8 一ヶ月の誓い
ミアが情報を持ち帰った翌日から、レインの生活は一変した。
朝は日が昇る前に起き、夜は日が沈んでからも動く。迷宮に潜り、魔物を狩り、KPを稼ぎ、スキルを磨く。食事と睡眠以外の時間は、すべて戦いに費やした。
「レイン、ちょっと休んだら?」
ミアが、心配そうに声をかける。だが、レインは首を振る。
「休んでる暇はない。一ヶ月しかないんだ」
「分かってるけど……倒れたら元も子もないよ」
ミアの言う通りだ。だが、体が動く限り、止まるわけにはいかない。
リィエルも、レインの隣で弓を鍛えている。彼女は風の魔法をより精密に操れるよう、毎日練習を重ねていた。
「リィエル、お前も無理するなよ」
「あなたに言われたくないわ」
リィエルが、少し笑う。その笑顔に、レインは少しだけ救われた。
---
十日目。
迷宮第三層で、レインはゴブリンの大群と遭遇した。
数は、三十体以上。普通なら、逃げるか、慎重に戦う場面だ。だが、レインは違った。魔素支配を発動し、周囲の魔素を凝縮する。そして——解き放つ。
「——散れ」
魔素の奔流が、ゴブリンたちを薙ぎ払う。十体以上が、一瞬で倒れた。残りも、レインの魔鉄剣が次々と仕留めていく。
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:5 KP × 35》
《ゴブリン討伐数:100体達成。スキル『ゴブリン語Lv3』を獲得しました》
《ゴブリン討伐数:100体達成。スキル『集団指揮Lv1』を獲得しました》
(集団指揮……?)
《スキル『集団指揮Lv1』:ゴブリンを含む、小型の魔物に対して簡単な命令を与えることができます。Lvが上がれば、より複雑な命令が可能になります》
(ゴブリンを、操れるのか)
レインは、近くにいたゴブリンに意識を向けた。すると、ゴブリンが怯えたように震え、その場に跪いた。
「……使えるな。だが、今は必要ないか」
レインは、システムの表示を確認した。
```
【ステータス】
名前:レイン・クロウ
レベル:6
HP:85/85
MP:24/24
STR:29
VIT:33
AGI:30
INT:30
DEX:24
LUK:7
──────────
殺戮ポイント:4,586 KP
スキル:ゴブリン語Lv3、剛力Lv1、怪力Lv1、魔素支配Lv2、集団指揮Lv1、飛行Lv1
```
(レベル6か。順調だ)
だが、まだ足りない。セレスティアを救うには、もっと強くならなければ。
---
十五日目。
迷宮第四層で、レインはリザードマンの群れと戦った。
数は、二十体。以前なら、苦戦しただろう。だが、今は違う。魔素支配でリザードマンの動きを鈍らせ、一匹ずつ確実に仕留めていく。
《リザードマン討伐数:20体達成。スキル『水中適応Lv1』を獲得しました》
《リザードマン討伐数:20体達成。スキル『鱗鎧Lv1』を獲得しました》
《スキル『鱗鎧Lv1』:皮膚の表面に、薄い鱗状の防御膜を形成します。物理攻撃に対する耐性が、わずかに上昇します》
(これは、ありがたいな)
レインは、腕を撫でてみた。触れると、微かにざらつく感触がある。これが鱗鎧か。見た目は変わらないが、防御力は上がっているはずだ。
その夜、宿に戻ると、ミアが待っていた。
「レイン、ちょっと話があるの」
「どうした?」
「……あたし、明日から別行動を取ろうと思う」
レインは、眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「あたしが一緒にいると、足手まといになることが増えてきた。今日の戦い、あたしはほとんど何もできなかった」
ミアの声は、沈んでいた。確かに、最近のレインの成長は著しい。ミアの短剣では、Bランクの魔物には通用しにくくなっていた。
「……そんなことはない。お前の情報収集には、何度も助けられている」
「ありがとう。でも、戦闘では役に立ててない。だから——」
ミアは、顔を上げた。
「あたし、盗賊として、もっと強くなる。レインの足を引っ張らないように。それまで、別々に行動したいの」
レインは、しばらく黙った。ミアの決意は、固い。止めても無駄だろう。
「……分かった。だが、一つだけ条件がある」
「何?」
「死ぬな。危なくなったら、すぐに戻れ」
ミアは、にこりと笑った。
「当たり前でしょ。あたしは、しぶといんだから」
---
二十日目。
レインとリィエルの二人で、迷宮第五層に挑んだ。
目標は、ワイバーンの巣。前回一体を倒したが、今回は複数いることが分かっている。リィエルが、風の魔法で探知した。
「三体。巣の奥に、卵もある」
「分かった。まずは、一体ずつ誘き出す」
レインは、魔素支配でワイバーンの注意を引き、一対一の状況を作り出した。リィエルが、風の矢で翼を傷つけ、レインが止めを刺す。この連携で、二体を倒した。
《ワイバーン討伐数:3/5》
だが、最後の一体が、予想外の動きを見せた。巣の奥から、卵を守るように立ち塞がったのだ。
「卵を守ってる……!」
「ええ。親の本能ね。でも——」
リィエルの目が、鋭くなる。
「守るものがある相手は、強い。気を抜かないで」
レインは頷き、剣を構えた。最後のワイバーンは、激しく抵抗した。炎のブレス、尾の一振り、鋭い爪。だが、レインとリィエルの連携の前に、徐々に追い詰められていく。
そして——
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:1,500 KP》
《ワイバーン討伐数:5体達成。スキル『飛行Lv2』を獲得しました》
《クエスト:ワイバーンを5体討伐せよ——達成》
《スキル『飛行Lv2』:空中を、短時間飛行することができます。連続使用時間は、約十秒です。Lv3以上で、より長時間の飛行が可能になります》
(飛べる……!)
レインは、試しにスキルを発動してみた。体が、ふわりと浮く。十秒ほどで地面に降りたが、確かに飛べた。
「これなら、王城への侵入にも使えるかもしれない」
「そうね。でも、十秒じゃ短いわ。もっと練習が必要よ」
リィエルが、冷静に言う。その通りだ。だが、可能性が見えた。
---
二十五日目。
レインは、迷宮第六層に足を踏み入れていた。
第五層までの魔物とは、比べ物にならない強さの魔物が棲息する。だが、レインはもっと強くなりたかった。セレスティアを救うために。
第六層は、迷宮の中でも特に危険な場所だ。これまで、多くの冒険者が挑み、帰らぬ人となっている。
《警告:迷宮第六層。魔素濃度:高。推定脅威度:Aランク》
《推奨:レベル10以上、かつ複数人での探索》
(レベル10以上、か。今は6だ)
分が悪い。だが、レインは進んだ。リィエルが、後ろからついてくる。
「レイン、本当に行くの?」
「ああ。ここで、強くならなきゃ」
第六層は、異様な空間だった。壁も天井も、すべてが黒い石で覆われている。光はなく、松明の炎だけが頼りだ。空気は、ひどく冷たい。
《警告:強力な魔物の気配を感知》
《推定脅威度:Aランク》
前方から、何かが現れた。デーモン——人型の魔物だが、その肌は赤黒く、頭部には角がある。背中には、蝙蝠のような翼。手には、炎を纏った大剣。その目は、知性を感じさせる光を宿していた。
「……人間が、ここまで来るとはな」
デーモンが、言葉を発した。レインは、息を呑んだ。喋る魔物——Aランクともなれば、知性を持つのか。
「引き返すなら、見逃してやる。だが、進むなら——殺す」
「……退くわけにはいかない」
レインは、剣を構えた。デーモンが、笑う。
「愚かだな。だが、その愚かさは嫌いじゃない」
デーモンが、動いた。速い——レインの目では、追いきれない。気づいた時には、大剣が目の前に迫っていた。
「——っ!」
レインは、とっさに鱗鎧を発動した。大剣が、肩に食い込む。鱗鎧がなければ、腕ごと落ちていただろう。
「ほう。防いだか」
デーモンが、感心したように言う。レインは、痛みに耐えながら、魔素支配を発動した。周囲の魔素を凝縮し、デーモンにぶつける。だが、デーモンはそれを片手で払った。
「魔素を操るか。面白い。だが——」
デーモンの目が、冷酷に光る。
「その程度で、俺に勝てると思うな」
デーモンが、再び動く。レインは、必死に剣を振るう。だが、攻撃が届かない。一方的に、打ち込まれる。リィエルが風の矢で援護するが、デーモンは気にした様子もない。
(強い……! まるで、相手にならない)
このままでは、死ぬ。レインは、歯を食いしばった。その時だった。
《クエストを提示します》
《クエスト:デーモンを討伐せよ》
《報酬:殺戮ポイント10,000 KP、スキル『魔族言語Lv1』、スキル『炎耐性Lv1』》
《期限:なし》
《拒否:可能》
(10,000 KP……!)
だが、今の実力では、勝てない。レインは、撤退を決断した。
「リィエル、逃げるぞ!」
「ええ!」
レインは、閃光弾を投げた。デーモンが、一瞬だけ怯む。その隙に、レインとリィエルは走った。
「逃がすか!」
デーモンの大剣が、背後から迫る。レインは、リィエルを庇うようにして、前に飛んだ。大剣が、レインの背中をかすめる。激痛。だが、生きている。
《飛行Lv2 発動》
レインは、リィエルを抱え、短時間だけ飛行した。十秒。だが、それで十分だった。デーモンとの距離が、開く。
「……覚えておけ。次は、逃げられないぞ」
デーモンの声が、背後から聞こえた。レインは、迷宮の出口を目指して走り続けた。
---
宿に戻ったのは、夜遅くだった。
レインは、ベッドに倒れ込んだ。背中の傷が、痛む。リィエルが、ポーションを飲ませてくれた。
「無茶しすぎよ、本当に」
「……分かってる」
レインは、天井を見つめた。デーモンとの戦い——まるで、相手にならなかった。これが、Aランクの力か。
(まだ、足りない。もっと、強くならなきゃ)
だが、一ヶ月は、あと五日。婚約式まで、もう時間がない。
「レイン」
リィエルが、静かに言った。
「あなたの力、システム——それを使えば、もっと強くなれるかもしれない。でも、その代償は、何かしら」
「……分からない」
「私は、エルフの伝承を思い出してた。傍観者は、器に力を与える。だが、器が大きくなりすぎると——」
リィエルは、少し迷って、言った。
「——器そのものが、割れることがある」
「……割れる?」
「つまり、死ぬってこと。力に耐えられなくなって、魂が砕ける」
レインは、黙った。観測者が、自分をどう見ているのか。ただの器なのか。それとも——
「だから、無茶はしないで。あなたが死んだら、セレスティアさんを助けられないでしょう」
「……ああ。分かってる」
レインは、目を閉じた。眠れば、少しは回復する。明日も、戦わなければ。
(セレスティア。待っていてくれ。あと少しで——)
---
二十八日目。
ミアが、戻ってきた。
「レイン、ただいま」
「ミア……! 無事だったか」
「もちろん。あたし、強くなったよ」
ミアは、以前より引き締まった体つきで、新しい装備を身につけていた。腰には、魔鉄製の短剣。そして、手には——
「これ、何だ?」
「魔法具。スラムの友達が、作ってくれたの。これで、遠くの敵も攻撃できる」
ミアが、手に持った小さな筒を見せる。魔素を込めると、光の弾が飛ぶ仕組みらしい。
「これで、あたしも戦える」
「……ああ。頼りにしてる」
ミアは、にこりと笑った。その笑顔で、レインは少しだけ、肩の力が抜けるのを感じた。
---
二十九日目。
婚約式まで、あと二日。
レインは、最後の準備をしていた。装備を整え、ポーションを買い足し、作戦を確認する。
作戦は、こうだ。
婚約式の当日、セレスティアは王城の大広間に連れてこられる。貴族たちの前で、バルドと婚約の誓いを立てる——それが、表向きの式次第だ。
だが、ミアの情報によれば、セレスティアが誓いを拒否した場合、その場で処刑される。バルドは、それすらも計算している。セレスティアが拒否すれば、バルドの権威は傷つく。だから、拒否した瞬間に、公開処刑にするつもりなのだ。
「王城の警備は、厳しい。正面から行くのは、無理」
ミアが、地図を広げながら言う。城の見取り図には、警備の配置が書き込まれている。
「だが、ここ——城の東側に、使われていない用水路がある。ここからなら、地下牢に直接アクセスできる」
「地下牢から、セレスティアを救出。そして、王城を脱出する」
「そう。脱出経路は、これ」
ミアが指差したのは、城の北側にある、崩れかけた外壁だ。ここからなら、城外に出られる。
「だが、問題は、セレスティアが式の間から地下牢に送られるタイミングだ。遅すぎても早すぎても、失敗する」
「婚約の誓いを拒否した瞬間、処刑のために地下牢に連行される。その時が、唯一のチャンス」
レインは、頷いた。作戦は、分かった。だが、成功率は低い。王城の警備は厳しく、バルド自身も強力な魔術師だ。
「ねえ、レイン」
リィエルが、静かに言った。
「私、思うの。この作戦、成功しても、私たち全員が生きて帰れる保証はない」
「分かってる」
「それでも、行くの?」
レインは、迷わなかった。
「行く。セレスティアを、見捨てられない」
リィエルは、少し寂しそうに笑った。
「……そうでしょうね。私も、それに付き合うわ」
「あたしも」
ミアが、レインの手を握った。
「三人で行こう。生きて、帰ってくる。約束だよ」
「……ああ。約束だ」
---
三十日目——決戦前夜。
レインは、一人で宿の屋上に立っていた。
夜空には、星が瞬いている。冷たい風が、頬を撫でる。明日、自分たちは王城に乗り込む。失敗すれば、全員死ぬ。
(怖いか?)
自問する。怖い。正直、怖い。だが、それ以上に——
(セレスティアに、会いたい)
その想いが、レインを突き動かしていた。
「レイン」
背後から、声がした。ミアだ。
「どうした? 眠れないのか?」
「あんたこそ」
ミアは、レインの隣に並んだ。
「ねえ、レイン。あんた、セレスティアさんのこと、どれくらい好きなの?」
「……急に、何だ?」
「いいから、答えてよ」
レインは、少し考えた。
「……全部だ。彼女の笑顔も、声も、剣を握る姿も。彼女といると、自分が自分でいられる気がする」
「ふーん。じゃあ、あたしは?」
「……は?」
ミアが、レインの顔を覗き込む。
「あたしのこと、どう思ってる?」
レインは、言葉に詰まった。ミアは、いつも明るくて、頼りになる。だが、それ以上に——
「……仲間だ。大切な」
「そっか。仲間、ね」
ミアは、少しだけ寂しそうに笑った。そして、レインの肩に、頭を寄せた。
「いいよ。今は、それで。でも、いつか——」
「いつか?」
「何でもない。明日、頑張ろうね」
ミアは、それだけ言って、屋上を降りていった。レインは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
(何だったんだ、今のは……)
理解できないまま、レインも屋上を降りた。明日に備えて、眠らなければ。
---
決戦当日——
朝日が昇る。レインは、宿の部屋で目を覚ました。緊張で、ほとんど眠れなかった。だが、体は動く。
装備を確認する。魔鉄剣、魔獣革の鎧、ポーション、閃光弾。すべて、準備は整っている。
ミアとリィエルも、すでに支度を終えていた。二人の目は、真剣だ。
「行くぞ」
「「ああ」」
三人は、宿を出た。王城は、リベルタスの中心にある。歩いて、十分ほどだ。
だが、その途中で——
《警告:強い殺気を感知》
《推定脅威度:Bランク》
レインは、足を止めた。路地の影から、人影が現れる。黒いマント。二本の短剣。銀色の髪に、青い瞳。
「……お前は」
「シャドウ、だ」
賞金稼ぎの女——シャドウが、目の前に立っていた。
「悪いけど、ここを通すわけにはいかない」
「……グランディアの手先か?」
「違う。だが、あんたの首には、金貨五百枚がかかってる。それに——」
シャドウの目が、わずかに揺れた。
「あんたを、王城には行かせられない。私の、依頼だから」
「誰の依頼だ?」
「……言えない。だが、あんたを止めるのが、私の仕事だ」
シャドウが、短剣を抜く。レインも、魔鉄剣を構えた。
「ミア、リィエル。先に行け」
「でも——」
「これは、俺がやる。お前たちは、セレスティアを頼む」
「……分かった。死ぬなよ、レイン!」
ミアとリィエルが、路地を駆け抜けていく。シャドウは、追おうとしない。その目は、レインだけを見ている。
「いいのか? 仲間を先に行かせて」
「お前を、止めるのが先だ」
レインは、剣を構えた。
「……行くぞ」
シャドウが、動いた。レインも、動く。二人の剣が、交錯する。
(速い……! 前より、強くなってる)
シャドウの動きは、以前より鋭い。だが、レインも成長している。魔素支配で、シャドウの動きを予測し、先回りする。
「……やるな」
「お前こそ」
激しい攻防。だが、レインは気づいていた。シャドウの剣には、殺意がない。正確に、急所を外している。
「お前、本気で殺る気はないだろ」
シャドウの動きが、一瞬止まる。
「……何を、言ってる」
「お前の剣は、殺すためじゃない。止めるためだ。誰かのために——」
シャドウは、答えない。だが、その目が、わずかに揺れた。
その時だった。
《警告:王城方面から、大規模な魔素反応を感知》
《推定脅威度:Aランク》
(何だ……!?)
レインとシャドウは、同時に王城の方向を見た。王城の上空に、黒い魔素が渦巻いている。そして——
《緊急クエスト:セレスティア・グランディアを救出せよ》
《報酬:殺戮ポイント20,000 KP、スキル『王殺しの加護Lv1』》
《期限:即時》
《拒否:不可》
(セレスティア……!)
レインは、シャドウを見た。シャドウも、王城を見ている。その目に、迷いが浮かんでいる。
「……行くのか?」
シャドウが、ぽつりと言う。
「ああ。止めるか?」
シャドウは、しばらく黙った。そして、短剣を納めた。
「……行け。ただし、生き残れ。じゃないと——」
「じゃないと?」
「……何でもない。行け!」
レインは、頷いた。そして、王城に向かって走り出した。背後から、シャドウの声が聞こえる。
「レイン・クロウ! お前は、絶対に——」
その声は、風に消えた。だが、レインには、なぜか分かった気がした。
(あの女、もしかして——)
考える暇はない。王城が、目の前だ。
(セレスティア、今行く!)
レインは、王城の門に向かって、駆け出した。




