第98話/ナギ VS リサ/Limited_NAGI
足への衝撃で、足首が折れるような、骨のいやな音がした。
リサの近くに着地した。
相変わらず着地とは言えない。転倒だ。
エヴィが言っていた高速落下の意味がわかった。
(視界が変わった瞬間に〝つかむ〟して衝撃を逃がせって事ね。)
S棟屋根からN棟前への〝つかむ〟はさすがに無理があった。
あまりにもエヴィがすいすい移動するものだから、自分もそんな感じでなんとかなるのでは。何故かそう勘違いしていた自分を責める。
激痛で目の前に意識が向く。
(落下直前で〝つかむ〟しても意味ないじゃん!僕シューズ履いてないし!これ絶対両足折れてる!E棟の屋根からリサに伸びてる帯引っ張ればよかった!僕のあほ!)
クラックランの兵士を颯爽と助けに入りたかったが失敗に終わる。
仰向けの状態で拳を地面にばんばん打ち付ける。
ひたすら自分を責めながら、膝を腹の辺りに引く。左手を近づけて自分の足に回復をかける。
膝を引いた反動で上半身を起こした。
リサに鋭い視線を向けるナギ。
リサの目の前には鎧を着た人間が尻もちをつき、後ずさりをしている。
鎧の各部がぶつかり合い、動くたびに鈍い金属音が微かに聞こえた。
少し離れたところに剣が一本落ちている。
リサからの一撃目は回避したのか、尻もちをついた人間の足元の地面が抉れていた。
ラグナロクを振り上げている片腕のリサ。二発目だ。
少し怒りを滲ませた、虚ろな横顔が見える。
リサの前にクラックランの兵士が二人立ちはだかった。
三人一組の部隊なのかもしれない。
(この化け物!僕が捥いだ腕以外になんで怪我してないんだよ!)
左手をなるべく自分の足に翳し続けながら。
すでにリサに伸びている魔法の帯を、引っ張った。
リサが消える。
すぐ横を風が抜けた。
後ろで地面を擦るような音。
クラックランの兵士が周囲を見回している。
ナギを見つけ、顔の向きがぴたりと止まっていた。
三人とも頭まで鎧を被っていて表情はわからない。
一人がナギを指さしていたような気がした。どうせ体の事だろうと、構わずリサを向く。
滑る勢いを利用して、横倒しになった体を起こしていた。
減速したところで、近くに落ちた魔法筒を飛んで避けている。
足首にかけていた〝いやすね〟が終わる。
エヴィに脇腹を刺された時のような自動回復の影響もあるのか、かなり速い気がした。
目が合うなり、リサが突っ込んでくる。
しかし、そのスピードはとんでもなく遅かった。
ブローチ戦の彼女の踏み込みは見る影もない。
剣に左手を翳しながら、ナギも突進し迎え打つ。
ブローチと戦った時のアネットがちらついた。
「ラグナロクが〝やわくなれ〟!」
間合いに入る直前に振り上げられたラグナロクを狙って魔法をかける。
初めて魔法をかける対象には発声した方がいいのかもしれない。そう考えていた。
アネットはそうしていたのだ。
振り上げた右手にはへろへろになったラグナロク。
スカーフのように揺蕩っている。
本人は気づいていない。
間合いに入ると目にもとまらぬ速さで腕を振ってきた。
へろへろの剣はそれに追いつかず、空を切る。
いや、空を揺蕩う。
ゆらっと撓って届かない。
ナギの右拳がリサの顔面に食い込んだ。
たたらを踏んでいるのが見える。
左の拳を握り締める。
右拳を振り抜いた勢いを利用して、腰を捻る。
左肩を開きながら左拳を引いた。
腰がリサに向かって回りかける。
頬が引きつった。
拳が止まる。
腰に残った勢いで、左足のつま先を振り上げる。
リサの右腿に頼りない勢いで当たる。
ブーツに柔らかい感触。
リサが止まらずに、数歩踏み込んだ。
ナギの腰に斜めに切り上げてくるラグナロクが迫る。
柔らかいものが腹を撫でて通過した。
振り抜いた腕の先でだらんと刀身が垂れ下がった。
リサは目を丸くしてそれを見ている。
ナギは右足の脹脛に力を込め、地面を蹴る。
彼女の鳩尾に視線を固定する。
左足で踏み込み、体重を目一杯乗せて右拳を突き出す。
柔らかい感触と骨の感触。
すでにお互いの拳が届く距離。
数歩引きながらむせたリサが、間合いを押し返してくる。
引いた右拳で胸元のカバーからカランビットナイフを抜く。
脇腹に軽い痛み。
(左腕はないからたぶん蹴りアネットよりも全然弱い)そう思った瞬間。
地面にまっすぐ向いた剣先が視界に飛び込んできた。
ラグナロクが元通りになっている。
硬さが戻る。
(へろへろの状態で硬くなるんじゃないの!?)
ナイフを脇腹の辺りに固定し、右手首に力を入れる。
大急ぎで自分の背中に〝はなれて〟を撃ち込んだ。
体ごと衝突する。
右手に柔らかいものが裂ける感触。
リサの腹部にカランビットナイフが深く刺さる。
呻き声が近い。
肘を畳み、腕ごと横に突っ張る。
左の掌を横に傾け、リサの首に掌を翳す。
再び〝はなれて〟を唱える。
赤黒い衝撃の飛沫と共にS棟の方へ吹っ飛んだ。
手元のカランビットナイフには血がべっとりと付いている。
息つく暇もなく、すでにリサへ伸びている魔法の帯を引っ張る。
横向きに転び、ナギの手元に滑ってくるリサが現れた。
引っ張った勢いが残り、後ろへ砂と体の擦れる音が伸びる。砂埃が舞った。
乾いた土に血が垂れていた。
適度な距離を保って様子を窺っているクラックランの兵士達が視界に止まる。
舌打ちをして魔法で全員吹き飛ばす。
呻きながら立ち上がろうとするリサに駆け寄ると、顔面を右足で思いっ切り蹴り上げる。
仰向けになる手からラグナロクが離れた。
拾い上げて地面に刺す。
リサに迫るオオカミの魔物が視界に飛び込む。
魔法で遠くに吹き飛ばすと、短く高い鳴き声が聞こえた。
気づけば胸に湧いていた〝黒い何か〟が収まらない。
仰向けのリサの頭の横に膝をつき、何度も右拳を振り下ろす。
顔を背けて避けようとするが数発鼻にめり込んだ。
くぐもった声と同時に血が噴き出した。
ナギは立ち上がると、興味を失った目つきでむせるリサを見下ろした。
なぜか裏路地の老婆の言葉を思い出す。
〝街全体に売られた小僧〟そう言っていた。
(僕はいつから、誰に裏切られていたんだろう。もしかしたら、ヤマカミ以前から。)
リサが腹に手を当てて回復をしている声が聞こえた。
裏路地の老婆の言葉なんて考えたくもなかったが、〝弱い〟だの〝ダサい〟だの、自分に散々言い捨ててきたリサの醜態を目の前に、身の回りの出来事が滑稽に感じて、どうでもよくなった。
(ドワンに裏切られているかもな。裏切られてるっていうか、お芝居かもな。あれ。隠し部屋の壁に名前書いてあったし。ファミリーネーム、聞いてたのと違ったし。ドワンとダーガが繋がってる可能性ある。もしそうなんだったらキューは安全に決まってる。)
みるみるうちに表情がなくなっていく。
空からシューズを履いた人間が襲ってきたが魔法で吹き飛ばすと、思考が変わる。
気づくと、ナギの周りだけ魔物はいなくなっていた。
再びリサを見下ろす。
(それにしてもなんでこいつ、僕に向かってくるんだ?なんでクラックランの人と戦ってるんだ?)
膝をつき、掌でリサの顔をはたきながら叫ぶ。
「おい!おまえなんで僕に向かってくるんだ!なんでクラックランと戦ってる!おまえなんで今日参加してるんだ!」
しばらく待つが荒い息をするだけで返事はない。
苦しそうに目を閉じていた。
諦めた顔をして、顔面に右拳を振り下ろす。
血が跳ねた。
(ミライがサファだったって事は、もしあの二人が同一人物なんだったとしたら。ほんっとうの始まりはリサと二人で行ったドーゲンミライ道場だ。あんな所から始まってんの!?でも、そうだ。あそこでサファに見つかった。元を辿るとあそこから始まってる。それからサファとリサの間に何があったかはわかんないけど。サファは強さが欲しかったのかも。あいつ弱いし。で、僕のカツアゲは、たぶん負けた賭け金の回収だ。)
足元に魔法筒が飛んできた。
拾うと〝はなれて〟を撃ち込み、投げてきた人間に返す。
女の悲鳴が聞こえた。
(命中した!って…そんな事はどうでもいいんだよ。結局あのカツアゲで、ダガヤにも絡む事になったし、色々と他の人の思惑っていうか狙い?そういうのに巻き込まれていったんだ。でも一番はやっぱりサファだ。なんでサファは僕を欲しがったんだ?ダーガの〝大人数での出張〟ってのも気になる。あれなんだったんだろう。)
元を辿ればだいぶ前からサファに接触しており、ダガヤに関わった日からミトハロに巻き込まれていた事を認めた。
自分も迂闊だった。
それぞれの建物を見回すが、ダーガらしき人物はいない。
しかし、どうしても解せない。いや、納得がいかない事があった。
意識が朦朧としているようなリサの右腕の袖をめくり、手で掴む。
二の腕にはたしかに宝石のタトゥーがある。
ぼんやり見ながら考えを巡らせた。
(こいつが失踪した間の、あのストレス地獄。グローブ・Kに通ってた時のあの十何日間。あれさえなければ、抗争に巻き込まれなかったんだ。結局、こいつの執着に付き合わなければ、キューは誘拐されなかったかもしれない。僕は街から出ていたんだから。もしもあの、裏路地のババアの言う通り、僕がドワンにも騙されてたんだとしたら、僕が街からいなくなれば、売られるも何もないんだから。)
ナギの表情がはっとする。
ドワンに騙されているとしたら、キューにも騙されている。
誘拐そのものが嘘で、ナギがここにいる事が誰かにとって重要なんだとしたら…。
そう考えた途端、腹の底が燃えるように熱く、胸にあった黒いものが、どろどろぐるぐると動き出す。
息が荒くなり、歯を食いしばる。
少し遠くからクラックランの部隊がナギを向いていた。忍び寄っているようにも見える。
ぎろりと睨むと足が止まり、たじろぐように進行方向を変えていた。
(結局、リサがハッキリしてれば、僕は今日ここにいなかった。)
グローブ・K、ヤマカミ、ダガヤ・クルー。全てが敵になっても、ナギはどうでもよかった。
しかしドワン、キューにも騙されていたと考えると、耐えられない。
裏路地の老婆があのタイミングで嘘を言っているとも思えない。
老婆はたしかにサファを欲しがっていた。
ナギを揺らがせるメリットが見つからない。
(こいつさえいなければ。)
リサに意識を戻す。
気づくと、リサはナギの右手を握り締めてきていた。
振りほどき、腹に右拳を叩きつける。
立ち上がると脇腹を腕ごと蹴り飛ばした。
「リサ!おまえがさっさとハッキリしてりゃ僕はここにいないんだ!ドミヌス入るならそれで終わりでいいだろ!中途半端なんだよおまえ!」
力強い目で叫ぶナギ。
「あた、しからう、ばわ、ないで」
舌打ちが出た。
何度も右足で頭を蹴る。
リサの動きは鈍い。
ナギは鼻で笑う。
「僕はどこにも入ってないけどさ、おまえと僕はもう別のチームでしょ。奪ったっていいじゃん。」
「そん、な事、言って、ない。」
その一言に頭が熱くなる。表情が歪む。
会話を諦めた。
「おまえ全然弱いじゃないか!ボロ負けじゃん!なんか言えばーか!弱いから負けんだろ!会話になんないの気持ち悪いんだよ!独りで勝手に禿げ散らかしてろよ!」
顔面に右足を一度振り落とす。
何かが折れた音で、ナギの頭の中にあった何かも弾けた。
しばらく立ちすくむ。
耳に入る喧騒が大きくなった気がした。
白煙が増え出している。
やがて魔法で頭を掴む。
リサへ伸びる魔法の帯が二本となる。
魔法の帯をふわふわ動かし、リサを宙に浮かせる。
髪はぼさついている。
閉じているのか腫れているのかわからない瞼。
顔は血だらけ。
腕、足は力なく垂れ下がっていた。
腹からも血が流れている。
それをちらりと見ながら広場を歩き出すナギ。
温度がない鋭い目つきだった。
淡々と声を張る。
「教えてくれよ!おい!広場見ろ!目開けろ!今!誰が何を奪ってるんだ!今この広場で誰がなんのために戦ってるんだ!僕わかんないんだよ!教えてくれよ!黙ってんじゃねえよ!」
一発腹を殴る。
くぐもった声が聞こえた。
「僕はおまえから何を奪おうとしてるんだ!教えてよ!ずっと同じこと喋ってんじゃなくてさ!おまえ人間だろ!?会話しろ!」
呻くばかりで返事はない。
リサの目から涙が零れた。
魔物と対峙している片腕のドーゲンが遠くに見える。
魔法でドーゲンだけ吹き飛ばす。
雑木林に消えていった。
驚いたように逃げていく魔物。
W棟とS棟の真ん中あたりの雑木林近くで立ち止まる。
鋭い目つきのまま、眼球をぎょろりと動かす。
N棟の近くで横たわっているサファを見つけ、魔法で掴んで引き寄せる。
ナギの近くで砂埃が舞うと、足元にミライからサファになったそれが転がりながら現れた。
魔法で掴んだまま何かに衝突した時は変化しなかったそれが、なぜ今は変化するのかわからなかったが、どうでもよかった。
左手を地面に翳す。
〝もうれつにやわくなれ〟を声に出し、柔らかくなった地面にリサを埋める。
雑木林を背にして、なるべく広場が見えるように。
肩に足で体重をかけ、胸元まで埋める。
リサに呼びかけても返事がない。
やがて魔法が切れ、地面で体が固定された。
近くの死体を漁り、使われていない魔法筒を拾い上げる。
〝いやすね〟を筒に籠めてピンを抜いた。
地面から飛び出しているリサの顔面に思いっ切り投げつける。
血だらけの顔に、アンバランスな表情が浮かぶ。
リサは意識を取り戻した。
目が合った表情は怯えているが、ナギに怯えているわけではない。そう考えた。
泣き崩れた時のマヤの目つきと重なった気がした。
「あっち見て。」
広場を指さした。リサは無言で向く。
時折顔が震えている。
死体が散乱し、魔物に食われたのか、腕や足だけのものが多い。
再び増える白煙の中から怒号、罵声が聞こえる。
クラックランに背中から乗られ、制圧されているシューズを履いた人間。
全焼したW棟。
ナギはサファを魔法で掴み、ふわふわと自分の横に浮かせた。
リサの横にしゃがみ、耳元で話す。
「リサ、誰が何を奪ってる?僕はおまえから何を奪った?おまえ今日僕に奪わないでってずっと言ってんだよ。何を奪われてんの。言えよ。」
低い声が出た。目には怒りが満ちていた。
リサは涙を零す。
「わ、かん、ない。」
嗚咽交じりの声。
ナギの表情が一層険しくなる。
「僕が今!ノードになってんだよ!サファもこんななのに!誰もサファを助けようともしない!おまえだってクラックランの人間襲ってるし!なんなんだよこれ!誰が何を奪おうとして今戦ってるんだよ!ちゃんとしてたのタリフだけじゃないか!」
「わかんな―――」
リサが俯いて広場から目を逸らす。
咄嗟に右手が動く。
リサの髪を右手で鷲掴みにし、無理矢理、顔を上げた。
嗚咽を漏らしている。
「わかんないじゃないんだよ!おまえが奪わないでってずっと言ってんだろ!じゃあおまえは自分でもわかんない事をずっと喋ってんのか!なんでおまえは居てほしい時にいないで!来て欲しくないときに来るんだよ!なんでおまえ〝ら〟は!喋って欲しくない時に一方的にまくし立てて!こっちが言ってほしくない事しか言わないで!なんで喋ってほしい時に黙るんだよ!それすらもわかんないのか!おまえの人生だろ!おまえの脳みそだろ!」
言葉の途中から、リサの顔面を地面に打ち付けていた。
「アネットが心配してたぞ!キューだってそうだ!ドワンだって我慢してくれてたんだぞ!宿も無理言って部屋だけとって変えて!ドミヌスになりたいなら勝手に一人でなってろよ!ハッキリ言わない癖に!避ける癖に向かってくるな!奪われたくないなら一生逃げてろ!僕に関わるな!おまえは弱いんだから!」
叩きつける度にくぐもった声を出すリサ。
「みんな心配してたぞ!キューもドワンも、アネットも!アネットにおまえなんか言っただろ!もらったブレスレット捨てやがって!それでも最後までおまえの事心配してたぞ!アースも相談乗ってくれたんだ!おまえだって話せばルントだって相談に乗ってくれたはずだ!レイシーなんて絶対に話を聞いてくれる!わがままに見えるパルは人の気持ちけっこう考えて!おまえよりしっかりしてるぞ!ウォッチは気性がちょっと荒いけどおまえと同じギャルだ!話が合ったはずだ!エヴィはむかつくけどなんか話しやすいし!おまえは!なんにもしない癖に辛そうな顔してんじゃねえよ!」
サファに叫んだ時は、冷静であった。執着を相手に突き出してみたらどうなるのか?という実験的に叫んでいたものだった。無理に相手に教えてはいけないとアネットからは言われていたので、サファで試していた。
黙らずに、会話が出来るようになるんじゃないのか。少しは向き合うんじゃないのか。甘かった。
人間の執着というものはナギの想像以上に根深いものだった。手に負えない。
ナギは、心底どうでもいい。死ぬまで向き合わないなら、勝手に死ね。
この時はそう思っていた。胸に〝黒ずんだ何か〟を残したままリサに叫ぶ。
手を離し、勢いよく立ち上がる。
「なんでおまえのために僕が独りになんなくちゃいけないんだよ!」
右足をリサにフルスイングした。
「なんでおまえのために僕がグローブ・Kまで行って!殴られて!準備して!なんで僕が周りに嘘つかなくちゃいけないんだ!けっこう良い人達だったのに!ウォッチもエヴィも!さっき!僕の事助けてくれたんだ!ドンドラやアブ〝ル〟スだって!今もなぜか襲ってこないんだ!なんで僕が意味わかんない苦しみ方しないといけないんだ!別に頼んでないしって言うのか!じゃあわかんないわかんないじゃなくて!ハッキリさせろ!中途半端に周りと関係残さずに!自分から!おまえが一人になれよ!一人になる覚悟もない癖に独りになったみたいな顔自分からして!被害者ぶるな!ぶっ殺すぞ!」
言葉にならない小さな声を出し、リサは涙を流していた。
〝目を背けている事を相手に伝えると悪化する可能性がある〟アネットからの言葉をずっとナギは守っていたが、もうどうでもいい。
そう思っていた。悪化するならさせてやろうとまで。
こいつがいなければ。その一心だった。
「おまえの執着だろ!おまえ!なんかから逃げてんだろ!向き合えないからそうやって周りに駄々こねたみたいに!自分にも向き合えない癖に狂犬リサとか言われてんじゃねえ!なんでおまえみたいな奴のせいでまともな人が遠慮しないといけないんだ!一生自分の世界で引きこもってろよ!出てくんな!一人で死んでいけ!」
膝を落とし、平手打ちを往復させる。
言葉は止まらない。
湧いた〝黒い何か〟が胸の中に充満し、口から飛び出した。
自分自身が何を言っているのかも、もうわからない。
「何が狂犬リサだ!僕の回復のおかげで年取って強くなっただけなのに!おいババア!おまえなんもしてないんだよ!僕のおかげで強くなっただけだろ!なのになんで僕を殺そうとしてるんだ!何が!弱いのがいけないんじゃない?だよ!強いおまえがなんで今僕にボコられてんだ!なんでよりにもよってドミヌスなんだ!見てみろ!サファは僕に一発も攻撃できずに!今日ずっと気絶してるぞ!なんで一番弱いドミヌスなんだよ!武闘派ならグローブ・Kだろこの街は!僕にすら勝てない癖に狂犬ぶってんじゃねえよ!」
胸の〝黒い何か〟が少し引いた時、気づかぬうちに薄っすら笑みが浮かぶ。
ナギの目は文字通り、赤く変色していた。
立ち上がると、リサの顔面を正面からひたすら蹴り飛ばす。
「言いたい事があるならおまえが言えよ!リサ!察してもらおうと思うな!自分で決めるのが怖いからって!僕に選ばせるな!離れたいなら離れろ!居てほしいならそう言え!曖昧なまま人を縛るなよ!どうでもいいならおまえからそう言えよ!本当はどう思ってるんだろう?って僕に考えさせるなよ!おまえが口を開け!お前が黙ってるせいで、こっちは何度も答えを探してるんだよ。なんでおまえのせいで僕が弱気になったり強気になったりしなくちゃいけないんだ!何度も何度も何度も何度も何度も何度も何d」
むせた。蹴り上げた右足の軌道がぶれる。
しかし気持ちが収まらない。
胸の黒がぶりかえす。
棒のように感じる軸足に力を入れる。
自分の足ではないような感覚。
「なんで弱気と強気を繰り返さないといけないんだ!なんで僕が人を疑わないといけないんだ!なんで毎回毎回砂浜で考え込まなくちゃいけないんだよ!さっさとおまえが決めれば僕は旅立てたのに!勝手に居なくなりやがって!僕が勝手に出発したらそれはそれで恨むんだろ!後からなんか言ってくるんだろ!おまえはそういう奴なんだろ!」
胸に黒い何かが渦巻き、止まらない。
頭は熱く、口が勝手に動いた。
地面が抜けたような感覚。何故自分が立てているのかもわからない。
喉が震え、腹に力が入る。
言葉が飛び出した後に、何を喋ったのかがわかる。
言葉が飛び出すまでは、何を喋るのかわからない。
自分がなぜ、叫んでいるのかもわからない。
「居なくなったおまえを探さない僕が悪いのか!本音を聞き出せない周りが悪いのか!おまえの執着を取り除かないアネットが悪いのか!同じ出身なのにおまえの気持ちがわからない僕が悪いのか!じゃあお前は僕の気持ちがわかんのか!わかった上でそんな事やってんのか!ふざけんな!どうなんだ!おい!周りにそうやって赤ん坊みたいに縋り付いて生きて!恥ずかしくないのか!なんか言ってみろ!ほら!なんか言えよ!言え!ほら!死ね!」
蹴り上げる右足が鎖骨を掠ったかと思うと次の一撃は顔面にめり込む。
さらに肩に逸れ、また次は胸に沈む。時折、空振り。
もう蹴り上げる右足の狙いすら定めていない。
ウォッチから教わったフォームなど、とうに崩れていた。
蹴りを空振りしてバランスを崩した時だった。
S棟の壁面から一人の女がナギに向かって全速力で加速する。
その目には涙を浮かべていた。
ドミヌスのメンバーであった。
女の掌から足元に伸びる〝つかむ〟の帯に、ナギは気づかなかった。
女は加速中に、腰から剣を抜く。
着地の事など考えていない。
リサを蹴り飛ばしている少年と衝突すると、巻き込むように地面に転がる。
一瞬何が起きたのかわからなかった少年は、激しく瞬きしながら地面を転がった。
勢いが止まる頃には、おおよその予想はついていた。
ナギはすぐに起き上がり、怒りに満ちた表情で衝突してきた女に近づく。
「邪魔しないでくれる?」
淡々と言った。
むせる。口から液体が飛び出した。
右手で拭うと、すでに手についている乾いた赤色の上から塗ったように、赤が広がっていた。
腹から刀身が飛び出しているのが見えた。
剣が体に突き刺さっているとわかった。
尻もちをついた体制で後ずさる女。
表情は怯えに満ちていた。
とめどなく涙が流れている。
足に力が入っていない。腰が抜けているようだ。
「来るな!来ないで!」
あまりにも意味不明なその言葉に、ナギの表情からは怒りが抜け落ちたが、複数の感情が腹から湧き上がる。
土壇場の感情など、何を選択するのかは、その時の位相次第。
どれを選択〝できる〟のか。どれに呑まれるかは、ほぼ時の運。
世界線が変わる。




