13 郊外の裂け目
朝もやが、リベルタスの街を包んでいた。
レインたちは、東門に集まっていた。郊外の裂け目を調査するためだ。ミアが入手した情報によれば、裂け目は東の森の外れ、街道から外れた湿地帯にあるらしい。
「準備はいいか?」
レインが振り返ると、四人がそれぞれ頷いた。セレスティアは騎士団時代の軽鎧に身を包み、ミアは新しい魔法具を腰に下げている。リィエルは弓と風の魔法の準備を済ませ、シャドウはいつもの黒いマントで、その下に無数の短剣を隠していた。
「出発する」
東門を抜け、街道を進む。朝の空気は澄んでいて、遠くの山々まで見渡せた。だが、レインの魔素感知は、すでに異変を捉えていた。
(魔素の流れが、おかしい。東の方角から、不自然な渦が発生している)
「レイン、見て」
セレスティアが、前方を指差した。街道の先、森の手前の湿地帯に、黒い霧が立ち込めている。霧は、ゆっくりと渦を巻き、まるで生き物のように蠢いていた。
「あれが、裂け目の影響か……」
「霧が濃いわ。中に入るのは、危険ね」
リィエルが、風の魔法で霧を払おうとする。だが、霧は風を吸い込むように、消えない。
「普通の霧じゃない。魔素で構成されている」
レインは、魔素支配で霧を分析した。霧の中には、異次元の魔素が混じっている。深淵の使徒が、何かを企んでいるのは間違いない。
「みんな、隊列を組む。俺が先頭、セレスティアが後衛。ミアとシャドウは左右、リィエルは中央だ」
「分かった」
「ええ」
五人で、霧の中へと足を踏み入れた。
---
霧の中は、異様な静けさだった。
音が、吸い込まれるように消える。足音さえ、こもって聞こえる。視界は十メートルもない。だが、レインの魔素感知は、霧の中の気配を正確に捉えていた。
「この先に、裂け目がある。大きさは……前の二倍」
「二倍……!?」
ミアが、息を呑む。以前の裂け目でも、深淵の使徒は手強かった。それが二倍となれば、どれほどの敵が現れるか分からない。
「警戒を怠るな。何かが来る」
レインの言葉通り、霧の奥から、低い唸り声が聞こえた。複数の足音。そして——赤い光が、霧の中に浮かぶ。
《警告:深淵の使徒の眷属を感知》
《推定脅威度:Bランク》
「眷属……?」
霧の中から現れたのは、獣だった。狼のような姿だが、体は黒い霧で構成されている。目に当たる部分に、赤い光。深淵の使徒の眷属——使徒に仕える、下級の存在だ。
「五体……いや、七体か!」
「レイン、どうする?」
「倒す。だが、深淵の使徒本体を探せ。眷属は、時間稼ぎだ」
レインは、魔鉄剣を抜いた。『剛力Lv2』を発動し、最初の眷属に斬りかかる。手応えはある。だが、眷属は霧でできているため、斬ってもすぐに形を戻す。
「物理攻撃は、通りにくい! 魔素の攻撃を使え!」
レインは、魔素の剣を形成し、眷属を斬り裂く。青白い光が、霧の獣を消滅させた。
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:300 KP》
「一匹倒せば、消える! みんな、魔素攻撃を!」
セレスティアは剣に魔力を込め、ミアは魔法具で光の弾を放つ。リィエルの風の魔法と、シャドウの魔素を帯びた短剣が、眷属たちを次々と消滅させていく。
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:300 KP × 6》
「全部、倒した……!」
ミアが、息を弾ませる。だが、レインは霧の奥を見つめていた。
「まだだ。本体が、来る」
霧が、さらに濃くなる。そして、裂け目が現れた。以前のものより、はるかに大きい。黒い亀裂から、影が現れる。人型の影。赤い目。だが、以前の使徒よりも、明らかに強い気配を纏っている。
《警告:深淵の使徒を感知》
《推定脅威度:Aランク上位》
「……また、貴様か」
使徒が、低い声で言う。レインは、剣を構えた。
「何度でも、来るがいい。そのたびに、俺が追い返す」
「ふん。強くなったようだな、器よ。だが——」
使徒が、腕を振るう。霧が、一斉にレインたちに襲いかかる。レインは、魔素支配で霧を払うが、完全には消せない。
「セレスティア、左!」
「分かってる!」
セレスティアが、霧の触手を斬る。だが、触手はすぐに再生する。ミアの魔法具も、リィエルの風も、決定打にはならない。
「シャドウ、俺と一緒に来い! 本体を狙う!」
「分かったわ!」
レインとシャドウが、使徒に接近する。レインの魔素の剣と、シャドウの短剣が、同時に使徒を襲う。だが、使徒は片手でそれを受け止めた。
「その程度か。前よりは、ましだが——」
使徒が、レインを蹴り飛ばす。レインは、次元感知で空間を歪め、攻撃を回避する。そして、使徒の背後に転移する。
「シャドウ、今だ!」
「言われなくても!」
シャドウの短剣が、使徒の背を貫く。使徒が、悲鳴を上げる。
「ぐああ!?」
「セレスティア、リィエル、ミア! 一斉攻撃だ!」
四人の攻撃が、使徒に叩き込まれる。使徒の体が、ぼろぼろと崩れ始める。だが——
「……まだだ。我は、まだ——」
使徒が、裂け目から新たな力を引き出そうとする。レインは、それを見逃さなかった。
「させるか!」
レインは、次元感知で裂け目自体を歪めようとした。空間の歪みを操作し、裂け目を閉じようとする。
「馬鹿な……!? 次元を、閉じる気か……!?」
「お前を、ここで終わらせる!」
レインの魔素と、次元感知の力が、裂け目に干渉する。裂け目が、ゆっくりと閉じ始める。
「……覚えておけ、器よ。我は、最後ではない。深淵の使徒は、無数にいる。そして——我らの主は、必ずお前を——」
使徒が、裂け目に吸い込まれるように消える。裂け目が、完全に閉じた。
《深淵の使徒を撃退しました》
《クエスト:深淵の使徒を撃退せよ——達成》
《報酬:殺戮ポイント8,000 KP、スキル『次元操作Lv1』》
《スキル『次元操作Lv1』:次元の歪みを、より自由に操作できるようになります。空間転移の距離が伸び、裂け目を一時的に閉じることも可能になります》
(次元を、操作できる……!)
レインは、その場に膝をついた。大量のMPを消費したせいで、体が重い。だが、生きている。
「レイン!」
セレスティアが、駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
「……ああ。何とか」
レインは、立ち上がった。霧が、晴れていく。湿地帯に、朝の日差しが差し込む。
「裂け目は、閉じた。だが——」
「深淵の使徒は、まだいる」
シャドウが、静かに言う。その通りだ。使徒は「最後ではない」と言った。そして、「我らの主」という言葉も気になる。
「戻ろう。情報を、整理する必要がある」
---
宿に戻り、五人で作戦会議を開いた。
「深淵の使徒の目的は、レインの力を奪うこと。そして、使徒の背後には『主』がいる」
リィエルが、紙にまとめながら言う。
「主、か。観測者の敵対者で、使徒を従える存在……」
「観測者と、何らかの関係があるのは確かね」
シャドウが、腕を組みながら言う。
「観測者は、レインにシステムを与えた。使徒は、その力を奪おうとしている。つまり——」
「観測者と使徒の主は、敵同士。そして、俺はその戦いに巻き込まれている」
レインが、言葉を引き継ぐ。
「そういうこと」
セレスティアが、心配そうにレインを見る。
「レイン。あなた、どうするの?」
レインは、少し考えた。そして、答えた。
「俺は、観測者の駒になるつもりはない。だが、使徒の脅威は、俺たちだけの問題じゃない。リベルタスにも、被害が及ぶ。だから——」
「戦うのね」
「ああ。だが、そのためには、もっと情報が必要だ。観測者の正体、使徒の主の目的、そして——俺の力の真実」
レインは、システムの表示を見た。
《クエスト:深淵の使徒の主を討伐せよ》
《報酬:殺戮ポイント50,000 KP、スキル『深淵耐性Lv1』、スキル『観測者との対話権』》
《期限:なし》
《拒否:可能》
(50,000 KP……! そして、観測者との対話権……!)
レインは、迷わなかった。
「受ける」
その瞬間、システムの表示が、一瞬だけ歪んだ。そして——
《観測者よりのメッセージ:……本当に、いいのですか?》
(……今、何て言った?)
レインは、目を見開いた。観測者が、初めて「問いかけて」きたのだ。
《観測者よりのメッセージ:深淵の使徒の主は、あなたの想像を超える存在です。対話権を得たとしても、私はあなたを守れないかもしれません》
(……俺を、心配してるのか?)
《観測者よりのメッセージ:……私は、あなたを器として選びました。ですが、あなたが壊れるのは、望んでいません》
レインは、少しだけ、その言葉に驚いた。観測者は、自分をただの器としか見ていないと思っていた。だが、違うのかもしれない。
(心配するな。俺は、壊れない)
《観測者よりのメッセージ:……分かりました。あなたを信じます》
システムの表示が、元に戻る。レインは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「レイン? どうしたの?」
セレスティアが、心配そうに覗き込む。
「……何でもない。少し、考え事をしてた」
レインは、仲間たちを見回した。セレスティア、ミア、リィエル、シャドウ。四人とも、真剣な目でレインを見ている。
「みんな。これから、もっと危険な戦いになる。深淵の使徒の主を倒す——それは、今の俺たちの力を超えた敵かもしれない。それでも——」
「行くんでしょ?」
ミアが、笑った。
「あたしは、ついて行くよ。どこまでも」
「私も」
セレスティアが、頷く。
「あなたを、一人にしない」
「私も行くわ。ここまで来て、引き返す理由がないもの」
リィエルが、微笑む。
「……私も、しばらくは協力するわ。あんたの戦い、見届けたいし」
シャドウが、そっけなく言う。だが、その目は、優しかった。
「……ありがとう。みんな」
レインは、深く頭を下げた。そして、顔を上げる。
「必ず、勝つ。そして——生きて、帰ってくる」
「「「「おう!」」」」
五人の声が、宿の部屋に響いた。
---
その夜、レインは一人で、屋上に立っていた。
夜空には、星が瞬いている。その中に、一際明るい星——希望の星。
(観測者。お前は、何者なんだ?)
システムの表示は、静かなままだった。だが、レインは感じていた。観測者が、自分のことを見ている。そして——心配している。
(不思議だな。お前のことを、まだ何も知らないのに。それでも——)
レインは、小さく笑った。
(俺は、お前を信じる。お前が、俺に力をくれたから。俺は、ここまで来られた)
システムの表示が、微かに光る。
《観測者よりのメッセージ:……ありがとう》
レインは、その言葉に、少しだけ救われた気がした。
(さあ、明日からまた、戦いだ)
レインは、屋上を降りた。仲間たちが待っている。そして、守るべきものが、ある。




