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1-7 『金と、信頼。』

「わぁぁ……ひっさしぶり〜!!!ねえねえ、元気にしてた?私のこと、覚えてる?ねえ、ねえ!!」

「うっ、えぇっ!!?な、ななな何なの急に!?誰……ってアンタまさか!?」


 通り過ぎようとした女の腕を掴み、大声でにこやかに話しかけるマリエ。女は困惑と同時に周りを見て、自分に視線が集中していないか気にする。


「そうそう、私よ私っ、マリエ!!あの日にいなくなっちゃってから、ずーっと連絡取れなかったから不安で不安で……ちょっとくらい返事くれたっていいじゃ〜ん!!」

「っ……なん、なんだし、また会うとか……」

「ま、マリエさん?この人は……」


 自分の腕を擦り抜けるように出ていったマリエに、カナデは駆け寄る。マリエと共にいた女は、恐らくはカナデより若干年上で、俗に言えば地雷系のような見た目をしている。

 人付き合いに慣れていないため、少したじろぎながらも、カナデはマリエと女に尋ねた。


「バイト君、この前言った『四人』の話覚えてる?私の飲み仲間……じゃなくて、元バイトメンバーの男女四人組。この子は、その内の一人の#mireNaちゃん!!」

「えと……み、れな……?」

「っ!?……ちょ、大声で言わないでってば!!周りに聞こえたら……」

「え〜なんでよ〜?また前みたいに『マリエさ〜ん』って、元気いっぱいに言ってもらっても構わないのよ?ね〜?」

「そうじゃなくて、その、っ、恥ずいん……もう、なんでいちいち言わなきゃ分かんないんだよ……」


 #mireNaちゃんと呼ばれた女は、ベラベラと喋るマリエの話を焦るようにして遮る。どう考えても本名ではない、ハンドルネームで呼ばれる彼女は、渋谷アーバンの前メンバーの一人だった。


「にしても久々ね〜、そうそう、みんなは元気にしてる?#Kurey君とか、#ナナシ君とか、#カれンです♡ちゃんとか」

「……」

「メンバーをアカウント名まんまで呼ぶ人、初めて見たよ……」

「匿名なら付き合ってやってもいい、って言ってくれたから、そのルールを守ったのよ。ふふん、これでもマネージャー、だから」

「結果が結果だけども」

「ちょっと!」

「も、もういいでしょ、勝手に話してるみたいだし。私は、もう帰るから……」


 カナデが来る前の、そしてマリエを見限った元アルバイトのメンバー。その内の一人と出会うなんて。楽しい一日の終わりに、懐かしさに浸るノスタルジックな時間を過ごすことも、万が一にもあり得たかもしれない。

 この場に漂う、ピリついた空気感さえなければ。


「あ!じゃあ久々にお酒飲みに行こうよ!ほら、君も好きだって言ってた梅チューハイ、今日は私が奢っちゃうからさ〜!!」

[ええ!?き、君、お酒って……じゃあJKじゃなかったのか!?アカウントに15歳だって、書いてあったじゃないか!!]

「っ、ち、違っ……だから帰るんだってば……」

「ねーねー、いーこーうーよー!!」

「だからさあ……ああ、もう……!!!」


 やはり、それは微笑ましいものとは言えない、むしろ危険な反応を起こす腫れ物だった。中年の男を連れていながらも、女を飲みに誘おうと強引に腕を引っ張るマリエの腕が、思い切り振り払われる。


「あれ?どうしたの、急に顔色悪くして——」


 そして、女は気性を一変させ、




「ウザい、ウザい、ウザい、ウザい……ウザいんだよいつまでも!!!いちいち邪魔すんじゃねえよ、このクソ女!!!!」




「……!?え、えっ……ミレ、な、ちゃ?」


 マリエに対して、心の底からの嫌悪を吐き出す。先程まであんなに楽しくしていたはずなのに。彼女の豹変に、突然のことで固まるマリエを置き去りにして、女は捲し立てるよう口を尖らせていく。


「お前のせいで台無しだよ、ったく……頑張ってテク身に付けて、やっとカモ捕まえたってのに……余計なことしやがって!!!」

[カモ……だと!?おい、君!!おじさんのこと本気で好きだって、言ってくれたじゃないか!!だから僕は、君の欲しいものもなんでも買ってあげたのに……酷いよ!!]

「は?バカじゃねえの、そんなわけねーだろキモ親父。金で易々と恋に落ちるほど、人の心は甘くねえんだよ。そんなんだから私にたぶらかされんの」

[き、キモ、っ、て……]


 当てつけの矛先は連れ添っていた男にまで向けられ、財布だと吐き捨てられる男は、自らの幻想を恨む。化けの皮は想像以上に厚かったようだ。男もまたマリエと同じく、この匿名の女に金目当てで利用されていたのだ。


「あー最悪、結構いい感じで来てたのに、また一からやり直し……私もツイてないね。余計な悪縁は断ち切るに限るってやつ?」

[悪縁、って……嘘、だよね?これからも、また一緒に会ってく……]

「もういいや、アンタとの関係も終わりってことで。次はもっとチョロいパパ活女子、捕まえられるといーねー」

[そ、そんな……僕は、僕は、一体、何のために今まで……]

「ふふっ、そう言えばおじさん、毎回ちょー下手っぴだったっけな〜♪きゃはははははっ!!!」

[うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!!!]

「っ……ち、ちょっと待ちなさいよ!!」


 あまりにも痛々しい光景に、思わず声を上げて、場を立ち去る女を引き止めようとするマリエ。だが、


「……アンタの言うことなんか、誰が聞くと思ってんの?」

「えっ」


 女はトドメを刺すべく、建前を一切取っ払った、本当の言葉を突きつける。


「あの世とかアーバンうんたらって、元々訳わかんないこと抜かしてて、初めからバカみたいだって思いながら付き合ってたけどさ」

「え、初め、から……?で、でも、あんなに楽しそうにして、私とお酒飲んで……」

「は?まさか、本気で楽しんでるとでも思ってたの?嘘だよ、嘘。鼻からぜーんぶ嘘に決まってんじゃん」




「『金』が、欲しかったから」




「それ以外で、誰が意味不明なこと言ってる不審者に着いていくと思ってんの?いっぱい奢ってもらったり、便利な財布になってもらおうとしたのに……それどころか、余計な時間食わされて良い迷惑だったよ」


 気が悪いどころか、むしろ精々とした表情でこれまでの募った感情を吐露する。人が被る仮面、欺かれる無知、当てどころのない悪意が場に充満し、マリエは思わず何も言えずに立ち尽くしてしまう。

 いるだけで吐き気が込み上げる空気に、耐えかねたカナデも声を上げるが、


「……」

「も、もういいでしょ、そこぐらいで止めて——」

「あっ、そっか今度はこんな年下の男の子捕まえたんだ。あちゃー、捕まった君も大変だね?」

「は?」


 女は憐れむようなトーンで、よしよしとカナデの頭を撫でる。髪を乱雑にくしゃくしゃにして、思いやりのかけらもないそれは、女の素性をよく表したものだった。


「うわ、っぐ、ちょ!!」

「変なことにばかり付き合わされて、辛かったでしょ〜?ほらほら、世の中知らないからそうやって悪い大人に捕まっちゃうんだってば……」

「ちょ、おい……いい加減にしてくれよ!!!」


 同情なんかではない押し付けを受け、カナデは女を怒鳴りつけ、頭の手をはたき落とす。でも、女には何も響かない。最後まで髪を掻き乱した後に、渋谷アーバンと哀れな男に別れを告げる。


「あははっ、いい加減にして欲しいのはこっちの方だし。それじゃ、二度と私の目の前に出てこないでよね、『渋谷なんとか』さん?じゃーねー」

「……」

[そんな……そんなぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!行かないでぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!]


 膝をついていた男は、追いかけようと身体を持ち上げるが、既に女の姿はない。結局本名すらも明かさなかった女は、多くを奪い、乱し、何事もなかったようにまた匿名の海に潜っていった。男もまだ縋り付こうと立ち上がると、この場から早急に消えていった。


「金……」


 場に残ったのは二人だけ。行き交う人々の目線が冷たい中、これまでにない孤独感に苛まれる。

 マリエは、これまでに見せたことのない表情を浮かべていた。全くの無感情で、瞳に光がなく、魂が抜けてしまったように俯き、今にも倒れ込んでしまいそうにフラフラと身体を立たせている。


「マリエさん……」


 返事はない。昼間までの明るさが嘘のように曇り、マリエの心が哀しみに飲まれていることが分かる。ボサボサになった髪を直しながら、カナデは考え、悩み、思い、そして少し経った後に、マリエの腕を強めに引っ張る。


「俺……少し寄りたいところが、あるんですけど」

「おわ、っ……バイト、君?」

「いや、連れて行きたいところです。一緒に来てもらいますよ、マリエさん」


 少々強引にでも、カナデは意気消沈としたマリエを引き連れ、帰路の方面から渋谷の街へと向きを変え、逆戻りする。

 ちょうど女と男の向かった方向とは逆に、渋谷の中心部であるスクランブル交差点まで、二人は駆け出していく。


「ねえ、ちょっと!どこ連れて行こうってのよ!」

「いいから!黙って来てください!」

「もう、少しくらい放っておいて欲しいのに……乙女心が分からない男は嫌われるわよ!」


 夜の色に染まりゆく街。常識を超えた人混みを掻き分けながらも、マリエの手を握ったまま離さないカナデは、渋谷駅のすぐ側に建つ超高層ビル、渋谷スクランブルスクエアへと向かう。

 ネオンが輝き、見られる人の様相が昼間から変わり、でも騒がしさは相変わらずの中で、カナデはビル内へと駆け込み、そのままエスカレーターを駆け上る。


「……」


 一体何をするつもりなのか。気分の優れないマリエは、ただ頭の中を巡らせることしかできなかった。

——ああ、ずっと分かりきっていたのだ。カナデも、元メンバーの四人も、口を揃えてそれを求めていたから。結局人間を繋ぎ止めるのは、金なのだ。それこそが雇う側と雇われる側の、最も信用を深めるものなのだと。


「リエ、さん……マ……エさ……」


 一緒にお酒を飲んで楽しかった彼らも、一緒にアルバイトを経験して満足した彼も、本当はみんな嘘だったのかもしれない。自分だけが勝手に楽しんでて、他のみんなは、心の奥底では自分のことなんて嫌いだと、いや、そもそも思ってすらいなかったのかもしれない。

 無価値……自分は何故、生きているのか。何故、こうしてマネージャーとして。こうして、悪魔として……


「マリエさん!!!」

「へ、おわぁぁっ!!?」

「もうさっきから呼びかけてるのに、無視しないでください!!ほら、着きましたよ?」


 未だに仲が良いと、本気で信じ込んでいたマリエにとって、先程の女の言葉は特段に辛いものだった。

 そんな、誰がどうみても落ち込んでいる彼女を連れたまま帰るのは、気持ちが晴れずに納得がいかなかった。だからカナデはここにやってきた。

 全てを一度、スッキリと整理するために。




「じゃじゃーん!これが例の展望台、『渋谷スカイ』ですよ!!」

「へっ……な、なにこ、れ……すごい、綺麗な場所……」




 カナデが訪れたこの場所は、渋谷スカイという、渋谷スクランブルスクエア屋上に位置する天空展望台だった。

 マリエが放心している間に、そこの二人分のチケットを買い、エレベーターに乗り、地上46階の天空へと到着していたカナデ。今いるここは、壮観な渋谷の街を四方から見渡すことの出来る唯一の場所。


「綺麗……すごい、すご、い、綺麗で……綺麗」

「何回綺麗って言うんですか。まだまだ勉強不足ですよ、マリエさん」

「……にしても、確かにすごいところですよね、ここって。あんなデッカい街並みが、ちょっとした模型みたいに見えて。自分自身の色々なことまで、ちっぽけだって、そう思えてきたりして」


 ネオンが街を照らす、夜の世界。少し危険を含みながらも、未知なる新鮮な空気を吸い込むと、背徳と興奮が心を遊離させ、現実の世界から自身を解放する。

 あの街を見下ろしてみる。広すぎた世界に見入る。気づけば、吸い込まれて、全てがボンヤリとしてくる。


「ちっぽけ……ふふっ、何だかみんな、私自身まで……」


 他の人々もこの空間にはいる。でも二人にとって存在するのは、あくまで二人だけ。誰にも入り込めない、入り込ませない意識の中、二人だけが二人だけの世界にいる。


「いつまでも見てられますね、これ。ちょっと高かったけども、こんな感覚になれる体験なんてそうそう……って、マリエさん?」

「……えっ」

「ひょっとして、泣いてます?」

「えっ!?なっ、なな、泣いてなんかないもん!!私、マネージャーだし、社会人だし、あ、っ、ああ、あんな言葉なんか、全然、へ、へっちゃ、ら……だ……し」




「ぁ、れ……私、なんでこんなに、辛く……」




 底なしのメンタルを持つマリエも、決して不屈というわけではない。信じていた者に裏切られ、拒絶された悲しみを初めて知ったマリエは、どうすることも出来なかった。

 ただ悲しみに浸ってていいのか、自分はマネージャーなのにこんなことで、ああやっぱり自分はダメな奴なんだ。そう、普段は気にもしないような責任を変に考え出す。

 考えて、次々と自分の短所がチラついて、色々考え始めて余計に悲しみに浸る。そうして、負の循環に陥ってしまう。このままでは、よくない。


「そ、そう、バイト君。ここのお代、私の分も代わりに払ってくれたのよね。ちゃんと私が改めて払わないと」

「いや、いいんです。今日は俺の奢り、というか、俺が来たかっただけなんで。この前と逆で、マリエさんはただ付き添いとして、俺に無理やり連れて来られた。それだけです」

「バイト君……まさか、気、使わせちゃってる、のかな」

「別に、そんなんじゃ……ただ、スッキリするにはもってこいかなって、そう思っただけで」

「何よそれ……普段は私のことなんて、全然気にもしないくせに……なんだか、ズルい男みたい」


 気遣いなのか、素直になれないだけなのか。どちらにせよ、カナデは本音と建前両側からそう話す。口を開けば、マリエは金の話ばかり。というか、カナデもこれまでずっと金のことばかり話していた。

 あくまでノルマのようだったそれが、もしもそれが、マリエに対して密かに重荷になっていたとしたら。表面上はふざけて流していても、本当は心の底で、苦しさを押し殺していただけだとしたら。


「俺まで……あんな最低な奴になんか、なりたくない」


 目の前にいる誰かの心が分からなくなるほど、金のことしか考えられなくなる。そんな人ならざる存在と、無意識の内に自分は同じことをしていたことになる。

 ただのプライドのため、悪意がなかったとしても、自分が煩わしいほどに言い寄り、アルバイトを無理に始め、事務所も急かし、何から何まで無意味に焦らせて……彼女を振り回し、心を追い詰めて壊してしまった。


「くそ、っ……」


 そう思うと、途端に悔しくなった。

 自分の訳のわからない、確固たるものもない、薄っぺらく下らないプライドのせいで、目の前の人が泣いて悲しんでる。

 社会も何も知らない無知なのに、失敗ばかりなのに、本当は何も出来ないくせに威張ってばかりで、いいところも何もない。そんな自分に……とめどない憤りを覚えてしまう。


 フラフラで『何の軸もない自分』が、無性に恥ずかしい。カナデも、そしてマリエも、同じことを思い詰めていた。


「っ……とにもかくにも、今日はお金の話はなしです。いたいならいる、いいなら帰る。どちらにせよ、マリエさんの自由です。俺はもう少しだけここに……」

「もちろん、私も、まだここにいるわ。ここにいれば……とにかく、今は……理屈抜きで、ここにいたいの」

「……そうですか」


「……」

「……」


 自責に浸る二人だけの、静かな時間がしばらく流れた。

思春期の時って、何でもかんでも一人でやりたがろうとしませんでしたか?気持ちだけは大人に近づいていってるのに、勉強だったりバイトだったり、微妙な立ち位置に挟まれ続けて、謎の劣等感に苛まれてしまうという。

カナデは、まさにそのような状況のジレンマに囚われていて、対してマリエは、一つの辛いことを引き金にアレコレと考えだして余計に落ち込んでる、と思ってみてください。

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