14 深層への道
郊外の裂け目を封じてから、三日が経った。
レインは宿の窓際で、エルダーからもらった次元の指輪を眺めていた。銀色の台座に嵌め込まれた青い石が、朝の光を受けて淡く輝いている。
「これが、深淵層への鍵か……」
指輪をはめてみると、石が微かに熱を帯びた。魔素が指輪を通じて体に流れ込む感覚。次元操作のスキルが、指輪に共鳴しているようだった。
「レイン、朝ごはんできたよ」
ミアが、部屋の扉を開けて顔を出す。レインは指輪を外し、席に着いた。
食堂には、セレスティアとリィエルがいた。シャドウは、まだ戻っていない。昨日から、深淵層に関する情報を集めに出ている。
「シャドウ、遅いな」
「情報収集は、時間がかかるものよ。焦らないで」
セレスティアが、パンを差し出す。レインは受け取り、かじりながら考えた。
(深淵層に行く前に、準備は整えた。剛力と怪力はLv3になった。魔素支配も、次元操作も使える。装備も、揃えた。だが——)
「レイン、何か心配事があるの?」
リィエルが、紅茶を飲みながら問う。レインは頷いた。
「深淵層のことを、もっと知りたい。エルダーの話だけじゃ、情報が足りない」
「それなら、ちょうどいい人がいるわ」
リィエルが、小さく笑った。
「私の祖父が、もう少し詳しい話をしてくれるそうよ。今日、ギルドで会えるって」
「本当か?」
「ええ。朝、伝書鳩が届いてた」
---
ギルドの二階、ガルドの部屋に、エルダーがいた。
前回会った時と同じ、質素なローブ姿。だが、その手には古びた書物が握られている。
「来たか、レイン。セレスティア嬢に、ミア嬢。リィエルも」
「お祖父様、お久しぶりです」
リィエルが、エルダーに近づく。エルダーは、孫娘の頭を撫でた。
「うむ。元気そうで何よりじゃ」
「それで、深淵層の詳しい話って?」
レインが問うと、エルダーは書物を机の上に広げた。そこには、古い文字でびっしりと書き込みがされている。
「これは、我々エルフ族に伝わる『深淵の書』じゃ。深淵層について記された、唯一の文献と言ってもいい」
「深淵の書……」
「うむ。これによると、深淵層は三つの領域に分かれておる」
エルダーは、頁をめくりながら説明する。
「第一の領域——『入口回廊』。深淵層への入り口から、最初の広間までの通路じゃ。ここはまだ、比較的安全じゃが、油断はできん」
「第二の領域——『試練の間』。深淵層の中心部にして、最も危険な場所じゃ。無数の魔物が棲息し、次元の歪みも激しい」
「第三の領域——『主の玉座』。深淵の使徒の主が待つ、最深部じゃ。ここに辿り着いた者は、過去に一人もおらん」
レインは、その説明を聞いて、拳を握った。
「三つの領域か……。まずは、入口回廊を抜けて、試練の間を突破する必要がある、と」
「そうじゃ。そして——」
エルダーは、書物の最後の頁を開いた。そこには、一つの紋章が描かれている。円の中に、無数の目が浮かぶような、不気味な紋章。
「これが、深淵の使徒の主の紋章じゃ。『深淵の眼』と呼ばれておる」
「深淵の眼……」
「うむ。この紋章を見たら、すぐに逃げるのじゃ。それほど、危険な存在じゃ」
レインは、その紋章をじっと見つめた。目が、こちらを見返しているような感覚。だが、恐怖はなかった。
「分かった。気をつける」
「うむ。それと——」
エルダーが、レインの手元の指輪に目を留める。
「その指輪、もうはめたか?」
「ああ。魔素が、流れ込んでくるのを感じた」
「ならば、問題ない。その指輪は、次元の歪みを安定させる力がある。深淵層では、次元が不安定じゃ。指輪がなければ、空間転移も、次元操作も、まともに使えん」
(そういうことか。指輪は、次元操作の補助具でもあるんだな)
レインは、指輪を握りしめた。これがあれば、深淵層でも戦える。
「エルダー。もう一つ、聞きたいことがある」
「何じゃ?」
「深淵の使徒の主は、何のために、俺の力を狙う?」
エルダーは、しばらく黙った。そして、重い口を開いた。
「……推測じゃが。深淵の使徒の主は、観測者の力を恐れておる。観測者は、世界の理を記録する存在。その力は、深淵の使徒の主にとって、脅威になり得る」
「つまり、観測者を弱らせるために、俺の力を奪おうと?」
「そうじゃ。器であるお前の力を奪えば、観測者も無力化される。……少なくとも、深淵の使徒の主は、そう考えておる」
(俺が、観測者の弱点……)
レインは、複雑な気持ちになった。自分が狙われているのは、観測者のせいでもある。だが——
(観測者は、俺に力をくれた。それに、心配までしてくれている。恨む気には、なれないな)
「分かった。ありがとう、エルダー」
「うむ。……レイン。一つだけ、忠告じゃ」
エルダーの目が、真剣になる。
「深淵層に入ったら、絶対に、一人にならないことじゃ。深淵の使徒の主は、孤独を好む。そして、孤独な魂を、喰らう」
「孤独な魂を、喰らう……?」
「うむ。お前の仲間たちは、お前の力になる。決して、離れるでないぞ」
レインは、頷いた。
「分かった。必ず、みんなで帰ってくる」
---
宿に戻ると、シャドウが帰っていた。
「遅かったな」
「情報収集は、時間がかかるのよ」
シャドウは、机の上に何枚かの紙を広げた。
「深淵層への入り口の場所、警備の配置、周辺の地形——分かる限りのことを、まとめたわ」
「助かる。ありがとう」
レインは、紙を一枚ずつ確認した。入り口は、リベルタス北の山脈にある古い遺跡。周辺には、魔物の巣窟がいくつかある。だが、レインたちの実力なら、突破できるだろう。
「問題は、深淵層に入ってからよ」
シャドウが、腕を組みながら言う。
「深淵層は、この世界とは次元が違う。魔素の流れも、重力も、時間の感覚も——すべてが、不安定。まともな戦いができるかどうか」
「分かってる。だが、やるしかない」
「……そうね」
シャドウは、少しだけ笑った。その笑顔は、以前より、柔らかかった。
---
出発の前夜。
レインは、セレスティアと二人で、宿の屋上にいた。
夜空には、星が瞬いている。その中に、一際明るい星——セレスティアが言っていた、希望の星。
「ねえ、レイン」
セレスティアが、レインの肩に寄りかかる。
「明日、深淵層に行くのよね」
「ああ」
「……怖い?」
レインは、少し考えて、正直に答えた。
「怖い。だが、行かなきゃいけない」
「そう」
セレスティアは、しばらく黙って、それから言った。
「私も、怖い。でも——」
「でも?」
「あなたと一緒なら、怖くない」
セレスティアが、顔を上げる。その青い瞳が、星の光を映していた。
「ずっと、一緒にいてね」
「ああ。約束する」
レインは、セレスティアの手を握った。温かい。この温もりを、守りたい。それが、レインの原動力だった。
---
翌朝。
レインたちは、リベルタスの北門に集まった。
セレスティア、ミア、リィエル、シャドウ。四人の仲間が、それぞれの装備を整えている。
「全員、揃ったな」
レインが、仲間たちを見回す。
「これから、深淵層に向かう。危険な場所だが——必ず、全員で帰ってくる。それが、俺の約束だ」
「「「「おう!」」」」
四人の声が、揃った。レインは、頷いた。
「出発する」
北門を抜け、山脈へと向かう。道中、魔物の襲撃が何度かあったが、レインたちの連携で難なく撃退した。
そして——山脈の奥深く、古い遺跡にたどり着いた。
崩れかけた石造りの入り口。苔むした壁。だが、その奥に、強力な魔素の流れを感じる。
「ここが、深淵層への入り口……」
レインは、次元の指輪をはめた。指輪が、強く輝く。そして——
《次元の指輪、起動》
《深淵層への入り口を、開きます》
遺跡の奥に、黒い裂け目が現れた。以前の裂け目とは、比べ物にならないほど大きい。深淵そのもののような、暗い穴。
「……行くぞ」
レインは、一歩を踏み出した。仲間たちが、続く。
深淵層へ——。
---
《深淵層・入口回廊》
《魔素濃度:極限》
《注意:次元が不安定です。転移・空間操作に制限がかかります》
暗い通路を、レインたちは進んでいた。壁は黒い石で、ところどころに青白い光る苔が生えている。空気は冷たく、魔素の濃度が異常に高い。
「……息が、苦しい」
ミアが、胸を押さえる。レインも、同じ感覚だった。空気中の魔素が濃すぎて、肺が圧迫されるような感覚。
「魔素支配で、体の周りの魔素を薄めてみる」
レインは、魔素支配を発動し、仲間たちの周囲の魔素濃度を下げた。少しだけ、息が楽になる。
「ありがとう、レイン」
セレスティアが、礼を言う。レインは頷き、先へ進んだ。
入口回廊は、思ったよりも長かった。一本道だが、ところどころに分岐がある。レインは、次元感知で正しい道を選んだ。
「この先に、広間がある。何か、いるな」
レインが、仲間たちに警告する。広間に出ると、そこには——無数の目が、壁に浮かんでいた。
「な、何だ……!?」
ミアが、悲鳴を上げる。壁の至る所に、赤い目が浮かび、じっとこちらを見ている。
「深淵の眼……! エルダーが言ってた、紋章の目だ!」
レインは、剣を構えた。だが、目は動かない。ただ、見ているだけだ。
「……威嚇か? それとも、監視か?」
その時だった。広間の奥から、声が聞こえた。
「ようこそ、観測者の器よ」
低い、響く声。広間の奥の闇から、影が現れる。以前の使徒よりも、はるかに大きい。そして、その体には、無数の目が浮かんでいた。
《警告:深淵の使徒・上級を感知》
《推定脅威度:Aランク最上位》
「上級……!?」
「私は、深淵の使徒が一人、オブザーバー。観測者の器を、迎えに来た」
「迎えに?」
「ああ。我らの主が、お前を待っている。大人しく従えば、命だけは助けてやる」
レインは、剣を構えた。
「断る。俺は、誰にも従わない」
「……そうか。残念だ」
オブザーバーが、腕を振るう。壁の無数の目が、一斉に光った。そして——目の一つ一つから、光線が放たれる。
「みんな、避けろ!」
レインは、魔素支配で光線を防ぎながら、オブザーバーに接近する。だが、オブザーバーの周囲には、無数の目が浮かび、レインの動きを阻む。
(数が、多すぎる……!)
「レイン、私が援護する!」
リィエルが、風の魔法で目を切り裂く。セレスティアが、剣で光線を斬る。ミアが、魔法具で光の弾を放つ。シャドウが、短剣で目の一つを貫く。
「……やるな。だが——」
オブザーバーが、笑う。そして、広間全体の目が、一斉に光った。
「——『深淵の視線』」
無数の光線が、レインたちを襲う。レインは、次元操作で空間を歪め、光線をそらす。だが、完全には防ぎきれない。光線の一部が、ミアの腕をかすめた。
「きゃあっ!」
「ミア!」
レインは、ミアを庇うように前に出る。そして、オブザーバーに向かって走った。
「お前を、倒す……!」
「ふん。その程度で——」
「『剛力Lv3』『怪力Lv3』——同時発動!」
レインの体に、爆発的な力が漲る。魔素の剣を形成し、オブザーバーに斬りかかる。オブザーバーが、光線で迎え撃つ。だが、レインは次元操作で光線をすり抜け、オブザーバーの眼前に迫った。
「——喰らえ!」
魔素の剣が、オブザーバーを斬り裂く。オブザーバーが、悲鳴を上げる。
「ぐあああ!? だが、まだだ……!」
オブザーバーの体から、新たな目が生まれ、レインに襲いかかる。レインは、それを剣で払いながら、オブザーバーの中心——最も大きな目を狙った。
「そこだ……!」
レインは、次元操作でオブザーバーの背後に転移し、中心の目に剣を突き刺した。
「ぎゃああああ!?」
オブザーバーの体が、崩れ始める。無数の目が、一斉に閉じていく。
「……見事だ、器よ。だが——我らの主は、お前の想像を超えている。試練の間を、越えられると思うな……」
オブザーバーが、消滅した。
《深淵の使徒・上級を討伐しました》
《報酬:殺戮ポイント20,000 KP、スキル『深淵耐性Lv1』》
《スキル『深淵耐性Lv1』:深淵層の環境に対する耐性を得ます。魔素濃度、次元の歪み、精神攻撃に対する防御力が上昇します》
「……終わった、のか?」
ミアが、震える声で言う。レインは、頷いた。
「ああ。だが、まだ入口回廊を抜けただけだ。先に、試練の間が待っている」
セレスティアが、ミアの傷をポーションで癒しながら言う。
「ミア、大丈夫?」
「うん……ありがとう、セレスティアさん」
レインは、仲間たちを見回した。全員、無事だ。だが、傷は浅くない。この先、もっと厳しい戦いが待っている。
「少し、休憩しよう。ポーションで傷を治して、それから進む」
「賛成」
「ええ」
「……そうね」
五人で、広間の隅に座り込む。レインは、システムの表示を確認した。
```
【ステータス】
名前:レイン・クロウ
レベル:12
HP:155/155
MP:48/48
STR:40
VIT:44
AGI:52
INT:54
DEX:46
LUK:10
──────────
殺戮ポイント:86,586 KP
スキル:ゴブリン語Lv3、剛力Lv3、怪力Lv3、魔素支配Lv2、集団指揮Lv1、飛行Lv2、鱗鎧Lv1、水中適応Lv1、権威Lv1、次元感知Lv2、次元操作Lv2、魔族言語Lv2、炎耐性Lv2、魔力操作Lv1、深淵耐性Lv1
```
(レベル12か。次元操作も、Lv2に上がった)
レインは、拳を握った。まだ、足りない。試練の間は、もっと危険だ。だが——
(仲間がいる。それだけで、強くなれる)
レインは、立ち上がった。
「みんな、行くぞ。試練の間へ」
「「「「おう!」」」」
五人で、入口回廊の奥へと進んだ。深淵層の、さらに深くへ——。




