第7話/初めての成長/NAGI.pov
目を覚ますと空が視界に入ってきた。
頭が痛い。
体のだるさもある。
頭を抱えながら体を起こす。
「おはよう。大丈夫?」
右後ろからいつもとはちょっと違う声。
振り返ると、見た事がある見知らぬ大人の女性がいた。
「え…、リサ…?」
「うん、大丈夫?」
「え、うん。ちょっと頭が痛いくらいで…あの……リサ…だよね?」
大人の女性が座っていた。
髪が長い。
素足…?洋服についてるのは…血?
顔は間違いなくリサだけど。
なんか違う。
「なんか成長してた。」
「成長?」
「起きたら成長してたんだよね。髪も爪も長くなってて、
靴も洋服も合わなくなってた。少しだけど背も伸びてる。」
僕が使ったのは回復魔法のはずだ。
頭がでっかくなったみたいに重くなる。
頭痛どころではなくなった。
リサは右腕に布を巻いていて血が滲んでる。
そういえば、回復魔法は元々腕にかけていたはずだ。
ひょっとして成長と同時に傷も広がったのだろうか。
「その腕・・・僕の魔法が効かなかったって事?」
「あ、ちがうちがう。これは起きてからちょっとその辺で盛大に転んだだけ。回復はできてたよ。」
転んだだけにしては、シャツやズボンにけっこうな量のシミがある。
「腕以外にも怪我してる?シャツとかズボンも黒ずんでたり青いシミみたいのついてるけど…。」
「青?ああ、転んだ時になんかの実でも潰したんじゃない?怪我は腕だけ。」
あの光の中で怪我と治療を繰り返していて、腕の傷だけが残ったのかもしれない。
魔法を使った時にリサはかなり発光していたし、
僕の体調も急に変化していたから何が起きていたのか全く分からない。
「成長しちゃったのって、僕の回復魔法のせいだよね…?」
「ねえ、戻らない?この辺ちょっとお城から離れちゃってるし、魔物出そう。
戻りながら話そうよ。」
リサの様子がおかしい。
「うん、剣かリュックサック、僕持つよ。」
「あ、ありがと。じゃあ剣おねがい。」
そうだ、早く戻って腕の治療をしなければ。
僕の魔法をさらに使うわけにもいかない。
ラグナロクを掴もうとすると、柄が目に入り声が出そうになる。
使ってないはずなのにひどく汚れていた。
「回復の影響で成長したんだとは思うけど、気にしないでよ。」
リサが口を開く。
気が重くなる。
「うん、ごめん。」
僕の食べたキャンディは〝いやすね〟じゃなかったのだろうか。
相手の寿命を奪う魔法だったらどうしよう。
「いいって。すんごく光ってびっくりした。しぬかと思った。ナギも光ってなかった?」
「本当にごめん。」
「だからそういうつもりで言ったんじゃないって。もう大丈夫だから。しんでないんだからいいじゃん。っていうか、おばあちゃんにならなくてよかった。女神様が守ってくれたんじゃん?」
「うん。」
アリエさんやサルドさんになんて言えばいいんだろう。
魔王討伐どころではない。
治し方見つけないと。
「じゃあさ、あたしがリサだって証明してあげようか?リサを食べた魔女かも。」
その線があった。
自分から言うなんて、もしかして。
でもどうやって証明するのか、ちょっと楽しみではある。
「うん、してみて。」
「わたしはリサ。リヴェル村出身、十四歳。お母さんはアリエ、お父さんはサルド、弟はリル。あんたと勇者候補に選ばれてジョージおじさんが送ってくれてアルセナに来た。で、あんたと一緒に剣を抜いちゃった。あたしがモンスターと戦いたいって言って今日回復してもらったらこんな感じ。」
証明すると啖呵を切ったのに当たり障りない事しか言わないのはリサらしい。
いや、待てよ。
魔女がリサを演じてる可能性もある。
ラグナロクの柄を見てからマイナス思考がまとまらない。
「ちなみにあんたはナギ。お母さんはナエラさん。お父さんはキャスターさん。一人っ子。サディナが苦手。昔サディナの家にできてるフルーツを盗んでた事があって、村を出るときにバレた。さらにけっこう洒落にならない年齢までおねしょしていて、ナエラさんと一緒じゃないと眠れなかった。運動はあまり得意じゃない。小さい頃、村のみんなでかくれんぼしてたら忘れられて不貞腐れてなぜか一人で隣村に帰宅した奇行経験あり。さらにさらに、そのくらいの頃に気になってる女の子に虫をプレゼ-」
「もう大丈夫!わかったわかった!ありがとう。たしかにリサだ。」
「うん、あたしはリサだよ。」
顔が熱くなる。
なぜ僕の家族しか知らない情報を知ってるんだ。
逆に魔女なんじゃないか?
でも母さんと一緒じゃないと眠れないってのは間違っている。
「おねしょの話、なんで知ってるの?」
「ナエラさんから聞いた。」
魔女は二人いたようだ。
勝手に舌打ちが出ていた。
「母さんと一緒じゃないと眠れないってのは、嘘だから。」
「そういう事にしておいてあげる。」
魔女が笑っている。
僕もリサの秘密を知りたい。
なんで僕だけ恥ずかしい思いをしないといけないんだ。
恥ずかしすぎて混乱してきた僕はジョージおじさんを売った。
「ちなみに、ジョージおじさんは浮気してるよ。」
さようならジョージ。
「は?ほんとに?誰と?」
「となりの村の人。夜一緒に歩いてるの見かけた。」
「最低。」
勇者の剣を売却した時よりも気が晴れたかもしれない。
小鳥が楽しそうに飛んでいる。
大地が僕の存在を肯定するように優しく歩みを受け止めてくれる。
葉っぱがリズムを刻むように揺れている。
なんて世界は美しいんだろう。
「リサ。」
「ん?何?」
「勇者の剣を王様に売ったお金、あれ使っていいから。」
「ほんと!?」
三十万エンテもらっておいて良かった。
勇者の剣の売却は我ながら素晴らしい決断だった。
「うん、洋服とか、その、ネイルとか。してきなよ。待ってるから。」
ちらちらとリサの顔を窺うが、
母さんよりも全然若いだろう。
たしか母さんは三十台前半だった気がする。
目の前にいるのは二十歳くらいのリサだろうか。
だとすると実際の年齢から五、六年が経過した事になる。
外見や声が違うだけで話すとリサを感じられて少し安心した。
「ありがとう!いくらくれるの?」
「五百エンテくらい。」
「五百!!?」
「え?」
「何もできないじゃん。あんた洋服とかいくらか知ってるの?」
「五十・・・」
会話に集中力はない。
視線を一旦前に戻し、再度シャツを見る。
シミがまばらについている。
〝潰したものが広がった〟というよりかは〝飛び散ったものがかかった〟ようなシミ。
木の実を潰してしまったのだとしても、
たくさんの小さい実を一度に踏まないとこんな感じにはならないだろう。
「物価高騰中のフルーツ串かよ。ネイルっていくらか知ってんの?」
「二百・・・」
怪我も心配だけど、服とラグナロクの柄の汚れがどうしても気になる。
どんどん会話が適当になっていく。
「ねえ、わざと言ってるでしょ。ネイルはともかく、昨日食べたビーンズのサラダが五十エンテとかだよ?」
「ネイルっていくらするの?」
「幅はあるけど、千エンテくらいかなあ。」
意識が会話に戻る。
「千エンテ!?!?!?爪に色を塗るのに千エンテ!?!?!爪に色を塗ったら千エンテ!??」
爪に色を塗るのに千エンテだって!?!?!?
「なんで二回言うのよ。あんたそのノリ、アルセナ着いたら絶対にやめた方がいいよ。魔王討伐する前に一部の人類にやられるよ。」
「わかった。じゃあいくらあれば足りるの?」
「んー。五万エンテくらいあればいいんじゃないかなあ。」
高すぎ。
頭痛が戻ってきた。
動揺を見せないようにしておこう。
「リアルな数字だね。」
「洋服ってけっこうするんじゃないかなあ。特にアルセナとかだと高そうじゃない?動きやすいようなやつ買いたいし。あたしだって一気にこんな成長した事ないから全部買い物するなんて初めてなんだよ。」
「ごめん。」
たしかに一式の購入なんて金額の想像がつかない。
それに怪我の治療にたくさんお金がかかりそう。
少し多すぎるくらいがいいのかもしれない。
今の位置からはリサの右腕は見えないけど、
大丈夫だろうか。
さっき見た時は血は止まっていた気がする。
「ねえ、だからそういうつもりじゃないって。もう謝るの禁止。普通にしてよ。」
「自分だって服の値段知らないじゃん」
僕を睨んでいたけど、なんか元気そう。
そんなに痛みはないのかもしれない。
「リサ、城に着いたら僕、先に宿の部屋をとりなおしてくる。
いつもの部屋は入れないかもしれないよね。
なんか部屋に置いてたりする?」
「ううん、今日はなんも置いてない。」
宿屋の人からしたら、今のリサは別人だろう。
もし聞かれたらなんて説明しようか迷ったけど、
ややこしいので聞かれても誤魔化す事にしよう。
部屋に何も置いてなくてよかった。
「わかった。部屋取り直したら噴水広場にいるよ。何か手伝いが必要だったら来て。怪我は大丈夫?」
「うん、大丈夫。道具屋に回復アイテム売ってたと思うから治してくる。」
いつもはリサの方が歩くの早いけど、
城までの帰り道、僕がたまに歩調を合わせていたのが新鮮だ。
リサからも視線を感じて、やっぱり様子はおかしかった気がする。
衣類があまりにも汚れているし。
リサは何か隠している。
*
-アルセナ城 宿屋-
リサと別れ、宿屋入る。
カウンターには不愛想なおばさんがいた。
二人分の代金を支払い、部屋に急ぐ。
部屋が空いていたのでついでに僕の部屋も変えておいた。
不愛想な人で助かった。
おばさんには特に何も言われなかった。
リサが来てから何か聞かれるかもしれないけれど、そこまで客に興味はなさそうだ。
宿屋の階段が一定のリズムで軋む。
それにしてもあんなに表情がころころ変わるリサは初めて見た。
成長したショックもあるかもしれないけど、
様子がおかし過ぎる。
はやく確認したい。
部屋の鍵を締め荷物を雑に下ろす。
鞘を壁に立てかける意識もそぞろに、急いでラグナロクを引き抜く。
刀身から目が離せずに息をのんだ。
至る所にべっとりとした青黒いものが付いていた。
刀身に付いているという事は血液だ。
足の力が抜けていく。
ラグナロクを見つめたまま、その場にへたりと座り込む。
乾いている部分もあった。
ある程度時間が経過しているのだろう。
乾きが甘い部分に触れるとねばついている。
魔物の血…?
成長してしまった原因が僕の魔法かどうかは一旦置いておき。
僕が気を失っている時に、間違いなくリサは何かと戦っている。
その戦った敵にリサは乗っ取られている可能性がある。
今のリサは別人かもしれない。
手が冷えていき思考がネガティブになり、よくわからない黒い感情が胸に湧く。
敵だったとして、僕はリサを攻撃できるのだろうか。
無理だ。
矛盾が思考に制限をかけてくる。
胸の奥の黒は小さくなる。
もし…なんかの魔物・・・例えば魔女だったとしても。
あんなに〝リサらしさ〟があるのだから〝それはそれでリサ〟なんじゃないのだろうか。
別に世界も滅亡させないし、仲良く一緒に旅をしたいだけ。
〝魔女らしいボロ〟は出さないから一緒にいてほしい。
もし、そういう魔女だったら。
それはそれで問題ないんじゃないのか。
乗っ取られているなら〝リサの形をした魔物に刃を向けないといけない〟
という思考に一気にストレスを感じてから
それを塗りつぶすように避ける思考が浮かんでくる。
もっと言えば〝魔女らしいボロ〟すら出さなくて、
いや、そういう事じゃない。
出したとしても〝リサになりきる思い〟を強く魔女が持っていたら?
ピンチの時に魔女の力を開放するとか、そういう奥の手すら出さずに、
リサらしい命の〝終わり方を受け入れている〟のだとしたら?
リサとして一生を終える覚悟をしていたら?
果たしてそれを僕は何をもってして、リサではないと断定するのだろう。
もしそうなら…別に魔女でもいいんじゃないのか…。
思考をストップさせるように壁に立てかけた鞘が大きな音を立てて倒れる。
腰から上が派手に跳ね、その勢いでみぞおちに焼けるような不快感が昇ってくる。
ともかく、リサを退治するとか仲間に剣を向けるとか。
物騒な話は置いておいて。
確かめる必要はある。
確かめなければいけない。
怪しまれないように早めに噴水広場に行こう。
落ち着けず、うろうろと部屋の中を五周くらいして噴水広場へと向かった。
*
-アルセナ城 噴水広場-
日が落ちかけている。
空にオレンジが敷き詰められているかのような。
心が落ち着く暖かい色が一面に広がっている。
噴水広場の階段に座り、リサを待つ。
勇者の選抜会、本日の分は終了したようで人通りはまばら。
剣は今日も抜けなかったみたい。
選抜会を終わらせないでほしい。
衛兵を交代制で働かせて、朝から晩までずっとチャレンジしてほしい。
オウ・サマが寝ている間に勇者が誕生したら、
起きて謁見の間でそのまま対応すればいいだけの話じゃないか。
オウ・サマがパジャマだったとしてもあの謁見は成り立つし。
誕生した二人の勇者がまだアルセナでうろうろしているの、衛兵も気づいているはずだ。
勇者の誰しもが率先して魔王退治に行くなんて思わないでほしい。
オウ・サマは油断しないでほしい。
こうしている間にも魔王が迫ってきているかもしれない。
時間は有限なのだから。
ため息に乗せて悪態を放り投げ、宿屋を出るときに閃いた事を確認する。
今すぐにリサが魔女かどうか、おおまかに確認できる方法がある。
リサは間違いなく〝ネイル〟をしてくるはずだ。
エクステもするはず。
でも、やはり本命はネイルだ。
リサが乗っ取られていなければ、間違いなくその色は〝桃色〟のはずだ。
桃色ではなかったとしてもリサなら〝派手〟なはず。
黄色だろうか、鮮やかな赤かもしれない。
大勢の観客に向かって急に剣をふりかざし叫び出す女子だ。
オウ・サマに〝絶対に見せられない戦い〟を挑んでいく豪胆ギャルだ。
漆黒もあり得る。
この情報で断定はできないかもしれない。
しかし、かなりの手掛かりになる事は間違いない。
手に汗がすこし滲む。
その後の行動を考えるな。
確認だ、確認をしろ、ナギ。
まずはそれだけでいい。
疑ってる事がバレたらころされるだろう。
慎重にいけ。
そう自分に言い聞かせた。
「ナギ、お待たせ。」
上から声がした。
聞き馴染みがあるがちょっとだけ低い声。
落ち着くような、優しい声だ。
僕はこのゆったりとした声が好きだった。
顔を上げ〝いまのところリサ〟に応答する。
「うん、全部済んd―――」
そう言いかけた時、言葉に詰まる。
〝いまのところリサ〟の顔から一瞬目が離せなかったのだ。
すぐに顔を逸らす。
きれいだった。
いつもと全然違う。
そう思ってしまった。
容姿がタイプだとか髪型がいつもと違うとかそういう外見の話じゃない。
なんと言ったらいいのだろう。
雰囲気というか、やさしさというか…。
この気持ちはなんなんだ。
以前、ジョージおじさんから、
〝女性と一緒に吊り橋渡ったら、なんかその人の事どんどん好きになっちゃうんだけど〟
と聞いた事がある。
人は普段と違う環境で、魅力と不安の〝どきどきの区別〟がつかない時があるらしい。
これはそれに近い状態なのかもしれない。
突然の出来事が文字にならず背中にじとりと発汗を感じる。
顔が熱い。
「ちょっとごめんよ。」
そう聞こえた途端、僕の肩に力がかかる。
リサが隣に座ってきた。
驚きから息を大きく吸ってしまった。
疑っている事をばれたらおしまいだ。
取り繕わなければ。
僕は何事もなかったかのように〝いまのところリサ〟を向く。
「怪我、大丈夫だった?お金足りた?」
「うん、買えた買えた。とりあえず必要なものは全部済んだ。お金ありがとう。傷もすぐ良くなった。まだ傷はあるけど明日には治ってるんじゃないかな。回復アイテムは買っといた方がいいね。すごい効果あるよ。」
こちらを向きながらリサは嬉しそうに言った。
一瞬目が合い、僕は咄嗟に顔を逸らす。
さっき感じた違和感の正体がわかった。
突き止めたよ、ジョージ。
〝リサの笑顔がすてき〟なんだ。
いや、リサはずっとすてきだったのかもしれない。
僕が今、〝いつもと何かがちょっとだけ違うリサ〟と認識しているから目に入るだけかも。
しかし、それにしてもこんなに衝撃を受けるものなのか。
別人に見える。
…別人!?
その瞬間。
小さい頃にサディナの家に忍び込み、
本を読ませてもらっていた時の記憶が突然過る。
お伽話だったか、昔話、神話だったか。
人間が悪魔に惑わされてしまい、危険に晒される物語だった気がする。
いや、悪魔じゃなくて魔女だったかも。
〝魅惑〟
その言葉が浮かぶと鼓動がゆっくりになる。
僕は落ち着きを取り戻しはじめた。
魔女が使っていてもおかしくはない。
おかしいどころか順当だ。
ありがとう、サディナ。
あなたのおかげで僕は今、窮地を脱しようとしている。
知っている事は武器だ。
〝たぶんリサ〟の方から声がする。
「どう?洋服、似合ってる?」
どきりとした。
サディナの家で読んだ本の内容が浮かんでくる。
いわゆる〝チャーム〟には段階がある。
まずは惑わしの〝魅惑〟次に行動が支配される〝魅了〟だ。
〝たぶんリサ〟から放たれたこの質問は、
〝おまえは今ちゃんと魅惑にかかっているのか?〟という確認だ。
命は惜しい。
僕はかかったフリをしてやり過ごす。
〝たぶんリサ〟をまっすぐ見つめ言い放つ。
「うん、リサ、とても似合っているよ。きれいだね。」
悟られないように、しかし素早く慎重に顔を前に向ける。
頬がひきつっていたかもしれない。
顔が熱くなる。
本当にきれいだったのだ。
これ僕すでに魅了かかってんじゃないの?
〝たぶんリサ〟が何やらリュックサックを漁っているのが視界の端に映る。
「ねえナギ!そういえばさ!プレゼントがあるんだよね!」
このタイミングでプレゼント?怪し過ぎる。
今の状態は相当危険だ。
油断は禁物。
僕はバレないように、肩でひとつ息をする。
「これ!道具屋さんで見つけたの!」
〝たぶんリサ〟は手に何か持っている。
僕は自然な感じで目をやる。
その時だ。
爪が目に入る。
(ベージュ!)
つい目を丸くする。
桃色じゃない、レモンの黄でも情熱の赤でも漆黒でもない。
ベージュ!
夕焼けよりも淡いだって?
あのリサが!?
「これね、セーフポイントって言うんだって。魔物が出ないの。強く叩くと光るらしいよ。野宿する時とかに使うやつ。あんたにあげる。」
なんといえばいいのだろう〝一色のベージュ〟で爪が覆われているわけではない。
グラデーションが効いているのだ。
〝徐々にベージュ〟とでも言えばいいのだろうか〝一部ベージュ〟
とてもきれいだ、淡い、自然な感じで。
桃色の百倍いい。
僕は大好きだ。
はっとして髪をむしるように掴む。
今僕は何を考えた?
千エンテもして爪を塗るだけのものに〝僕は大好きだ〟だって?
今すぐフルーツ串を買い、平らげて串を自分の太ももに刺したい。
我に返りたい。
あれ?返りたいって思ってるって事は今、僕は我なんじゃないのか?
いや、〝魅惑の段階〟では抗う心は残されているのかもしれない。
これ我に返れるの?
戻ってこれないんじゃないか?
自我って何?
考えがまとまらない。
チャームの威力を思い知りながらも思考を紡ぐ。
リサに邪な感情を抱いているわけではない。
今回の件、僕なりにかなり責任を感じている。
今まで理解できなかったネイルに魅せられているわけでもない。
断言できる。
髪をむしる手に力が入り震えを感じる。
僕の思考は変わっていないはずだ。
あくまでも〝爪としての完成度〟が高い。
そういう話だ。
そう、僕は何も変わっていない。
ここまでの威力なのか、魅惑って。
強すぎる。
〝もしかしたら魔女〟を直視しないように、セーフポイントを受け取る。
「ありがとう。」
自分が自分じゃなくなりそうで叫びそうだ。
「いいよ。人気がないところでの野宿とか怖いよね。それ三回使えるらしいよ。」
円柱状の〝セーフポイント〟を見つめたまま、僕は固まってしまった。
ベージュに気を取られていた。
魔物が寄って来ないアイテム、なぜこれを自分から渡してくる…?
疑っている事がバレている?
あえて渡す事で魔女ではないアピールをしているのだろうか。
僕が使えないとでも思っているのか。
ばこんと前方で大きな音がする。
そちらを向くと商店の男性が木箱を落としてしまったようで
周囲にぺこぺこしていた。
その瞬間、結論に直結した閃きがうまれる。
つい目が見開いた。
〝セーフポイント〟に視線を戻す。
これこそ、魅了チェッカーだ。
僕はチャームのどの段階なのか?
魅惑なのか、行動制限が可能な魅了の状態なのか?
やはりそれを見定めたいのだ。
木箱の落下音で意識が逸れ、少し落ち着いてきた。
この短時間で状況は相当よくない方に傾いている。
ベージュの件から僕は劣勢だ。
この場を去って仕切りなおそう。
立ち上がると〝もしかしたら魔女〟の頭を向いた。
「リサ、これありがとう。大事に使うよ。今日はごめん。先に宿に戻るね。」
「うん。大丈夫。またね。」
〝もしかしたら魔女〟がこちらを見上げた時だった。
一筋の紫が見えた。
エクステ!
ネイルはベージュだった。
しかしエクステは紫。
頭は〝僕の知ってるリサ〟だ。
ネイルをベージュにして紫のエクステをつけるものなのだろうか。
おしゃれに詳しくないのだから、僕には色の組み合わせの妥当性なんてわからない。
夕焼けを見ながらベージュ色の爪を思い出す。
リサに言うのは恥ずかしいけど、とても似合っていた。
しかし、リサでない可能性がある。
半妖…?
単純な感想を思い出しているだけなのに、思考が複雑になる。
僕は混乱しながら宿に戻った。
頭が痛い。
今日もパンクしそうだ。
*
-アルセナ城 宿屋-
日も落ちて、周囲が静かになる。
宿屋のベッドの上に座り、目の前に〝セーフポイント〟を置く。
見つめたまま考え込む。
酔っ払いだろうか、時折地上から人の声が聞こえる。
噴水広場で話していたリサは、リサだった。
外見が変わったから雰囲気こそ違うが、
話せばすぐに本人だとわかる。
顔だって別人になってるわけではない。
たしかにリサだ。
しかし、魔女である手掛かりを〝掴んでしまった〟。
〝もしかしたら魔女〟だ。
対応せねばならない。
円柱状の魔女からの挑戦状を片手に僕は部屋を出た。
音を立てないように階段を降りるとカウンターに不愛想なおばさんがいた。
気配に気づきこちらを見るがすぐに手元に目を落とす。
話しかけないでくれと念じたのがいけなかったか、
宿のおばさんはぶっきらぼうに口を開く。
「こんな遅くに、外に?」
「いえ、違います。」
なんと言っていいのかわからず意味不明な返事となる。
僕はおばさんに目もくれずに宿屋を出る。
出てすぐ道の真ん中で首を振り、
宿の壁を目で追いながら適当な場所を探す。
〝もしかしたら魔女〟は二階の部屋だ。
部屋を推測し、その窓の下に移動する。
宿の出入り口からは数歩の場所だった。
膝を曲げ、重心を落とす。
おしりが地上に少し触れた。
おしりをはたきながら円柱状の〝セーフポイント〟を立てる。
腰を落としたまま宿屋の壁面に寄りかかる。
街の静けさと目の前に置いた見慣れない冒険グッズが僕の覚悟を加速させた。
大きな呼吸をし脳に酸素を一度送ると〝セーフポイント〟を強く押す。
何も起こらない。
不良品?
拳を握りしめ振り上げる。
狙いを定めて振り下ろし、拳の小指側で力いっぱい衝撃を与えた。
二拍おいた後、勢いよくセーフポイントが発光する。
その円周からは考えられないほどの光の太さ、強さだ。
目の前に堂々とした光の柱が立ち上り、存在感を示す。
えっこんな光るの?
眩しくて一瞬目を瞑る。
光は天高く昇っていくようにも見えた。
予想外の光り方にお尻が地上につく。
後ずさろうとするが後ろは壁面だ。
足に力が入らない。
魔女にばれる。
ころされる。
逃げるしかない。
宿屋の出入り口を向くと、不愛想なおばさんが出てきた。
僕とは逆方向に進もうとするがさすがに光に気づく。
「えっなに、まぶしっ。」
そう小声で聞こえた刹那。
光の柱が喋りだしたんじゃないかと思うほどの音量が響く。
「何やってるんだい!店の前でセーフポイント点けるんじゃないよ!」
見た事のない形相で叫ぶ宿のおばさん。
まるでモンスターと遭遇したかのような威圧感。
僕は即座に起き上がり、距離をとる。
「あ…ああ…あの…。」
言葉がでない。
ごめんよおばさん。
僕が悪かった。
こんなに光ると思わなかったんだ。
だから叫ばないでくれ。
奴にばれる。
〝もしかしたら魔女〟の部屋を見ると、
窓から無表情でこちらを見下ろしている。
情けない声が出そうだった。
ばれた。
終わった。
ころされる。
僕と目が合った途端、即座に顔を引っ込める〝もしかしたら魔女〟。
…効いてる!?
目の前には鳴き続けるモンスター。
キィキィと高すぎる声で何を言っているのか聞き取れない。
勢いが衰えない光りの柱。
どうせころされるならやってやる。
僕は覚悟を決める。
力が戻る。
脛に力を入れながら素早く〝セーフポイント〟を掴む。
モンスターとすれ違い、勢いよく宿屋に入る。
「ちょっと!中に持ってくな!!」
やや後方から正論の鳴き声がした。
宿屋内を光の柱が照らしまくる。
円柱はかなり発光しているが〝いやすね〟程ではない。
持っている方の目はかなり見にくいが片目が使えれば問題ない。
階段を一段飛ばしで駆け上がる。
モンスターも近づいてきているのがわかる。
何か叫んでいる。
振り返らない。
〝絶対に魔女〟の部屋はすぐそこだ。
部屋の前に着くと僕は何度も木の扉に拳を打ち付けた。
「リサ!リサ!!」
「ちょっと離しなさい!これ!うあまぶしっ!」
右手に負荷を感じると同時に掴まれている感触。
モンスターがセーフポイントに触れたのだろう。
手首を忙しく動かし、なるべく掴ませ続けない。
暴れる光。
「リサ!リサーーーー!!」
扉が少し開き、ついにセーフポイントを至近距離に持ち込んだ。
焦っているに違いない。
「あんた何やってんの!?」
叫ぶ〝絶対に魔女〟
その表情を窺おうと僕は黙り、じっと暴れる光の向こうを観察する。
〝セーフポイント〟を握る手に力が入る。
「他の客の迷惑だから!はやく離しなさい!なんなのよもう!!」
「すいません!すいません!すぐ消します!」
そう言って〝絶対に魔女〟は僕の腕を引っ張り部屋内に引き込みドアを閉める。
「それ眩しいんだから点けないで!次点けたら出てってもらうからね!!」
「すいません!ごめんなさい!もうしません!」
ドアを挟み声を張り合う〝正論と魔女〟。
すごい光景だ。
正論の足音は遠ざかっていった。
「ねえ!あんた何やってんの!?」
こちらを向く〝絶対に魔女〟を尻目にセーフポイントを室内の真ん中に立てる。
その横で直立し、僕は勇者の剣を抜いた時のように手を前に組む。
ラグナロクは僕の部屋だ。
くるならこい。
「なんか喋って!その顔と姿勢むかつくからやめて!」
組んだ手が弾かれる。
〝これもしかしたら最強の魔女〟はぴんぴんしている。
苦しむ様子はない。
段々と怖くなってきた。
魔女には〝セーフポイント〟は全く効かないのではないか。
効いているのかもしれないが
別に苦しむとか悶えるとか、
そこまでの効果はないのではないだろうか。
この女の至近距離でセーフポイントを点けても〝意外と生きる事ができる〟
その希望が恐怖を肥大させた。
目が熱くなってきた。
床の抜ける感覚が足を襲う。
怖くて漏らしそう。
僕はもう直接確認する事にした。
光が少し弱くなった。
「辛くないの?大丈夫なの?」
消え入りそうな声だった。
「はぁ!?」
魔女の眉間に皺が寄る。
「苦しくないの?平気なの?」
返事はない。
しばらく無言が続く。
僕の命について審議中なのだろう。
光を失っていく〝セーフポイント〟に
併せるかのように魔女の雰囲気がゆるやかになっていく。
ランタン本来の光が部屋を妖しく照らす。
部屋の暗い方の部位から僕が爆ぜてもおかしくない妖しさだ。
魔女はベッドの上に腰掛ける。
「うん、大丈夫。」
柔らかい声だった。
弱々しくも聞こえた。
少し微笑んでいるかのように見えた。
効いているのかもしれないが
命あっての情報だ。
目標を部屋からの脱出に切り替える。
しばらく部屋を沈黙が包む。
弱い光をふわふわ放っているセーフポイントをゆっくり拾い、
沈黙に紛れながらちょっとずつ摺り足で移動した。
魔女に視線をやると、影を見られており動いている事がバレていたので
開き直って自然な動作で部屋の扉まで歩き出す。
「ナギ。」
もう手が届くという距離で名前を呼ばれる。
無言で振り向くと、魔女と目が合った。
「ありがとね、おやすみ。」
「うん、おやすみ。」
そう言い残し慎重に扉を開け
これ以上ない速さで丁寧に部屋を出た。
無事、自分の部屋に戻る。
肺が呼吸を思い出したかのように息が深くなり、どっと疲れを感じる。
魔女がいる方の壁に視線を向ける。
最後に御礼を言われた意味は全くわからないけれど。
目が合った時、人間でも見た事がないくらいとても穏やかな、やさしい笑顔をしていた。
魔女があんな笑顔で微笑む事ができるのだろうか。
ベッドに横になる。
体と意識がベッドに溶けていく。
とりあえず、リサがリサらしくいれるならいいかと少し心が安らいだ。
彼女が魔女になってしまっても僕は気にしない。
〝魔女が彼女になってしまう〟事が嫌だったのだと、あの穏やかな笑顔で確かに思えた。
仮に寸分違わずその人間に成り切れる魔物がいるならば
それは僕ではなく、もはや種族間の問題だと世界に丸投げした。
うとうとしてきたが思い出したように起き上がり、
リサの部屋の方向にセーフポイントを限界まで寄せ、
その日は眠りについた。




