第60話 帰郷の先に
◇◇◇
エルディンガルの村のすぐ傍にセリヴァルたちは降り立った。
先に宣言していた通り、空間移動の魔法は肉体への負荷が高い。既に意識が朦朧とした状態のスティルクは、それでも抱えていたアストリアの亡骸をそっと地に降ろし、堪えきれずに顔を茂みへと向けて胃の中を吐き出した。
やはり極度の貧血状態の彼には負荷が重すぎたようだ。
そして村はと言えば──こちらもやはり、砲撃の直撃を受けたらしい。
誰の声も聞こえてこないが、立ち昇る土煙の向こうからおびただしい血の臭いが漂っていることに、セリヴァルは気づいていた。
そしてその中にかすかに漂う、殺気を伴う魔力の残滓。
先程まで対峙していた敵と、同じ気配だった。
「スティルク、指示を」
神格者ではないとはいえ、神代の力を持つセリヴァルが自ら人間を攻撃することは夫に固く禁じられている。アヴリオンではあちらから仕掛けられたので応戦という形で戦えたが、今は状況が異なる。
こちらから仕掛けるには、契約主であるスティルクから形式上だけでも命じられる必要があった。
「……は、い……」
手の甲で口元を拭い、青ざめた顔のままスティルクがゆっくりと顔を上げる。
その目は未だ焦点を持たず、意識だけをなんとか保っているようだった。
「……みんなを、お願いします。……僕もすぐに、行きますから……」
掠れた声で言われるのと同時に、セリヴァルは双剣を手に駆け出した。
◇◇◇
村に突入したセリヴァルが見たものは、折り重なる"死"だった。
瓦礫と化した家屋の間に、人の姿はあった。
だがそれは、生者ではない。
無惨に砕かれ、崩れた数多の身体。村の中心だった場所には、原型を保てず肉片となったものもあれば、四肢を欠いたまま静かに転がる者もいた。
(砲撃で死んだ人も多そうだけど、それだけではなさそうね……)
目に留まったのは、腹部や胸に拳大の穴を開けた遺体の数々だった。明らかに、砲撃の影響とは異なる痕跡だ。
(砲撃の混乱に乗じて魔術師兵に攻め込まれたのね……。最初からこれが狙いで、村の近くに配備されてたんだわ)
アヴリオンはエルディンガル一族を一人たりとも生かす気はなかったのだろう。残党狩りまで仕込まれていたとは、ご丁寧なことである。
状況を理解し、とにかく生きている者の気配だけを探して神経を集中させる。
(……いる。けど、一族とは違う魔術師の気配……)
感じられたのは、戦闘に特化した、研ぎ澄まされた殺意の魔力。そこに、生きたエルディンガルの気配はごくわずか──。
おそらく近辺に配備された魔術師兵もまた、隠れ身のローブを纏って姿を消す術を施していたのだろう。確実に砲撃の巻き添えにならない距離に身を潜めていたはずだ。
その距離と準備があったからこそ、敵はセリヴァルとスティルク双方の探知に引っかからなかったのではないか。
(……迂闊だったわ)
砲撃はまだしも、魔術師兵がシグルフを追ってきていたことは予想できないようなことではなかった。
もっと注意深く周囲を警戒していれば──。
悔恨ばかりが生まれ、唇を噛む。
(感じ取れる生気が弱すぎて、どの気配がソルガンのものなのかまでは分からない……。ソルガン……お願い、無事でいて)
風の力を両の脚に纏わせ、セリヴァルは跳んだ。
わずかに命の光が残る、その場所へ。
一つ。
また一つと、かすかな灯が消えていく。
その代わりに強く感じられる、肌を刺すような魔力の気配。
見つけたのは、黒いローブを纏う魔術師兵の姿。未だ隠れ身のローブを着用しながらも漏れ出る、歪んだ殺意。
「……これで何人だ? 意外と生きてるもんだな」
「生意気にも結界が張ってあったようだからな。さすがにあの砲撃は防げないが、多少は威力を削がれたんだろう」
「まぁ、山奥の猿とはいえ、魔術師一族の村なら結界は常識だな。とはいえ、それも無駄だったわけで──」
一人の魔術師兵の首が飛ぶ。何が起きたのか悟らせる間もなく、仲間の兵の額に蒼白い刃を突き立てる。
呑気に言葉を交わしていた彼らの足元には、今まさにとどめを刺されてしまったのであろう一族の男性の亡骸が転がっていた。見覚えのある顔だった。酒好きな陽気な男だったとセリヴァルは記憶している。
彼だけではない。周囲に転がる遺体の数々は、どれもこれもが顔見知りのものばかりである。
ぎりっ、と、握りしめた剣が軋みを立てた。
悲観している暇もない。一分一秒が彼らの命を絶たせていく。
(敢えて魔力を放って奴らに私の存在を気づかせ、警戒を煽る方が得策かもしれないわね)
目的は生存者の救出であり、アヴリオン兵を捕らえることでも始末することでもない。こちらの気配を悟らせる方が、奴らの手を止めることができるだろうか。
セリヴァルは霊力を変換した魔力のおよそ六割を、人の姿を保つことに使用している。そこからさらに外に漏れる魔力を一般的な魔導士と同等の量まで制御していた。
その制御魔力を解放するだけでも奴らを警戒させるには十分なはずだ。
(さっきみたいに全部を解放するわけにはいかないし、加減が難しそうね……)
強過ぎる気配は、それを受ける者の精神に多大な影響を与える。神に準ずる力と神気を持つ夫も、人世に下りるときは己の神気を可能な限り制御しているのだ。
そこまでの力は持たないセリヴァルだが、さすがに元の姿に戻るのは今の一族には悪影響になる。
人の姿を保ちながら、余剰魔力の制御を切る。その上で探知魔力を隠さずに広範囲に広げよう。
そう決意し、実行しようとしたそのとき、視界の隅で瓦礫がわずかに動いた。
「──っ! 誰!? 生きているの!?」
反射的に声を上げ、振り向く。
家屋が崩れた瓦礫の隙間に、陽光を反射する金糸の髪が見えた。




