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リオンが弱る日

 最初に違和感を覚えたのは、朝だった。


「……リオン?」


 声をかけても、返事が少し遅い。いつもなら即座に反応する人が、半拍遅れてこちらを見る。そして気づいた。その瞳に、いつもの鋭さがない。


「いつもより……顔が赤い」

「問題ない」


 即答。でも声が低くて、少し掠れている。迷うことなく額に触れた瞬間、全部わかった。


「……熱があります」


 リオンは一瞬だけ目を伏せた。氷のような碧眼が、静かに閉じられる。その仕草だけで、胸がきゅっとする。


「任務は休んでください」

「支障は――」

「あります」


 言い切ると、さすがに反論はなかった。


 ベッドに座らせて、上着を脱がせる。それだけで距離が近くなって、心臓がうるさい。


「……世話を焼かれるのは、慣れていない」

「今は、慣れてください」


 濡れタオルを額に乗せると、リオンが小さく息を吐いた。


「……そばにいろ」


 不意打ちみたいな一言に、僕はすぐさま答える。


「もちろんです」


 ぎゅっと手を握ると、リオンの指先が驚くほど熱い。


「……離れるな」


 その声は、命令じゃなかった。どこか不安を隠しきれていない感じが伝わってくる。


「大丈夫ですよ」


 そう言ったら弱ったはずの腕が、ぐっと僕を引き寄せた。


「ちょ、ちょっと!」


 バランスを崩して、半分ベッドに乗り上げる。


「……真琴」


 低い声。でも、いつもよりずっと近い。


「……触れるなとは、言っていない」


 ずるい。こんなの、看病してる側が動揺するに決まってる。


 結局そのまま、肩を貸す形で落ち着いた。リオンは、僕の匂いを確かめるみたいに小さく息を吸う。


「……落ち着く」


 それだけで、胸がじんわり温かくなる。


「ちゃんと休んでください」

「……努力する」


 数分後、規則正しい呼吸。眠った顔は、驚くほど無防備だった。


(……今日は僕が、守る番なんだ)


***

 ――回復魔法を使えば、すぐに立てる。それは事実だ。体内の魔力循環も把握している。骨に異常はない。内臓も問題ない。熱と倦怠感は、過労と軽い感染症状――魔法で弾ける程度だった。


 だが私は、回復魔法を使わない。理由は単純で、そして誰にも言わない。


「……だから、離れてくださいってば……」


 布団の中で、真琴が小さく身をよじる。その動きが、実に無防備だ。


「離れる理由がない」

「あります! 看病してるんです! 患者に密着するのは――」

「必要だ」


 即答すると、真琴が言葉に詰まる。


「それ……どういう理屈ですか」

「体温が下がらない原因は、冷えだ」

「……え?」

「温めればいい」


 そう言って腕を回すと、真琴の身体がびくりと跳ねた。


「ちょ、ちょっと……っ、近い!」

「震えている」

「それは……!」

「熱だな」

「ち、違います……!」


 声は否定しているが私の胸に触れている指先は、しっかり力が入っている。


「……真琴」


 低く呼ぶと、ぴくりと反応した。


「名前を呼ぶと、そうやって固まるのはどういう意味だ」

「意味なんて……ないです……」

「ある」


 額をそっと合わせる。一瞬、真琴が息を止めた。


「ほら」

「……っ、リオン……熱、移ります……」

「それが目的だ」

「え?」


 驚いた拍子に、顔がこちらを向く。その唇が、あまりに近い。


「もしかして……わ、わざと?」

「当然だ」


 小さく、軽く、触れるだけのキス。だが回数は多い。


「ンン……っ、だめ……」


 そう言いながらも、真琴は逃げない。


「口では抵抗する」


 唇が離れた隙に、甘く切なげに囁く。


「だが、身体は正直だな」

「……そ、んなこと……」


 否定しきれない声。抱き寄せると、今度は自分から距離を詰めてきた。


「リオン、あったかい……」

「そうだろう」

「……ずるいです……」

「今さらだ」


 髪を撫でると、真琴は小さく喉を鳴らした。


「看病なのに……こんなの逆じゃないですか」

「私は今、患者だ」

「そこ……威張るところじゃ……」

「高熱の患者は、甘やかされる権利がある」

「……そんな権利、聞いたこと――」


 言葉の途中で、私の肩に額を預けてくる。


「……あ……」

「ほら」


 背中をゆっくり撫でる。


「力が抜けている」

「……だって……眠く……」

「寝るな」

「え……?」

「このまま眠るなら、さらに密着する」

「まったく……脅しですか……」

「宣言だ」


 真琴は小さく溜息をついて、観念したように呟いた。


「ほんとに……リオンってば策士……」

「褒め言葉だな」

「……あとで、絶対……文句……言いますから……」

「受けて立つ」


 そう言って抱きしめ直すと、真琴はもう抵抗しなかった。


「……リオン……」


 名を呼ばれるだけで、胸がじんわり満たされる。


「……あったかくて……安心する……」

「それでいい」


 互いの熱が混ざり合い、境目が曖昧になる。回復魔法など、必要ない。


 ――翌朝、真琴が見事に発熱し、今度は私が必死に看病する羽目になるのだが。


(……後悔はしていない。むしろ、二度おいしい結果だ)



***

 次の日――嫌な予感は、だいたい当たる。喉が痛いし、頭が重い。


「……まさか」


 体温計を見て観念した。その瞬間、背後から低い声がかけられる。


「……真琴」


 振り返ると、完全復活したリオンが立っていた。


「測れ」

「もう測りました」

「何度だ」


 無言で体温計を見せた瞬間、深く息を吸う音。


「……うつしてしまったな」

「僕が近づきすぎたから」

「違う」


 即否定。有無を言わさずベッドに押し戻される。


「あ、あの、立場が――」

「今は、私が看る!」


 リオン……あたふたしてる。明らかに、さっきまでの冷静さがない。水を用意し、毛布を直し、何度も僕の額に手を当てては眉を寄せる。


「……熱い」

「だから言いましたよ」

「……辛いか」

「ちょっとだけ」


 正直に答えたら、ぎゅっと手を握られた。


「……すまない」


 その声が、本気で悔しそうで。


「リオン」


 呼ぶと、すぐ視線が合う。


「今度は、僕が守られてる番です」


 一瞬、碧眼が揺れた。そして、額にそっと口づける。


「……早く治せ」

「命令ですか?」

「私の願いだ」


 真面目に答えたリオンに、思わず笑ってしまう。


「はい、努力します」


 そのまま、リオンの腕の中。少し強く抱きしめられて、離さないと無言で主張される。


(……お互い様、ですね)


 一度弱ったことで二人の距離は、また少し近づいた。


 その後、騎士団では「副団長がやたら過保護だった」という噂が立ったらしい――団長の胃が無事だったかは、知らない。

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