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願う未来は永久にともに  作者: めこまる
第五章 滅びへ向かう道
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第62話 晴天の願いと静穏の怒り2

「……スティ……ルク、か……?」

「──っ! ファイカン! 良かった……!」


 か細い声に、スティルクはホッと息をついた。

 だが、細く開かれた瞼の奥にある青い瞳は、スティルクを捉えてはいなかった。焦点の合わないぼんやりした視線のまま、彼は小さく言葉を落とす。

 

「……女子供は、先に村を脱出した。隠れ里の方向は、分かるな……?」


 必要なことだけを告げ、問いかける友の言葉に、スティルクの手が冷たく震える。

 彼は自分の状況を分かっている。分かっていてなお──いや、だからこそ、己よりも守るべきものを優先しようとしているのだ。


「……やめてよ、ファイカン……。そんなの……そんなの、まるで……」


 遺言みたいだ。

 その言葉を押し殺し、唇を噛む。

 唇の端から一筋の血が流れるのを感じると、スティルクは思い出したようにセリヴァルに振り向いた。


「セラさんっ! ファイカンに僕の血を……!」

「いらねぇよ」


 一縷の望みに賭けようとする言葉に被せるように制止される。

 視線を宙に彷徨わせながら、ファイカンは唇の端を自虐的に吊り上げた。


「……すげぇ、寒くてさ。お前の顔も見えねぇんだ……。俺はもう、助からない。だから……」

「そんなこと言うなって! セラさん、早く!!」


 再び振り向くも、返ってきたのは静寂だった。悲痛に満ちた翠玉(エメラルド)の瞳は眉根を寄せ、ただそっとスティルクの肩に手を置く。


「ファイカンの言葉を聞いてあげなさい。彼の願いが、そこにある」

「──っ」


 なぜそんなことを言うのか。

 願いを聞くのは治療のあとでもいいではないか。

 一刻も早く、彼に血を与えなければいけないのに──。

 

 その言葉の全てが、声にならなかった。

 鼓動がうるさく、呼吸が浅く乱れていく。胸に満ち満ちていく恐怖の感情は、かつて己の身に死が差し迫ったときよりも遥かに大きく感じられた。

 それを懸命に押し込め、ゆっくりと視線を戻すと、ファイカンの震える手が力なく持ち上げられた。

 思わずその手を取ると、ファイカンは最後の力を振り絞り、握り返した。

 十二年間を共に過ごして初めて見る、悔しさを燃え滾らせたような目で。


「フィヨルとラーシュを、頼んだ」

「ファイ……カン」


 すぐには頷けなかった。

 頷くことは、友の最期を受け入れることと同義だったからだ。

 友人でありながら、兄貴風を吹かせていたファイカン。愛する妻の一番になりたかったのだと笑っていた彼が今、最も託したくないであろう願いを託そうとしている。


「……いいな? 頼んだ、ぞ……」


 握られる手から力が抜けていく。

 再び閉じかけた瞼を前に、スティルクはきつく彼の手を握り返した。


「……わかっ……た。分かったから! ねぇ、ファイカン…!」


 逝くな、と言おうとした。

 だが晴天の瞳は既に、光を失っていた。

 最後に返した言葉が届いていたのかさえ分からない。

 いつ息絶えてもおかしくない状態だったのに、妻と子を想う気力だけで命を繋いでいたのだろう。


「なん……で」


 明るく、朗らかな男だった。

 大雑把なところも多いのに、繊細な気遣いと優しさを持ち、とても丁寧な仕事をする男で──。


(なんでファイカンが……死ななきゃいけなかったんだ。姉さんだってそうだ。生き残るべきだったのは、血に汚れた僕なんかじゃなかったのに……)


 ピクリとも動かなくなった身体を強く抱きしめ、嗚咽を漏らす。

 小刻みに震えるその後ろ姿を、セリヴァルはただ静かに見守っていた。

 スティルクの心身はもはや限界だろう。

 会わせるべきではなかったかもしれないが、いずれにせよファイカンは、もはや助かる状態ではなかった。あの出血量で生きていられるのはスティルクぐらいなものだ。

 

(しばらくそっとしておいてあげた方がいいかしらね……)

 

 今の彼を一人にするのは不安だが、状況に未だ猶予はない。

 セリヴァルだけでも一族の生存者を探しに行かなければならない。

 結界を張っておけば危険も少ないだろうと、指を振ろうとしたそのとき──ぞわりと背すじを撫でるような冷たい魔力が流れてきた。


「おいおい。さっきの声……やっぱりまだいるじゃねぇか、生き残り」

「こっちは仕事終わらせたってのに、ここの担当は何やってんだよ……」


 その声と共に姿を現したのは、アヴリオンの魔術師兵だった。

 あちらから姿を見せてくれるならば好都合だ。

 双剣を構え、踏み込もうとわずかに重心を下げる。しかし、地を蹴らんとしたその刹那、セリヴァルは愕然と目を見開いた。

 奴らの一人がその手にぶら下げているのは、二つの首。


「ソル……ガン、シグルフ……」


 髪を掴まれ、あたかも戦利品のように無造作に揺らされるそれは、紛れもなくエルディンガル一族の長と、その嫡男だった。引き千切られたような断面からは、わずかな血が大地へと滴り落ちている。

 セリヴァルの震える声に反応したスティルクがゆっくりと振り向き、闇夜の瞳がその姿を捉える。


「どうすんだよ、あれ……。俺らの管轄外だぞ」

「対処するしかねぇよ。持ち帰れって言われた首は手に入れたけど、生き残りを放っておくわけにもいかないだろ……」


 悠長に愚痴り合う男たちはこちらを敵とさえ見做していない様子だ。

 頭の中で、ぷつりと何かが切れる音がした。

 それと同時に、セリヴァルの髪が揺れる大気に流れる。


「…………え?」


 前方へとたなびいた風が、スティルクが駆け抜けたことによるものだと気づいたときには、既に終わっていた。

 その瞬間のことはセリヴァルにさえ見えなかったのだ。

 二人の魔術師兵のその先に、スティルクは立っていた。その手に握られているのは、想炎の守人(イグナラングル)。

 首がずり落ちた魔術師兵たちの身体が、紅蓮の炎に包まれる。


(今の一瞬で二人の首を取り戻して、奴らを斬った……?)


 静寂に佇むその姿に寒気さえ覚えてしまう。

 しかしそれもつかの間、スティルクの腕がだらんと垂れ、その手から音を立てて刀が落ちた。


「スティルク……!」


 慌てて駆け寄り、膝から崩れ落ちる身体を寸でのところで受け止める。

 今の一閃で本当に総てが尽きたのだ。血の気を失った蒼白い顔で、彼は既に意識を手放していた。

 完全に力の抜けた左腕から、二つの首が転がり落ちる。


「ソルガン……、シグルフ……」


 間に合わなかった。

 スティルクは何もかもを失ってしまった。

 家族を、友を、故郷を。

 感情を取り戻し、その心に愛を刻んだその矢先に何もかもを奪われた。

 力を失った身体を横たえ、眦(まなじり)から零れる涙を拭う。


「……もういいのよ、スティルク。休んでいなさい……」


 囁く声を落とし、セリヴァルは静かに立ち上がった。

 踵を返して歩き出し、魔力の制御を切る。村中に探知魔力を広げるも、一族の生気は残っていなかった。その中にぽつぽつと引っかかる、魔術師の気配。

 煮え滾る怒りを胸に、足元から風が逆巻いた。その風が空へ舞い上がり、山の木々へとざわめきを伝わせていく。


「我は風と大地の子、ヴェアリル・リヴノール。この声が届いた風の精(エアリエル)、皆に命じる。この周囲に散るアヴリオンの魔術師兵を一人残らず見つけ出せ。一人残らずだ」


 それは、古の時代から続く風の絆。

 揺れる大気に乗せられたその声は、この地を離れていた小さき風の妖精たちへと届いた。

 死臭と魔術師の魔力が満ちたこの場所は、清浄なる風の精(エアリエル)にとって好ましいものではない。

 それでも彼らは、風を繋いで群れとなって飛んできた。


「リヴノールがおこってる!」

「おこってるわね。ひさしぶりだわ」

「ないてる?」

「ないてないわよ! ……でも、すっごくかなしそう」

「わたしたちのリヴノールをかなしませるなんて、ゆるせない!」


 口々に言いながら、同族の元精霊のために、小さな妖精たちはエルディンガル周辺へと散っていった。

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