いよね。」
リサと一緒に、エーテルシューズをキューに教わっていた時の事を思い出しながら話す。
それまで練習して、少しは滑れるようになっていたと思っていたが、いざやってみると上手く滑れなかった。あの時の感情。
さらに初めて滑るリサが自分よりもうまく滑るのを、ただ見るだけしかできなかった。
もやもやして、むかむかして、なんか素直になれない。執着。
「今までは魔法を使えたのにこれからは使えない。周りの皆は使えるのにおまえだけ使えない。もう偉そうなフリすらできない。そんな感じで生きるのって死ぬよりも辛いよね。」
サファから呻き声が聞こえた。
「弱いお前は、今日僕に生かされたんだ。これから嬉しい事があった時は僕に感謝するんだよ。僕のおかげで生きてるんだから。」
サファは再び黙った。
「これから毎朝、僕に感謝して目を覚まして、寝る時も僕に感謝して寝るんだ。誰かにおやすみっていう時も。」
つい言いながら噴き出した。
「あっ、おまえ誰も守れなかったからおやすみ言う人間いないか!ははははははははははは!」
サファの顔がびくっと跳ねたのと同時に、ナギは笑いながら立ち上がった。
右肘から先のないマヤに近寄ると、サファの隣に埋める。
左腕が地面にしっかり埋まるよう、帯を調整した。
胸元まで埋まった所で地面へかけた魔法が切れる。
柔らかな丸みが硬くなる地面に押しつぶされると、表情を一瞬険しくさせた。
ナギは膝をつき、怯えたような表情に変わっていくマヤに顔を近づける。
左耳が千切れている。ウォッチにボコボコにされた時だろう。
視線は地面に固定し、口を開く。
「〝道端〟はもうなくなったよ。あと、連れてってもらった歓楽街の女の人達の怪我は全員治したから。逃げてる人もいると思う。」
「どういう事!?」
怯えが混じった顔は、ナギの言葉を聞き終わる頃には、困惑の色を浮かべていた。
ナギはマヤの右腕に手を翳し、回復魔法を唱える。
地面の上に出していた、右腕の肘から先が生えてきた。
千切れていた耳も元通りになっている。
「こういう事。治したから、もうあの女の人達には関わるなよ。〝みちばた〟に捕まってた人達も全員逃がしたから、声かけるなよ。」
「殺したの?みんな?」
顔をナギに向け、絞り出すような声でマヤは聞き返す。
〝みんな〟が何を指しているのかわからなかったが、そう。とだけ適当に返す。
「だからもう絶対にあの人達、女の人達には関わるな。別の人もだめ。わかった?もし関わったら…。」
マヤの右肩を左手で握る。
悲鳴と共に泣き叫び出した。
「しません!関わりません!ごめんなさい!絶対に関わりません!」
再び回復魔法を唱えた。
関わりませんと繰り返しぶつぶつ言いながら、小刻みに頷くマヤ。
ナギはそれを見つめながら、はっとした表情になり、口を開く。
「おまえ、ドミヌスに襲われた人達の相談に乗って、知ってる人に紹介してるって言ってたけど、〝道端〟で襲われた人達を…そこで襲われた人を回してもらってたんでしょ?〝道端〟の人に。そう聞いたよ。パンあげた人から。っていうかあのお店も、知り合いとかじゃなくて、おまえらがやってるんでしょ?それはミカが言ってた。」
マヤから返事はなかった。
「きったな。」
顔をひきつらせながら言い捨てた。
立ち上がるナギを見上げるマヤの顔が視界の隅に入ったが、決して目は合わせなかった。
ミカに近寄る。一瞬話しかける相手を間違えたかとひやりとした。
帯を操作しながら髪型を確認する。髪が整っていない。
たしかにこっちがミカ。さっき話しかけたのはマヤだ。
平静を装って、地面を魔法で柔らかくする。
「ナギ君!さっきは本当にごめんなさい!私も回復して!お願いだから!なんでもする!あなたのものになってもいい!マヤと一緒にしてあげようか!?誰にもした事ないから!」
狂気と笑みが混じった声で叫んでいた。
なぜミトハロの人間達は、何故所有させるのだろう。
自分のものになるという事は、自分が生活費の面倒を見ないといけないという事ではないのだろうか。
メリットよりもデメリットの方が大きいんじゃないか。ナギはそう思った。
肩まで埋めると、少しだけミカに顔を近づける。
「〝これから〟ミトハロで漁業やる事になっても、手がないから出来ないね。臭くなる手がなくてよかった。あ、歓楽街に空きが出たよ。」
そう言い捨てた。
ミカの顔からは表情が消えていた。
立ち上がると、ドーゲンに近づく。
目を合わせようとしないおじいちゃん。
抵抗しない、両腕がない人間は埋めやすかった。
雑に地面に沈め、横に座る。
「おじいちゃんって、もう嘘しかつけないだよね。」
明るい声で言った。
返事はない。
ルントを思い出しながら続ける。
「もうずっと嘘ついてて。自分にも周りにもさ。ずっとそうなんだよね。本当の事言うの、怖くなってるんだよね。」
返事はない。
「嘘つかないと周りと関われないんでしょ。」
ドーゲンの眉がぴくりと動いた気がした。
「おまえも、生きてた方が辛い人間だ。」
低い声でそう言うと、ドーゲンを回復させるナギ。
両腕が生えた。
一瞬目を丸くし、生えてきた自分の掌を眺めていたが、やがて死んだような顔つきに戻っていった。
「ドーゲン、おまえのとこの〝キノピッピ〟殺したの、僕なんだよね。」
鼻で笑いながら、なんとなくそう言った。
特に理由はなかった。
アネットが恨まれても申し訳ないので自分だけのせいにした。
驚いたような表情でナギを見るドーゲン。
少年は薄くなったピンク頭をぽんぽん軽く叩いて立ち上がる。
リサに近づくと、浮いたまま、ばつの悪そうな顔をしている彼女を見て、大笑いしながら叫ぶ。
「おまえさあ!奪わないでって言う割には全然止めないじゃん!けっこう殺しちゃったよ!ほんっとうに口だけ!執着女!」
叫びながら帯を操作して、他の人間と同様に肩まで埋めた。
ナギと目を合わせないようにしているリサ。
顔面を一発蹴り飛ばし、そのまま振り返る。
背中から呻き声。
消え入るような声で何か言っているような気がしたが、もうどうでもよかった。
埋まっているサファに近づくと、横に立った。
N棟とS棟の壁面を見回すが、やがて視線を雑木林に移す。
少し細目になった。
誰と、なんのために戦っているのかわからない集団には目もくれず、探るような視線を林に這わせていく。
一通り見ると、大きなため息をついた。
S棟とN棟に交互に視線をやりながら、これでもかと腹から声を出す。
「おい!ダーガ!どっかで見てんだろ!サファはここにいるぞ!やるならおまえがやれ!できないんだろどうせ!おまえも自分じゃ怖くてできないんだ!顔出せ!やるなら自分でやれ!」
サファが何か喚きだしたので、顔面を思いっ切り蹴り飛ばす。
言葉が謝罪に切り替わった。
再び蹴ると同時に、サファの声がぴたりと止まる。
辺りを見回すが、ダーガらしき人影はない。
広場のこの喧騒だ。いても聞こえてないだろう。
ナギはN棟に向かって歩き出す。
しばらくしてふと振り返ると、肩まで地面に埋まってる五人に魔物がにじり寄っている。
ミカは喚いていたが、他の四人は皆虚ろな表情をしていた。
乾いた笑いを漏らしながら、N棟のバルコニーを魔法で掴んで帯を引っ張ると、その場に低く砂埃が渦を巻いた。




