第5話 光の花と小さな祈り
満ちた月と星明かり、そして太い木々の根元に揺れる小さな光の花々。
その幻想的な光景に吸い寄せられるように、スティルクがゆっくりと歩を進めていく。
「へぇ……。僕もたまに夜散歩してたのに、気づきませんでした……」
「珍しい花ですもの。エルディンガルの村周辺では、この一画にしか咲いていないのよ」
群生地とは言い難いが、それでも今回はそれなりに咲いているようだ。新月で周囲がより暗いときの方が綺麗に見えるのだが、ソラリスフィオレの花が最も強く魔力を放つのが満月の夜だった。
興味深そうにそれを見下ろすスティルクに、セリヴァルは微笑む。
「スティルク。それ、いくつか摘んでもらえるかしら?」
「いいですけど、どれぐらいですか?」
「そうねぇ……。あなたの片手に収まる程度かしら」
やはり素直に聞き入れたスティルクが腰を落とし、一輪ずつ慎重に摘み取り始めた。柔らかな光を放つ花を手の中に集めていくその様子は、どこかぎこちなくも愛らしい。
しばらくぷちぷちと花を摘む音が聞こえ、やがて光の花束を手にしたスティルクがセリヴァルのもとへと戻ってきた。
「これぐらいでいいですか?」
「えぇ。ありがとう」
受け取った花束から一輪だけ抜き取り、残りは宝物庫へと送る。
宝物庫といっても、実際には倉のようなものではなく、セリヴァルが愛用している亜空間を切り取っただけのものだ。中には時間の概念がなく、光も存在しないため、食べ物を収納していても腐ることがない。
似たような空間を利用した鞄などもあり、魔導具にも同じようなものが存在している。エルディンガルの魔導具に囲まれて長年暮らしているスティルクも、セリヴァルが花束を消したことについては驚いてもいない。
手元に残した一輪の花を両手でそっと包み込む。
ふわりと風が舞い、合わせた手のひらから光が漏れ出た。長い髪が揺れ、輝かしい光が徐々に収束していく。
やがてそれが完全に止まると、セリヴァルはゆっくりと手を開いた。
「はい。お礼よ」
差し出した手のひらに乗せられていたのは、押し花の栞だった。小さな光を閉じ込めたかのように、一輪のソラリスフィオレが淡い輝きを保ち続けている。
「お礼?」
「散歩に付き合ってくれたのと、花を摘んでくれたお礼」
怪訝な顔をしながらもスティルクはそれを受け取った。しげしげと光の栞を眺めながら、「でも」と呟く。
「僕、なんとなくついてきて、言われるまま摘んだだけですけど……」
「それでも、してくれたことに変わりはないわ」
自ら生き抜く力を持つ彼に、祝福の加護は必要ない。
それでも、与えてやれる祈りはある。
「あなたの選ぶ道に、光多からんことを」
翳る瞳に、楽しみを持てないその昏い心の内に、少しでも光が射せば良い。
緩やかに目を細め、微笑みに祈りを乗せる。
漆黒の瞳が揺れ動き、不意に大きな手がセリヴァルの頬を包んだ。色香を滲ませたような黒瞳が、ためらうことなくすっと下りてくる。
そして次の瞬間──、
べちっ!
と、小気味良い音が響いた。
「……この流れで止めます?」
真正面から唇を叩かれたスティルクが不服そうにしている。
この流れも何も、なぜしれっと口づけしようとしているのか。
「残念だけど、唇への口づけは惚れた男としかしない主義なの」
「ふー……ん」
納得しているのかしていないのか怪しいところだ。
何かを思案した彼はソラリスフィオレの栞を再びじっと眺め、企むような笑みでそれに口づける。
「口づけ以外なら、しますか?」
「ん?」
訝しむのと同時に、素早く腰を引き寄せられた。悪意がないせいか、全く予測できなかった動きとその速さに戸惑いが生まれる。
その隙をつくように背中にも腕をまわされ、こつりと額を合わせられた。
「セラさん。僕と、寝てみません?」
ぐっと腰を押し当てられ、その意味を理解する。
普段なら受け入れても良かったのだが、セリヴァルは悩むことなくニッと笑みを浮かべた。
「遠慮しておくわ」
「どうして? 僕のこと嫌いですか? あ。対価が必要?」
「嫌いではないし、行為についての対価は受け取らないのだけど……それよりもあなた、何も感じないのでしょう? そんな無感情に抱かれるのなんかごめんだわ」
魔力が通っていないとはいえ、媚薬の催淫香にさえ反応を示さず、求められるがままに応じている彼のことだ。快楽の愉しみを得たこともないのだろう。
そんな相手と寝ても時間と体力を無駄に使ってしまいそうだ。
「バレました? でも、身体はちゃんと反応しますよ? いつもちゃんとできてますし」
まるで業務報告だ。それも悪びれるでもなく恥じるでもなく、さらりと言ってのける様には呆れてしまう。
「刺激に対する生理的な反応として、でしょ?」
「まぁ、そうですけど」
額を離したかと思うと、落胆した様子で「うーん……」と唸り、ぎゅうっと抱きしめてきた。そのまま頭をすり寄せてくる姿は、どこか甘えているようにも感じられる。
「栞見てたら不思議な気持ちになったから、セラさんとならって思ったんだけどなぁ……」
「残念だったわね」
広い背中を抱き返し、励ますようにぽんぽんと叩いてやる。
触れた背に分厚い筋肉の感触が伝わってくる。首筋の太さから多少は想像がついていたが、甘い顔立ちの割にやはり逞しい体躯をしている。
抱き寄せてきたあの素早さも、苦しくはないまでも逃がすまいとがっちりと抱きすくめる腕の力も、セリヴァルの想定以上だった。
(体格はちょっと好みかもしれないわ……)
さわさわと背筋の張りを確認していると、ぽつりと声が落とされた。
「……頼み込まれたんですよ。最後にお願いって、泣いて……。抱いてくれなきゃ死ぬからって」
抱きしめる腕を緩めず言うので、彼の表情は分からない。だが口調は相変わらず穏やかで、淡々と話す。
「この”最後”が、もう……三回目くらいかな? 僕のせいで騒がれて、本当に死んじゃったりして村に迷惑かけるのもなぁって思ってたから相手してたんですけど、さすがにめんどくさくなってきちゃいました。それなりに言うこと聞いてあげたし、もう放っておいてもいいかなって」
「……ちなみにそういうの、他に何人くらいいるの?」
「今は二……三人? どうだっけ?」
「今は、ねぇ……」
言えた義理ではないが、大した軟派ぶりだ。
というよりも、誰に対しても頓着のない彼にとっては、相手をするよりも拒んで泣かれることの方が面倒だったのだろう。
「何がいいんですかね? あれ。身体は反応するけど、僕は何が良くて求められてるのか全く分からないです。さっさと終わらせたいから、悦ばせる技術だけは身につけましたけど」
「私は好きだけどねぇ……」
「えぇ~? じゃあやっぱり、セラさんが教えてくださいよ」
「嫌よ」
むくれている気配がする。
まだ諦めがつかないのか、温かな吐息が首筋に落ちてきた。
「セラさんだけですよ。自分から誘ったのも、こうして触れるのも」
柔らかな何かが触れ、次いで湿った温もりが首筋を滑る。
ぴくりと肩を跳ねさせたセリヴァルは再びスティルクの顔面をベチンッと叩いた。
「いったぁ……。僕の鼻、潰れちゃいますよ?」
「あなたとはしないって言っているでしょう。私はお互いが愉しめなければ嫌なのよ。私だけが良くても意味がないの」
そこでようやく身体を離したスティルクが、初めて楽しそうに笑った。
「あはは。あの子たちにも、セラさんみたいなプライドがあれば良かったのになぁ」
ソラリスフィオレの栞を懐へしまい、今度はきゅっと手を握ってくる。
「これ、ありがとうございます。大事にしますね」
繋いだままの手を引き、スティルクは「帰りましょうか」と踵を返した。
その手が母親に甘える子供のそれにも思えて、セリヴァルは振り払う気になれなかった。




