第59話 想炎の守人
(これが……想炎の守人の……?)
セリヴァルもすっかり失念していたが、エルディンガル一族の二つ名は「火の一族」だ。それは彼らが魔導具を創る鍛冶屋として火を扱うことに長けていたからでもあるが、そもそも一族の魔力の性質が炎の属性を持っていたからだ。
そしてその一族の長が鍛えた想炎の守人はただの業物なのではなく、代々の長に伝わる秘伝の技術が施された魔導具なのだ。
その力が炎を宿していることは、考えてみれば不思議なことなどでは決してない。
熱を宿した刀身から湯気が立ち昇り、切先がカタカタと小刻みに震えている。立っているのもやっとのはずなのに、スティルクはそれでも刀を手放さなかった。
(……いけない! こんな状態で魔導具を使っては……)
エルディンガルの魔導具は術者の気力や体力、そして生命力を駆動力としている。大量の血を失い、意識も曖昧な状態で扱っていいものではない。
ましてや想炎の守人は他の魔導具とは一線を画す代物なのだ。
「スティルク……!」
咄嗟に手を伸ばすも、呼びかける叫びすらもう彼の耳には届いていなかった。
絶望と憎悪の総てを吐き出すような咆哮を上げて、スティルクは両手で刀を振り上げる。
「……うあああああッ!!」
振り下ろされた刀身から唸りを上げた炎が放たれ、瞬く間に竜の姿を象った。
その姿はセリヴァルのよく知る竜の姿とは異なっていた。翼を持たず、巨大な蛇のような胴体と、それに見合わぬ小さく短い手足が生えている。
それが中空を駆け抜け、一直線にカリアへと襲いかかったのだ。
「な──っ……!」
それまで剣士として戦闘していた男の持つ刀が魔導具であるとは思いもよらなかったのだろう。カリアの反応がわずかに遅れる。
それでもさすがと言うべきか、脊髄反射のように防護壁を張り、残る魔術師兵もカリアを護るべく前へと躍り出た。
──が、炎の竜は無情にもその勢いのままに防護壁を貫き、二人の魔術師の身体を突き破っていった。
肉体を分断され、焼かれながらも、カリアの瞳には最後まで「理解できない」と言いたげな色が残っていた。
その身が焼き焦がされていく光景を見届けることもなく、炎の竜はそのままアヴリオン城へと突っ込んでいく。
「これが……エルディンガルの、ソルガンの……最高傑作の力……」
呟きが漏れ出た。長が数代代わるほどの長い付き合いであるセリヴァルでさえ、彼らにこれほどの魔導具を創造する力があったとは思ってもみなかった。
術者の怒り、絶望、憎悪、怨嗟、あらゆる負の感情を吐き尽くすように、破壊というただ一つの意志に従って荒れ狂うその姿。
莫大な命力を持ち、一族の魔導具に精通するスティルクだからこそ成し得る破壊力だ。
砲撃が放たれた城の塔までもが易々と貫かれ、へし折られた巨体が崩れ落ちていく。それでも炎竜は止まらない。暴虐の炎はなおも城を砕かんと暴れ続けている。
守護の祈りが込められたはずの刀が今、その祈りを踏みにじられ、慟哭を上げている。
「……もうやめなさい、スティルク。死ぬわよ……」
虚ろな目で刀を構え続けるスティルクの首からは今もなお、赤黒い血が流れ続けている。手を伸ばし、左手で赤い熱を放つ刀身を握りしめると、セリヴァルは彼の傷口に右手をかざした。
その刀身に触れただけでも手のひらが裂け、肉の焼ける臭いが立ち込める。
ソルガンの施した秘伝の技術は魔力封じも防いでしまう。想炎の守人の力を抑えることはセリヴァルにもできないのだ。ならばせめて、今は彼の傷を塞ぐことが先決である。
ぼうっと淡い光が灯り、徐々に流血が治まっていく。傷口も塞がり、温かな光に全身を包まれたスティルクの黒く淀んだ瞳にも、弱々しい光が戻ってきた。
「……あ、……セラ、さん……」
ようやく我に返ったスティルクはガクンと膝を折り、両手を地に着いた。
「──は……ぁっ、はっ……」
気力の糸が切れたのだろう。大きく肩を上下させ、全身が小刻みに震えている。
(傷は塞いだ……。けど、失った血は取り戻せない……)
シグルフの治療のときは、スティルクの血を移すことで失った血を賄った。だが今は、血を与えられる人間が近くにいない。
人間の血を一滴も持たないセリヴァルでは、自身の血で輸血治療を行うことができなかった。こんなときに、己の力が神格に満たないものであることを痛切に突き付けられる。神々やそれに準ずる力の持ち主ならば、人の血を生み出すことなど造作もないことだというのに。
「時は一刻を争うわ。今のあなたの身体にはつらいでしょうけど、空間移動でエルディンガルの村に戻りましょう」
炎の竜は姿を消したようだが、アヴリオン城はもはやほぼ壊滅状態だ。ここからの追撃はもうないだろう。一分一秒でも早く、エルディンガルの村へ戻らなければ──。
しかし、セリヴァルの腕をガシリと掴んだスティルクが痛切な瞳で見上げた。
「待って……ください……。姉さんは……? アストリア姉さんの傷は……治してくれましたか……?」
「スティルク……」
首の傷は塞がったが、大量の血を失った状態で想炎の守人を発動させた代償は大きく、彼の身体はもはや限界寸前だ。呼吸は浅く、声は掠れ、意識もまだ遠い。
それでも彼は捨てられない希望に縋るように、姉の治療を乞う。その悲壮な黒瞳に、セリヴァルは唇を噛んだ。
「ひどい……怪我を……。僕は……強いし、丈夫ですから……。姉さんを、早く……」
「スティルク……、聞きなさい……」
「これ以上……、姉さんが……痛い思いをするのは……」
「──スティルク!」
叫ぶように声を上げ、彼の頬を両手で挟む。
彷徨う視線を無理やり据えさせ、セリヴァルは告げた。
「私に死者は救えない」
黒瞳の双眸が大きく見開かれ、拒絶の色に揺れる。
「……し……しゃ? ……死者、って……」
「……即死よ」
──本当は、彼にも分かっていたはずだ。眼下で胸部に大穴を開けた姉の姿が、生きているものであるはずがないと。
分かっていたからこそ、あれほどまでに怒り、想炎の守人の力を暴走させたのだ。
それでも、分かっていてなお、心が受け付けないのだろう。彼にとってアストリアの死は、生まれて初めて経験する、愛する者を奪われた絶望のはずだ。
「……死ん……だ? アストリア姉さんが……?」
セリヴァルは静かにスティルクから手を離すと、アストリアの亡骸へと歩み寄った。宝物庫から大きな紺のブランケットを出現させ、血に染まる身体を優しく包む。
薄く開いたままだった瞼を閉じてやり、ゆっくりと抱き上げると、深く息を吸い込んだ。
「スティルク」
表情を変えぬままにスティルクの元へと戻り、震える彼の腕にアストリアを抱かせる。
「しっかり抱いていなさい。村に戻るわよ」
「…………はい」
姉の死を受け入れられない彼に亡骸を抱かせることが、どれだけ残酷なことなのか、セリヴァルにも分かっていた。
──だが、戦いはまだ終わってはいない。
彼がこれ以上の絶望を積み重ねないためにも、エルディンガルの村へ戻らなければいけない。
「いくわよ」
力なく姉を抱えるスティルクの肩に手を置き、セリヴァルは空間移動の魔法を発動させた。




