第52話 針の示す先
◇◇◇
風に乗って運ばれてくるのは、草木の青々しい匂い。整えられた山道もなく、ほぼ手付かずの山に人の気配はない。
木々が風に揺れる音と鳥の声だけがこだまする。
「近づけるのは、ひとまずここまでね」
アヴリオン北東の山に降り立ったセリヴァルは、都市全体を包む結界を注意深く観察していた。
背後ではスティルクが地図を草の上に広げ、その中央にファイカンから受け取った魔導具を慎重に置いている。
彼の手が魔導具に触れると、赤い宝石が小さな光を放ち始めた。
その上に浮かぶ金の針が、注がれた命力に応えるようにくるりと静かに回転する。
「侵入できない結界なんですか?」
針が指し示す方向をじっと見つめて確認すると、スティルクは地図を入れ替えた。
魔導具の位置を変えながら同じことを試みる。持ち合わせた地図を総動員して、アストリアの詳細な位置を探っているようだ。
「いいえ。大都市だもの。普通の人間は難なく出入りできるわ。この結界は邪気を持つ魔獣なんかを弾くタイプね」
「じゃあ、どうして? セラさんは人間ではないけど、邪気もないじゃないですか。むしろ精霊って、確か清い存在じゃありませんでしたっけ?」
「魔術都市だからね。結界内では魔術や魔力の使用に関して厳しく法で定められているはず。そしてそれを遵守させるために、魔力検知がきっちり働いているものなのよ」
つまり、結界内でセリヴァルが魔法を使用すれば、すぐにアヴリオン側に検知されるということだ。
魔術と魔法は似て非なるもの。加えて、アヴリオンに存在する数少ない魔導士たちのどれにも属さない魔法が使用されれば、それが外部から来た存在の仕業だと看破されるのは避けられない。
それどころか魔法を使用せずとも、セリヴァルの持つ魔力の気配だけで、その存在が感知される可能性すらある。
(時間勝負、って感じかしら。魔力を完全に制御して侵入を試みるか、派手にぶつけて紛れるか……)
どちらにしても、結界内に足を踏み入れた瞬間から、刻一刻と猶予が削られていくであろうことには変わりない。
「なるべくアストリアに近い位置から突入したいところね。場所は分かりそう?」
「それが……変なんです。魔導具が示す姉さんの居場所が……」
「ん?」
振り返ると、スティルクは広げた地図の上に置かれた魔導具を未だ凝視し続けていた。
「一番大きなあの城に囚われてるんじゃないかと思ってたんですけど、何度やっても魔導具は街の外れの……ここを指しているんです」
彼の指先が示したのは地図の片隅に描かれた礼拝堂だった。聖域とされる場所だが、魔導具の針が確かにその方向を指している。
スティルクの表情にわずかな困惑が生じる。
「昔の地図ですし、今は礼拝堂ではないんでしょうか? 改装されて牢になってるとか……?」
「普通は礼拝堂跡に牢なんて建てないと思うけど……魔術師には信仰を持たない人間も多いから、何とも言えないわね」
彼がソルガンから受け取った地図は二十年程前のものらしい。ないよりはマシだということで渡されたが、地図と都市の現状に差があってもおかしくはない。
「魔導具が示しているのが例えば……、アストリアの所有物とか、そういうことはないの?」
「いえ」
スティルクは即座に首を横に振った。
「これを創ったのはファイカンです。探し物を見つける魔導具──創り手のファイカンがそう言うからには、これは術者が見つけたい物を正確に読み取るはずです。それは探す対象が人であっても同じはず……。僕が探しているのはアストリア姉さん本人であって、姉さんの残滓がある何かじゃない」
きっぱりと言い切る。
確固たる信頼がそこにはあった。
「……それなら、きっとそこにアストリアがいるのでしょうね。考えるだけでは埒が明かないし、行くしかないわ」
礼拝堂がある場所は街の外れだ。地図で確認する限りでは周囲には身を隠すような遮蔽物は少なく、平地が広がっている。
非常に、見張りやすい場所だ。
(罠──と考えるのが自然よね)
スティルクもそう思っているのだろう。風が二人の間を吹き抜け、緊張の沈黙を揺らした。
やがて手にした魔導具を握り直し、彼は深く息をつく。
「……そうですね。いずれにせよ姉さんがそこにいるのなら、行く以外の選択肢はありません」
黒瞳の意志は揺らがない。
セリヴァルも首肯し、二人は静かに駆け出した。




