第39話 異物の少年
「色んなものが詰まっているのは、あなたの刀も同じでしょう?」
「え……?」
壁に立てかけられた刀は手を伸ばせば届く距離にある。
さすがに双剣と斧槍を研ぐときには邪魔になるからと、スティルクはその腰から刀を下ろしていた。
「ソルガンが、あなたのために打った刀なんでしょう? 彼のことだから、あなたを思い、あなたのために色んなものを込めたと思うわよ。頑固親父の職人が、今やただの子煩悩ジジイね」
肩をすくめて笑ってみせるが、スティルクはただ視線を伏せ、そして黒瞳の視線を刀へと向けた。
「……僕、家族って、いなかったんですよ」
ぽつりと、落とすような声だった。
「ここよりもずっと東にある村の、小さな農民の家に生まれて……。ハハオヤとチチオヤ、アニとアネって存在はいたんです。僕はいつも、その人たちから暴行を受けていました」
それは、彼が初めて語る己の過去だった。
スティルクが虐待を受けていたであろうことはソルガンからも聞いている。奴隷の子だったのではとも言っていたが、彼は元々孤児ではなかったのだ。
親がいなかったから親の愛を知らなかったのではない。
その親の存在こそが、彼の痛みの根源だったのだ。
「主にチチオヤだったんですけどね。いつからかアニも混ざるようになりました。彼らが僕の存在を意識しないように、できるだけ気配を殺して生活していました。少しの物音や足音でも逆上するから、足音も殺すようになりました。それとは逆に、彼らの気配や物音には敏感になって、家のどこに誰がいるのか分かるようになっていって……」
ハハオヤは無関心。
アネは痛めつけられる姿をただ嘲笑うのだとスティルクは語った。
「少しでも嫌な顔をすればさらに激高させてしまうから、痛みや苦しみも感じなくなっていったんです。あの人たちが暴れ始めたら、ひたすらに終わるのを待つだけ。……あ。見た方が早いですね」
腕をほどいたスティルクはセリヴァルの身体を離し、手早く帯をほどいた。
着物を脱ぎ捨て、鍛え抜かれた彫刻のような上半身が露わになる。その美しい肢体には、痛ましい無数の傷痕があった。
火傷の痕は肌をまだらに焼き、皮膚が削がれたような深い傷跡が幾筋も走っている。
背中の傷はさらに多かった。
小さな身体を丸めて必死に地獄の時間を過ぎるのを待っていたのだろう。幼かった彼が長い間痛みと戦い、命を繋ぎ止めるために耐えてきた証そのものだ。
「……これが、あなたの生きてきた轍なのね」
「こんな醜い傷痕をそんな綺麗な例え方します?」
「あら、ご不満? ひたすらに生きてきた道筋でしょう? 雷神にやられたあとの私も同じようなものだったわよ」
「ボコボコにされたとき?」
「そう。私はその後に魔法を覚えて治しちゃったけどね」
笑って、彼の傷痕をそっと撫でる。つられたように、しかし困ったようにスティルクも笑う。
「……火傷は火箸で、それ以外は大体が木材や薪でやられたやつです。チチオヤもアニも思いっきり殴りつけてくるから、木材が折れるんです。その折れた断面が皮膚を削いで抉るんですよ」
セリヴァルの手を取ったスティルクがその腕を引いた。抱きすくめられ、彼の顔が見えなくなる。
「……あの日は、チチオヤがいつもよりひどく酔っ払っていて、呂律も回ってないから何を言っているのかも分かりませんでした。まぁ、いつもの罵倒だったと思いますけど。今日はいつ終わるのかなって、じっと耐えていたんです……」
腹を蹴られ、踏みつけられ、熱した火箸が皮膚を焼いても、額が裂けて血が流れても、スティルクは呻き声一つ上げなかったという。
苦痛を感じず、己の存在を霞にすることでしか生きられなかった小さな少年は今、己の根幹を開き、晒す。
「僕が何の反応も見せないことが不満だったのかな。チチオヤが刀を抜いたんです。それまで刃物を使われたことはなかったのに。……あぁ、殺されるって思いました」
分かりやすく危険な刃物を使用しなかったのは、単純に面倒事になるのが嫌だったのだろうなとセリヴァルは思った。
残酷な嗜虐性を持つ人間はどこまでも残酷だ。酒で理性を棄ててしまえば、そこに現れるのは化物の顔でしかなかったろう。
抱きすくめる太い腕が、わずかに震えた。
「気が付いたときには、チチオヤは首から血を流して死んでいました。僕の手には刀が握られてて、どうやったのか分からないけど、自分がチチオヤから刀を奪って殺したんだと分かりました」
かつての少年の背を抱き返すと、彼は堰を切ったように地獄の記憶を吐き連ねた。
「異常を察したハハオヤが駆けつけて、叫び声を上げて……。だから、ハハオヤも殺しました。アニも、アネも。追っ手を作らないためだけに、他の村の人たちも。それまでみんな、僕がどんな目に遭ってるか知っていたのに、誰も助けてくれなかったから。みんな敵になると思ったんです。ソルガンさんに拾われるまで、何人殺したのか覚えてもいません。僕が奪った命の中には、ラーシュぐらいの赤ん坊だっていたんです!」
幼い少年には抱えきれなかった恐怖は、もはや人としての感情を持つことすら拒絶した。総てを壊し尽くすことでしか、彼は己を護れなかったのだ。
極限の恐怖が、人の域を超えた力を目覚めさせてしまった。彼の心は既に、それを恐怖と認識することもできなかったというのに。
「ソルガンさんに拾われて、『今日からお前も家族だ』って言われて、すごく戸惑いました。夫婦と息子と娘、同じ家族構成のはずなのに、僕の知ってるものとは全然違ってて……。みんながずっと、僕を可愛がってくれました。だから、分かったんです」
「……何を?」
「これが家族というものなら、僕が知っているものは家族じゃなかったんだ、って。あの家で、僕だけが異物だったから、あの人たちは僕を虐げて、僕は彼らを殺せたんだって……」
スティルクの罪は果てしなく重い。
彼を虐げ続けた両親や兄姉、そして見棄てただけの周囲の人間の罪もまた重い。しかしそれは大人に対してのみの話だ。
彼は村人総ての命を奪い尽くした。
何が起きているのかも分からぬままに死んだ子供も多かろう。
そのときの村人の声を、スティルクは何一つ覚えていないのだと語る。




