第49話 契約の儀式
戸を閉め、ソルガンはシグルフへと歩み寄る。
その肩に両手を置き、乞う。
「お前の願いは中止してくれ。……アストリアのことは二人に任せよう。儂らは里を移す準備をし、皆を逃がすんだ」
娘も一族も救う。その選択の根底には、末息子と古の魔導士への確固たる信頼があった。二人の剣の打ち合いを目の当たりにしている彼だからこそ、それを選べたのかもしれない。
長子シグルフはなおも、不安を浮かべた瞳でセリヴァルを見上げる。
「……セリヴァル様。スティルクの願いを叶える場合の対価は、どうなるんだ?」
先程までは怒りと絶望に満ちていた彼も冷静さを取り戻していた。
セリヴァルの知る彼は幼い少年だったが、今では立派に長の子として成長しているようだ。状況が変われば即座に次の問題を考えられるだけの切り替えの早さがある。
「そうね……」
少し考え、セリヴァルはスティルクへと向き直った。
「ただ"手伝う"という願いでは漠然とし過ぎているわ。私の力を必要とするたびに対価を支払って願いを叶えるのでは効率が悪過ぎる。一分一秒を争うこともあるでしょうし。だから……」
これ以外に方法はないだろうと判断し、告げる。
「魔導士としてではなく、精霊としての私と契約して、私を従者にしなさい。本来精霊との契約は魂の契りになるけれど、一時的なものなら、その一端でいいでしょう。私はもう元の精霊でもないしね」
「えっと……? つまり?」
怪訝そうに問い返すスティルクの胸に人差し指を押し当て、古の元精霊は言い切った。
「対価は、スティルクの魂の一欠けら」
「──っ!」
絶句したのはソルガンとシグルフだった。魔術師でもある二人にしてみれば、魂を渡すことなど記憶の対価よりも遥かに重く思えることだろう。
魂の契りは相手に己の命だけでなく、運命そのものを未来永劫引き渡すことに等しい。
意思も記憶も感情も、魂に直接命じれば意のままに操れる。
本来の精霊との契約は文字通り、己の総てを差し出すことを対価に行われるのだ。
「分かりました。僕の魂を受け取るのがセラさんなら、僕はかまいません」
迷いのない答えだった。
想定していたことではあったが、一瞬の逡巡さえ持たないとは恐れ入る。本当に意味を分かっているのかと見据え返すも、彼はあっさりと続けた。
「魂と言っても、その一部ですよね? まぁ、セラさんになら全部でもいいんですけど」
「一部といえど、あなたの思考を支配することだって可能になるかもしれないのよ?」
「セラさんはそんなことしませんよ。優しいですもん。僕はセラさんを信じていますから」
「……そう」
やはり恐れ入る、とセリヴァルは肩をすくめて微笑んだ。
己の総てを差し出すだけの強い意志と、相手の精霊に対する揺るぎない信頼を示すこと。
それが魂の契りの本質だった。
(杞憂だったわね……)
淡い笑みのまま、シグルフへと視線を向ける。
「どうする? 先に私に届いた願いはあなたの方。私はあなたの意思を優先するわ」
呆然と弟を見据えたシグルフはやがて脱力したように笑みを浮かべた。
「変わったな、スティルク。いい目をするようになった」
「兄さん……」
「……うん。お前が信じるって言うなら、俺も信じる。俺の願いは撤回するよ。アストリアを、頼んだ」
これで正式に願いは上書きされた。
セリヴァルはシグルフに少し離れているよう指示を出す。
彼はかろうじて立ち上がれるまでに回復していたが、よろめく身体を父に支えられてその場から距離を取った。
「スティルク。私と手を合わせて、目を閉じて」
「……はい」
両手を合わせ、指を絡める。
二人を中心に円を描くように魔力が迸り、輝かしい神秘の光が溢れ出た。
通常なら複雑な魔法陣を必要とする儀式でも、自身が精霊の力を宿すセリヴァルには必要ない。
互いの額を擦り合わせ、目を閉じる。
凛とした声が、古き唄を紡いだ。
我はそこに在りしもの
汝の傍に在りしもの
汝を包み
汝と歩み
汝が恐れ
命の種を運ぶもの
それは風と大地の化身たるセリヴァルを言祝ぐ唄であり、彼女が唯一使用する呪文でもあった。
その唄声がスティルクの耳朶を震わせる。
「スティルク。頭に浮かぶ詞をそのまま唱えて……」
囁くと、スティルクの唇がゆっくりと動いた。
彼が聞いたこともないであろう呪文が、その口から紡がれていく。
「我が血を捧げ、我が骨を刻み、我が器と魂を委ねん。我が願いを抱き応えよ、精霊の御子よ。天翔ける風と命を支える大地を抱くものよ」
「我が御名、ヴェアリル・リヴノールの名に於いて。清き魂の誓いし願い、聴き届けん」
人の子が祈り、精霊が応える。
その瞬間、魂の契りは交わされた。
目も眩むほどの光が放たれ、その刹那にスティルクが唇を重ねる。
「僕の総てを捧げます、セラさん。一緒に戦ってください」
囁く声にセリヴァルは呆れて片眉を吊り上げた。
「対価としてもらうのは一欠けらだと言ったでしょう?」
「そうなんですけど。気持ちとしては、ね」
やがて光が収束し、セリヴァルの手には小さな輝きだけが残った。スティルクの魂の一欠けらだ。
目的を果たすまでの一時的なものではあるが、これでエルディンガルの子スティルクは、古の元精霊を使役できるようになったのだ。




