第56話 奥の手
◇◇◇
「──くそっ! 化物か、この男……!」
白いローブの女魔術師が吐き捨てた。
彼女の前には、黒いローブの魔術師たちが肉の壁となってスティルクに立ちはだかる。よほどこの女魔術師が重要な存在らしい。
(こいつさえ潰せば、きっと……)
魔術師には術を放つ前に一瞬のタメがある。
それが極めて小さいセリヴァルならまだしも、彼らが相手ならばその隙を逃すスティルクではない。
しかしさすがに敵は人数が多く、役割を分けた統率が取れている。
統率者である女魔術師の前で障壁を張る術者。そして少し離れた位置から遠距離攻撃の術を放ってくる術者。攻撃は苦もなく躱せるが、そのたびに目標から絶妙に遠ざけられ、これでは埒が明かない。
(一か八か……)
スティルクは守光を鞘に収め、代わりに想炎の守人を抜いた。
身に纏う魔術礼装はリンガの手製。外套の試火のときですら、セリヴァルから「上級術者の通常攻撃なら耐えられる」とお墨付きだったのだ。
奴らの攻撃はおおよそ、あのとき彼女が放った攻撃をやや上回る程度。スティルクの命力を存分に注げるこの礼装なら、必ず耐えられる。
そして父の最高傑作の業物でならば、あの障壁を貫ける。
そう信じ、スティルクが躱すことをやめて刀を構えて踏み込もうとしたそのとき、
「セリヴァル様!」
姉の悲痛な声が響いた。
ほとんど条件反射のように振り向いてしまう。
視線の先では、セリヴァルが攻撃魔術によって肩を貫かれていた。鮮血を散らせる愛しい恋人の姿に、スティルクの動きがわずかに鈍る。
その綻びを、敵も見逃してはくれなかった。
「制御部隊は全力であの女の魔力を封じよ! 攻撃部隊は総員、それに合わせて攻撃だ!」
白ローブの女魔術師はセリヴァルをスティルクの弱点であると判断したのだろう。
人質として捕えていた娘は強固な土壁によって護られている。ならば先に連れの魔導士を討ち取ることで、黒衣の化物を鈍らせることができる、と。
「やめろ!!」
叫びと同時にスティルクは踵を返す。
再び発動した魔力制御術にセリヴァルが崩れ落ちようとしていた。
そして、彼女をめがけて迫る数多の閃光。
「セラさん!!」
しかし、駆け出しかけた足が止まった。
斧槍で身体を支える恋人の様子に異変が起きたのだ。
結界を張った気配もない。
そもそもあの状態で張れるはずもない。
だというのに、輝かしい光の矢は彼女に届く直前で次々と砕けていく。
「な、何が起きているんだ……」
魔術師兵の誰かが震える声で呟いた。
無理もない。
開いた距離を無視するように、異様な威圧感が届いたのだ。大気が首を絞め、ひれ伏せと言わんばかりの畏怖を以て全身を硬直させてくる。
明らかに魔力とは異なるその気配に、スティルクですら息を呑んだ。
白い霧のような何かが美しい魔導士から漏れ出し始める。
「何だ、あれは!? 制御部隊!」
「無理です!! 止められな──」
その刹那、スティルクが横へ飛び退いたのは咄嗟の勘としか言いようがない。まるで地震を直前に予期する野生の獣のような、生存本能の極みのような勘だった。
瞬きをする間もなく、大地が怒号のような音を立てて次々に牙を剥いた。敵の円陣に沿うように大地の槍が突き上がり、魔術師たちが防護壁の術ごと貫かれていく。
その圧倒的な質量と威力を前にしては、どれだけ術を練った障壁であろうとも紙片と変わりない。大地が変形する轟音が高笑いのように聞こえてくる。
こちらへの攻撃がやや甘いのは、スティルクがいるからなのだろう。
(まさかこれが、本気を出したセラさんの魔法……!? あの距離から、しかもこんな範囲で発動できるのか!?)
しかし魔力は封じられたのではなかったのか。
疑念と共に、思い出す。
──私の魔力は元々の霊力を変換してるだけ。
そうだ。元来が精霊であった彼女は元々、魔力は持っていないと言っていた。今の彼女は、己の魔力を元の霊力へと可逆させたのだ。
ならばこの大地の攻撃は──。
「セラ……さん?」
舞う砂塵の向こうに佇むのは、栗色の髪と翠玉の瞳を持つ魔導士ではなかった。
そこに居たのは雪原のような白い髪に、夕焼けを映すような朱色の瞳を宿した、竜人のような異形の女。
尖った耳、側頭部から伸びる二本の角、両手足を覆う土色の鱗。そして、しなやかな曲線を描くゆらりと揺れる太い尾。
視線がぶつかると、その神秘の姿はゆっくりと唇に弧を描いた。
恐ろしいほどに美しく、それでも変わらない、艶やかな微笑。
その笑みは愛しくて何度もこの腕に抱いた、紛うことなき彼女のものだった。
「くそっ! 何なんだ、あの化物は!!」
不意に聞こえた声に振り向いたスティルクは、刀を構えてふっと唇の端を吊り上げた。
「失礼だな。彼女は誰より優しくて、美しい人だよ」
言い放つと同時に、大地の槍の隙間を縫うように突き出された刀が声の主を貫く。
鋼が肉を裂き、相手が崩れ落ちると、ようやく大地の怒りは静かに収束していった。セリヴァルもいつもの魔導士の姿に戻り、姉を囲っていた土壁の守護を解いている。
彼女は風と大地の化身。元来の力を解放することで、魔力を使わずとも大地を操ることは可能だったのだ。おそらくは風も同じように操れるのだろう。
(神代の存在の力って凄まじいんだなぁ……。セラさん、とんでもない奥の手を持ってたんだ……)
見回せば、矛を収めた大地には亡骸の円陣が転がっている。生き残っているのは白ローブの女魔術師と、彼女を護らんとする兵が四人いるだけだった。
スティルクは想炎の守人の血糊を振り払い、鞘へと収めた。そしてそのまま、居合の構えを取る。
「……で? この人数で、この距離で、僕に勝てると思ってる?」
かすかに笑うような口調とは裏腹に、その声は低く冷たかった。
「くっ……!」
女魔術師が奥歯を噛み締め、一歩後ずさった。
たとえ障壁を張られようとも、この近距離で放つ想炎の守人での抜刀術でならば破れる。その確信がスティルクにはあった。
術を練る暇を与えるつもりもない。
奴らの魔力の動きは、もう見逃さない。
想定外だったのは、敵の奥の手が魔術ではなかったことだった。
「……エルディンガルは、アヴリオンを滅ぼす厄災となる! そんなことは、この私がさせない!」
怒りと憎悪を満ちらせた怨念のような声を張り上げ、白ローブの女魔術師が右手を高く突き上げた。
術が来るものと思っていたスティルクの反応が刹那の瞬間遅れ、四人の兵が盾となって眼前を阻んだ。
そして、命を懸けた決死の号令が放たれる。
「主砲、放て!!」
神速の抜刀が一閃のもとに三人を斬り伏せる。
しかしその切先は残る一人の兵と女魔術師には届かなかった。
それでも残る二人へ刃が振り抜かれようとした、そのときだった。
アヴリオン城の頂上付近から、膨大な魔力を圧縮した砲撃が、雷のような轟音を伴って北東の空へと放たれたのである。




