第40話 解かれた封印
「……こうしていつも触れさせてもらっておいて何ですけど、僕は汚れています。セラさん、僕が人殺しだって気づいてましたよね? 今だって、僕は殺すことに何の躊躇もないんです」
「ん。気づいていたわ」
スティルクの瞳に滲む翳りは、命を奪い生きてきた者特有の深淵だった。
望まぬかたちで人を殺め、己の心さえ殺して生きてきた者たちの双眸は、希望を抱くことさえ罪であるかのように澱み、孤独に沈む。
ゆえに、思う。
「スティルク。殺した人たちの声を覚えていないと言ったわね?」
「……はい。あの夜はひどい天気で、雷鳴と雨音は覚えているんです。けど、人の声は一つも覚えていません。どうでもいい情報は覚えないタチですし、だから──」
「違うわよ」
彼はまだ、理解しきれていなかったのだ。
己の心の内を。
抱えていたものの重さを。
「人の断末魔なんて気分のいいものではないわ。絶望の叫びなんて、私だって聞きたくない。そんなもの、たった九歳だったあなたが覚えていられるような代物ではなかったのよ」
「え……?」
腕が緩み、ようやくスティルクは視線を合わせた。震える黒瞳が濡れている。
「重かったからこそ、それが怖かったからこそ、あなたはそれを遮断した。苦痛や恐怖を感じられなくなったのと同じように」
殺されていく命の叫びを抱えることができなかったのは、彼の中に罪の意識が残っていたことの証ではないだろうか。
虐殺の罪を震えて吐き出した彼は、殺戮人形などではない。
「あなたはちゃんと、人の心を持っている。だからこそ、ソルガンたちがくれる愛情が、嬉しかったのでしょう? だからこそ、ソルガンが打った刀を光だと──お守りだと言ったのでしょう?」
「あ……」
「孤独の中で痛みに耐え続けた年月よりも遥かに長い間、あなたは愛情を注がれてきたじゃない。今のあなたになら、分かるはずよ。奪った命の重さも、与えられる愛情の優しさも」
ぽとり、と雫が零れ落ちた。
一つ、また一つと大粒の涙が見開いた黒瞳から溢れ、留まることなく頬を伝い落ちていく。
スティルクは唇を噛みしめ、セリヴァルを抱きすくめた。
「……怖かった。怖かったんです。エルディンガルの人たちはみんな僕に優しくて、温かくて。魔導具を創る力があるのに、でも誰一人として他者を痛めつけるような人たちじゃない」
嗚咽の漏れ始めた声を震わせ、少年は泣いた。
惨劇の夜に置き去りにしてきた総てを取り戻すかのように。
「きっとずっと、怖かった。優しくされればされるほど……、みんなを……大事だって思うほど、怖くて……。だからやっぱり、何も感じられなくて……」
十二年前、恐怖が彼を支配した。
殺されることに。
殺してしまったことに。
彼にとっての恐怖とは、殺戮と結びついてしまう感情だ。
希望と絶望は表裏一体。封じ込めた恐怖を思い出したくないがために、彼は希望さえも抱えられなかった。
彼には、総てを壊せてしまうだけの力があったから──。
「それでもあなたは、光を求めた。いい加減、観念なさいな。どんなに抑え込んでも、封をしても、あなたはもう無感情に生きられる人間ではないわ」
「……残酷なこと言いますね」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながらも、その声はどこか晴れやかだった。
脱ぎ捨てた着物を手繰り寄せ、スティルクはそれを手拭い代わりに荒々しく顔を拭く。
泣き止んだ彼が見せた気恥ずかしそうな笑みは、本来の彼が持つ無垢な純粋さに満ちていた。
「セラさんのせいで、全部思い出しちゃったじゃないですか」
「あら。私のせいかしら? あなたの家族と友人たちが、十二年間積み重ね続けてきたせいなんじゃなくて?」
彼はとうに変わり始めていたはずだ。それは間違いなく、ソルガンを始めとする、一族の愛情と優しさが絶え間なく注がれ続けたおかげなのだ。
それがなければ、たとえ自分と出会っていても感情の封は解けなかったろうとセリヴァルは笑う。
「それでも、僕はセラさんにじゃなければ打ち明けられませんでしたよ。……セラさんは、強いから。もしも僕があの夜を思い出して暴走したとしても、セラさんなら僕を止められるじゃないですか」
そんな信頼をされても困る、と思わず肩をすくめる。
「私、あなたに負けたのだけど?」
「魔法も有りでなら僕だって勝てる気はしませんよ」
「そう言われてもねぇ……」
セリヴァルが一切のタメもなく発動できる魔法は二種類ある。己の属性である風と大地を操るものだ。スティルクの攻撃の速さを考えたら、このどちらかで応戦するしかない。
が、地に大穴を開けようとも彼なら駆け上ってくる気がしてならない。
「空に吹き飛ばすぐらいしか思いつかないわ……」
「あははっ。それでいいですよ」
けらけらと笑い、額をこつりと擦り合わせられる。
「セラさんも、観念してくれますか?」
「? 何を?」
問い返すと、スティルクは極めて穏やかな笑みを浮かべて言った。
「僕は、セラさんが好きです」




