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番外編 王国が再設計された日

 変わり映えしないいつもの朝、騎士団本部は異様な静けさに包まれていた。


「……副団長、今日も普通ですね」

「うん、“普通”だな」

「逆に怖いんだが」


 廊下の端でひそひそと声を潜める団員たちを、私は一瞥もせず執務室へ向かう。真琴は今日は店番だ。だから落ち着いている。問題は、落ち着きすぎていることだが。


 書類を確認して署名を終え、次の案件へ。すべてが完璧で効率的、無駄がない。


「……副団長」


 意を決したように声をかけてきたのは、若い団員だった。


「何だ」

「その……伴侶殿の体調は」


 一瞬で空気が凍る。


「良好だ」


 私は即答した。


「昨夜も今朝も問題ない。念のため、栄養と休息は十分に取らせている」


 数名の団員が、無言で後ずさった。


「そ、そうですか……」

「他に用は?」

「い、いえ! ありません!」


 逃げるように去っていく背中を見送りながら、私は首を傾げる。なぜ皆、最近こんなに怯えるのだろう。


 昼過ぎ、団長室から呼び出しがかかった。


「リオン」

「はい」

「……お前、自覚はあるか」

「何の、でしょう」


 団長は机に突っ伏したまま、低く呻いた。


「お前と真琴殿が結婚してから、敵国三つが不可侵宣言を出した」

「良いことでは?」

「理由がな……『副団長夫妻に関わると精神がもたない』だ」


 私は少し考えた。


「……真琴が何かしましたか」

「してない。してないのが問題なんだ」


 団長は顔を上げ、真剣な目で言った。


「結論を言う。この国はもう、お前たち夫婦を前提に回る」

「理解しました」

「早いな!」

「私が変わるつもりはありませんし、真琴に制限をかけるのは不可能でしょう」


 団長は力尽きたように椅子に沈んだ。


「……せめて、抑える努力は」

「しています」

「どこがだ!!」


 その瞬間、廊下がざわついた。


「真琴殿だ!」

「え、今日来るって聞いてない!」

「副団長が――」


 私は立ち上がった。扉の向こうから聞こえる足音。その気配だけで、胸の奥が緩む。


 扉が開き、真琴が顔を覗かせた。


「リオン、お昼――」


 言葉は、そこで止まった。なぜなら団長を含め、室内の全員が一斉に距離を取ったからだ。


「……?」


 真琴が困惑したように瞬きをする。私は彼の元へ歩み寄り、自然な動作で肩を抱いた。


「どうした」

「えっと……皆の視線が……」

「問題ない」


 私はきっぱりと言った。


「君は、私の伴侶だ」


 その一言で団長は天井を仰ぎ、団員たちは静かに崩れ落ちた。


 真琴は小さくため息をつき、私を見上げる。


「……また、何かやった?」

「していない」

「じゃあ、どうして」

「君を愛しているだけ」


 真琴は顔を赤くし、観念したように微笑んだ。


「……ほんと、敵国が気の毒だね」

「同意しかねる」


 私は彼の額に、そっと口づける。その瞬間、廊下の向こうで誰かが叫んだ。


「団長ー! やっぱり副団長、丸くなってません!!」


 ――こうして今日も、王国は平和だった。


 理由は簡単だ。私が真琴を愛していて、真琴がそれを受け入れているから。


***


 ――騎士の愛が、国を守った日。王国歴、後年の史書にはこう記されている。


 かつてこの国には幾度となく剣を交え、境界を血で塗り替えてきた時代があった。騎士とは戦の象徴であり、最強とはすなわち、最も多くを倒した者を指した。しかしその価値観は、ある時期を境に静かに変わっていく。


 副団長リオン・ヴァルハート。王国最強と謳われた騎士。


 彼が剣を振るった戦は、確かに記録に残っている。だが史官たちが注目したのは、彼が剣を抜かなかった戦の数だった。


 敵国は、彼の名を聞くだけで慎重になった。彼の伴侶――真琴の名が添えられると、交渉の場は必ず静まり返った。


 真琴自身は、何もしていない。威圧も、恫喝も、策略も。ただ彼はそこに在り、リオンは彼を守るように立っていただけだった。それだけで戦は回避され、条約は結ばれ、剣は鞘に戻された。


 ある史官は記している。


「彼は、国のために剣を振るった騎士ではない。 ひとりの伴侶のために、剣を置いた騎士だった」


 また別の記録には、こんな逸話も残る。


 ――戦を目前にした敵将が、副団長夫妻の姿を遠目に見ただけで即座に白旗を掲げたという。理由を問われ、敵将はこう答えた。


「彼の守るものが、あまりにも明確だったからだ」


 守るものが明確な騎士は、決して迷わない。決して折れない。そして――最も恐ろしい。


 その後、王国の戦史において、戦の発生件数は目に見えて減少した。境界線は安定し、民は畑を耕し、騎士団は剣よりも書類を扱う時間が増えた。


 団長は、ある宴の席で苦笑しながら語ったという。


「まさか国を救ったのが、副団長の重すぎる愛とはな……」


 だが史書の最後の頁には、冗談めいた一文は載らない。ただ静かに、こう締めくくられている。


 王国史において最も戦を減らしたのは、ひとりの騎士の愛だった。


王国戦史・最終巻

※本文余白に発見された書き込み(筆跡複数)

※ここから先、正式記録ではない

※史官の責任外

※消そうとした形跡あり(インク上書き)


「……なお、この時代における戦争件数の減少は――」


✎ いや減りすぎだろ

(第七騎士団・歩兵)

✎ 副団長殿が結婚してから、剣より胃薬の消費量が増えた

(補給班)

✎ 敵国が『真琴殿は来るのか』を最初に確認してくる

(交渉担当)

✎ 来ると分かった瞬間、会談が和平になる

(同上)


✎ 副団長殿、会議中に指輪を見て微笑むのはやめてください

(作戦参謀)

✎ その直後、敵の視線が死ぬ

✎ 団長は“最強の兵器は愛だった”と言って酒を飲んでいる

(副官)

✎ 酔っているが事実なので否定できない

✎ 真琴殿、危険度を下げたいと言って散歩に出た結果、三国が即日休戦した

(警備記録)


✎ 副団長殿、過保護が抑えめになったと言われていたが、方向が変わっただけだった

(夜勤兵)

✎ 夜間、副団長殿の部屋から『真琴……』という声が聞こえたため、巡回兵が全員撤退した

(当直記録)

✎ 見てはいけないものを見た気がする

(新人)

✎ 生きているだけで感謝している

(同僚)

✎ 副団長殿は丸くなった、という噂は誤り

✎ 角が伴侶に向いただけ

(古参団員)


✎ 敵国から“評価書の返却”が届いたが、『見なかったことにしてほしい』と書いてあった

(文官)


✎ 結論:副団長殿は戦を止め、真琴殿は世界を折った

(筆跡不明)


※以下、余白いっぱいに同意の丸印

※インクの濃さから、複数名が後から加筆


 史書の最後の最後、本文とは別の筆で小さく、しかしはっきりと書かれている一文がある。


✎ なお、副団長夫妻は自覚がない

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