1-5 『渋谷アーバンと、悪魔な倫理観。』
「と〜ちゃ〜く!ようこそ、バイト君!私たちの拠点、渋谷アーバンへ!!」
両手を広げ、新たなメンバーを歓迎するエリアマネージャー。
「おおっ!ここが、あの噂の……」
期待を込めて瞑っていた瞼を、思い切り上げる。感動的な初対面。目の前に広がっていた景色。そこにあったものは……
「渋、谷……アー、バン……?」
脱ぎ捨てられた下着、足で踏んだ跡がある空き缶、投げ捨てられたポテチの袋、またしても脱ぎ捨てられたYシャツ、弁当の空箱、ペットボトル、雑誌、ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ。
「ふふん!渋谷アーバン本拠点兼……我らが望魔理恵のガチ賃貸よっ!!」
「いや、ただのゴミ屋敷じゃねえか!!!」
カナデがマリエに連れられた場所は、一女性の部屋としてはあまりにも夢がない、残念すぎる汚部屋だった。
先日、カナデはアルバイトとして、正式に秘密組織アーバンエッセンシアに所属することとなった。東京を各地域で分割し、それらを○○アーバンと名称している中、カナデは小規模アーバンの一つの『渋谷アーバン』に属し、そこはエリアマネージャー兼悪魔であるマリエが、たった一人で管理していたアーバンだった。
今日は初めて職場に赴く日……だったのだが、マリエはカナデに衝撃の事実を伝えた。
「……はぁ!?事務所を本部から用意してもらえなかった!?」
「う〜ん、そうなのよね〜。特に何も語られなかったけど、私も始めたばっかでな〜んにも知らなかったから、そのまま飲んじゃったのよね」
「いやいや、仮にも一つの管轄でしょ……その実態が、まさかの半ボランティア的環境だなんて……」
ひとまず部屋を一緒に掃除しながら、カナデとマリエは自身らの置かれた状況を再確認する。自ら未熟だと言うように、マリエはほとんど社会も組織のことも知らない。そんな彼女だからこそ、平穏なエリアの渋谷に配属され、何も言われることなく、費用削減の為に事務所を提供されることもなかった。
かつて渋谷アーバンにいた四人の男女とも、現地集合現地解散で酒を飲むだけの間柄であり、業務は何一つ行っていない。そう考えると妥当のようにも思えるが、今のカナデからすれば厄介でしかない。
せっかく気合いを入れて、立て直しを図ろうとしているんだ。勢いに水を差されるわけにはいかない。
「だとするなら、まず必要なのは俺たちの事務所……本拠点ですね。こんなところじゃ、流石に何もやってけないし……」
「ちょっと、私の部屋バカにしたでしょ!ここ割と良いところよ?シャワーはあるし、洗濯機はあるし、冷蔵庫はあるし、お酒はあるし……」
「……あとは?壁は薄いし、狭すぎるし、お隣さんの声は丸聞こえだし」
「あ〜……確かになるほど、ね」
賃貸の中では下の上でも、基本的には寝るためにあるような場所。住むならまだしも、ここで業務を行うなど問題外だ。ちゃんと整えられた労働環境を準備する必要がある。
ゴミを袋に詰め、雑誌をテーブルの上に積み、下着を手掴みで洗濯機に放り込み、こうして何とか最低限のスペースを確保する。話している内に、部屋の掃除もまもなく終わろうとしていた。
「ぱ、パンツとか、よくこんな放置して……っ、よし、これでゴミは全部片付け終わりましたよ、マリエさん」
「お、ありがとね、バイト君!こっちも全部片付いたから、ひとまずはこれで完了!!」
三角巾を巻く姿は専業主婦そのものだが、一応高校生のカナデは大量のゴミ袋を縛り、担いで玄関に置く。そして、風呂場から戻ったマリエと顔を合わせた、その時。
「はい……って、えええええええええええええっ!!!!!???!?ち、ちょちょちょちょ!!!!」
「ん?どうかしたの?」
「いや、あああああああの、ふ、ふふふふふふ、服!!!!!何で、急に脱いでるんですか!!!??」
マリエはスーツを脱いだ状態で現れ、そして今まさに下着に手をかけようとしていたところだった。
「いやだって、掃除終わったし」
「いやいやいやいや、意味分かんないし!?」
「はぁ、あのスーツすーっごい窮屈でさー。家だと、私はいつもこうなのよ」
「えっ、裸族ってこと?てか、ちょっ!話してる最中にも脱ごうとしないでください!!」
「え〜、暑いのになんでよ〜?別に恥ずかしいことなんてないじゃない。君も、赤の他人ってわけじゃないんだし?」
「気にしないの!?ま、マジかよ……」
相変わらず悪魔の倫理観には、ところどころで付いていけない。金のことも、恥じらいのことも、セクハラのことも。
アーバンエッセンシアは人知れず人間の世界を、あの世からのお尋ね者という謎の存在達から防衛する組織。当の組織員が人間の世界に疎くてはどうしようもない。
「倫理観のズレとか……これからやること、いっぱいだな……」
浮きまくっている倫理観も、不十分な労働環境も、これからの渋谷アーバンの進展の上では無視できない。しばらくしてから部屋の中央のテーブルの席に座ると、今度は二人して下着姿で向き合い、今後についての会議に勤しむのだった……
「……って、何でこうなったんだぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「あ〜、涼し〜〜。ほら、やっぱり服は脱ぐに限るでしょ?エアコンないんだし、我慢は禁物ってね!」
「お、おおおおお、俺の服!!?何勝手に脱がして洗濯機回してんですか!!俺、こんな下着姿じゃ帰れないんだけど!!?」
「だって、今日暑かったし、汗たくさんかいたでしょ?それに、うちの洗濯機は乾燥機能付きだから、全然平気よ!!」
「どんだけ時間かかると思ってんだよ!ぁぁぁぁぁぁ……」
いや、正確には向き合わされた、のほうが近いかも知れない。互いの倫理観を合わせるのも、一苦労だ。
「……えっ、何でも屋?どういうこと?」
「だって、渋谷アーバンって言っても、ここは比較的平和な場所なんでしょ?だったら、防衛だけが収入源だと金稼げないし」
「確かに言えてるけど……それ、私たちだけで、独自に組織とは別に動いていくってことよね?」
年上と年下が下着を見せ合う、そんな歪な状況はまだ続いている。洗濯機の服が乾くまでの間、二人は紙コップに注いだ水道水を飲みつつ、今後の方針を話し合っていた。
「ちょっと、忘れたんですか?俺、まだマリエさんから給料貰ってないですからね」
「ぎく……そ、そうね……そこはちゃんと、分かっ、てる、わ……」
「まあ、今はまだいいですけど。明日からは事務所探しと、あっ、勉強会も一緒にやりましょうよ。お金のことも、経営のことも、それから、あとは他にも色んなことを……」
「えっ、お、多くない?なんだか、すごいやる気じゃない?バイト君なのに、まるで君の方がマネージャーみたいね」
「いやいや……いつも暇だったんで、つい」
カナデ自身、よく分かってないところがある。急にバイトに行けと尻を叩かれ、嫌々だった内に流れ着いたバイト先に、セクハラだらけのダメダメな女悪魔。
本当に、どうしてこんな場所に居ようと思ったのだろう?思春期特有の怖いもの見たさ?歳に見合わない変な同情心?なんとなく以外に、具体的な理由を言葉に出来ない。
本心である、自分は何がしたいのか。それがまだ分かっていない。
だからカナデは、ある意味、『怖いもの知らずに物を語ることができる』のだ。
「ふふっ、流石は私の見込んだバイト君だわ。年下の子がこんなに情熱的なのに……肝心の私が、ボーッとなんかしてられないわね!!」
「……ははっ、流石俺が就いたマネージャーですね。やっぱやめたなんて、ナシですよ」
「逆にそーいうキミこそ、ね?」
外も内も、まだ分からないことだらけの二人。でも裏を返せば、未来はいくらでも自由を効かせられる。模索するカナデも、変われるかもしれないマリエも、未知な未来へと思いを馳せることに変わりはない。
「これから頑張ってやってきましょう!!全部が一からの……俺たちだけの渋谷アーバンを!!」
「ええ、乗ったわ!!私たちの姿を渋谷中に、いや、世界中に、轟かせてやるのよ!!」
渋谷アーバンは、これから彼らが出会う人、向き合う出来事により、様々な色に染まっていく。無限の可能性が広がる未来は、やがて二人だけの物語となり、いつの日かの思い出話へと変わる。
だが、その道のりは決して高尚というわけではない。
「いや〜!!何だかスッゴいテンション上がってきたわっ!バイト君……ぐっふっふ、イイコト、思いついちゃった」
「ん?どうしたんですか、マリエさ……むぐっ!!」
突如、マリエはカナデのランニングを引っ張り、自らの方に引き寄せる。カナデの頭が柔らかい感触に包まれ、マリエが何をしたのかを瞬時に理解する。
そう、これは綺麗事ばかりの英雄譚ではなく、あくまで彼らなりのエッセンスで彩られる物語なのだ。
「むごご!!ち、ちょ、急に何すん、うぐっ!!!」
「い〜じゃな〜い、今日いっぱい汗かいたし、一緒にお風呂、入りましょうよ〜!!ぐふふ……」
「むぐ……って、さては昨日更新された、あの漫画の最新話見たんだろ!確か内容、ちょうど上司がセクハラするっていうやつの……」
「その通り!今度はイタズラじゃなくて、本物のセクハラをしてあげるわ……これも、悪魔側の倫理観を学ぶ第一歩よ?」
「え、嘘……ま、マジ、で、言ってる?冗談だよ、ね、ちょっと、あの……」
「マ、ジ、よ♪」
「ぐっ……こんのあくまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
「わ〜っはっはっはっは!!!ほらほらぁ〜、私の手から逃れられると思うな〜!!!」
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!!」
下着をその場に脱ぎ捨てながら、年下の高校生を風呂に連れ込む年上の悪魔。ドアが閉まり、カーテンがかけられ……その奥で何があったのかは、誰も知る由もない。




