15 試練の間
入口回廊の終わりに、巨大な石門が立ち塞がっていた。
門には深淵の眼——無数の目が浮かぶ紋章が刻まれている。近づくだけで、肌が粟立つ。空気が、異様に重い。レインは魔素支配で周囲を探ったが、門の向こうの気配はまるで霧のようで掴めなかった。
「この先が、試練の間か……」
「ええ。深淵層の中心部。最も危険な場所よ」
リィエルが弓を握りしめる。その手が、微かに震えていた。
「リィエル、怖いか?」
「……少しだけ。でも、大丈夫」
リィエルは小さく笑った。レインは頷き、門に手をかけた。
「行くぞ」
門が、重い音を立てて開く。中から強い風が吹き出した。魔素を含んだ、冷たい風。レインは目を細め、中へと足を踏み入れた。
試練の間は、異様な空間だった。
天井はなく、頭上には暗い虚空が広がっている。床は黒い石で、ところどころに青白い光の筋が走っている。そして——空間全体が、脈打つように歪んでいた。まるで、世界そのものが呼吸しているかのように。
《警告:試練の間に進入しました》
《魔素濃度:極限。次元の歪み:激甚》
《注意:この空間では、次元操作の精度が低下します》
「次元が、不安定だ……。転移が、使いにくいな」
レインは次元操作を試してみたが、以前のように自由には動けなかった。指輪の力で何とか安定しているが、それでも制限がある。
「レイン、あれを見て」
セレスティアが前方を指差した。空間の奥に、巨大な影が浮かんでいる。深淵の使徒の主——いや、違う。もっと大きな、何か。
「あれは……」
「分からない。だが——」
ミアが声を震わせる。
「近づきたくない」
その時だった。空間が激しく歪んだ。そして、無数の裂け目が現れる。それぞれから魔物が現れた。デーモン、グール、ワイバーン——試練の間に棲息する、強力な魔物たちだ。
「囲まれた……!」
「数は、二十以上! レイン、どうする!?」
セレスティアが剣を構える。レインは即座に判断した。
「突破する! 俺が先頭、セレスティアとシャドウが左右。ミアとリィエルは後方から援護!」
「「「「了解!」」」」
レインは『剛力Lv3』と『怪力Lv3』を同時発動。魔素の剣を形成し、最初のデーモンに斬りかかる。以前の戦いで、デーモンの急所は分かっている。首と心臓。鱗鎧の隙間。
「——散れ!」
魔素の剣が、デーモンの首を斬り飛ばす。同時に、セレスティアがグールを斬り伏せ、シャドウがワイバーンの翼を切り裂く。
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:2,500 KP》
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:80 KP》
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:1,200 KP》
「この調子で、突破する!」
レインは次々と魔物を倒していく。だが、数が多すぎる。一匹倒せば、二匹現れる。キリがない。
「レイン、上だ!」
リィエルの声。見上げると、虚空から新たな魔物が降ってくる。ワイバーンが三体。炎のブレスを吐きながら、急降下してくる。
「セレスティア、リィエル! ワイバーンを頼む! ミア、シャドウ、俺と来い!」
「分かった!」
レインはミアとシャドウを連れ、地面を走った。ワイバーンのブレスが背後で爆発する。熱風が背中を焼く。だが、構わず走る。
「シャドウ、左の裂け目を塞げるか?」
「やってみる!」
シャドウが短剣に魔素を込め、裂け目に突き刺す。裂け目が一時的に閉じる。だが、すぐに別の裂け目が開く。
「キリがないな……!」
「レイン、あれ!」
ミアが指差したのは、試練の間の中心にある巨大な魔核だった。以前、第四層で見たものより、はるかに大きい。魔核が周囲の魔素を吸い込み、新たな魔物を生み出している。
「あれを壊せば、魔物の出現が止まるかもしれない!」
「だが、近づくには魔物の群れを突破しないと!」
レインは歯を食いしばった。その時だった。
《クエストを提示します》
《クエスト:試練の間の魔核を破壊せよ》
《報酬:殺戮ポイント25,000 KP、スキル『次元耐性Lv1』》
《期限:なし》
《拒否:可能》
(25,000 KP……!)
レインは迷わなかった。
「受ける!」
そして仲間たちに叫ぶ。
「みんな、聞け! あの魔核を壊す! 俺が道を開くから、ミアとシャドウは俺の後ろに! セレスティアとリィエルは、ワイバーンを足止めしてくれ!」
「無茶よ、レイン! あの中に突っ込む気!?」
セレスティアが叫ぶ。レインは首を振った。
「無茶じゃない。これしかない!」
レインは、魔素の剣を構え直し、魔物の群れに向かって走り出した。『剛力Lv3』と『怪力Lv3』の効果が、全身に漲っている。一体、また一体と魔物を斬り伏せ、前へ進む。
「どけえええっ!」
魔素の剣が、巨大な弧を描く。前方の魔物が、まとめて薙ぎ払われる。その隙に、ミアとシャドウが左右から援護射撃。光の弾と短剣が、レインの進路を守る。
「レイン、右からデーモン三体!」
「分かってる!」
レインは次元操作で空間を歪め、デーモンの攻撃をそらす。そして、振り向きざまに魔素の剣を振るう。三体のデーモンが、同時に倒れた。
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:2,500 KP × 3》
「今だ、魔核まであと少し!」
レインは走った。魔核が、目の前に迫る。巨大な黒い結晶が、脈打つように光っている。レインは剣を振り上げた——
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ……!
空間が、激しく震えた。魔核が、激しく光り出す。そして、魔核の中から、声が聞こえた。
「……よくぞ、ここまで辿り着いた、器よ」
低い、響く声。魔核が、割れた。中から現れたのは——人型の影。だが、以前の使徒とは比べ物にならないほど、強大な気配を纏っている。
《警告:深淵の使徒・試練の守護者を感知》
《推定脅威度:Sランク》
「Sランク……!?」
セレスティアが、息を呑む。レインも、背筋が凍るのを感じた。Sランク——それは、Aランクのさらに上。伝説の域の魔物だ。
「私は、試練の守護者。深淵の使徒が一人、ガーディアン。器よ、この試練を越えられるか、見せてもらおう」
ガーディアンが、腕を振るう。その瞬間、空間が歪み、無数の魔素の刃がレインたちに襲いかかる。レインは魔素支配で防ごうとするが、威力が桁違いだ。防ぎきれない。
「ぐあっ……!」
「レイン!」
セレスティアが、レインを庇う。魔素の刃が、セレスティアの鎧を切り裂く。
「セレスティア!?」
「大丈夫……! でも、このままじゃ……!」
レインは、歯を食いしばった。Sランクの敵。今の実力では、勝てるかどうか分からない。だが——
(逃げるわけにはいかない。ここで退いたら、深淵層には辿り着けない)
「みんな、聞け!」
レインは、仲間たちに叫ぶ。
「俺が、ガーディアンを引きつける! その間に、魔核を壊せ! 魔核が残ってる限り、魔物が無限に湧いてくる!」
「でも、レイン一人じゃ——」
「一人じゃない。お前たちがいる」
レインは、セレスティアを見た。
「セレスティア。俺を、信じてくれ」
セレスティアは、涙を浮かべながら、頷いた。
「……分かった。必ず、生きて」
「ああ。約束する」
レインは、ガーディアンに向かって走り出した。ガーディアンが、笑う。
「愚かだな。Sランクの私に、一人で挑むとは」
「一人じゃない。仲間がいる」
レインは、魔素の剣を構えた。そして、システムの表示を見た。
《スキル『剛力Lv3』『怪力Lv3』『魔素支配Lv2』の同時発動が可能です》
《同時発動により、筋力と魔素操作力が爆発的に上昇します。ただし、反動が大きくなります》
(やるしかない……!)
レインは、三つのスキルを同時発動した。体の内側から、激しい熱が湧き上がる。筋肉が軋み、血管が浮き出る。だが、力が漲る。魔素の剣が、青白く輝きを増した。
「おおおおおっ!」
レインは、ガーディアンに斬りかかった。ガーディアンが、魔素の刃で迎え撃つ。剣と刃が、激しくぶつかり合う。衝撃波が、周囲の魔物を吹き飛ばす。
「……ほう。その程度の力で、私に挑むか」
「まだだ……!」
レインは、次元操作で空間を歪め、ガーディアンの背後に転移する。そして、剣を振り下ろす。だが、ガーディアンは背後からの攻撃にも反応した。
「甘い」
ガーディアンの蹴りが、レインの腹に炸裂する。レインは吹き飛ばされ、床に叩きつけられた。口の中に、血の味が広がる。
「レイン!」
セレスティアの叫びが聞こえる。だが、レインは立ち上がった。
「……まだだ。まだ、終わらない」
その時だった。魔核の方から、爆発音が聞こえた。ミアとシャドウが、魔核を破壊したのだ。
《試練の間の魔核を破壊しました》
《魔物の出現が停止しました》
「やった……!」
ミアが叫ぶ。ガーディアンが、魔核の方を見た。その目に、一瞬の動揺が走る。
「……魔核を、壊したか。だが、それで私が弱るわけではない」
「分かってる。だが——」
レインは、仲間たちを見た。セレスティア、ミア、リィエル、シャドウ。四人とも、レインの側に立っている。
「これで、全員で戦える」
「……面白い。ならば、見せてもらおう。器とその仲間の、本気の力を」
ガーディアンが、本気を出した。周囲の魔素が、急速に収束する。その体が、さらに大きくなる。禍々しい気配が、空間全体を覆い尽くす。
《ガーディアン、本気モードに移行》
《推定脅威度:Sランク上位》
「……行くぞ、みんな」
レインは、剣を構えた。セレスティアが隣に並び、ミアとリィエルが後方に、シャドウが影から援護の体勢に入る。
「「「「おう!」」」」
五人の声が、重なった。そして——
ガーディアンが、動いた。五人の戦いが、始まった。
---
戦いは、一進一退だった。
レインの魔素の剣、セレスティアの剣技、ミアの魔法具、リィエルの風の魔法、シャドウの短剣。五人の連携が、ガーディアンを追い詰めていく。だが、ガーディアンも強い。Sランクの力は、伊達ではない。一撃一撃が重く、レインたちの体力を確実に削っていく。
「……しぶといな、器よ」
ガーディアンが、レインに魔素の刃を放つ。レインは次元操作で回避し、反撃する。だが、ガーディアンはそれを片手で受け止める。
「その程度か。ならば——」
ガーディアンの目が、冷酷に光る。そして、空間全体が、歪み始めた。
「——『深淵の崩壊』」
空間が、軋みを上げる。次元そのものが、崩れようとしている。レインは、指輪の力で何とか安定させようとするが、ガーディアンの力には及ばない。
「まずい……! このままじゃ、空間ごと消し飛ばされる……!」
「レイン、どうする!?」
セレスティアが叫ぶ。レインは、必死に考えた。Sランクの力。次元を崩壊させる力。それを防ぐには——
(俺の、次元操作——いや、もっと根本的な力が必要だ)
その時だった。
《観測者よりのメッセージ:レイン。私の力を、貸しましょう》
(観測者……!?)
《観測者よりのメッセージ:あなたが、私を信じてくれるなら。私は、あなたに全てを託します》
レインは、迷わなかった。
(信じる。お前の力を、貸してくれ)
《観測者の加護、最大出力で発動》
《全ステータス、50%上昇。次元操作の精度が、大幅に向上します》
レインの体に、暖かい力が流れ込む。観測者の力。世界の理を記録する存在の、本気の加護。レインの魔素の剣が、さらに輝きを増す。
「……なんだ、その力は……!?」
ガーディアンが、驚愕する。レインは、剣を構え直した。
「これが、俺の力だ。そして——」
レインは、次元操作を最大出力で発動した。空間の歪みを、逆手に取る。ガーディアンの『深淵の崩壊』を、押し返す。
「馬鹿な……!? 私の崩壊を、押し返すだと……!?」
「終わりだ、ガーディアン!」
レインは、次元操作で空間を固定し、ガーディアンの動きを封じた。そして、魔素の剣を、ガーディアンの中心——深淵の眼の紋章に、突き刺した。
「ぐあああああ!?」
ガーディアンの体が、崩れ始める。
「……見事だ、器よ。そして、観測者よ。お前の器は、強い。だが——我らの主は、まだ目覚めておらん。主が目覚めた時、この世界は——」
ガーディアンが、消滅した。
《深淵の使徒・試練の守護者を討伐しました》
《報酬:殺戮ポイント50,000 KP、スキル『次元耐性Lv1』》
《スキル『次元耐性Lv1』:次元の歪みや崩壊に対する耐性を得ます。次元操作の精度が、さらに向上します》
「……終わった、のか?」
ミアが、呆然と呟く。レインは、その場に膝をついた。観測者の加護の反動だろう。体が、重い。
「レイン!」
セレスティアが駆け寄る。レインは、何とか立ち上がった。
「……ああ。何とか」
「バカ……! 本当に、バカ……!」
セレスティアが、涙を流しながらレインを抱きしめる。レインは、彼女の背中に手を回した。
「心配かけたな」
「当たり前でしょ……!」
「でも、勝てた。みんなのおかげだ」
レインは、仲間たちを見回した。ミアが、リィエルが、シャドウが、それぞれ疲れた顔で、だが確かな笑みを浮かべている。
「さあ、先へ進もう。主の玉座は、すぐそこだ」
レインは、試練の間の奥に続く通路を見つめた。深淵の使徒の主が待つ、最深部。だが、恐怖はなかった。
(みんながいる。そして——観測者が、俺を信じてくれている)
レインは、一歩を踏み出した。仲間たちが、続く。
深淵層の、最深部へ——。




