第44話 旅立ちの前に
スティルクが不思議そうに視線を上げ、手を取ってくる。
「セラさん?」
「ソルガンともきちんと話しておきなさいな」
しかしスティルクは眉尻を下げる。
「どうしていなくなろうとするんですか? セラさんにもいてほしいです」
「でも……」
「セラさんにも、聞いてほしいんです」
真っ直ぐに言われ、仕方なくセリヴァルは再び腰を下ろした。それに安堵した様子で、強い意志を宿した瞳がソルガンへと見据えられた。
「ソルガンさん。あなたには、感謝してもしきれません。フレイナさん、シグルフ兄さん、アストリア姉さんに対してもそうですが……。ソルガンさんには、特に」
膝の上で拳を握り、スティルクは目を伏せる。
「拾ってくれたっていうのも、もちろんですが……。ソルガンさんも、僕が人殺しだって最初から気付いてましたよね? 僕が最初、あなたを斬ろうとしていたことも……」
「……一応、な」
それにはセリヴァルの方が驚いた。
以前ソルガンがスティルクを拾ったときの話を聞いたときは、そのようなことは言っていなかった。この男のことだ。息子のことを考えて敢えて黙っていたのだろう。
それにしても初対面で殺意を向けてきた子供をよく連れ帰ったものだ。
それだけ当時のスティルクが痛々しい姿をしていたのだろうけれど。
「それでもあなたは、十二年間一度もそれを問い質したりしなかった。あんな状態だった僕を信じて、新しい刀まで打ってくれた……」
スティルクは両の手を開き、そこに視線を落とした。その手は、かつていくつもの命を奪った罪の記憶を映し出しているかのように震えていた。
「血で汚れた僕の過去は変えられない。だけど、せめて……せめて、これからは……」
ぎゅっと拳を握り、再び彼は養父を見据える。
「胸を張って、あなたとフレイナさんの息子だと、シグルフ兄さんとアストリア姉さんの弟だと、そう言える人間になりたい」
ソルガンがその双眸を見開き、唇を震わせた。
「……そうか。嬉しいものだなぁ」
仏頂面が穏やかに笑い、二人を見守るセリヴァルの頬も綻んだ。
痩せ細り、苦痛を殺して笑ったかつての少年はもうそこにはいない。大きく逞しく成長し、己の気持ちを素直に表すようになった彼が、ソルガンには大層誇らしかろう。
「だが、スティルク。いい加減、分かってくれんか」
「え?」
「お前は十二年前からずっと、儂とフレイナの息子で、シグルフとアストリアの弟だ。村を離れようともそれは変わらん。覚えておきなさい」
「……っ」
唇を噛みしめ、視線を伏せるスティルク。
その横顔を見つめ、セリヴァルはハッと閃いた。ちょんちょんと彼の腕をつつき、耳元へ唇を寄せる。
こそりと囁くと、スティルクは途端に狼狽した。
「えっ!? いや、でも、それは……」
「あら。でも次がいつになるのか、むしろ次があるのかも分からないわよ?」
なかなか珍しい姿にセリヴァルは頬杖をついて意地悪く微笑む。
常に振り回してくる彼をからかえる機会もそうそうない。セリヴァルにとってはそんな悪戯心だったが、彼にとっては一大事だったらしい。
膝の上で拳をもじもじさせている。
「何だ? どうした?」
戸惑うソルガンの問いには答えず、スティルクは意を決したように息を吸い込んだ。
しかしその割にはまだためらいながらも、ぽそぽそと呟く。
「……ありがとう、父さん」
瞬間、しんとした静寂が広がった。
呆然とした視線を向けてくるソルガンに、セリヴァルはぱちっと片目を瞑ってみせる。
この二人はどこからどう見ても親子なのだ。スティルクが父と呼べないまま別れてしまうのは、互いにとって心残りになるだろう。
惜しむらくは生前のフレイナを母と呼べなかったことか。しかしそれも、今後はきちんと呼べるはず。
(いいものを見させてもらったわ)
悪戯が成功した古の魔導士は満足して微笑んだ。
◇◇◇
ソルガンの家を出ると、今度はファイカンの家へ向かった。
彼はちょうど食事を終え、鍛冶場へ向かおうとしていたところらしい。手には作業用の前掛けを握りしめていた。
「村を出る!?」
幼馴染の告げた言葉にファイカンは驚愕の声を上げた。
母親の腕で眠るラーシュが、父の大声に反応してくしゃっと顔をしかめる。それをあやしながら、フィヨルが落ち着いた様子で問うた。
「セリヴァル様についていくの?」
「うん。セラさんが村にいられないなら、僕がついていけば一緒にいられると思って……」
照れくさそうに微笑む表情に夫妻は揃って目を丸くして顔を見合わせた。
そしてすぐに破顔し、ファイカンが頬をかく。
「……そうか。まぁ、セリヴァル様と一緒にいるにはそうするしかねぇよな」
そういえばスティルクはファイカンに相談していたと言っていたなとセリヴァルは思い出す。
突然の宣言に驚いてはいるものの、ファイカンは友の変化そのものに対しては戸惑っている様子もない。妻のフィヨルに至っては動揺さえなく、以前から何かを察していたように見える。
「寂しくなるね。でも良かった。初恋が旅の魔導士様ってことに心配してたんだけど、スティルクらしいと思うよ。セリヴァル様は本当に素敵な方だもの」
「……そうだな。実ったんなら良かったよ。また村に顔出すこともあるんだろ?」
「それはセラさん次第だけど……」
三人からいっぺんに視線を向けられ、セリヴァルは肩をすくめた。
「今までよりは短い周期で来られるようにするわ。あまり間隔が開くとスティルクがうるさそうだし」
言いながら、大体十年周期ぐらいでいいだろうかと考える。
それぐらいならば人間の寿命で考えても、あと数回は村に戻って来られるだろう。
幼馴染夫妻もホッと胸を撫で下ろした。
「シグルフさんとアストリアさんはどうするんだよ? 村に帰ったらお前がいないなんてことになったら、二人とも暴れるぞ? シグルフさんはひっそり、アストリアさんは派手にな」
「えっ……」
スティルクが唸り、腕を組んでしばし思案に耽り、そして天井を仰いだ。
言われた光景が頭に浮かんだらしく、困ったような視線を向けてくる。
「どこに出稼ぎに行ってるんだっけ?」
「アヴリオンって魔術都市です。確か国の名前は……アルクヴェリオだっけな」
セリヴァルも噂だけは聞いたことがある名前だった。
巨大魔術都市アヴリオン。アルクヴェリオの主要都市だが、国よりもその都市の名の方が知られている。数多くの魔術師を擁し、都市そのものにも広く魔術の技術が施された街だと聞いている。
「そこなら私も知ってるわ。行ったことはないけど、少し南西の方向にある都市でしょう? 寄り道していきましょうか」
最初の目的地であるシルバルク山脈は北西──大陸の端だ。少々方角はズレるが、セリヴァルは一度行ったことのある場所なら空間転移の魔法で飛ぶこともできる。
多少の寄り道は問題ない。
「……ありがとう、セラさん」
スティルクが嬉しそうに笑った。
それに笑みを返すと、ファイカン夫妻が正面に並び立ち、背すじを伸ばす。
「セリヴァル様。スティルクのこと、よろしく頼みます」
「私からも、お願いします」
揃って頭を下げる。
本当にスティルクはいい友人を持ったものだ。
だが彼には自らの意志で道を選べる強さがある。よろしくされずとも彼ならば大丈夫だと思いつつも、セリヴァルはふわりと微笑んだ。




