3 迷宮都市
朝日が、宿屋の窓から差し込む。
レインは目を覚ました。硬いベッドの上で、体の節々が痛む。だが、昨日よりはマシだ。傷も、少しずつ癒えている。
(今日から、ミアと行動を共にするのか……)
隣のベッドを見ると、ミアはまだ眠っていた。猫のように丸くなり、尻尾が顔にかかっている。無防備な寝顔だ。レインは小さく息をつき、身支度を整える。
「……起きろ」
ミアの肩を軽く叩くと、彼女は飛び起きた。
「にゃっ!? 敵か!?」
「……違う。朝だ」
ミアは目をこすりながら、状況を把握する。そして、にへらと笑った。
「おはよ、レイン。今日は何する?」
「ギルドに行く。情報を集めたい」
「了解。あたしも、聞きたいことがあったんだ」
二人は宿を出た。朝のリベルタスは、すでに活気づいている。露店が並び、商人たちが声を張り上げる。レインはミアの後ろを歩きながら、周囲に注意を払っていた。懸賞金をかけられた身だ。賞金稼ぎが、いつ襲ってきてもおかしくない。
(……気づかれていない、はずだ)
ギルドに着くと、中は朝から冒険者で賑わっていた。レインは掲示板の前に立ち、依頼書を物色する。ミアは受付嬢に何かを聞いている。
その時だった。
「おい、聞いたか? ヴァルグ迷宮で、大規模な魔物の出現があったらしいぞ」
「ああ。第五層まで下りたパーティが、全滅したって話だ」
「第五層? あそこは、まだ比較的安全なはずだろ?」
「それが、何かが変わったらしい。魔物の動きが、おかしいんだと」
レインは耳を澄ませた。ヴァルグ迷宮——魔境ヴァルグにある、大陸最大級の迷宮。そこでは、強力な魔物が棲息している。だが、同時に、レベルの高い冒険者にとっては、稼ぎの場でもある。
「ねえ、レイン」
ミアが戻ってきた。手には、一枚の依頼書を持っている。
「これ、どう? ヴァルグ迷宮の調査依頼。報酬は、銀貨三十枚。初心者向けの、浅い層だけの探索だって」
レインは依頼書を受け取った。確かに、迷宮の第一層から第三層までの調査、という内容だ。報酬は悪くない。だが——
「迷宮か……」
レインは考えた。迷宮には、様々な魔物がいる。倒せばKPが得られる。スキルも獲得できる。だが、危険も伴う。特に、魔物の動きがおかしいという話は、気になった。
「あたし、行ったことあるよ。浅い層なら、ゴブリンとか、スライムとか、弱いのばっかり。あたしでも、何とかなるレベル」
ミアは自信満々に言う。レインは少し迷ったが、頷いた。
「分かった。受けてくる」
受付で依頼を正式に受け、二人は迷宮へ向かった。リベルタスから東へ半日ほど歩くと、魔境ヴァルグの入り口に着く。そこからさらに進むと、巨大な洞窟の入り口が見えてきた。入り口は、まるで巨獣の口のように、ぽっかりと開いている。
「ここが、ヴァルグ迷宮……」
レインは洞窟を見上げた。壁には、古代の文字が刻まれている。誰が、何のために作ったのか。分からない。だが、その威容は、見る者を圧倒する。
「行こう、レイン」
ミアが先に立って、洞窟に入る。レインは長剣を握り直し、後に続いた。
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迷宮の中は、思ったよりも明るかった。
壁に生えた苔が、淡く光っている。天井からは、水滴が落ちる音。空気は、ひんやりとしている。だが、奥へ進むにつれて、その光は弱まり、闇が濃くなる。
「松明、あるよ」
ミアが腰から松明を取り出し、火をつける。オレンジ色の光が、周囲を照らした。
「第一層は、もう少し先。ここはまだ、入り口付近だから」
二人は歩を進める。しばらくすると、広い空間に出た。天井は高く、まるで大聖堂のようだ。床には、石畳が敷かれている。人工的に作られた空間——これが、迷宮の第一層。
《迷宮内に進入しました。魔素濃度:低》
《このエリアの推定脅威度:E〜Dランク》
システムの通知が、頭に響く。レインは小さく頷き、周囲を見渡した。
「……魔物の気配は?」
「まだ。でも、油断しないで。ここは、魔物の領域だから」
ミアが耳を澄ませる。獣人の聴覚は、人間よりも優れている。彼女の尻尾が、緊張で逆立っている。
「来るよ。左から、五体」
レインは長剣を抜いた。薄暗がりの向こうから、小さな影が現れる。ゴブリン——五体。手には、それぞれ武器を持っている。棍棒、短剣、石斧。
「ミア、援護を頼む」
「任せて!」
レインは前に出た。ゴブリンたちが、一斉に襲いかかってくる。レインは長剣を横薙ぎに振る。一体目の首が飛ぶ。二体目の腹を切り裂く。三体目は、ミアが投げたナイフが眉間を貫いた。
「いい腕だ」
「あたしも、やるんだよ!」
残る二体を、レインが斬り伏せる。あっという間の戦闘だった。
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:5 KP × 5》
《ゴブリン討伐数:15/100》
(15体か……先は長いな)
レインはシステムの表示を確認し、再び歩き出した。ミアが隣に並ぶ。
「ねえ、レイン。あんた、戦い慣れてるね。元騎士、って本当?」
「……ああ」
「ふーん。じゃあ、なんで王国を追われたの?」
レインは少し黙った。ミアは、悪意で聞いているわけではないだろう。純粋な好奇心だ。だが、話すわけにはいかない。セレスティアのことを話せば、彼女も危険に晒される。
「……話すと、長くなる」
「そっか。まあ、いいや。そのうち教えてよ」
ミアはあっさりと引き下がった。その気遣いが、少しだけ嬉しかった。
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第二層へ降りる階段を見つけたのは、それから一時間後だった。
階段は、下へと続いている。暗く、冷たい空気が流れ込んでくる。レインは松明を掲げ、慎重に降りた。ミアが後ろからついてくる。
「第二層は、少し危ないよ。オークとか、リザードマンとかが出るから」
「分かった」
第二層に足を踏み入れると、空気が変わった。ひやりとした冷気。壁の苔の光は、ほとんどない。松明の炎だけが、頼りの光源だ。
《迷宮第二層。魔素濃度:中。推定脅威度:D〜Cランク》
(Cランク……オークか)
レインは警戒を強めた。オークは、以前戦ったことがある。一体なら何とかなるが、複数なら危険だ。
「……静かに」
ミアが耳を立てる。何かを聞いている。レインも足を止め、耳を澄ませた。遠くから、声が聞こえる。人の声だ。
「助けて……!」
「誰か……!」
レインとミアは顔を見合わせた。
「行くぞ」
二人は声のする方へ走った。広い空間に出ると、そこには——三人の冒険者が、魔物に囲まれていた。リザードマンが、五体。爬虫類のような顔に、鋭い爪。冒険者たちは、すでに一人が倒れている。残る二人も、傷だらけだ。
「レイン、どうする?」
ミアが問う。レインは迷わなかった。
「助ける」
「……だと思った」
ミアがため息をつき、短剣を構える。レインは長剣を抜き、リザードマンたちに向かって走り出した。
「お前ら、下がれ!」
冒険者たちが、レインに気づく。リザードマンたちも、振り返る。レインは一体目の首を狙って剣を振るう。リザードマンは素早い。だが、レインの剣の方が速かった。
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:30 KP》
(30 KP……ゴブリンの六倍か)
残る四体が、レインに襲いかかる。レインは『剛力Lv1』を発動した。腕に力が漲る。長剣を振るう速度が、上がる。二体目、三体目を斬り伏せる。ミアも、一体の背後から短剣を突き刺した。
「あと一体!」
最後の一体が、レインに飛びかかる。レインは体を半歩ずらし、リザードマンの腹に剣を突き入れた。リザードマンが、地面に倒れる。
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:30 KP》
《リザードマン討伐数:3/20》
(リザードマンも、討伐数がカウントされるのか)
レインは息をつき、冒険者たちに振り返った。生き残った二人は、二十代の男女だった。男は剣士、女は魔術師のようだ。
「助かった。ありがとう」
男が、震える声で言う。レインは頷いた。
「立てるか?」
「ああ……でも、相方が」
倒れた冒険者を見る。息はあるが、重症だ。レインはミアを見た。
「ミア、ポーションは?」
「あるよ。高いけどね」
ミアが腰の袋から、小さな瓶を取り出す。回復ポーション——魔素を凝縮した液体で、傷を癒す効果がある。レインはそれを受け取り、倒れた冒険者の口に含ませた。しばらくすると、冒険者の顔色が良くなった。
「……ありがとう。本当に」
女魔術師が、涙を浮かべて言う。レインは首を振った。
「ここは危険だ。早く戻れ。俺たちは、もう少し先へ進む」
「あんたたち、名前は?」
「レイン。こっちはミア」
「レイン……覚えておくわ。私はリナ。こっちは、カルロ」
「リナに、カルロか。気をつけて帰れよ」
レインとミアは、冒険者たちと別れた。先へ進みながら、ミアが言う。
「いい人だね、レイン」
「……そうでもない」
「いや、いい人だよ。あたし、そういうの分かるんだ」
レインは答えなかった。だが、ミアの言葉が、少しだけ心に残った。
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第三層への階段を見つけたのは、さらに一時間後だった。
だが、その前に——システムが、警告を発した。
《警告:強力な魔物の気配を感知しました》
《推定脅威度:Bランク》
《推奨:退避》
(Bランク……!)
レインは足を止めた。Bランクともなれば、熟練の冒険者でも手こずる相手だ。今の自分たちでは、分が悪い。
「ミア、下がれ」
「え? 何——」
その時だった。前方の闇から、何かが現れた。巨大な影。オーガ——オークよりもさらに大きく、知能も高い。身長は三メートルを超え、手には鉄の棍棒。その目は、爛々と赤く光っている。
「……まずいな」
レインは長剣を構えた。オーガが、咆哮する。迷宮の壁が、びりびりと震える。
《クエストを提示します》
《クエスト:オーガを討伐せよ》
《報酬:殺戮ポイント500 KP、スキル『怪力Lv1』》
《期限:なし》
《拒否:可能》
(500 KP……!)
レインは迷った。だが、背を向ければ、オーガは確実に追ってくる。ミアを守りながら逃げ切れる保証はない。
「ミア。俺が引きつける。お前は、隙を狙え」
「無茶だよ! Bランク相手に——」
「やるしかない」
レインは走り出した。オーガの棍棒が、振り下ろされる。レインは横に跳んで回避し、オーガの脚に剣を振るう。だが、オーガの皮膚は硬い。刃が浅くしか入らない。
(オークと同じだ……だが、もっと硬い)
オーガが、レインを蹴り飛ばそうとする。レインは後ろに跳ぶが、完全には避けきれない。風圧で、体が吹き飛ばされる。
「ぐあっ……!」
壁に叩きつけられる。背中に激痛。だが、立ち上がる。ミアが、オーガの背後からナイフを投げる。ナイフは、オーガの肩に突き刺さった。だが、オーガは気にした様子もない。
「効かない……!」
「ミア、目を狙え!」
レインは再び走り出す。オーガが棍棒を振るう。レインはそれをくぐり抜け、オーガの足にしがみつく。そして、長剣を思い切り、オーガの膝に突き刺した。
「グオオオオ!」
オーガが咆哮する。膝をつく。ミアがすかさず、オーガの目にナイフを投げた。ナイフが、オーガの右目を貫く。
「今だ!」
レインはオーガの首に飛びかかり、長剣を振り下ろした。何度も、何度も。オーガの首が、深く切れる。そして——
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:500 KP》
《スキル『怪力Lv1』を獲得しました》
オーガの体が、崩れ落ちる。レインも、その場に倒れ込んだ。息ができない。全身が痛い。
「レイン! 大丈夫!?」
ミアが駆け寄る。レインはうつ伏せのまま、親指を立てた。
「……ああ。何とか」
「バカ! 無茶しすぎだよ!」
ミアが、涙目で怒る。レインは少しだけ笑った。
「……悪い」
システムの表示を確認する。
```
【ステータス】
名前:レイン・クロウ
レベル:2
HP:3/40
MP:12/12
STR:16
VIT:9
AGI:10
INT:10
DEX:9
LUK:5
──────────
殺戮ポイント:735 KP
スキル:ゴブリン語Lv2、剛力Lv1、怪力Lv1
```
(レベル2に上がったか……)
HPは3。あと一撃で死んでいた。だが、生きている。そして、強くなった。
「……戻ろう。今日は、もう限界だ」
「そうだね。あたしも、疲れた」
二人は、迷宮を後にする。帰り道、ミアがぽつりと言った。
「ねえ、レイン。あんた、強くなるために、何をしてるの?」
レインは少し考えて、答えた。
「……守りたいものがある。そのためには、強くならなきゃいけない」
「守りたいもの?」
「……ああ」
ミアは、それ以上聞かなかった。ただ、隣を歩き続けた。
---
リベルタスに戻ったのは、夜だった。
ギルドに依頼の報告をし、報酬を受け取る。銀貨三十枚。悪くない。宿に戻り、食事を取る。ミアは、隣の席でパンを頬張っている。
「明日は、どうする?」
「……装備を整えたい。それと、情報が欲しい」
「情報? 何の?」
レインは少し迷ったが、言った。
「……セレスティア・グランディア。その名前を、聞いたことがあるか?」
ミアの手が、止まった。彼女は、レインを見つめる。
「セレスティア・グランディア……グランディア王国の騎士団長の娘でしょ? あんた、彼女と何の関係が——」
「……俺の、恋人だった」
ミアの目が、大きく見開かれた。そして、静かに言った。
「……そう。だから、追われてるんだ」
「ああ」
ミアはしばらく黙り、それから言った。
「分かった。あたしも、調べてみる。スラムの友達に、聞いてみるよ」
「……いいのか?」
「仲間でしょ。当然だよ」
ミアは、にこりと笑った。その笑顔が、レインの胸に、少しだけ温かさを灯した。
「ありがとう、ミア」
「どういたしまして。……でも、レイン」
「何だ?」
「あんた、もっと素直になりなよ。そういうの、女の子に嫌われるよ」
レインは、答えに詰まった。ミアは、楽しそうに笑った。




