第97話/初めての全能感/Limited_NAGI
西大通りの裏路地からバシナリー広場に戻る二人。
人が少ない歓楽街から戻っていた。
ナギを背負ったエヴィが、狭い通路をくねくねとエーテルシューズで滑る。
長い直線の道はナギの魔法で加速するが、それでも一切ふらつかず、加速後もスムーズに滑っていた。
こんなにはやく順応するものか。運動神経というのはこんなに差があるものなのか。自分が否定される感覚がするほど、滑らかだった。
最初は着地でふらついていたが、あれは演技だったんじゃないのか。そう考えたくなるほど、運動神経という存在を認めたくなかった。
エヴィの後頭部から目を逸らし、後ろを見る。
〝つかむの帯〟の扱いは慣れたものだ。
帯を操作し、通り過ぎる建物の突起物にサファを連続でぶち当てる。
何回か当てると前に視線を戻す。
朝のひんやりした空気に、仄かな暖かさが混じり始めていた。
どこからか、おいしそうな空気が微かに漂ってくる。
血や黒煙の臭いに晒され続けていたせいか、息が少し深くなった。
焼いたパンの香ばしさ、煮込んでいるスープ、食欲をそそる炒めた肉や野菜の匂いが、代わる代わる鼻をくすぐった。
ナギは寂しげな表情で、自分の左手とエヴィの後頭部を交互に見つめていた。
「あのさ!ごめん!」
聞こえてきたエヴィの声で思考が止まる。意識を向けた。
「何が!」
顔を耳元に近づけ、少し声を張った。
「チームに来た時!色々言っちゃった気がするから!」
ちらりと横顔が見えた。
すぐに前を向いてエヴィが続ける。
「むかついてたでしょ!あたしに!」
「そうだね!」
少し笑いが混じった声で言った。
逆に尋ねる。
「エヴィ!もしエヴィがさ!勇者になったらどうする!人間!救う!?」
「絶!対!無理!」
あまりの即答に噴き出してしまった。
まるで日頃から、そう考えているかのように歯切れが良かった。
「権力利用して!身の回りの人と!たくさんいい想いして!絶対に寿命で死ぬ!」
少し苛立ちの混じる声。
ちらちら見える横顔には笑みが滲んでいた。
「あははは!」大きな笑い声が出た。
それに呼応するかのようにエヴィの声も大きくなる。
「勇者になったら!色々頼み事されそう!めんどくさ!」
笑いの残る表情でナギは聞いていた。
「ナギ!もしあんたが勇者になったら!こんな世界滅ぼしていい!誰も救うな!あたしが許す!」
エヴィの横顔には、笑顔が広がっていた。
「勇者って世界滅ぼせんの!?」
弾けた声で尋ねるナギ。
「知らん!なんもなくても路地裏!潰せるんだから!できんじゃん!」
「たしかに!」
目を細くし、口を大きく開けて笑った。
久しぶりに笑った気がした。
なぜか、アルセナでの自分を思い出しながら会話していた。
小刻みになるエヴィの足の動きで、雑木林に入ったのだとわかる。
エヴィは時折、木を蹴飛ばして方向転換した。
戦場の喧騒が近づく。
人の声が増えている気がした。
サファに視線をやると、できる限り彼女の顔面が枝に当たるように、魔法の帯をふわふわと操作した。
*
E棟の屋根に魔法で上がる。
視界が変わると屋根を転がっていた。
膝から全身に駆け上がる痛みには慣れた。
屋根に移った瞬間にエヴィが〝つかむ〟を出していたのが見えた。
ナギは左手を屋根に突っ込み体を止める。
顔を上げると、転ばずに滑っているエヴィが視界に飛び込んだ。
「高速で落下するようなものでしょ。これ。」
わけのわからない事を言っている。そう思って視線を外す。
立ち上がりながら辺りを見回し、吹っ飛んだサファを探した。
エーテルシューズを履いた人間が四、五人、同じ屋根にいたが、ナギの体を見るなり、焦った顔でどこかに飛んで行った。
サファを魔法で掴み、広場に視線を落とす。
白煙がそこかしこに広がっている。
言葉にならない叫び声や怒鳴り声、悲鳴が煙の中から聞こえてくる。
鎧を着ている人間が煙の隙間から見えた。
ドワンに宿を追い出された日の夜、キャンプをしていた人間達を思い出した。
「クラックラン…。」
エヴィが青ざめた顔で言った。
鎧の人間達を指差している。
ナギは別の事を尋ねる。
「あの白い煙、何?魔法?」
返事がない。
広場を見て固まるエヴィの肩を手で掴むと、軽く揺すった。
「エヴィ!あの白いの!何!魔法!?」
はっと驚いた様子でナギを二度見しながら言う。
「ああ!あれ!たぶん〝けむりボール〟!魔法じゃない!」
(なんだ、魔法じゃないんだ。)
「エヴィは持ってないの?」
隠し部屋の家屋での一戦を思い出しながら聞いた。
「値段が高過ぎる!グローブ・Kでも持ってない。たまに仕事の関係でいくつかチームに流れてきたりするけど。今まで使われてたのはたぶんドミヌスだと思う。今はクラックランのもあると思うけど。」
白煙の濃い場所を指差しているが、鎧を着た人間達を追っているのか、視線が定まっていない。
ドミヌスも金を持っているとは思えなかった。
セグイドからもらっているのかも。ナギはそう思った。
(僕からカツアゲするくらいだしな…。)
とりあえず魔法ではなくてよかった。
道具なら限界があるはず。
煙の中から人間が飛び出した。
集団の方に駆け寄っていた。
白煙で焦っている様子もない。
完全な目くらましだ。そう考えた。
しかし、あまりに視界が悪い。
見えなければ魔法も当たらない。中にいるとむせそうだ。
魔法使い相手の戦い方としては、意外と理にかなっているのかもしれない。そう思い、白い煙を注意深く見た。
ひとつの白煙は大人二人分くらいの高さ。
広さは馬車二台くらい。さらに広いもので三台分。
けっこうな大きさだ。
集団で次々に使っているのだろう。
まるで雲が落ちてきたように、広場は白いもわもわとした空気で包まれていた。
相手も見えないが、逆に使った方も見えないのではないか。
なんのために使用しているのかわからないくらいの量。
クラックランを見たミトハロの人間がパニックになって使っているのか。
はたまたクラックラン側が牽制として使っているのか。
どうでもいいか。そう思いながら広場に向かって両手を翳す。
翳した場所は、煙のてっぺんの少し上、何もない場所だった。
「〝ひろくまわれ〟」そう声にするが何も起きない。
不思議そうな表情でそれを眺めているエヴィ。
ナギは右の掌を自分の顔に向けた。
何かを確かめるように、握ったり緩めたりを素早く繰り返す。
開け閉めする拳に抵抗はない。
目を瞑り、凍結魔法を殴った瞬間を想像する。
赤黒い霧のようなものが一斉に周囲に舞っていた。
同じ空間だ、少し吸ってもいるかもしれない。
それくらい細かい粒だった。
目を開けると、両方の掌の指をピンと伸ばし、大きく息を吸った。
吸った息を止めて頬を膨らませたまま、拍手をするようにとんでもないスピードで両手を動かしまくる。
何かを確認するように両手が当たる寸前で止め、音の無い拍手を繰り返した。
徐々に細くなる目。
「何してんの。」
顔をひきつらせたエヴィが聞いてきた。
「空気を、感じた、事なくて、」
大きく息を吐き、肩を揺らして続く呼吸をしながらに言う。
再び大きく吸うと、息を止めたまま、サイレント拍手を繰り返すナギ。
視線は自分の掌の間に固定した。
顔の前で短い間隔で振られる手には、残像ができていた。
そのうち繰り返していると、掌の周りに薄い膜のような感覚が生まれた。
意識していなければ気づかないほど些細なものだ。しかし、たしかにそこにある。
さらに掌がくっつきそうになる瞬間、ほんの少しの抵抗を感じる。
「あった!」
眉と口角が同時に上がる。
ぱっと表情が明るくなった瞬間、再び広場に両手を翳す。
「〝みんなまわれ〟!」
そう叫ぶと、手を翳した先の、白煙とその上の空気が上下に回転を始めた。
猛スピードの馬車の車輪よりかは遅い。
しかし馬が歩く程度の馬車よりは早い。
そんなスピードだった。
押し出される煙、下に引き込まれていく煙。
回転する領域の外縁では、一部の白煙が乱れていた。
「できたできた!」
屈託のない笑顔でそれを見るナギ。
嬉しさあまって両手の掌同士をくっつけそうになる。
あぶなっ。と声が漏れた。
自分の右手がとろりと落ちるところだった。
エヴィは開いた口が塞がらない様子で広場を見ていた。
やがて〝まわれ〟の効果が切れると広場の一角の白煙はかなり薄くなっている。
村で釣りをしていて、目前で逃がしてしまった魚が水中の泥を舞わせた時のことを思い出した。
悔しさのあまり、その泥を釣り竿で掻きまわした時のように、白煙は周囲の空気と溶け込んでいた。
そこにいる人間がしっかり見える。
〝けむりボール〟を使った人間だろうか。
それまで煙の中にいた人間は、焦るように首を激しく振って周囲を見ていた。
味を占めた少年は、悪戯じみた表情で翳す両手の感覚を広げる。
目を細め、煙の少し上あたり、白と透明の境目に意識を集中させる。
「〝すべてしばらくまわれ〟!」そう口にした。
広場を覆っていた白煙が、その上の空気とともに動き始めた。
巨大な白煙の塊を、見えない手で上下にぐるぐる掻き混ぜるようだった。
E棟の真下の白煙がナギ達のいる屋根まで吹き上げられる。
突風とまではいかないが、頬を撫でる朝の風のようにぶわっと視界が白くなる。
勇者の剣を抜いた時の轟音の怪物がちらついた。
真下にいる大きな怪物が噛みついてきた。そう錯覚するほどの白い靄。
ブローチに拘束された時に見たドラゴンが広場で遊んでいる。
まさにそんな感じだった。
近くでエヴィの短い悲鳴が聞こえる。
広場を覆っていた時よりも色は薄い。
視界が遮られたわけではなかった。
建物に飛び移っている人影。
着地の準備で地面に魔法を放っている人影。
混乱して広場を走り出している人間もいた。
空中にいる人間達は、皆バランスを崩していた。
ナギの頬が紅潮する。
自分が広場の空気を支配しているかのような錯覚。
悪戯じみた少年の表情は満面の笑みに変わる。
「あっはっは!見たかドミヌス!」
満面の笑みで脇腹に両手を当て、気づけば広場に向かってそう叫んでいた。
左手に肌の感触がないと思った途端に激痛が走り、身体をくねらせる。
突き出した右腰が横にいたエヴィに当たる。
見ると、脇腹の皮膚がなくなり、少し抉れていた。
満面の笑みが恐怖に変わり、すぐさま回復魔法を唱えるが発動しない。
〝まわれ〟を唱えてから間が空いてないからだろう。
しばらく顔をゆがめながら痛みに耐え、再び〝いやすね〟を声に出すとぼんやりと光り出した。
一帯が白い靄に包まれる。
腹を押されるような圧を感じた。
腰に巻いた細いベルトが腹に食い込んでいる。
後ろを向くと、回復するナギのズボンのベルトをエヴィが片手で掴んでいた。
顔を見ると、もう片方の腕で顔を覆っていた。
やがて人影が人間として認識できるくらいに、白煙が薄くなる。
近くで聞こえる怒号や罵声の出所くらいはわかるようになった。
広場の人間は、視界が急に開けたからか、皆辺りを見回している。
その様子を見渡すうち、顔が熱くなってきた。
後ろから腰のベルトをエヴィに掴まれながら、前のめりになる。
ふふふ、あははとつい口に出して笑っていた。
目を細めて顔を覗き込まれ、我に返る。
何かを探るような顔で、エヴィが目を見つめてきた。
すっと表情を消し、怪訝な表情を避けるように顔を逸らして、広場に目をやった。
鎧を纏っているのがクラックラン王国の人間だろう。
アルセナの道具屋に飾られていたような鎧。
シューズは履いていない。
やっぱり、ノードビジネス反対派だからかな。ひとつ大きな呼吸をしてそう思った。
頭まで鎧を着用している人間もいれば、頭の部分は着用せず、顔だけ出している者もいた。
武器は剣、槍。
両手で剣を構えている者もいれば、片手で持ち、盾も装備している人間もいた。
抗争中ではあるが、物語に出てくるそれみたいでかっこいいと思ってしまった。
薄い青の布を腕や太腿に巻いている。
首に巻き付けて揺蕩わせている人間もいた。
鎧を着ていなければヤマカミと見間違いそうだ。
(戦う時に、あんなにひらひらさせて大丈夫なのかな。)
顎に手を当てながら広場に視線を向けてそう思った。
ずっと視線を感じる。ちらちらとエヴィを見た。
「大丈夫なの?興奮しすぎじゃない?」
言いながら、再び顔を近づけてきた。
何かを探るような目線で横から見つめられている。
目の辺りに視線を感じた。
「大丈夫。ちょっと、嬉しかっただけ。魔法、できたから。」
横目でちらりと見ながら言葉を返す。
眉間に皺を寄せ、唇を尖らせてそう言って、広場に目を戻す。
クラックランの人間は何人かで集団行動をしていた。
一部隊三人から、多くて七人ほど。
人数が少ない配達業の人間には襲い掛かっている。
襲い掛かっているというよりも、抑止、制圧といった動きだ。
複数人で抑えつけるために衝突しているような印象をナギは持った。
剣を振っていなかったのだ。
しかし、それを見たシューズを履いた人間が、上空から突進している。
鎧を着た人間達は、自分達より人数が多い集団には深入りせず、距離をとっている。
慎重に戦っているようだった。
戦う中でどんどんと人数が膨れている場所もあった。
クラックランに襲われた配達業の仲間がそれに加わり、さらにクラックランの増援が周囲から来ている。
火が上がるW棟の壁を壊している部隊もいた。
なぜそんな事をしているのか、ナギにはわからなかった。
腕に燃え移ってしまった炎を仲間に消してもらっている様子が目に入ったところで、視界を移す。
ドミヌスのアジトに行く前には見なかった、魔物の死骸がある。
爪が伸びる〝スルドイタチ〟、〝オオカミ型のモンスター〟が横たわっている。
体が徐々に細かな粒へと変わり、風にさらわれるように消えていった。
粒はぼんやり光っていた。
(魔物ってあんな感じでいなくなるんだ…。みんな同じ消え方してる。)
キノピッピが頭にちらついた。
殺してから道場をすぐに後にしてしまったが、同じように消えたんだろう。
エーテルシューズを履いた人間が怒り狂ったようにクラックランに襲い掛かっている。
逃げ出している者もいる。
背中に乗られ、増援なく制圧されている者もいた。
様々だった。鎧の人間達に比べ、纏まりは一切なかった気がした。
ナギのベルトを掴みながら、同様に広場を凝視しているエヴィに顔を向ける。
深刻そうな横顔だった。
息を呑むように様子を窺っている。
頭が冷えてきて、ウォッチからの頼みを思い出し、眉を上げる。
声をかけた。
「エヴィ。」
「何?」
広場に顔を向けたまま返事をするエヴィ。
頭を魔法で掴むと、ふわふわ空中に持ち上げる。
ナギの腰のベルトから手が離れた。
「は!?ちょっと!何すんの!下ろしてよ!」
足をばたつかせ、困惑を浮かべながら声を張っている。
振り向きながら、魔法の帯が視界に映るように操作する。
エヴィを高く上げると両手を翳して叫ぶナギ。
「エヴィ!いろいろありがとね!危ないからここから逃げて!絶対に戻ってこないでね!」
エヴィはさらに足をばたつかせ、頭に付いた赤黒い帯を自分の魔法で掴んでいた。
目を瞑って何かを喚いている。
魔法が切れ、エヴィの体が落下を開始した瞬間に最大の威力で〝はなれて〟を撃ち込んだ。
微かに呻き声が聞こえ、グローブ・Kのアジトの方へ飛んで行くエヴィ。
ナギは細目になり、空中で小さくなっていくエヴィにもう一度放つ。
空に吸い込まれるように小さくなっていった。
加速したんだろう。うまく当たった。
ナギは笑顔で手を大きく振った。
*
エヴィ改め、エヴィッタ。
親友の自死は約五年前だった。
生前は、店番をしている花屋によく顔を出し、その後、食事をしたり、何気ないベンチに座り、何気ない話をし、何気ない時間を過ごすのが好きだった。
親友がこの世を去ってから、エヴィはあらゆる男を遠ざけ、漠然と強くなる事を決めた。
しかし、その後も行方不明になる友人、被害に遭う友人を目の当たりにし、エヴィは悩んでいた。
何が出来たかを考える日々。
強さを求める度に襲ってくる無力感。
変えたいが、方法がわからない苛立ち。
解決しない苦しみ。
彼女は自分の存在を忌避していった。
エヴィは人と深く関わる事を避けるようになる。彼女もまた、呑まれかけていた。
自責の日々は続かない。
苦しみは性差別的な思想に擬態し、攻撃性を増す。エヴィは答えのない世界を彷徨い続ける事になった。
苦痛から逃れるために、エヴィは世界を単純化してしまった。
ナギと行動を共にする中で、逃げなかったという事実が微かな自信となる。
ミトハロで起きていた想像を絶する闇。人間とは思えない異常性。
何が起きたのかすらわからない、少年の圧倒的な強さを感じ、自分が追い求めていた強さを疑った。
ナイフを刺した自分を、桁外れの力を持っているにも関わらず、少年は一言も責めなかった。
そして、理由も聞かずに刺した自分自身。
〝おそらく老婆〟の言葉を聞いた時、何故か自分に見えた恐怖。
過去の思考を正当化する暇もなく押し寄せる衝撃に、これまでの自分を見過ごせなくなっていた。
彼女は自分を見つめ直す事になる。
差別的な思想が少しだけ溶ける。ほんの、ほんの少し。
だが、世界との関わる上で、その〝ほんの少し〟は、凄まじい影響を及ぼすものになる。
ミトハロで最も〝死〟に近い存在、ナギとの同行から生還し、エヴィは世界への挑戦権を獲得した。
自分を見つめ直す事が出来る心の状態でいれたのは、ウォッチの存在であった。
彼女といる時は、エヴィは自然に笑えたのだった。
*
(〝はなれて〟の衝撃で骨折とかしてなきゃいいけど。回復あるし、大丈夫だよね。)
エヴィに翳していた右手から伸びている〝つかむ〟の帯が目に入る。
ノードを吸収してから、もうずっと伸びている。
大きなため息をついて振り向くと、帯に視線を沿わせていく。
この体になってから、疲れを感じない。疲れてもいない。
しかしリサを見ると、どっと疲れが出た。
クラックランの人間に前蹴りをしている、片腕のないリサが視界に映る。
(あいつ、なんのために戦ってるんだろ。)
それを考えると、さらに疲れる。考えたくない。
脳みそが勝手に思考を滑らせる。
(あいつだけじゃない。ここにいるミトハロの人達って、今なんのために戦ってるんだろ。ドミヌスとかヤマカミの人達もサファを助けるわけでもないし。サファを連れてっても誰も追いかけてもこない。誰のために戦ってるんだろ。)
とりあえず〝戦ってる感がほしい〟そういう感じがした。
近くにいるサファの頭を魔法で掴む。
酷い顔だ、左目はなく、顔はぱんぱんに腫れて、ほぼ原型をとどめていない。
両肩から先もない。
こいつも、よく逃げないな。ナギは感心してしまった。
広場からの叫び声に視線を移す。クラックランに抑え込まれている、うつ伏せのミトハロの人間がいた。
その近くで逃げているような〝イガイノシシ〟が目に映る。いや、逃げているのかはわからないが、距離をとっている。
ナギははっとする。
(逃げられないのか!)
そう閃いた瞬間。
リサやマヤ、最後に悪態をついてきた〝狂犬の恋人と名乗る男〟が浮かんだ。
逃げればいいのに居てしまう。言わなきゃいいのに言ってしまう。
目の前の顔が腫れあがった女に、ゆっくりと視線を移す。
サファもそうだ。
誘拐すると言いながら、さっさと連れて行けばいいものを、ずっと殴っていた。
リサがちらついた。
ドミヌスに入ったのなら宿を解約してナギとも縁を切り、勇者なんて立場は投げ出して、さっさと自分の人生を謳歌すればいいのだ。
以前にどこかで考えたような気づき。なんか繋がっているな。ナギはそう思った。
一方で、広場にドンドラの姿はなかった。
ダーガの姿も。プレーノも見ていない。
街を出る判断の早かったルントが浮かぶ。
明確な理由は聞いていないが、それでも彼の判断は早かった。
〝逃げられない〟いや、〝離れられない〟というのはあながち間違いではないのかも。そう思った。
大きなため息をつく。
今日何回ついただろう。そう思いながら広場に視線を戻す。
尻もちをついたクラックランの兵士に、リサがラグナロクを振り下ろそうとしていた。
ナギはその様子に手を翳す。
〝つかむ〟そう声にして伸びた帯を引っ張った。




