第63話 滅亡のとき
◇◇◇
「ラトゥス様! ご無事ですか!?」
巻き上がる灰と焼けた金属の臭いの中、声を張り上げた兵士が、煙の裂け目から駆け寄ってくる。
崩れ落ちた魔力生成室の瓦礫の中から、ラトゥスはゆっくりと身を起こした。軍服の肩口は焼け焦げ、額には血が滲んでいる。
「……あぁ。私を誰だと思っている」
唇を歪め、短く舌打ちをして塵を払いながら立ち上がる。情けないことに気を失ってしまっていた。あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。
咄嗟の判断で降り注ぐ天井の瓦礫を攻撃魔術で砕き、残りを防御壁で受け止めたはずだった。それでも砕け落ちてきた天井の質量があまりに重く、防御壁が破れてしまったのだ。
「何だったんだ、あれは……」
視線を上げた先には、あらゆるものが瓦解した魔力生成室の残骸。もはやどれが天井でどれが壁だったのかも分からない。
あの瞬間、城全体に爆撃のような音が響いたかと思うと、炎を纏った紅蓮の竜が魔力生成室の壁を突き破って突入してきたのだ。
ガラスと液体が方々へ散り、培養槽の中で管に繋がれた元魔術師たちは一瞬で無に帰した。ただ魔力を供給する素材として存在していた彼らの亡骸は、今は無慈悲な瓦礫の下に埋もれている。
総てが破壊された。数十年にも亘って、研究を積み重ねてきたアヴリオンの軍事魔術の結晶があの主砲だったというのに、砲台本体はおろか動力源となる培養槽まで破壊され尽くした。
城もこの状態である。ここから再び立て直すのに何十年かかることか──。
「まさか、あれが異形の魔女の攻撃か……?」
魔力生成室には他にも管理担当の技術者などがいたはずだが、それも今はどうでも良い。替えの利く人材など、どうとでもなる。
ラトゥスは足を引きずり、原形も留めていない扉の方へ向かって歩き始めた。
「……いえ。あれはどうやら、"持たざる者"の剣士が放ったもののようです」
部下の報告に、思わず足が止まった。
視線だけをわずかに後ろに向け、吐き捨てる。
「……チッ。エルディンガルの魔導具か……。あれほどの力を持つ魔導具を生み出すことができたとはな……」
彼らの創る魔導具は日常の補助品に過ぎない物が多かった。人の営みを援け、大抵の非魔術師にも使用可能な、その程度の魔導具ばかりだったはずなのに。
だが今や、その程度だったはずの魔導具が、世界最大とも言われる魔術都市であるアヴリオン城の中核を破壊し尽くしている。
(やはり、エルディンガル一族は危険だった。奴らがアヴリオン滅亡の一因となるという、カリアの予言は正しかったのだ……。それが寸でのところで回避されたというわけか)
そのときようやく、ラトゥスは鉄面皮の女魔術師の存在を思い出す。
「カリアはどうした? ……まさか」
その問いに兵はビクッと身体を跳ねさせ、視線を泳がせた。
「……カリア様は、あの炎の竜によって死亡しました。剣士も重傷を負ったようですが、奴らは既にアヴリオンを去っています。おそらく、エルディンガルの里へ向かったものと……」
声を震わせて答える魔術師兵。その様子に再び舌打ちを零し、ラトゥスは足早に部屋を出た。
(……くそっ。貴重な予言者を失った。賊がエルディンガルの里へ戻ったということは、おそらく現地に投入された兵も無事では済まんだろうな……)
カリアの部隊はアヴリオン屈指の魔術師兵団だ。それが全滅した上に、何より潰しておきたかった敵の最大戦力が生き残っている。
物心つく頃から手籠めにした女への憐憫の情など、欠片程にも湧いてこない。思考はもはや、今後のアヴリオンの立て直しにのみ割かれていた。
(剣士が手負いなら、叩くのは今以外他にない。だが、アヴリオン城がこの状態では、戦力を回すこともままならん。相手は異形の魔女と、炎の竜を放つ剣士……。放っておくわけにはいかないが、ここは一度引いて体制を整えるしかないか……?)
思案しながら乱れた白髭を整える。ことごとく崩壊した回廊だった場所を抜け、瓦礫に塞がれた道を迂回し、ようやく外に出られた。
そのとき、ラトゥスが最初に見たものは、倒壊したアヴリオン城の惨憺たる光景ではなく、皮肉なほどに晴れ渡った青空と、そこからゆっくりと下りてくる異形の姿だった。
「……まさ……か」
雪原のように白く長い髪に尖った耳。大地を纏うような鱗が手足を覆い、側頭部から伸びる二本の角に、大蛇のように揺れる太い尾。
そして、夕焼けをさらに燃やしたような紅蓮の瞳が静かにこちらを見下ろしている。
殺気も何も感じない。
ただ通り過ぎる弱く小さな生き物を眺めるように、あるいは行く手に転がる石子にたまたま視線を向けただけであるかのように、美しき異形の女はラトゥスに視線を据えていた。
あの双眸には、一切の恩情など存在しない。
さながら己が花園に紛れる雑草を引き抜くが如き軽さで、こちらの命を刈れてしまうことだろう。
異形にして神秘の姿を目の当たりにし、視線を交わしたその瞬間に、全ての計画が破綻したことを知る。
「……やはり、神格……者……」
彼女はヒトでも化け物でもない。極めて神に近い存在だと、一目で理解させられるほどの威圧感。
物見の兵の言葉は正しかった。
これは、決して対峙してはならない相手だ。
「……なぜ、エルディンガルのような小さな一族に、古来の神がついているのだ……」
何年も、何十人もの魔術師たちの魔力を吸い上げて放つアヴリオンの主砲など、彼女の前では玩具でしかないだろう。
この女ならば、たった一人であの主砲以上の攻撃を放てる。そう思わせるだけの絶大な、そして異様な力の気配がその身から溢れ出ている。
人生で最初で最後に見るであろう神格者への畏怖と、己が積み上げてきた全てが矮小なものであったという屈辱が湧き起こる。
呆然と崩れ落ちるラトゥスから瞬きの間も紅蓮の視線を外さず、異形の女はおもむろに口を開いた。
「人の世の営みの中で、栄え、滅びゆくものもあろう。栄華も滅亡も、人の世の選択、人の世の運命。本来ならば、私が手を出すことでも口を出すことでもない」
低く凛然たる声はその内にある感情を感じさせず、ただ淡々と響いた。
「──だが貴様らは、私の愛する者を深く傷付けた」
「……神の愛するものに手を出した神罰というわけか」
「私は神ではない。ゆえにこれは──」
ズンッ、と重い地響きが聞こえたのと同時に、大地が怒りを帯びたように大きく揺れ始める。
だが、そこかしこから上がる悲鳴も、ラトゥスの耳には届かない。その耳も目もただ、終わりを告げる美しき神秘の姿にだけ向けられていた。
「これはただの、我が個人的な報復だ」
揺れる大地から巻き上がる風が巨大な竜巻となり、空中へ逃げようとしていた魔術師たちへと襲い掛かる。
炎の竜に破壊されたアヴリオン城が巨大な地震によってさらに砕かれる。その残骸を巻き込んだ竜巻が、果てしない破壊力を以て不可避の暴虐を尽くしていく。
(……あぁ。これが、予言の真実であったか……)
虫けらの死骸でも見るような紅蓮の瞳を目に焼き付けながら、ラトゥスは冥府に誘う竜巻へと呑まれていった。
──この日、巨大魔術都市アヴリオンは地震と幾つもの竜巻によって破壊の限りを尽くされ、地の底へと沈んだのだった。
これにて第五章が終了。
明日から最終章です。




