2-27 『溺れてしまうほどに、何かを求めてる。』
「——ふふっ、良かった。会いたかったぞ、ワラビ」
配下達の裏で身を隠すことをやめ、自ら戦線へと乗り出し始めた白神楽。先日の渋谷への侵攻から一転、今日は新宿へとその姿を現す。
「……カグラ、さん」
カイドウとオウマが別箇所のお尋ね者を倒しに向かう中、二人きりだったワラビとユカリを狙い、彼女は現れた。その声色には、妙に喜びが混じっている。
「ワラビ?ど、どうしたの……?さん付けするなんて、相手は名も知らないような死者なのよ?なのに」
「いや、知らない人じゃない。きっと知ってる……多分、忘れてるだけだと思う」
「えっ?」
どうもあの人が嘘をついているとは思えない。少し前では考えられないような、お尋ね者の言葉を鵜呑みにする自分のまま、ワラビは臆せずカグラへと近づく。
何か様子がおかしい。異変に気づいたユカリが肩を掴むが、ワラビはその手をすり抜け、振り向きもせずに前へと歩いていく。その瞳はどこか、上の空を眺めていた。
「教えて、ください……私の知らない、貴方のお話を」
「な、何を考えてるの、ワラビ……!?待ちなさい、止まりなさい!!」
「ははっ、あっはは!……やっぱり、やっぱりワラビだけは違うと思ってた……ワラビならきっと、私の気持ちが分かるはずだって……ほら、おいで」
ゆっくりと近づくワラビ、声を震えさせ、腕を広げその場で待つカグラ。二人は引かれ合うように結びつき……そこで、熱い抱擁を交わす。
突然の光景に、脳が追いつかずにいるユカリ。一体何が起こっている、何が、何が。
「っ……昨日から思ってたんです……貴方の言ってた言葉、全部全部、私の思いそのものだって。だってこの世界に救いがないことは……私もずっと思っていたことだから」
「そうよ……救いなんてないの。右も左も、上も下も、過去も未来も、全て私たちにとっては邪魔な枷。貴方も私と同じだって、その目を見てすぐに分かったわ。
安心して、私は……死は絶対に、貴方を裏切ったりなんかしないから」
「やっぱり……信頼できる人だったんだ。この人が私にとって、誰よりも、何よりも……」
その光景、生者と死者が、すがり付くよう互いを求め合うその姿は、まさに異常そのものだった。全くもって理解できない、命の歪んだ景色だ。
「ワラビ……ワラビっ!!アンタ、この子に何を吹き込んだの!?」
「吹き込むも何も、この子は元々私と同じだったのよ。この救いなき世界の犠牲者、生まれてしまった不幸な存在。私たちは同じ思いを抱いた、似た者同士ってこと」
「嘘よ……なんで、なんでそんな考えの奴と一緒にいるのよ!!ダメ、こっちに帰ってきなさいっ!!!」
ユカリの声は届かない。青白い膨らみに耳を押し当てて、ワラビは余計なことを考えなくさせる。死者の身体は冷たいと思っていたが、そんなことはなかった。
温かくて、胸も柔らかい。なんだ、死んでるなんて、ホントは嘘なんじゃないか。目にハッキリと映らないだけで、実は肉体も、生者と同じく存在するんじゃないか。
「あはぁ、温かいです、先輩……本当に死んでるなんて思えないくらいに……私を包み込んでくれて……」
「ふふっ、ありがと。ワラビも元々恥ずかしがり屋さんだったのに、よくここまで頑張ってきたわね。もう耐える必要なんてないの、苦しいことを我慢する必要はないの。
さあ、私と一緒に新しい世界へ行こう、ね?」
「なんなの……アンタは、何者なの……?なんで私たちを知ってるの?なんでワラビはアンタを知ってるの?
アンタは……私たちとどんな繋がりがあるの?」
ただ話が出来るだけじゃない。あの女は明らかに、自分たち以外知り得ないはずの、自分たちの『記憶』を持っている。
そう認め、とうとう素直に聞く態度を見せたユカリ。カグラは嬉しそうに笑い、そして、ユカリとワラビにある話を打ち明ける。
「ふふっ……いいわ、ここまで辿り着いてくれたお礼に、私の全てを教えてあげる。お前達……いや、貴方達が忘れる前ですら知らなかった真実も、知りたいこと全てを話してあげる」
口調を当時のものに戻してまで、丁寧に紡ぐ話。それは黒幕になった彼女の奥底に宿る記憶であり、さらには、ユカリとワラビがいずれ辿る、未来の追体験でもあった。
「元々、私は誰もファンがいないような、埋もれきった地下アイドルの一人だった。どれだけレッスンを重ねても、歌っても踊っても、勉強の時間を割いてまで頑張っても、状況は何一つ変わらなかったわ」
「……」
「ユカリ、その表情よ。貴方が今思っている感情を、当時の私も抱いていた。貴方達と私はよく似てる」
変わらない現状、埋もれきったという現実。見慣れてしまった、声がうるさく響く狭いステージ上の景色。
カグラの胸の内のワラビ、そしてユカリはその言葉を聞き、自然と眉にシワを寄せる。
「そんな頃、ある人が私のファンになってくれたの。ステージによく来てくれるようになって、末期的な状況だった私に、ようやく希望の光が差し込んだ。私は努力が報われたことが嬉しかったわ。嬉しくて、とことん頑張るようになった……ちょうど走りたての貴方達のようにね」
逐一ユカリとワラビと比べるように話をするカグラ。ただのアピールでしかないが、これが何よりも効くことは二人自身が分かっていた。
「そしてとうとう、その人が声をかけてくれたの。元々ピシリとした服装の人だったから。ひょっとしてと思ったら、その人は、大手プロのスカウトマンだったのよ」
「幸せで涙が出たわ、生まれてきて良かったって思った。アイドルを続けて良かった、泥だらけの道を進んで良かったってね。
目に映るもの全てが輝いて見えて、有頂天のまま私は、気づけば車に乗せられてた」
「……え?」
このまま、例の人気アイドルとやらになるのか。そう聞いていたユカリは、最後の言葉に違和感を覚える。何故車に乗せる必要がある。用意が不自然なほど整いすぎている。
何かに勘づく表情を見せると、カグラは少し詰まりながらも、次へと話を進めた。
「辿り着いた場所は……思い描いていたプロダクションの事務所じゃなくて、全く違う場所だったわ」
当時はまだ高校生で、社会のこともまるで知らなかった。豆打悶堕と名乗っていたカグラには、これが罠だとは気付けなかった。
外装がとても派手で、取ってつけた噴水のようなオブジェもある。暗い空の中、わざとらしくギラギラと輝く城。扉は既に開かれていて、哀れな自分を飲み込もうと、今か今かと待ち構えていた。
「カバンも携帯も取られて、私には帰る方法がなかった。車の窓にブラインドがかかってて、ここがどこかも、家がどっち側かも分からない。そうしてる間に、急に知らない男の人たちに囲まれて……私は、何も逆らえなかった」
ユカリとワラビは、同時に同じ記憶を脳裏から蘇らせる。これは、自分たちにも経験のあること……『あの日』つけ狙われた奴らと、同じ考えによる所業。
この先どうなったのか、カグラは羞恥と屈辱を交え、全てを赤裸々に話した。あまりにも生々しく、恥ずかしさで熱くなり、怖さで震えて涙が出る。
ユカリもワラビもカグラも、誰一人として幸せにならない、不幸ばかりが渦巻く空間だった。
「……地獄だった。思い返したくもない、一生忘れたままでいたい記憶になった。帰りの金だけを渡されて、夜の道路に投げ出されたあの時……周りのもの全てが、黒ずんで見えた」
結局、その男たちはスカウトマンでもなんでもない、プロダクションとは無関係の者たちだった。ただ騙されて、身体を好き勝手に弄ばれて終わった、何の価値も残らない空虚な時間。
あのステージで見せた姿は、誰を標的に定めるかの品定めに過ぎなかったのだ。
初めて、人としての尊厳を踏み躙られた少女は……そこから狂っていった。
「それからは早かったわ。私は、息を吸うようこの身体を使って、色んな人たちにいっぱい『媚び』を売るようになった。
そうして何度目かの後悔で、私は何年努力しても来れなかった場所に、いとも簡単に辿り着くことができたの。
もう、おかしくなってた」
何度男と向き合ったか。何度男を魅惑的に誘惑したか。何度この身体を差し出したか。警察に言うこともなく、むしろ手段として用いるほどに、自分は狂いきっていた。
努力の虚しさに。自分という存在の無力さに。
途中で可愛い後輩たちとも出会った。だがそれも、どこまでも単純でどこまでも残酷な世界における、束の間のひとときでしかない。
「現実に、夢はない。ましてや努力なんて、自分から苦しみを選ぶようなもの。そうして、私は翻弄の人生を送り……最期を迎えた」
「……」
「……」
「ああ、なんだったのかしら、私の人生は。ただでさえ惨めで、愚かで、穢らわしい命だったのに。強引に忘れさせてまでして、この失敗作の人生の記録を消したかったのかしらね、神様は。ふふっ、ごもっともなことだわ」
悪い空気が漂う中、鼻を詰まらせる音が響く。ユカリでも当のカグラでもない、ワラビだった。
「……酷い……酷いよ。どうして、どうしてこんなにも、辛い思いを、しないといけないの……私たちは何のために、こんなにも苦しんでるの?」
「ワラビ……」
「私たちは、苦しむために生まれてきたの……?」
凄惨たる過去、そしていずれ自分も辿る未来を聞き、ワラビは自身に宿る、この世界への嘆きを口にする。普段は笑顔の裏に隠されている、本当は無数の涙に溢れ返っている、溺れ切っている心。
「いつも、私たちの身の回りには、誰かの不幸が溢れてる。誰かが幸せになれば、それにトゲみたいな気持ちが湧いて、反対に自分は不幸になっていく。それが広がって止まらないから……自分もみんなも、どうしてこんなに不器用にしか生きれないんだろう。分かってても、いつもいつも……」
何のために、自分たちは生の世界に生み落とされたのか。死は、自分たちにとって本当に忌むべきものなのか。
こんなにも醜い存在が生きる世界に、本当にこだわる意味などあるのか。
「生きる価値なんて、本当にあるのかな……死んだ方が、人は幸せになれるのかな」
アーバンエッセンシアのメンバーの中で、誰よりも死の縁に立っていたのは、笑顔で場を和ませていたワラビだった。明るさの裏に潜ませていた本当の声は、死の世界へと向けられたものだった。
不満、不満、不満……アーバンエッセンシアとして生者の世界を守る一方、彼女自身の心は常に真逆の考えにあった。
「やめて……やめてよ、ワラビ……冗談でもそんなこと、貴方が言わないで……」
「カグラさんと同じ。私もいくら努力しても歌は下手なままで、ダンスもぎこちなくて、何も変わらなかったでしょ。アイドルだけじゃなくてアーバンエッセンシアでも、オウマ君も、カナデ君も、ユカリもみんな強いのに、私はずっと弱いままだった」
自分に存在意義を見出す瞬間が、これまでにあっただろうか。戦闘ではみんなの足手まとい、ステージではユカリの足手まとい。明るく元気を装って、場を乱さないことしか出来ていなかっただろうに。
「スタイルも普通で、平凡で、役立たずで、性格悪くて……人を妬みすぎて、最近なんかユカリにまで嫉妬するようになってたんだよ。ホントに酷い奴でしょ、私って」
「っ……」
渋谷アーバン、六本木アーバンとの接触でも、ワラビは密かに他者への嫉妬を募らせていた。周りを見れば誰もが自分よりも優れているように感じる。他人と会えば会うほど、余計逆効果になって、自分のトゲだけが伸び続ける。
「ユカリはすごいじゃん。私にはない強さを持ってるし、我があって心も強い。そんな子が私なんかと一緒にいるなんて……おこがましいし、馬鹿げてるからさ」
「こんな私に生きる意味なんて……あるわけないんだよ」
カグラという存在により、ワラビは自己を明確に拒絶できる、都合の良い理由を手にしてしまったのだ。
「——ワラビ……お願いだからやめて……死ぬなんて、そんなことしてもただ……ただ虚しいだけよ……」
「——そうよ、ワラビ。生死は何の問題もない、ただ生には自由も希望もない、苦しみだらけの道があるだけのこと。わざわざ生きる必要がどこにあるの?
死ねば、全ての苦しみからお別れできるのよ」
生か、死か。彼女はどちらを選ぶのだろうか。迷うそぶりすら見せずに、ワラビはゆっくりと胸の内から身体を起こし、そして。
「先輩、私……死にたいです。生きることをやめて、死んで、もう楽になりたいです。どうすれば、死ねますか……私を、どうか救って、ください」
敵であるはずのお尋ね者に、自ら命を差し出してしまった。もう彼女は引き返すことは出来ない。
「ふふっ、ふくくっ、あっはは、はははぁっ……っ!!!!!!ありがとう、ありがとうありがとうありがとうありがとう!!!!!!!貴方は私が、絶っっっ対に幸せにしてあげる、あげるわよ!!!」
「もう時間なんて関係ない、明日も明後日も、永遠にずっと、死が貴方に安らぎを与えるのよ!!!!もうずっと、ずっと一緒に、一緒にいてあげるわ……ひひ、っ、ワラビぃぃっ!!!!」
「ワラビ……いや、いやいや!!!やめてぇぇぇぇっ!!!!!」
自分のことを分かってくれて嬉しい。誰も見向きもしてくれなかった、忘れ去られた、意味なき人生を知ってくれて嬉しい。自分を選んでくれて、たまらなく嬉しい。
病的なほどの狂笑を浮かべ、ワラビを強く抱きしめるカグラ。その力はあまりにも強く、肺が破裂しそうになり、呼吸ができなくなるほどのものだった。
息が止まり、白目を向き、泡を吹いて気を失いかけるワラビ。死がもう目の前へと迫っている、その事実にカグラは息を荒げ、興奮して疼く身体を悶えさせる。
「ぐ、っ……ごが、がば、ぁぁっ……」
「ひひっ、あはは、はは、はぁっ……あは、はぁはぁ……さよなら、さよならさよなら、ワラビ……そしてようこそ、私たちの世界に!!!」
穴を生み出し、そこから麻酔と極小の針を呼び出す。気絶させて意識を奪い、さらに麻酔で丁重に痛みを無くし、その上痛みを感じないほどの小さな針で全身の太い血管を切る。
血が抜け、頭がボーッとして、不思議な心地よさに包まれたまま死の世界へと移行できる。幸せは、死合わせはもう目の前に。
全ての悲しみが消えた幸せの場所へと、カグラより振り下ろされる針を受けて……
「……ぇ……っ……?」
「っ、ぐぅ、っ……」
死の世界から静かに目を開けた、そこには。
機械の剣を携え、カグラの針を直前で受け止めた、ユカリの姿があった。




