第48話 願いの上書き
セリヴァルは驚くこともなく、シグルフの言葉を受け止めた。
彼にとって、アヴリオンで突き付けられた光景はまさに地獄だったはずだ。あれ以上の地獄などないと思ったのだろう。
どんな対価でも、というのは決して虚勢ではない。
「相手は巨大な魔術都市アヴリオン。そこに囚われているアストリアを救うには、私でもそれなりに苦労するでしょう。対価もその分、重くなる」
言わずもがなではあるが、それでも念を押すのは、ソルガンとスティルクに聞かせる意味もあった。
セリヴァルは古の魔導士として、一切の迷いなく告げる。
「あなたが支払う対価はあなたのもっとも大切なもの、これまでの記憶。アストリアを救い出したあと、あなたは家族を忘れ、一族を忘れ、二度と思い出すことはなくなる。もちろん、魔導具制作の技術もね」
魔導士に願う対価は絶対だ。一度差し出したものは二度と戻らない。
再度魔導具職人としての修行を積んだとしても、彼の記憶にそれは刻まれない。それはエルディンガル一族として、長を継ぐ者としての道を断たれるということでもある。
「待って、セラさん!」
「セリヴァル殿!」
ソルガンとスティルクが同時に制止しようとするが、セリヴァルは眼光鋭く二人を見据え返す。
「私に願ったのはシグルフよ。彼が魔導士としての私に対価を支払うと言うのなら、私はそれを聞き入れる。たとえそれが恋人の兄の記憶でも、対価は絶対なの」
シグルフが対価を支払うことでもっとも深く傷つくのは、彼自身ではない。彼の家族だ。
それでも願う覚悟があるのなら、叶えるのがセリヴァルの魔導士としての覚悟。
たとえ、愛する人に恨まれることになろうとも。
「恋人……? まさか、スティルクとセリヴァル様が……?」
シグルフは顔を上げ、二人を交互に見やる。そしてその目が父親へと向けられると、ソルガンが小さく首肯した。
「……そうか。『いい人見つけろ』なんて言ったけど……。本当にすごい人掴まえたな、スティルク」
「兄さん……」
安堵の笑みを見せ、シグルフはセリヴァルに視線を戻して続けた。
「それが知れただけでも充分だ。記憶の対価、支払うよ」
あとはセリヴァルが頷くだけ。
それだけで契約は成立するはずだった。
しかしその寸前、スティルクの手がセリヴァルの腕を掴み、振り向かせた。思わず睨めつけるも、彼は怯まない。
「僕が行きます」
「え?」
「僕が、姉さんを助けに行きます。だから兄さんの願いは中止してください」
一体何を言っているのか。シグルフとソルガンも呆然と目を見開いている。
スティルクは確かに強い。人知を超えた力を持っている。
だがそれでも一人で乗り込もうと言うのは無茶だ。弟の剣技を知らないシグルフにとってはなおのこと納得できるものではない。
「何言ってんだ、スティルク!」
「兄さんは父さんの後を継ぐ人なんだ。記憶をなくさせるわけにはいかない」
「シグルフの言う通りよ。相手は魔術都市なのよ? 小物の山賊とはワケが違うのよ!」
「分かっています。でも、だからこそじゃないですか。魔力封じがあったら? 魔術都市ならそれぐらいの罠はあるでしょう」
「そういうときのために双剣と斧槍だって言ったじゃない!」
「魔力なしなら僕の方が強いです」
「……言ってくれるじゃないの」
こうなってはスティルクは決して聞き入れない。
愛する家族を。
居場所をくれた一族を。
護り、救うため、彼は選択を曲げたりはしないだろう。
「今はこれもあります」
先程受け取ったばかりの想炎の守人を示す。ソルガンはたとえ魔力封じを受けてもこれは作動できると言っていた。
確かに心強い武器ではあるのだが──。
「それでも……」
「分かっています。それでも、僕だけでは姉さんを助けることは難しい」
分かっているなら、と続けかけたところで両肩を掴まれた。
感情を取り戻した黒瞳は、揺るぎない意志を携えて恋人の魔導士を見据える。
「だから、セラさんにも手伝ってほしいんです」
「え?」
「僕が姉さんを助けに行きます。セラさんにはそれを手伝う形でついてきてほしい。それなら、セラさん一人にお願いする対価よりマシになりますよね?」
理に適ったことではある。
ただアヴリオンを破壊するという話ならばセリヴァル一人で容易い。だが今回は、囚われているアストリアを救出しなくてはならないのだ。
セリヴァル一人でもスティルク一人でも難しいならば、二人で行けばいい。
スティルクの願いを叶える形でなら、シグルフも記憶を失わずに済む。
「シグルフもスティルクも好き勝手なことを言いおって……」
それまで口を挟めずにいたソルガンが深く息をつき、皺の刻まれた眉間を押さえた。
彼が娘を助けてほしいと願えないことを、セリヴァルは察していた。
現状において、一族の長としてソルガンが取るべき選択は、娘を見捨てることだ。幸いにも後継者である長男は帰ってきている。このまま娘のことは諦め、里を移すことが一族を生かす最善の手なのだ。
父としてどれほどつらかろうと、長として耐えなければならないのが彼の立場だ。
「あなたでは取れない選択ね、ソルガン?」
それでも、彼が子供たちを分け隔てなく心底愛していることもまた事実。
息子たちの願いが今、父の心を強く揺り動かす。
ソルガンは再び深く息を吐き出すと、すぐに玄関へと向かい、勢いよく戸を開いた。
「リンガ!! あれを用意しろ! 後ほどスティルクを向かわせる!」
低く太く、堂々たる長の声が村中に轟いた。




