第58話 絶望の揺らめき
◇◇◇
「あの方向は、まさか……」
空を切り裂き、巨大な放物線を描いてゆく光の軌道。
その先にあるのは、帰るべき故郷であるエルディンガルの村だった。
「みんな……」
山々を越えて飛翔していく砲撃に意識を取られ、スティルクが呆然と立ちすくむ。
砲撃が放たれる直前に吐かれた怨嗟の言葉から考えても、狙いは明らかだ。
村には愛してくれた父が、兄が、いつも心配してくれていた友が、ずっと親切にし続けてくれていた隣人たちがいる。
──皆がすでに避難しているとは、到底思えない。
「スティルク!」
不意に魔力の鎖に捕らわれ、身体を勢いよく後方の空へと引き上げられた。
「っ……!?」
それとほぼ同時に白ローブの女魔術師の掌から魔術の閃光が放たれた。光の矢がスティルクのいた場所を抉り、爆風が粉塵を上げる。
確かカリアと呼ばれていただろうか。彼女はまだ諦めてはいなかったようだ。
「くそっ! あの魔女め……!」
怒りに唸る女の声が遠ざかっていく中、スティルクは空中で体勢を整える。
彼の身体を強引に引き寄せ、間一髪で救ったのはセリヴァルの魔法だった。
「セラさん!」
「ぼんやりしてる場合じゃないわよ!」
愛しい人の張り詰めた声が、停止しかけていた思考をぴしゃりと叩く。
彼女の傍へと着地したスティルクはすぐさま、へたりこむ姉の元へと駆け寄った。
「スティルク……。村が……みんなが……」
「……分かってる! 戻ろう、姉さん!」
血の気を失い、冷たく震える手を取って抱き上げる。
姉は取り戻した。
敵兵はほぼ壊滅。
ここに留まる理由は、既にない。
「セラさん! 急いで離脱して村に戻ります! セラさんはあの砲撃が撃たれた城の頂上を……!」
立ち上がることのできないアストリアを抱え、スティルクはセリヴァルへと向き直る。
その光景を忌々しげに睨めつけていた女魔術師の唇が、ゆっくりと歪んだ。
「その娘も、もう用済みだ」
その言葉が、かすかに耳に届いた。
細く白い指が、乾いた音を立てて鳴らされる。
刹那、鈍い破裂音が鼓膜を打ちつけ、スティルクの視界が真っ赤に染まった。
「スティルク! アストリア!」
その瞬間を目撃したセリヴァルに戦慄が走った。
スティルクの腕の中で、アストリアの身体が弾かれるように大きく仰け反り、胸部が破裂したのだ。
体内からの爆発により四散した肉と骨。その身体を抱えていたスティルクも、首元から血を噴き出して膝を折り、地に崩れ落ちる。
それでも彼は、最愛の姉の身体を離さなかった。
リンガの魔術礼装によってスティルクの身体は無事なようだが、素肌が晒されていた首上部は、砕け散った骨片で切り裂かれたのか、深い裂傷を負っている。
だがスティルクは、自身の傷のことなど気づいてもいない様子だ。
ただ茫然と、物言わぬ躯と化した姉の姿を見下ろしている。
「……ねえ、さん……?」
掠れた声だけが大穴を開けた姉の胸へと落ちていく。
「スティルク! 傷を……!」
急いで治療しなければ彼も危険だ。
しかし駆け寄ろうとするセリヴァルの目の前に、閃光が放たれる。カリアと、唯一生き残った魔術師兵が容赦なく次々と追撃を仕掛けてきたのだ。
「……っ! 往生際が悪いわね!」
セリヴァルが斧槍を振りかざし、咄嗟に風刃を放って応戦する。
風と光が交錯し、破砕音が大気に響いた。
「剣士の方は深手だ! 長くはもたん! 撃ち続けろ! 回復させるな!」
カリアが叫ぶ。
その言葉に合わせて間断なく放たれてくる連撃に、セリヴァルは奥歯を軋ませた。
二人の魔術師からの猛攻を捌きながらスティルクの傷を治すことは、さすがのセリヴァルにも不可能だった。
(さすがはアヴリオンの精鋭魔術師……。二人がかりとなると、連撃が速過ぎて防護壁を張る間もないわ。また制御を解いて元の姿に戻る隙もない。このままだと……)
攻撃の威力は絶妙なものだった。おそらく最速で撃つことができ、なお且つ被弾すれば出血は免れない程度の威力。
今のスティルクには小さな一撃でも致命傷になりかねない。
全ての攻撃を撃ち落とし、押し返せるだけの魔力を練るには速さが追い付かない。それも、攻撃の弾道は全てがスティルクへと向けられている。
だが、撃ち落とすだけでは防戦一方だ。その間にもスティルクの血は流れ続けてしまう。
(当たれば御の字。当たらなくても、このまま傷を塞がなければ失血死ってわけね……)
できることがあるとすれば、セリヴァルがスティルクに覆い被さり、被弾しながら回復させることぐらいか。
だがそれも、一か八かの賭けになる。迎撃の手を止めて背後に振り向き、さらに庇うまでの瞬きの間、彼に被弾させずにいられるだろうか。
(やらなければスティルクは確実に死ぬ……!)
腹を括ろうとしたそのとき、全身に冷たく重い泥のような気配が背後から纏わりついた。反射的に魔力で身を護ろうと身体が強張ってしまう。
(しまった……!)
その一瞬の隙をつくように、容赦なく幾つもの閃光が飛んでくる。
刹那の思考の中、絶望が頭をよぎった。己の反射を恨んだ。こんな状況でまでなぜ、この身を護ろうとしてしまったのかと。
しかし光の刃は、こちらに届く寸前に次々と破壊された。
冷たい気配とは真逆の、紅蓮の炎によって──。
「……え?」
連撃が止んだ。敵もまた、想定外の事態に手を止めてしまったらしい。
まさかと振り向くと、大量の血を失い、真っ白な顔で刀を握るスティルクが立っていた。姉の身体は地に下ろしている。
「……くそっ! どこまで化物なんだ、あの男! あの状態で立てるなど……!」
驚愕に震える声が届くが、セリヴァルの眼前に立つ青年はとても立ち上がれるような状態ではなかった。
首の傷からは血がとめどなく流れ続け、黒い魔術礼装は全身に貼りつくように重く濡れている。暗く淀んだ瞳は焦点が合わないのか、ゆらゆらと左右に揺れていた。
(今の炎は……)
スティルクの手に握られていたのは、灼熱で赤黒く染まった想炎の守人だった。




