11 深淵の使徒
朝、レインはギルドの依頼板の前に立っていた。
Aランク専用の依頼は、やはりというべきか、どれも危険度が高い。迷宮第七層の踏破、古代遺跡の調査、そして魔境ヴァルグの異常調査。どれも魅力的だが、今は優先すべきことがある。
《クエスト:オークを50体討伐せよ(進捗:23/50)》
あと二十七体。今日中に片をつけたい。
「レイン、これ見て」
ミアが、掲示板の端に貼られた紙を指差した。小さな紙で、他の依頼に紛れて見落としそうになっていたが、内容は重要だった。
《情報提供依頼:深淵の使徒に関する情報を求む》
《報酬:情報の価値に応じて、金貨五枚〜二十枚》
《依頼主:冒険者ギルド》
「ギルドも、動き出したみたいね」
リィエルが、紅茶を飲みながら言う。レインは頷いた。
「だが、情報提供を求めるってことは、ギルドも深淵の使徒の正体を掴んでいないんだろうな」
「ええ。おそらく、私たちが初めて遭遇したケースよ」
(だとすると、俺たちが得た情報は、貴重だな)
レインは、受付嬢に声をかけた。深淵の使徒と遭遇したこと、その特徴、戦闘の詳細を伝える。受付嬢は真剣な顔で聞き、メモを取った。
「ありがとうございます。この情報は、ギルドマスターに報告します」
「頼む。それと——」
レインは、声を潜めた。
「深淵の使徒は、俺を狙ってる。もし、他にも狙われてる奴がいるなら、教えてほしい」
受付嬢は、少し迷ったが、頷いた。
「……分かりました。調べてみます」
---
ギルドを出たレインたちは、迷宮へ向かった。
今日の目標は、オーク二十七体。第四層まで降りれば、オークの群れが複数確認されている。
「セレスティア、今日はどうする?」
「私も行くわ。戦いに慣れたいの」
「だが——」
「レイン。私は、あなたに守られるだけの存在じゃない」
セレスティアの目は、真剣だった。レインは、それ以上何も言えなかった。
「分かった。だが、無理はするな」
「分かってる」
迷宮に入り、順調に第三層を突破する。途中、ゴブリンの群れに遭遇したが、レインとセレスティアの連携で難なく殲滅した。
《ゴブリン討伐数:127/10,000》
(まだ、先は長いな……)
第四層に降りると、空気が変わった。以前、魔核があった場所は、すでに崩れている。だが、別の場所に新たな魔素の流れを感じる。
「リィエル、どう思う?」
「……何かが、いるわ。強い魔素の塊が、複数」
「オークか?」
「いいえ。もっと——」
リィエルが、言葉を切った。前方の空間が、歪んでいる。そして——裂け目が現れた。
「まただ……!」
裂け目から、影が現れる。前回と同じ、人型の影。赤い目。深淵の使徒。
「見つけたぞ、器」
「しつこいな」
レインは、魔鉄剣を抜いた。だが、今回は一人ではない。セレスティア、ミア、リィエルの三人が、隣に並ぶ。
「今度は、一人じゃない」
「ふん。仲間がいても、無駄だ」
使徒が、腕を振るう。影の触手が、四方八方から襲いかかる。レインは、魔素支配で触手を防ぎながら、使徒に接近する。
「セレスティア、左から!」
「分かってる!」
セレスティアが、剣を振るって触手を斬る。だが、物理攻撃は通じない。触手が、彼女の腕に絡みつく。
「きゃっ……!」
「セレスティア!」
レインは、魔素の剣を形成し、触手を斬り裂く。セレスティアが、自由になる。
「ありがとう……!」
「ミア、閃光弾!」
「もう投げた!」
ミアの閃光弾が、使徒の目の前で炸裂する。使徒が、一瞬だけ怯む。その隙に、リィエルが風の魔法を放つ。
「——風よ、刃となれ!」
風の刃が、使徒を切り裂く。だが、決定打にはならない。
「弱いな。器よ、その程度か?」
「まだだ……!」
レインは、システムの表示を見た。前回、魔素の剣でダメージを与えられた。だが、決定打にはならなかった。もっと、大量の魔素を凝縮すれば——
(MPは、28。足りるか……?)
《スキル『魔素支配Lv2』を最大出力で発動します。MPを20消費します》
(やれ!)
レインの周囲の魔素が、急速に集まる。青白い光が、剣に収束していく。以前よりも、はるかに強力な魔素の剣。
「……ほう」
使徒が、感心したように言う。
「だが、その程度で我を——」
「喰らえっ!」
レインは、剣を振り下ろした。青白い閃光が、使徒を貫く。使徒が、悲鳴を上げる。
「ぐああああ!?」
「今だ、みんな!」
セレスティアが、剣を振るう。ミアが、魔法具で光の弾を放つ。リィエルが、風の刃を放つ。三つの攻撃が、同時に使徒に叩き込まれる。
「……ぬぬぬ……!」
使徒の体が、ぼろぼろと崩れ始める。
「覚えておけ、器……! 我は、一人ではない……! 深淵の使徒は、無数にいる……! やがて、お前の前に、より強き者が現れる……!」
「だろうな。だが、その時は——」
レインは、剣を構え直す。
「俺も、もっと強くなってる」
「……楽しみにしているぞ」
使徒が、裂け目に消える。裂け目も、閉じた。
《深淵の使徒を撃退しました》
《クエスト:深淵の使徒を撃退せよ——達成》
《報酬:殺戮ポイント5,000 KP、スキル『次元感知Lv2』》
《スキル『次元感知Lv2』:次元の裂け目や、異空間の存在をより正確に感知できるようになります。また、微弱な次元の歪みを操作し、短距離の空間転移が可能になります》
(空間転移……!?)
レインは、目を見開いた。短距離とはいえ、空間を移動できるのか。これは、戦闘でも、逃走でも、使える。
「レイン、大丈夫?」
セレスティアが、駆け寄ってくる。
「ああ。何とか」
「……強くなったわね。前より、ずっと」
「お前たちのおかげだ」
レインは、仲間たちを見回した。セレスティア、ミア、リィエル。三人とも、疲れているが、充実した顔をしている。
「戻ろう。今日は、これくらいでいい」
だが、その時だった。
《警告:近くに、複数の強力な魔物の気配》
《推定脅威度:Aランク》
「……まずい」
レインは、周囲を見回した。空間のあちこちに、裂け目が開き始めている。そして、それぞれから、魔物が現れる。デーモン——以前、第六層で遭遇した、あの強敵だ。それが、五体。
「嘘だろ……!」
「レイン、逃げるよ!」
ミアが叫ぶ。だが、逃げ道は塞がれている。裂け目は、レインたちを囲むように開いている。
「……やるしかない」
レインは、剣を構えた。だが、五体のデーモンは、明らかに実力が上の相手だ。セレスティアも、ミアも、リィエルも、緊張している。
その時だった。
「——待て」
声がした。裂け目の一つから、別の影が現れる。黒いマント。二本の短剣。銀色の髪。シャドウだった。
「お前……!」
「久しぶりね、レイン・クロウ」
シャドウが、デーモンたちの前に立つ。そして、短剣を抜いた。
「ここは、私に任せて。あんたたちは、下がって」
「何を——」
「いいから。私は、こういう戦いに慣れてる」
シャドウの目が、真剣だった。レインは、迷ったが、頷いた。
「分かった。だが、死ぬなよ」
「あんたに言われなくても」
シャドウが、デーモンたちに向かって走り出す。その動きは、以前戦った時よりも、はるかに鋭い。デーモンの攻撃を、紙一重で回避し、カウンターを決める。
「すごい……!」
ミアが、感嘆の声を上げる。レインも、その戦いぶりに目を見張った。だが——
(シャドウ、一人じゃ限界がある)
「セレスティア、ミア、リィエル。援護するぞ」
「ええ!」
四人は、シャドウの援護に回った。レインの魔素の剣、セレスティアの剣技、ミアの魔法具、リィエルの風の魔法。そして、シャドウの短剣。五人の連携が、デーモンたちを追い詰めていく。
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:2,500 KP × 3》
三体のデーモンが、倒れる。残る二体も、追い詰められていく。
「——終わりよ」
シャドウの短剣が、最後のデーモンの急所を貫く。
《魔物を討伐しました。殺戮ポイントを獲得しました:2,500 KP × 2》
デーモンが、すべて倒れた。裂け目も、閉じていく。
「……終わった、か」
レインは、肩で息をついた。シャドウが、こちらに歩いてくる。
「大丈夫?」
「ああ。助かった。……なぜ、助けてくれた?」
シャドウは、少し迷って、それから言った。
「……セレスティアお嬢様から、手紙をもらったの。あなたたちを、助けてほしいって」
「セレスティアが……?」
レインは、セレスティアを見た。彼女は、少し照れくさそうに笑っている。
「シャドウさんは、私を守るために動いてくれていたの。バルドの屋敷にいた時も、影から守ってくれていた。だから——」
「そういうこと。まあ、あんたたちを見てたら、放っておけなくなったのよ」
シャドウが、少しだけ笑った。その笑顔は、どこか寂しげだった。
「シャドウ。お前、これからどうするんだ?」
「……しばらくは、自由よ。依頼も、終わったし」
「なら——」
レインは、言葉を選んだ。
「俺たちと、来ないか?」
シャドウが、目を見開く。ミアとリィエルも、驚いた顔をしている。セレスティアだけは、最初から分かっていたように、微笑んでいた。
「……いいの?」
「ああ。お前の力は、頼りになる。それに——」
レインは、少し照れながら言った。
「お前には、借りがあるからな」
シャドウは、しばらく黙っていた。そして、小さく笑った。
「……分かった。しばらく、一緒にいてあげる。ただし、私はあんたたちの仲間じゃない。あくまで、協力者よ」
「それで、いい」
レインは、頷いた。こうして、新たな仲間——いや、協力者が加わった。
---
宿に戻った夜、レインはシステムの表示を確認した。
```
【ステータス】
名前:レイン・クロウ
レベル:8
HP:105/105
MP:32/32
STR:33
VIT:37
AGI:44
INT:45
DEX:38
LUK:8
──────────
殺戮ポイント:28,586 KP
スキル:ゴブリン語Lv3、剛力Lv1、怪力Lv1、魔素支配Lv2、集団指揮Lv1、飛行Lv2、鱗鎧Lv1、水中適応Lv1、権威Lv1、次元感知Lv2
```
(KPが、かなり貯まったな)
28,586 KP。これをどう使うか。そろそろ、剛力と怪力を上位スキルに進化させたいところだ。だが、その前に——
《クエスト:オークを50体討伐せよ(進捗:48/50)》
(あと二体か)
明日、片をつけよう。そう思った時だった。扉が、ノックされた。
「レイン、ちょっといい?」
ミアだった。レインは扉を開ける。
「どうした?」
「……少し、話したいことがあるの」
ミアの表情は、いつもより真剣だった。レインは、部屋に招き入れた。
「座ってくれ」
ミアは、ベッドの端に腰掛けた。そして、しばらく黙ってから、口を開いた。
「……あたし、レインに言ってなかったことがあるの」
「あたしの出身、自由都市連合のスラムなのは話したよね。でも——あたしには、家族がいたの。両親と、弟が一人」
ミアの声は、静かだった。レインは、黙って聞いていた。
「あたしが十歳の時、スラムで疫病が流行った。両親は、あっという間に死んだ。弟も——」
ミアの手が、震えている。レインは、何も言わずに、彼女の手を握った。
「……あたしだけが、生き残った。運が良かっただけ。でも、あたしは——」
「ミア」
レインは、彼女の目を見た。
「お前は、生き残った。それだけで、十分だ」
「……そう、かな」
「ああ。お前が生きてるから、俺は助けられた。お前がいてくれたから、ここまで来られた」
ミアの目に、涙が浮かぶ。彼女は、それを拭おうともせず、レインの肩に頭を寄せた。
「……ありがとう、レイン」
「気にするな」
しばらく、二人はそうしていた。やがて、ミアが顔を上げる。
「あたし、強くなる。もっともっと。レインの隣にいても、恥ずかしくないくらいに」
「お前は、十分強い」
「足りないの。あたし自身が、そう思ってる」
ミアの目は、真剣だった。レインは、頷いた。
「分かった。なら、一緒に強くなろう」
「うん」
ミアが、笑った。その笑顔は、以前より、少しだけ大人びていた。
---
翌朝。
レインたちは、迷宮第三層でオークの群れを探していた。残り二体——だが、念のため、もう少し多めに倒しておきたい。
「いた。三体」
セレスティアが、剣を構える。レインは、頷いた。
「行くぞ」
三人のオークを、あっという間に殲滅する。
《オーク討伐数:50体達成。スキル『剛力Lv2』を獲得しました》
《オーク討伐数:50体達成。スキル『怪力Lv2』を獲得しました》
《スキル『剛力Lv2』:筋力を一時的に強化します。持続時間:60秒。使用間隔:3分。Lv1より効果が上昇》
《スキル『怪力Lv2』:筋力を大幅に強化します。持続時間:30秒。使用間隔:5分。Lv1より効果が上昇》
(これで、近接戦がもっと楽になる)
レインは、拳を握った。力が、漲る。まだ発動していないが、その気になれば、いつでも使える。
「これで、Aランクの魔物にも、対抗できるかな」
「ええ。きっと」
セレスティアが、微笑む。その時だった。
《クエスト:オークを100体討伐せよ(進捗:50/100)》
《報酬:スキル『剛力Lv3』、『怪力Lv3』》
(また、新しいクエストか)
だが、悪くない。剛力と怪力の上位スキルは、戦闘で役に立つ。レインは、システムに意識を向けた。
(分かってる。やるよ)
---
宿に戻ると、シャドウが待っていた。
「遅かったわね」
「迷宮で、スキルを手に入れた」
「ふーん。まあ、いいわ。それより——」
シャドウが、一枚の紙を差し出した。
「これ、ギルドから回ってきた情報よ。深淵の使徒について」
レインは、それを受け取った。紙には、こう書かれていた。
《深淵の使徒に関する報告》
《深淵の使徒は、観測者の敵対者であり、世界の理の外から来る存在である。彼らは、観測者の器を狙い、その力を奪おうとする。過去に確認された事例は、三件。いずれも、器は力尽き、使徒に魂を奪われている》
(過去の器は、全員——)
レインは、紙を握りしめた。だが、恐怖はなかった。むしろ、決意が固まった。
(俺は、違う。絶対に、負けない)
「シャドウ。お前、この情報をどう思う?」
「……あんた、狙われてるわよ。確実に」
「ああ。分かってる」
「怖くないの?」
レインは、少し考えて、答えた。
「怖いさ。だが、逃げても仕方ない。向こうから来るなら——迎え撃つだけだ」
シャドウは、しばらくレインを見つめていた。そして、小さく笑った。
「……本当に、馬鹿ね。でも、嫌いじゃないわ」
「褒めてるのか?」
「さあ、どうかしら」
シャドウは、マントを翻して、部屋を出ていった。レインは、その背中を見送りながら、思った。
(仲間が、増えたな)
セレスティア、ミア、リィエル、そしてシャドウ。四人の仲間。そして、これからも増えるかもしれない。
(だが、守るべきものが増えるほど、強くならなきゃいけない)
レインは、窓の外を見た。夜空に、星が瞬いている。その中に、一際明るい星——セレスティアが言っていた、希望の星。
(俺は、進む。どんな敵が来ても、仲間を守るために)
その決意を胸に、レインは目を閉じた。明日も、戦いが待っている。




