17 観測者との対話
深淵の王を討ってから、一週間が経った。
リベルタスの街は、平穏を取り戻していた。迷宮の魔素異常も収まり、郊外の裂け目も完全に閉じた。ギルドに寄せられる依頼も、以前の日常的なものに戻っている。
だが、レインの胸には、まだ引っかかっているものがあった。
(深淵の王は「最後ではない」と言った。そして——観測者との対話権)
あの戦いの後、システムに表示された報酬の一つ。観測者と、直接対話できる権利。それを使って、聞きたいことがある。
(観測者の正体。なぜ、俺を選んだのか。そして——これから、何が起きるのか)
レインは宿の屋上に立ち、夜空を見上げた。星が、瞬いている。その中に、一際明るい星——希望の星。
「観測者。聞こえるか?」
レインが呟くと、システムの表示が、微かに光った。
《観測者との対話権を使用しますか?》
《注意:対話権は一度きりです。使用すると、消失します》
(一度きり、か。なら——)
「使う」
レインが頷くと、視界が、白く染まった。
---
気がつくと、レインは見知らぬ空間に立っていた。
白い、何もない空間。床も壁も天井もなく、ただ、無限の白が広がっている。だが、不思議と恐怖はなかった。どこか、懐かしいような感覚。
「……ここが、観測者の領域か?」
『いいえ。これは、私が一時的に作った対話空間です』
声が、聞こえた。レインの目の前に、光の球が浮かんでいる。小さな、淡い光。だが、その中に、確かな意志を感じる。
『初めまして、レイン。私は、観測者。あなたに、システムを授けた存在です』
「……初めまして、か。ずっと、俺を見ていたんだろ?」
『ええ。あなたが生まれた時から、ずっと』
レインは、少し驚いた。生まれた時から——つまり、観測者は、自分の人生をずっと見ていたということか。
「なぜ、俺を選んだ?」
『……あなたが、私の目に留まったからです』
「目に留まった?」
光の球が、微かに揺れる。まるで、照れているかのように。
『私は、この世界の理を記録する存在です。世界の始まりから、終わりまで、すべてを観測し、記録する。それが、私の役割』
「世界の、終わりまで……」
『ええ。だが——ある時、私は気づきました。記録するだけでは、世界は変わらない。私は、ただ見ているだけの存在。だが、あなたは——』
光の球が、レインの前に近づく。
『あなたは、変わることを選んだ。理不尽な運命に、抗うことを選んだ。その姿が、私には眩しかった』
「……眩しい、か」
『ええ。だから、私はあなたに力を貸すことにした。あなたが、自分の道を切り開けるように』
レインは、しばらく黙った。観測者が、自分に力を貸した理由。それは、同情でも、利用でもなく——共感だったのか。
「深淵の王は、お前の敵だった。なぜ、敵がいるんだ?」
『……深淵の王は、私の「影」です』
「影?」
『私は、世界の理を記録する存在。だが、理には、必ず「外」が存在する。深淵は、その外側。私が光なら、深淵は闇。私は、深淵を完全に消すことはできない』
「だから、俺に倒させたのか?」
『いいえ。あなたが、倒したいと望んだから。私は、その手助けをしただけです』
レインは、少し考えた。観測者の言葉に、嘘は感じられない。だが——
「お前は、俺を器と呼ぶ。俺は、お前の駒なのか?」
光の球が、激しく揺れた。まるで、否定するかのように。
『違います。あなたは、私の「器」ではありません。あなたは、私の「希望」です』
「希望?」
『ええ。私は、世界を記録するだけの存在。だが、あなたと出会って、初めて「変えたい」と思った。この世界を、もっと良い場所にしたいと。……それは、私が初めて抱いた、感情でした』
レインは、その言葉に、胸が熱くなるのを感じた。観測者は、自分を通じて、感情を知った。それは——自分が、観測者を変えたということか。
「……なあ、観測者。お前は、名前がないのか?」
『名前、ですか。私は、名もなき存在。世界の理の一部。だから、名前はありません』
「なら——」
レインは、少し考えて、言った。
「俺が、名前をつけてやる。お前は、これから——『ルミナ』だ」
光の球が、微かに震えた。そして、ゆっくりと、暖かい光を放つ。
『ルミナ……光、という意味ですね』
「ああ。お前は、俺にとっての光だ。だから、ルミナ」
『……ありがとう、レイン。私は、これからルミナとして、あなたを見守ります』
光の球が、レインの頬に触れる。温かい。まるで、手のひらで包まれているような感覚。
「ルミナ。これからも、力を貸してくれるか?」
『ええ。私は、あなたの味方です。いつでも、どこでも』
「ありがとう。……じゃあ、そろそろ戻るか。みんな、待ってる」
『ええ。……レイン。最後に、一つだけ』
「何だ?」
『あなたの魂は、まだ完全には回復していません。深淵の王との戦いで、大きな負担がかかった。しばらくは、無理をしないでください』
「分かってる。……心配性だな、ルミナ」
『あなたが、心配させるんです』
レインは、思わず笑った。観測者——ルミナが、少しだけ人間らしく感じられた。
視界が、再び白く染まる。そして——
---
気がつくと、レインは宿の屋上に立っていた。
夜空は、まだ星が瞬いている。時間は、ほとんど経っていないようだ。対話空間での出来事は、ほんの一瞬だったのだろう。
(ルミナ。良い名前だと思う)
システムの表示が、微かに光る。
《観測者——ルミナよりのメッセージ:ありがとうございます、レイン》
レインは、小さく笑った。そして、屋上を降りた。
---
翌朝。
レインは、宿の食堂で仲間たちに、観測者のことを話した。
「——というわけだ。観測者の名前は、ルミナ。俺の味方で、世界の理を記録する存在。そして、深淵の王は、その影だった」
「ルミナ……。素敵な名前ね」
セレスティアが、微笑む。
「で、そのルミナさんは、これからもレインを助けてくれるの?」
ミアが、パンをかじりながら問う。
「ああ。ただし、無理はするなって。魂が、まだ完全には回復してないらしい」
「当然よ。あんな無茶したんだから」
リィエルが、少し怒ったように言う。レインは、苦笑した。
「分かってる。しばらくは、無理しない」
「本当に?」
「……努力する」
「もう」
リィエルが、ため息をつく。シャドウは、黙って紅茶を飲んでいたが、ふと口を開いた。
「で、これからどうするの? 深淵の王は倒したけど、深淵そのものは残ってるんでしょ?」
「ああ。ルミナも言ってた。深淵は、完全には消せない。だが——」
レインは、システムの表示を見た。
《クエスト:深淵の残滓を討伐せよ(進捗:0/100)》
《報酬:スキル『深淵耐性Lv3』、スキル『深淵操作Lv1』》
「深淵の残滓が、各地に散らばってるらしい。それを討伐すれば、深淵の影響を減らせる」
「百体、か。地道な作業ね」
シャドウが、肩をすくめる。
「だが、やるしかない。放っておけば、また深淵の王のような存在が生まれるかもしれない」
「そうね。じゃあ、今日からまた、迷宮通いね」
ミアが、立ち上がる。
「ああ。だが、その前に——」
レインは、仲間たちを見回した。
「俺の魂が完全に回復するまで、無理はしない。それだけは、約束する」
「分かった」
「ええ」
「……信じるわよ」
「ああ」
四人の返事を聞いて、レインは頷いた。
---
その日は、久しぶりに迷宮に向かった。
目的は、深淵の残滓の討伐。試練の間で戦った魔物たちの中に、深淵の残滓が混じっているらしい。
「まずは、第三層から。深淵の残滓は、魔素の流れが淀んでいる場所に現れることが多いって」
ミアが、地図を広げながら言う。レインは頷き、仲間たちと共に迷宮に入った。
第三層は、以前と変わらず、ゴブリンやオークが棲息している。だが、よく見ると、ところどころに黒い霧が立ち込めていた。
「あれが、深淵の残滓か」
レインは、魔素支配で霧を分析した。深淵の魔素が、通常の魔素に混じっている。放置すれば、魔物が強化されたり、新たな裂け目が生まれたりするだろう。
「ミア、リィエル。霧を払えるか?」
「やってみる」
リィエルが、風の魔法で霧を吹き飛ばす。ミアが、魔法具で光の弾を放ち、霧を浄化する。霧の中から、小型の魔物が現れた。深淵の残滓が、形を持ったものだ。
《深淵の残滓を感知》
《推定脅威度:Cランク》
「数は、十体! レイン、どうする?」
「俺とセレスティアで前衛。ミアとリィエルは援護。シャドウは遊撃だ」
「「「「了解!」」」」
レインは、剣を抜いた。深淵の残滓は、動きが速い。だが、レインの目は、その動きを捉えていた。次元感知で、残滓の動きを予測し、先回りする。
「——散れ」
魔素の剣が、残滓を斬り裂く。残滓が、消滅した。
《深淵の残滓を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:150 KP》
《深淵の残滓討伐数:1/100》
「よし、一体目!」
セレスティアも、残滓を斬り伏せる。ミアの光の弾と、リィエルの風の刃が、残りを殲滅していく。
《深淵の残滓討伐数:10/100》
「いい調子ね」
セレスティアが、汗を拭う。レインは頷いた。
「ああ。だが、油断するな。まだ、九十体残ってる」
「分かってるわ」
五人で、迷宮の奥へと進む。深淵の残滓は、層が深くなるほど、数が増えるらしい。第四層、第五層と進むにつれ、残滓の数も、強さも増していった。
《深淵の残滓討伐数:35/100》
「結構、倒したわね」
ミアが、息を弾ませながら言う。レインは、システムの表示を確認した。
```
【ステータス】
名前:レイン・クロウ
レベル:13
HP:165/165
MP:52/52
STR:42
VIT:46
AGI:54
INT:56
DEX:48
LUK:11
──────────
殺戮ポイント:142,586 KP
スキル:ゴブリン語Lv3、剛力Lv3、怪力Lv3、魔素支配Lv2、集団指揮Lv1、飛行Lv2、鱗鎧Lv1、水中適応Lv1、権威Lv1、次元感知Lv2、次元操作Lv2、魔族言語Lv2、炎耐性Lv2、魔力操作Lv1、深淵耐性Lv2、次元耐性Lv1
```
(レベル13か。KPも、かなり貯まったな)
レインは、KPをどう使うか考えた。STRとVITは、そこそこ高い。だが、AGIとINTを上げれば、次元操作の精度がもっと上がるはずだ。
《AGIに5,000 KP(54→64)》
《INTに5,000 KP(56→66)》
《残り132,586 KP》
体の内側から、熱が湧き上がる。動きが、鋭くなる。魔素の流れが、より詳細に見える。
(これで、深淵の残滓も、もっと楽に倒せるはずだ)
「レイン、そろそろ休憩しない?」
セレスティアが、心配そうに言う。レインは、少し迷ったが、頷いた。
「そうだな。少し、休もう」
五人で、迷宮の安全な場所に座り込む。ポーションで傷を癒し、保存食を食べる。ミアが、ふと口を開いた。
「ねえ、レイン。ルミナさんって、どんな感じの人だった?」
「人じゃない。光の球だ。だが——」
レインは、少し考えて、言った。
「話してみると、すごく……一生懸命な感じがした。俺のことを、心配してくれて。名前をつけたら、すごく喜んでくれた」
「へえ。なんだか、可愛いじゃない」
ミアが、笑う。セレスティアも、微笑んだ。
「レインのことが、好きなのね。ルミナさん」
「……そういうんじゃないと思うが」
「どうかしら」
セレスティアが、意地悪そうに笑う。レインは、少し照れながら、話題を変えた。
「そろそろ、行くか。残り、六十五体だ」
「そうね」
五人は、再び迷宮の奥へと進んだ。
---
その日の夕方、レインたちは、深淵の残滓を六十体討伐した。
《深淵の残滓討伐数:70/100》
「あと三十体、か」
レインは、宿に戻りながら、システムの表示を見た。明日、明後日で、百体達成できるだろう。そうすれば、深淵耐性Lv3と、深淵操作Lv1が手に入る。
(深淵操作……。深淵の力を、操れるようになるのか)
それは、強力な力だろう。だが、同時に危険でもある。深淵の力に、飲み込まれないようにしなければ。
『レイン』
声が、頭に響いた。ルミナだ。
「どうした、ルミナ?」
『深淵操作のスキルについて、注意しておきたいことがあります』
「ああ。聞かせてくれ」
『深淵操作は、深淵の力を借りて、魔物を操ったり、空間を歪めたりするスキルです。ですが、使いすぎると、深淵に魂を引かれる危険があります』
「……魂を、引かれる?」
『ええ。深淵は、常に魂を欲しています。深淵操作を使うたびに、少しずつ、あなたの魂が深淵に近づく。使い方を誤れば——』
「分かった。気をつける」
『……信じていますよ、レイン』
ルミナの声が、消える。レインは、拳を握った。
(深淵の力か。使いこなせれば、強い武器になる。だが——)
(ルミナの忠告は、無視できないな)
レインは、宿の扉を開けた。仲間たちが、待っている。
(まずは、目の前のことをやろう。深淵の残滓を、百体討伐する。それから——)
明日も、戦いが待っている。だが、一人じゃない。仲間がいる。そして、ルミナがいる。




