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番外編 団長主催・“真琴護衛研修”

 嫌な予感は、朝からしていた。団長がああいう笑みを浮かべる時、ろくなことが起きない。これは経験則だ、外れたことは一度もない。


「本日の研修テーマは──《真琴殿を安全に守るための実践講座》だ」


 そんな研修の話なんて――。


「聞いてない」

「副団長不在時のシフト制護衛が決まった以上、全員の必須科目だ」


 さらりと言われ、胃の奥がきしむ。隣に立つ真琴が、きょとんとした顔で首を傾げた。


「えっ、僕、見学でいいんですよね?」


(真琴……なぜ、そんな期待に満ちた目で私を見る)


「何を言う。主講師だ」

「え?」

「え?」


 私と真琴の声が、完全に重なった。周囲がざわつく。


「公式講師……」

「尊い……」

「神回では?」


 やめろ。まだ何も始まっていないのに、嫌な単語を並べるな。


「団長!! 真琴を講師にする必要はない!」

「ある。真琴殿を理解せずに護衛などできん」


 私は、個人的に理解している。だからこそ、これ以上公にしたくない!


「“本人から学ぶ”のが最も早い」

「(くそぉ……)」


 真琴はというと、小さく肩をすくめている。


「えぇ……僕、そんなに?」


 そんなに、だ。


「では講師、お願いします」


 真琴が前に出るだけで、視線が集中する。やめろ。見るな。囲むな。


「真琴殿は、よく“ぽやっと”されますよね」


 誰だ、今言ったのは。


「ぽ、ぽやっと……?」

「何かに見惚れて立ち止まることが多いと、副団長から聞いてます!」


 言ってない!!……いや、言ったかもしれないが。


「真琴殿は自然物が好きだからな。花、空、鳥……それらに気を取られやすい」

「つまり“周囲の確認を代行する護衛が必要”ということだ」

「なるほど!!」


 ……全部合っているのが腹立たしい。真琴が耳まで赤くして俯いた。


「うぅ……恥ずかしい……」


 その恥ずかしがりの顔、かわいいからやめろ。


「では次。真琴殿の弱点は──」

「全部言うな」

「1:方向音痴」


 真琴の息が小さく詰まる。


「2:初対面でも優しくされると、付いていく可能性がある」

「付いていきませんっ!」

「3:褒められると警戒心を失う」

「失いません!」

「全部、めちゃくちゃかわいい弱点……」

「やめろォ!!」


 視線を集めるな。

 評価するな。

 記録するな。


「4:副団長が絡むと、知能指数が急激に下がる」

「!?!?!?」

「下がらない、かも!!」


 下がっている。


「昨日も“真琴殿はかわいい”と副団長に言われただけで、10秒固まっただろう」

「……見てたの……」


 団員たちがざわつく。


「副団長の前だと、無敵にかわいい説……」


 やめろ。


「次に、真琴殿が混乱して危険に晒されやすい状況だ」


 もはや処刑だ。


「その1、知らない人に突然感謝される」

「その2、仕事を褒められる」

「その3、ちょっと手が触れる」

「その4、副団長に名前を呼ばれる」


 最後、最後だ。


「え? 最後の……!」

「副団長が最大の混乱要因なんだ……」

「違うだろ!!」

「それ……違わないです」


 否定できない自分がいるのが最悪だ。


「では、実技だ」


 実技、という言葉がこの研修に相応しいと思えない。


「想定状況は“真琴殿が突然笑顔で声をかけてくる”。護衛が平常心を保てるかどうかの訓練だ」


 必要ない、私には。


「副団長、お前が一番必要なんだよ」


 ……。


「こんにちは! 今日もよろしくお願いしますね!」


 団員が一人、音を立てて倒れた。


「倒れたぞ!」

「真琴殿の笑顔に、耐性がない者から死ぬ」

「そんな訓練ある?」


 あるらしい。


「では、副団長」


 最悪の指名だ。


「“真琴殿の笑顔で耐性が崩壊しないか”」

「……やる」


 真琴が不安そうに、こちらを見る。


「リオン、無理しなくても……」

「いや。君のためなら」


 囲んでいる団員たちから、大きな歓声が上がる。


「静かに!」


 真琴が、困った表情で私を見つめた。それだけで胸が熱くなる。


「えっと……り、リオン……今日もお仕事頑張ってね」


 その瞬間、思考が止まって視界が熱を持ち、耳が燃える。


「はい崩壊~!」

「崩壊してない!!」


 している。


 研修は続いた。いや、地獄が続いた。真琴が触れられる反応。手を取られた時の温度差。腕を引かれた瞬間に、私を見る癖。


 全部、私だけのものだと思っていた。全部、見せる必要などなかった。


「真琴、安心しろ。私が守る」


 声に出した途端に、真琴の膝が揺れた。


 ……だめだ。


「これが“即・無防備モード”だ」


 知っている。だからこそ、誰にも見せたくなかった。


 研修が終わった頃には、理性が限界だった。


「……恥ずかしすぎた……」

「ご、ごめんね……」

「謝るな」


 本当は、嬉しかった。講師として立つ真琴を見られたことも。皆が彼を守ろうとする姿も。だが、それ以上に――。


「帰るぞ」

「え?」

「今日は私の理性がない」


 真琴が戸惑った顔で見上げる。


「“触れられた真琴”を他の男たちに見せるのは……もう無理だ」


 それだけは、どうしても譲れなかった。遠くで団長の声がする。


「来週は“抱きとめた時の反応”の応用編をやるぞー!」

「絶対行かせない!!!」


 真琴の手を引いて、私はその場を後にした。


 彼を守る、誰に何を言われようと。この人は私の大切な人だから。




 扉を閉めた瞬間、ようやく息ができた。騎士団の建物から一歩離れただけで、頭を満たしていた騒音が遠のく。


 あの視線も、声も、尊いだの何だのという雑音も――すべて。


「はぁ……」


 手を離すつもりだった。だが、気づけばまだ真琴の手を握っていた。


「リ、リオン?」

「あ……すまない」


 そう言いながら、指をほどく気配がない。自覚はある。だが離したら最後、研修の光景がまた脳裏を占拠しそうだった。


「今日は……その……大変だったね」

「……地獄だった」


 即答すると、真琴がくすっと笑った。


「そ、そんなに?」

「そんなに、だ」


 ――笑うな、かわいい。


 夕暮れの道を一緒に歩く。真琴は少し前を歩き、時々こちらを振り返る。研修の時よりも、ずっと静かな笑顔だった。


 ……これだ。これが私の平常だ。


「ねえ、リオン」

「どうした」


 呼ばれただけで、心臓が跳ねるのを誤魔化す。


「みんなの前で……ああいうふうにされるの、嫌だった?」


 足が止まる。私は一瞬、答えに迷った。


「……嫌だった」


 正直に答える。


「……けど」


 真琴が不安そうに、こちらを見つめる。


「君が悪いわけじゃない。むしろ……」


 自分の気持ちを伝えるために、言葉を選ぶ。


「……誇らしかった」


 真琴の目が、少し見開かれた。


「え……?」

「講師として立って、皆に説明して……恥ずかしがりながらも、あの場から逃げなかった」


 思い出すだけで、胸が締め付けられる。


「誰に見せてもいい姿じゃないと、私は思っている。だが……ああいう場で、君がどう扱われるかを知れたのは……護衛として必要だった」


 真琴はしばらく黙ってから、小さく笑った。


「……じゃあ、少しは役に立てた?」

「ああ。私にとっては、十分すぎるほど」


 その場に沈黙が落ちる。やけに心地いい沈黙だった。しばらくして、真琴がぽつりと言った。


「……でも、リオンが一番大変そうだった」

「否定しない」


 研修中、何度理性を削られたことか。


「ねえ」

「うん」

「帰ったら……どうするの?」


 問い方が、少しだけ照れている。


「……まず」


 歩調を早めて追い抜き、真琴の方へ体を向ける。


「誰にも邪魔されない場所で、君を落ち着かせる」

「……え?」

「研修で、相当無理をさせた」


 真琴は自分を抱きしめるように、腕を軽く組んだ。


「そんなに?」

「そんなに、だ」


 また同じ答えだ。


 家の扉を開ける。中に入った瞬間、私は鍵をかけた。音が静かに響く。


「……リ、リオン……?」


 不安と期待が混じった声。


「安心しろ」


 自然に、その言葉が出る。


「ここには、私しかいない」


 真琴の肩が、ふっと緩む。私は一歩近づき、そっと腕を回した。抱きしめるが強くない力加減で。それは逃げ道を残す距離だった。


「お疲れさま、真琴」

「うん……」


 額が、私の胸に触れる。研修で見せた反応とは違う。誰にも見せていない、私だけの反応。


「今日は、よく頑張った」

「だって……リオンが守ってくれたから」


 その一言で、すべて報われた。


「それでいい」


 髪に顔を埋め、静かに息を吸う。


「これからも、そうする」


 真琴の腕が、恐るおそる背中に回る。


 ……ああ。守る理由は、もう十分すぎる。


「ねえ、リオン」

「なんだ」

「……明日も、一緒にいようね」


 当たり前だ。


「離れるつもりなど、最初からない」


 真琴が小さく笑い、さらに身を寄せてくる。その瞬間、抑えていた欲求が一気に溢れ出した。研修中のあの視線、皆の前で晒された真琴の姿――それが今、私の独占欲を掻き立てる。


 私はそっと彼の顎を上げ、唇を重ねた。最初は優しく、探るように。真琴の息が漏れ、唇が震えるのを感じて、キスを深くした。舌を絡め、彼の甘い味を貪るように。


「ンンっ……リオン……」


 彼の声が、甘く溶ける。私の手が背中から腰へ滑り、布地越しに引き締まった曲線をなぞる。その途端に真琴の体がびくりと反応し、抱きつく力が強くなった。


「ここで……落ち着かせてやる」


 耳元で囁くと真琴は頰を赤らめ、こくりと頷いた。私は彼を抱き上げ、寝室へ運ぶ。ベッドに下ろし、上から覆い被さるようにして、再び唇を奪う。


 息を荒げ、互いに抱き合った。真琴の目が潤み、私をじっと見つめる。


「リオン、これで落ち着いた?」

「ああ……いや、足りない。もっとだ」


 彼の笑みに、胸が熱くなる。


 今日の研修は、確かに地獄だった。だがこうして抱きしめるための時間なら、何度でも耐えられる。


 ……団長だけは、絶対に許さないが。

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