第61話 晴天の願いと静穏の怒り1
東方のエルディンガル一族の中では珍しい西方の髪色。一族の中に、この輝く髪色を持つ人間は一人しかいない。
「……ファイカン?」
問いかける声に返答はない。
すぐに風を巻き起こし、瓦礫を吹き飛ばす。地に横たわる身体に傷を付けぬよう慎重に、それでもできるだけ早く、彼の身体を圧し潰す残骸を取り除いていく。
残った小さな瓦礫を手で払い除けていくと、そこには血の海に伏せるファイカンの姿があった。そしてその隣には既に息のない、痩せ細った老翁が横たわっていた。
(この翁を逃がそうとしたのね。……フィヨルたちはどこへ?)
首筋に手を触れると、わずかに、ほんのわずかに脈が感じられた。
まだ生きている。
「ファイカン! しっかりしなさい! 目を開けて!!」
全力で治癒魔法を注ぎ込み、どこにあるかも分からない傷を全て塞ごうと試みる。
しかし、ファイカンは目を開けようとはしない。彼が流している血の量があまりに多過ぎる。
「スティルク!! 今すぐこっちへ来なさい! 急いで!!」
唇を噛み締めたセリヴァルは、力の限り声を張り上げた。
◇◇◇
「……はぁっ、は……」
大きく肩を上下させ、懸命に呼吸を整えながら、スティルクはアストリアの亡骸を茂みの中へと隠していた。
バチンッと両手で自分の頬を叩き、なんとか意識を覚醒させる。
まだだ。
まだ終わっていない。
今こうしている間にも、村には助けを待っている人たちがいる。
「姉さん……少し、待っていてね……。僕も、父さんたちのところへ行かないと……」
体温を失った姉の冷たい頬を撫で、額を合わせる。
明るい声で自分の名を呼び、溢れんばかりの愛を注いでくれた姉は、もうその笑みを向けてくれることもない──。
(姉さん、僕の過去を知っているみたいだった……。いつから、どうして知っていたのかとか、そんなことはもうどうでもいい……)
姉の髪をそっと撫で、唇を噛み締める。
「……姉さん。僕は、あなたたちのおかげで、”人”になれた……。好きな人が、できたんだよ。姉さんのおかげなんだよ……」
本当なら、生きている彼女に伝えたかった。いつも自分を心配してくれていた姉なら、きっと満面の笑みで喜んでくれていたはずなのに。
すぅっと息を吸い込み、姉に最後の言葉を告げる。
「……いってきます」
ちょうどそのとき、愛しい人の叫ぶような呼び声が聞こえた。
「スティルク!! 今すぐこっちへ来なさい! 急いで!!」
強く、しかし懇願するように切羽詰まったような声色。
(……セラさん? あんな声、初めて聞いた……。何かあったんだ)
彼女は誰より強く、優しい。きっと何があっても、スティルクに助けを求めるようなことはしない。逆に己の身が危険であるほどに遠ざけようとするだろう。
何かあったのは、彼女にではない。
数分の休息で気力、体力ともに、わずかながらにも回復している。
最後の力を振り絞るべく己を奮い立たせ、声のする方へと強く地を蹴る。
(死体ばかりで生きた気配がしない……。それにこれは、あの砲撃の残留魔力か……。明らかに村のものじゃない魔力がそこらじゅうに溢れてる……)
フレイナに教わり、初めて魔力というものに触れたとき、スティルクはそれを「温かい」と感じた。彼女だけではない。エルディンガルの一族の魔力は皆、温かく、柔らかかった。
一族以外に触れた魔力はセリヴァルが初めてだったが、彼女の魔力は洗練され過ぎていてあまりに美しく、温度を感じるようなものではなかった。あれは一種の芸術品だ。
そして今、村に溢れているのは──冷たく淀んだ、殺意の奔流のような魔力。
肌が粟立つのを感じながら、一直線に駆け抜ける。
本音では倒れた遺体のひとつひとつに名を呼びかけ、確かめたかった。しかし、今はどれだけ足を止めたくとも、ただひたすらに自分を呼ぶ声に向かって走る。
そして、スティルクの視界が栗色の髪を捉えた。
「──セラさん……っ!」
地に膝と手をつけ、振り向いた彼女の瞳は悲壮さを押し殺しているようだった。
そしてその傍らには──血だまりに倒れる友の姿。
「……ファイ……カン?」
無意識に見ることを拒んでいるのか、スティルクの足が失速する。
(……まさか。嫌だ……、嫌だ……っ)
頭の奥が痺れ、視界が霞む。
呼吸が上手くできない。
脳裏に浮かぶのは、無残に爆殺された姉の姿。
周囲には血と死の臭い。
冷たい汗が背中を伝い、奮い立たせたはずの気力が失われかける。
「スティルク……」
歩み寄ってきたセリヴァルがスティルクの腕を迷いなく掴んだ。
むずがる子供のように身を捩り、それを拒む。しかしそれでも、彼女はふらつくスティルクの背を支え、強引に腕を引いていく。
「……まだ、生きてる。あなたの声なら届くかもしれないわ」
低く張り詰めた声色から、彼女もまた焦慮に駆られているのだと気づく。
「セラさん……。ファイカンの傷は……」
「全て治した。……けど」
改めて視線を向け、状況を理解してしまう。ファイカンはアヴリオンでのスティルクと近い、あるいはそれ以上と思われる量の血を失っていた。
彼は魔術師であるとはいえ、鍛冶師だ。その身体と命の強度は普通の人間と変わらない。結局生死の境を分けるのは、魔力ではなく命力なのだ。
そして幼少のファイカンに与えられた、一度だけその命を守る祝福の加護は、彼が八歳のときに既に切れている。
「……ファイカン。ファイカン……っ! 起きて……起きろよ、ファイカン!!」
血に濡れた友を抱き起こし、遠い意識を呼び戻そうと、体温を失い始めている身体を懸命に揺らす。
「頼むよ、ファイカン! 聞こえてるんだろ!?」
金のまつ毛がわずかに揺れる。細い煙のような意識で、血の気が引いた青紫の唇が小さく震えた。




